伊逹さんから話を聞いた後、僕達は別荘に食糧がどれくらい残っているのかを調べた。

 別荘の水道から出る水は天然水をろ過しているため、そのまま飲める。だけど、別荘の外に出られない以上、食糧は今、此処にある分だけでなんとかしないといけない。

 元々、この島には三日間滞在する予定だったため、三日分の食べ物は用意されている。後は地下室にどれくらいの食糧があるかだったけど、幸い地下室には非常用の乾パンや缶詰などがかなりの量あった。これでしばらくは食べ物に困らなくて済む。

 他には何かないかと、地下室を進む。

「うわっ!」

 目の前に突然、見知らぬ女性が現れた。驚いた僕は思わず叫ぶ。

「落ち着きたまえ雨音君、マネキンだよ」

「マ、マネキン?」

 部長に言われ、僕は女性をよく見る。本当だ。人間じゃなく、ただのマネキンだ。

「なんでマネキンが?」

「確か一度だけパーティーの余興で使われたものだと思います。私もすっかり忘れていました」と、勝也さん。

 ああ吃驚した。心臓が止まるかと思った。

 それにしてもリアルなマネキンだ。パッと見ただけでは人間と区別がつかない。地下室は明かりを点けても薄暗いから、余計にそう思う。

「雨音さん、大丈夫ですか?」

「は、はい。大丈夫です」

 黒原さんが心配してくれる。みっともない所を見せてしまった。恥ずかしい。

 そういえば、このマネキン。どこか黒原さんに似てる気がする。長い黒髪で、身長も同じくらい。着ている服だって似てる。後ろ姿なら、明るい場所でも見間違えるかもしれない。

「おや、これは……」

 部長が何かを見付けた。視線の先には、筒状の長い物体がある。

「部長、それって……」

「ああ、ライフルだね」

 おそらく先代の山本惣五郎氏が使っていたものだろう。彼の死後、片づけられずにそのまま残っていたのか。

「凄い!それがあればあの熊達をぶっ殺せるぞ!」

 春日さんは喜ぶけど、部長は首を横に振った。

「残念だが、それは無理だ」

「どうして?」

「弾丸が無い」

 部長はライフルの中を僕達に見せた。そこに弾丸は入っていない。どこかに弾丸の入った箱が無いか探してみたけど、どこにも無かった。

「なんだよ。くそっ!」

 春日さんはイライラした様子で舌打ちをする。

 仮にライフルの弾丸があったとしても、素人が動き回る野生動物に命中させるのは難しいだろう。部長が言うには、あのライフルには最大で五発の弾丸を装填出来るそうだけど、五発全部撃っても当たらない可能性の方が高い。

 下手をすれば流れ弾が人に当たってしまう危険だってある。弾丸は無くてむしろ良かったのではないかと思う。


 食糧探索の後、助かる方法を皆で話し合う。

「この島から本土への連絡手段は、本当に別荘の固定電話だけなんですか?」

「はい、あの電話が外と連絡を取れる唯一の手段です」

「非常電話とかも無いんですね?」

「……はい、ございません」

 勝也さんの言葉に、春日さんが激昂する。

「なんで、そういう大事なもんがないんだよ!熊を島に持ち込むなんて馬鹿な事をする前に、人の命を守るもんに金掛けろよ!」

「それは……ごもっともです」

「申し訳ございません」

 山本さんと勝也さんは頭を下げる。だけど、春日さんの怒りは収まらない。

「謝って済む問題じゃないだろ!だいたい……」

「春日さん!」

 僕は興奮状態の春日さんを宥める。

「憤る気持ちは分かります。でも今、山本さんと勝也さんを責めてもどうしようもありません。それよりも、生き残るための方法を話し合いましょう」

「……ふん」

 僕の説得が通じたのか、春日さんは文句を言うのを止めてくれた。春日さんの主張は正論だけど、別荘という限られた空間に居なければならない以上、争いごとは避けた方が良い。

 それからも話し合いは続く。

「一気にバスまで走った後、港へ向かうのは?」

「外に出るのは危険すぎる。自殺行為よ」

「バスで港まで行けたとしても、船が来ていなければ無意味だ」

 白崎部長は腕を組む。

「勝也さん、帰りの船が来るのは明後日の正午ですよね?」

「はい、そうでございます」

 僕達はこの島に八月二十日から二十三日の三泊四日間滞在する予定だった。既に一泊したので今日は八月二十一日。帰りの船が来るのは明後日だ。

「つまり、明後日まで此処に居なければならないんですね」

「そうとは限らない」

 白崎部長は首を横に振る。

「迎えの船が来たとしても、彼らはツキノワグマの事を知らない。下手に島へ上陸すれば、襲われてしまう」

「あっ!」と僕は声を上げた。

「そして、迎えに来た者が襲われれば、私達の救助はさらに遅れてしまうだろう」

「そ、そんな!」

「なんとかならないのか?」

 田沼さんと春日さんが叫ぶ。

「外に連絡が取れない以上、どうしようもないな」

 白崎部長の言葉に皆が絶望していると、勝也さんが「いえ、もしかしたら何とかなるかもしれません」と言った。

「どういう事ですか?勝也さん」

「実は、二日目——つまり今日の夜に、島で何も異常が無かったか本土へ連絡する事になっていたんです。もし、私からの連絡が無ければ、きっと向こうから連絡を取ろうとして来るでしょう」

 白崎部長が「なるほど」と自分の顎を摩る。

「別荘と連絡が付かなければ、島で何かあったと判断して救助が来るかもしれない。そういう事ですね?」

「はい、そうです!」

「で、でもそれって迎えの船が来るのと違いがあるんですか?」

 迎えの船も救助の船も大差があるとは思えない。救助の船には医療道具はあるだろうけど、ツキノワグマと戦うための武器を積んでいるとは思えない。結局、この島にツキノワグマが居るという情報を本土へ伝えなければ、これから島に来る人達は危険に晒されるのではないだろうか?

