第二章 襲撃

 翌日。小鳥のさえずる声で目を覚ました僕は目を擦りながら顔を洗い、寝巻から用意してきた服に着替える。一階に下りて食堂へ行くと既に白崎部長が席に座っていた。

「おはよう雨音君」

「おはようございます。部長、寝癖が付いてますよ」

「むっ!いかん、いかん」

 部長は慌てて寝ぐせを直す。

「昨日はよく眠れたかい?」

「はい、ベッドもフカフカでよく眠れました」

「うむ、それは何よりだ。睡眠は大事だからね」

 しばらくすると他の人達も二階から下りて来る。

 今日、島を見て回る予定の人は皆、動きやすそうな格好をしていた。昨日は黒のワンピースを着ていた黒原さんも、今日は長袖と長ズボンを履いている。

 飯田先輩も食堂に入って来た。

「おはよう飯田君」

「おはようございます。先輩」

 僕と白崎部長は飯田先輩にあいさつする。

「お、おはよう、ご、ございます!」

 飯田先輩は白崎部長を見ると、リンゴのように顔を赤くした。そして、まるで昔のロボットのようなカクカクした動きで席に座る。昨日は白崎部長の隣に座っていたのに、今日は離れた席に座った。

「飯田君、どうしたんだろうね?」

「さ、さぁ」

 たぶん、昨日話していた白崎部長への告白を意識して緊張しているんだろう。あんな調子で告白なんて出来るんだろうか?心配だ。何か僕にサポート出来る事があれば良いんだけど。


