③
なんとか別荘まで辿り着いた僕達は、そのまま滑り込むように中に入った。そんな僕達を見て、別荘に残っていた勝也さんは目を丸くする。
「ど、どうなさったのですか?皆様」
「く、熊だ!」
「熊⁉」
「早くドアを閉めろ!熊が来るぞ!」
山本さんが叫ぶ。勝也さんは慌ててドアを閉め、鍵を掛けた。
「ひっ!熊だ!」
窓から外を見ていた春日さんが叫ぶ。窓の向こうから三頭の熊がこちらを見ていた。熊達は凄まじいスピードでこちらに走って来ると、窓に体当たりした。
「きゃあああ!」
「皆!窓から離れろ!」
白崎部長の声で皆が一斉に窓から離れる。熊は何度も何度も窓に体当たりをした。
「大丈夫です。皆さん!」
別荘の持ち主である山本さんが叫ぶ。
「あの窓は特別製の強化ガラスです。決して割れません!」
山本さんの言葉通り、熊の体当たりを受けても窓はビクともしない。何度か体当たりした後、熊達は窓から離れた。諦めたのか?と思ったが、熊達は次にドアへ体当たりし始める。
「嫌ぁああああ!」
「だ、大丈夫です!ドアも窓と同じく特別製です。熊の力でも壊せません!」
ドアへ体当たりする音はしばらく続いたが、やがて止んだ。
「た、助かったの?」
「よ、良かった」
皆が安堵した時、ガチャガチャとドアノブが動いた。戦慄が走る。まさか、ドアを開けようとしているのか⁉
「ひいいいい!」
春日さんが悲鳴を上げる。幸い、勝也さんが鍵を掛けたので、ドアが開く事は無かった。フーフーと恨めしそうな鼻息が聞こえ、ドアノブは動きを止める。
「今度こそ、助かった?」
ゆっくりと慎重に、窓から外を確認する。熊は居なくなっていた。
「はぁ」全員が大きく息を吐く。
「まさか、熊がドアを開けようとするなんて……」
僕の呟きに伊達さんが答える。
「熊は賢い生き物なの。鍵が掛かっていなければドアを開けられ……」
「ぎゃあああああ!」
突然、悲鳴が別荘に響いた。
「あの声は?」「二階から聞こえたぞ!」
僕達は急いで二階に上がった。悲鳴は展示室から聞こえる。展示室の窓から中を覗くと、古美術商の工藤さんが熊に襲われていた。
「ぐああああ、やめろ!やめてくれえええ!」
「工藤さん!」
なんで?どうして展示室の中に熊が?
「雨音君、あれを!」
白崎部長が展示室の奥を指差す。展示室の奥にある非常ドア。そのドアが開いていた。あそこから入ったのか!
「あっ……」
工藤さんが僕達に気付く。
「助けて!助けてくれぇええ!」
僕達に気付いた工藤さんは、血塗れになりながら必死に助けを求めた。
「た、助けないと!」
「駄目だ。雨音君!」
白崎部長が僕を止める。
「今、展示室のドアを開けたら熊が出てくる。全員が危険に晒されるぞ!」
「……ッ!」
部長の言葉は正しい。展示室のドアを開けたら他の皆の命が危ない。だけど、このままだと工藤さんが……。
「た、頼む……助けて……助け………たすけ……」
尚も助けを求め続ける工藤さん。工藤さんを襲っている二頭の熊は、まだ意識のある彼を非常ドアまで引きずると、外に連れ去ってしまった。
皆が言葉を失う中、白崎部長が勝也さんに訊いた。
「この展示室の鍵は?」
「いえ、いつでも絵を鑑賞出来るようにと、展示室のドアに鍵は付いていないんです」
「だったらまずいな」
部長は顔を歪める。
「展示室のドアに鍵が付いてないなら、あの非常ドアに鍵を掛けなければまた熊が入って来てしまう」
「それって、誰かが展示室の中に入って非常ドアに鍵を掛けなくちゃいけないって事ですか?」
飯田先輩は震える声で言った。いつまた熊が戻って来るかもしれない展示室の中に入るのは危険だ。工藤さんの凄惨な姿が頭によぎる。だけど!