「救助『船』だと変わりはないだろうね。だが、別の手段で救助が来れば話は別だ」

「別の手段?」

「ヘリさ」

 白崎部長は上を指差す。

「救助『ヘリ』だったら、屋上に着陸してもらえる。そうすれば、ツキノワグマに襲われる心配なく救助してもらえるだろ?」

「ああ!」

 そうか!屋上ならツキノワグマも僕達に手出し出来ない。安全に救助してもらえる。

「屋上に救助ヘリが着陸できるスペースはあるのですか?」

 黒原さんが勝也さんに質問する。

「ございます。屋上には貯水タンクがあるだけで、他には何もございませんから、ヘリが着陸するスペースは十分あります!」

「でも、熊は屋上まで登って来ないんですか?もし、ヘリに乗っている最中に襲われたら……」

 田沼さんは不安そうに両手を握る。

「伊達さん、どうだろう?ツキノワグマが屋上に登って来る可能性はあるかな?」

 白崎部長が伊達さんに訊いた。

「そうね……ツキノワグマは木登りが得意なの。爪を幹に突き立てて上まで登る事が出来る。でも爪を食い込ます事も出来ず、足場も無い外壁を登る事はこの島のツキノワグマにも出来ないでしょうね。高い木があればそこを登って別荘の屋上に飛び移る事も出来るでしょうけど、そんな高い木は別荘の周りには無いし」

 ツキノワグマは別荘の屋上には登って来れない。だったら、屋上にヘリを着陸してもらえば、助かる可能性は十分にある。希望が見えてきた。

「だけど、救助がヘリで来るとは限らない。船でやって来る事だって十分考えられる。そこはもう祈るしかないね」

 話し合いの最後に、白崎部長はそう言った。

 

 そうこうしている内に日が落ちて夜になる。僕達は簡単な食事を終えると、皆それぞれ自分の部屋に戻って行った。

 山本さんは万が一に備え、一階で見張ると言う。自分が島に招待したせいで何人も——特に姪である貝塚さんを死なせてしまった事に、強い責任を感じている様子だった。

「一人で大丈夫ですか?僕も一緒に……」

「大丈夫です。雨音さんはお休みください」

「でも……」

「大丈夫ですよ」

 山本さんはニコリと微笑んだ。その笑顔からは強固な意志を感じる。

「……分かりました。よろしくお願いします」

 山本さんに頭を下げ、僕は階段を上がった。


「あの、雨音さん」

 二階に上がると、伊達さんに声を掛けられた。

「あの時はありがとう。助けてくれて……」

「あの時……ああ!」

 ツキノワグマから庇った時の話か。

「雨音さんのお陰で助かった。本当にありがとう」

「いいえ、気にしないでください。大した事はしてませんから」

「何かお礼をしたいんだけど、今は何もなくて……ごめんなさい」

「本当に気にしなくて大丈夫ですよ!」

 伊逹さんは律儀で、受けた恩は返さないと気が済まないタイプのようだ。とても好感が持てる。

「それよりも、伊達さんは大丈夫ですか?無理はしないでくださいね」

「うん、ありがとう」

 伊逹さんは笑う。

「木原先生と岸辺君が亡くなったのはとても悲しい。でも、悲しんでばかりもいられない。木原先生が居なくなった今、ツキノワグマについて一番詳しいのは私だと思う。だから、私がしっかりしなくちゃいけないの。悲しむのは、この島から無事に戻れてからにするよ」

「伊達さん……」

 この人は強い。こんな短時間で木原准教授と岸辺さんの二人を失ったショックから、完全に立ち直れるわけがない。なのに彼女はそれを見せない。

 尊敬する、本当に凄い人だと思う。

「じゃあ、何かあったら言ってね。力になるから」

 最後にもう一度「ありがとう」と言って伊達さんは自分の部屋へと向かった。

「罪な男だね、君は」

「うわっ!」

 いつの間にか、白崎部長が僕の背後に立っていた。

「な、なんですか?罪な男って」

「彼女、君に惚れたんじゃないのか?」

「はぁ?」

 思わず素っ頓狂な声を出してしまった。何を言うんだこの人は。

「自分を助けてくれた相手に恋するのは、物語では王道な展開だよ?」

「ありえません。伊達さんとは昨日会ったばかりですよ?」

「恋に落ちるのに時間は関係ない。相手を好きになるのは一瞬あれば十分だ。そして一度恋に火が点けば、後は燃え上がるだけさ」

 部長はニヤニヤと笑っている。そういえば、飯田先輩も同じ事を言っていたな。

「いやぁ、モテるね。雨音君は」

「今まで生きてきてモテた時なんて一度もありませんよ」

「自覚が無いだけさ。雨音君は鈍いからね」

「失礼な。僕は鈍くなんてありません」

 それにモテるというのなら、僕なんかより白崎部長の方がずっとモテる。現に今も部長を想っている人が居るのだから。

「飯田先輩の様子はどうですか?」

「大分落ち着いたよ。もう一人にしても大丈夫だ」

「良かった」

 ほっと胸を撫で下ろす。

「雨音君」

「はい?」

「必ず生き残ろうね」

 部長の表情はさっきまでのふざけたものとは違い、真剣だった。

 僕は力強く頷く。

「はい、必ず全員で生きて帰りましょう」

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