 八時になると、勝也さんが朝食を運んで来た。朝食は美味しそうなパンとスープだ。

「あれ?岸辺君は?」伊達さんが口を開く。そういえば、姿が見えない。

「まだ寝てるのかな?」

「私が呼んできます。皆様はどうぞ食事を始めてください」

 勝也さんが席を立った後、僕達は先に食事を始めた。昨日のように、皆で会話を楽しむ。

 しかし、勝也さんは中々戻って来ない。

「勝也さん遅くないですか?」

「そうだね。もうすぐ二十分は経つ。呼びに行くだけでこんなに時間が掛かるものだろうか?」

 それからやっと勝也さんは戻って来た。でも、戻って来たのは勝也さんだけで、岸辺さんの姿はない。

「勝也、岸辺様はどうした?」山本さんが尋ねる。

「それが……どこにも見当たりません」

「なんだって?」

 勝也さんによると、いくらドアをノックしても岸辺さんは出てこなかったらしい。

 具合でも悪いのかと仕方なくマスターキーを使って部屋の中に入ったが、誰も居なかったとの事だ。

「トイレや風呂場も探したのか?」

「はい。念のためベッドの下やクローゼットの中なども探しましたが、どこにもいらっしゃいません」

「展示室や一階のトイレは?」

「そこも確認しました。しかし、見当たりません」

 勝也さんは食堂に居る全員に尋ねる。

「この中で岸辺様を見たという方はいらっしゃいませんか?」

 全員がお互いの顔を見るが、今日岸辺さんを見た人は誰も居なかった。

「ちょっと、いいですか?」

 白崎部長が手を挙げる。

「勝也さん。昨日の夜、玄関ドアの鍵は閉めましたか?」

「ええ。皆様が部屋にお戻りになった後、私が閉めました。それが何か?」

「いえ、今朝はちょっと早く目が覚めたんで一階をブラブラ歩いていたんですが、その時に玄関ドアの鍵が開いているのに気付いたんです。一応閉めておきましたけど」

「部長、それって……」

「うむ。勝也さんが玄関ドアの鍵を掛けたというのなら、その後に誰かが鍵を開けた事になる。そして、玄関ドアの鍵を開けた理由は外に出る以外に考えられない」

 部長の言葉に木原准教授がハッとなる。

「まさか岸辺君。森の中に入ったんじゃ……」

 そういえば昨日、岸辺さんは『月辺島』の調査期間が短いと不満を漏らしていた。森を調査するために夜の間にこっそり別荘を抜け出し、森に入った可能性はある。

「それ、まずくないですか?」

「ああ、とても危険だ。もし森で迷ってしまったのだとしたら……」

 木原准教授は椅子から立ち上がる。

「私は今から森に入って、岸辺君を探します。伊達君、手伝ってくれ」

「はい!」

「私も手伝いましょう」「僕も手伝います」「私も!」

 僕達『ミステリー調査同好会』のメンバー三人が立ち上がる。貝塚さんと春日さんも手伝うと言ってくれた。

「私も行きます。島の所有者として見過ごせません」

 山本さんも手を挙げる。

「私も手伝います」「私も」「当然、俺も手伝うぜ」

 イベント企画会社の田沼さんと飛石さん。冒険家の加藤さん。そして、

「私も行きます」

 黒原さんが手伝うと言ってくれた。

「じゃあ、私も……」勝也さんも行くと言ったが、それを木原准教授が止める。

「いや、貴方は此処に待機していてください。もしかしたら彼が戻って来るかもしれませんから」

「か、かしこまりました」

「じゃあ、すまないけど私も待ってて良いかな?」

 工藤さんは申し訳なさそうに言う。

「実は膝が悪くてね。森の中を歩けそうにないんだ」

「いえ、大丈夫です。工藤さんも此処に居てください」

 勝也さんと工藤さんを別荘に残して、僕達は岸辺さんを探しに森の中へ入った。


「岸辺さん!」

「岸辺さん、どこですか!」

 森の中に入った僕達は大声で岸辺さんの名前を呼ぶ。しかし、返事は無い。

「大丈夫ですかね?」

「どこかで怪我をして動けなくなっているのかもしれないな」

 白崎部長の言う通りだとしたら一刻の猶予も無い。僕達は迷わないように木に目印を付け、互いにはぐれないように注意しながら岸辺さんを探す。

「先生!これ!」

 伊達さんが木原准教授を呼ぶ声が聞こえた。木原准教授と一緒に僕達も駆け寄る。伊達さんは手のひらサイズの黒い何かを持って立っていた。

「それは何ですか?」

「これは『トレイルカメラ』と言って、生き物が発する熱に反応して動画を撮影するカメラなの」

 伊逹さんは僕に教えてくれた。

「木にくくり付けておけば、生き物が通る度に自動で動画を撮影してくれる。今回の調査では、森に二か所設置する予定だった」

「それが此処にあるって事は……」

「ええ、岸辺君は間違いなく森の中に入っている。たぶん、途中で落としてしまったんでしょうね」

 やはり、岸辺さんは森の中に入っていたのか。大変だ。早く見付けないと。

「駄目だ、動かない」

 伊逹さんはトレイルカメラのスイッチを何度も押すが、電源すら入らない。

「何か映っているかもと思ったんだけど」

「壊れてるんですか?」

「そうみたい」

 よく見れば、カメラには所々に傷が付いている。動かないという事は内部も破損しているのだろう。それにしても、落としただけでこんな風になるだろうか? 

「きゃあああああ!」

 甲高い叫び声が聞こえた。あれは田沼さんの声だ。どうしたのかと皆が田沼さんの元へと集まる。

「どうかしましたか?」

「あ、あれ……」

 田沼さんは震えながらある場所を指差す。


 そこにあったのは——岸辺さんの死体だった。


「き、岸辺さん」

 岸辺さんの死体は半分以上が草や土で埋まっていた。

 土からはみ出している顔や胴体、腕など体の至る箇所が血で赤く染まっている。特に顔の損傷は酷く、三分の一が失われていた。

「うえぇ!」

 誰かが嘔吐した。僕も気分が悪い。

「岸辺君……」

 木原准教授と伊達さん、そして冒険家の加藤さんが岸辺さんの死体に近づく。

「せ、先生これって……」

「信じられない。こんな場所に居るはずが……」

「おいおい、マジかよ。こりゃ」

 木原准教授と伊達さんは戦慄していた。加藤さんも息を吞む。

「木原先生よ。早く此処から離れた方が良いんじゃないか?」

「そ、そうですね。皆さん。今すぐこの場から離れましょう!」

「えっ?」

「説明している時間はありません!早く此処から離れるんです!彼の——岸辺君の死体には絶対に触れないでください!」

 僕達は困惑したが、三人のただならぬ様子を見て大人しく指示に従う。歩きながら僕は伊達さんに訊いた。

「一体どうしたんですか?岸辺さんをあのままにしておいて良いんですか?」

「彼の死体には絶対触っちゃ駄目。怒らせてしまう」

 伊逹さんは凄い剣幕で僕に注意した。

「あれは土饅頭よ」

「土饅頭?」

「岸辺君は食べられた後、残りを保存食にされたの。あれに触っては駄目。獲物を奪われると思われて、怒らせてしまう」

「食べられたって……岸辺さんは動物に襲われたんですか?」

「……ええ」

 伊逹さんは血の気の引いた顔で頷く。

「岸辺君を襲ったのは、たぶん……」

「うああああああ!」

 突然、前を歩いていた春日さんの叫び声が聞こえた。

 今度は何だと目を向けると、黒い塊が僕達の行く手を塞ぐように立っている。黒い塊は唸りながら、僕達に牙を向けた。 

 

 僕達の前に現れた黒い塊。それは敵意剝き出しの『熊』だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る