「僕が行きます!」
皆の視線が僕に集まる。部長が何か言い掛けたが、僕はそれを聞かずに展示室に入った。
展示室の中は酷い有様だった。熊が暴れたせいで、破れている絵がいくつもある。工藤さんが解説してくれた『嫉妬』と呼ばれている絵には、飛び散った血が付いていた。
だけど、それを気にしている時間は無い。ゆっくりしていたら熊が戻って来てしまう。僕は一直線に奥まで走り、非常ドアを閉め、鍵を掛けた。
よし、これで熊はもう入ってこれない。
「馬鹿か君は!」
展示室から出ると同時に、白崎部長に怒られた。
「いきなり中に入る奴があるか!何もなかったから良かったけど、もし熊が戻って来て鉢合わせになっていたらどうするつもりだったんだ!武器を持って、複数人で入らなければ危ないだろう!」
「すみません。つい……」
「ついじゃないよ!全く!どうせ、何かあっても犠牲になるのは自分だけで済む。とか思ったんだろう。駄目だからな!そういうのは!」
「……ごめんなさい」
普段あまり怒らない部長にしこたま怒られた。それだけ心配してくれたのだろう。他の人達も心配そうな目で僕を見ている。
「ご迷惑をおかけしました」
僕は皆にも頭を下げた。
「ともかく、これで熊が入って来る心配は無くなりました。勝也、早く外に連絡を!」
「は、はい!」
山本さんの指示を受け、勝也さんは急いで一階のフロントへと走った。そこには島の外へ連絡するための固定電話がある。
これで助けを呼べると思った時、勝也さんが一階から叫んだ。
「た、大変です!電話が繋がりません!」
「なんだって⁉」
僕達は急いで一階へ下りて固定電話を確かめた。山本さんは受話器を耳に当て、何度もボタンを押すがどれも無反応だ。
「これを見て!」
伊達さんが固定電話から伸びた電話線を皆に見せる。電話線は途中からプツリと切断されていた。
「なんで、どうして?」
「……ネズミの仕業ね」
「ネズミ?」
「この切断の痕は間違いなくネズミに嚙み切られたものだよ。ネズミによって電話線が嚙み切られてしまう事故はよくあるの」
伊達さんは勝也さんに視線を向ける。
「勝也さん。電話線を修理する事は出来ますか?」
「申し訳ありません。電話線の修理道具は無いんです。ですので……」
「なるほど」
白崎部長は自分の顎を触る。
「携帯電話は通じず、固定電話も使えなくなった。これで外部と連絡を取る手段は完全に断たれた。というわけか」
外にはたくさんの人食い熊。外部に連絡する手段も無い。
僕達は、別荘から出られなくなってしまったのだ。
その後、僕達は全員二階に移動する。
いくらドアや窓が壊れないと分かっていても、あのまま一階に居るのは精神的に無理だった。二階に上がると、今後について話し合うため、山本さんの部屋へと集まる。
犠牲になったのは六人。
木原准教授、岸辺さん、貝塚さん、飛石さん、加藤さん、工藤さん。
生き残ったのは九人。
白崎部長、飯田先輩、春日さん、黒原さん、田沼さん、伊達さん、山本さん、勝也さん、そして、僕——雨音。
わずか数時間で六人の尊い命が失われてしまった。
「貝塚っち……うっ……ううっ……」
「先輩……」
別荘に戻ってから、飯田先輩はずっと泣きっぱなしだった。目の前で大切な友人をなくしたのだ、仕方ないだろう。そんな飯田先輩に、白崎部長が寄り添う。
「飯田君。大丈夫かい?」
「……部長!」
飯田先輩は白崎部長の胸の中へ飛び込んだ。
「私、怖くて……貝塚っちを……見捨てて……と、友達だったのに!」
「大丈夫だよ」
胸の中の飯田先輩を、白崎部長はそっと抱きしめる。
「君は悪くない。あの状況で自分の命を優先するのは当然だよ」
「部長……」
「君は何も悪くない」
「うっうう……」
白崎部長は飯田先輩の頭を優しく撫で続けた。先輩はこのまま部長に任せておいた方が良いだろう。
僕は勝也さんに救急箱の場所を尋ね、怪我をしていた人の手当をする。手当と言っても、怪我を消毒して、その上から絆創膏を貼るぐらいしか出来なかったけど。
「黒原さんは大丈夫ですか?怪我してませんか?」
「はい、私は大丈夫です。雨音さんこそ、お怪我は?」
「僕はかすり傷です」
幸い、大怪我をした人は居なかった。
だけど、精神的なダメージは計り知れない。
「飛石先輩……ううっ」「木原先生……岸辺君……」
貝塚さんだけでなく、田沼さんと伊達さんも暗い顔をしていた。
「くそっ、なんなんだよ!あの熊は!」
春日さんはかなり苛立っている。あるいは怒る事で恐怖を紛らわせているのかもしれない。
「あの熊は……」
伊達さんは目に溜まった涙を指で拭うと、僕達を襲った熊の名を口にした。
「あの熊は——ツキノワグマよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます