「や、やっと着いた」

 森の中をバスで走ること約二十分。ようやく僕達は別荘に到着した。自己紹介が終わった後、また気分を悪くした白崎部長は死んだようになっている。

「あ、雨音く~ん」

「もう、おんぶはしませんよ。別荘はすぐそこなんですから」

「ちぇ、ケチ!」

 部長は舌を出しながら、バスを降りる。僕達を降ろすと、勝也さんはバスを近くの駐車スペースに停めた。

「さぁ、どうぞ中へ」

 勝也さんが玄関のドアを開く。別荘の中はまるで別世界のように豪華だった。

 フロアは広く、天井はかなり高い。床から六メートルほどの高さに豪華なシャンデリアが吊るしてある。玄関から入ってすぐ右側には、細長い壺、中央が膨らんだ壺、中央が窪んだ壺、入り口が小さい壺、動物の模様が刻まれた壺と、形の違う壺が五つ並んでいた。その先にはテラスに出る扉がある。左側には大型テレビと、ソファーがいくつか置いてあった。

 少し奥へ進むと、食堂がある。食堂にはダイニングテーブルがあり、決まった時間に皆で食事をするのだという。今日の夕飯も此処で食べるとの事だ。食堂の奥には厨房があり、そこで料理が作られる。

 フロアの一番奥には、二階へ続く階段とエレベーターがあった。

 左側に目をやるとフロントがある。そこで僕達は自分の名前と住所、連絡先などを記帳した。

 内装の豪華さ。そして手続き。別荘というより、まるでホテルだ。

「ようこそ皆様、私の別荘へ。歓迎いたします」

 階段からテレビで見た顔の男性が下りてきた。貝塚さんがその男性に駆け寄る。

「正おじさん!」

「おお、恵。よく来たね」

 男性は駆け寄って来た貝塚さんの頭を撫でる。間違いない。この人が山本グループ二代目社長であり、『月辺島』の持ち主である山本正氏だ。

「勝也、皆様に部屋の鍵を」

「かしこまりました」

 勝也さんは僕達一人ひとりに鍵を渡す。

「皆様の部屋は二階にございます。鍵に書かれている数字が皆様の部屋番号となりますのでご確認ください」

 僕は自分の鍵を確認する。鍵には『二〇三』と書いてあった。

「夕食は十八時からとなっております。それまで部屋でごゆっくり……」

「すみません!」

「なんでしょう?岸辺様」

「夕食までの間、外に出て良いですか?少しでも島を調べたいんですけど」

「申し訳ございません。もうじき日が沈みます。危険ですので外には出ない方が良いかと」

「そんな!ただでさえ島を調べる時間は少ないんですよ。少しくらい……」

「岸辺君。やめなさい」

 食い下がる岸辺さんを木原准教授が制する。

「勝也さんの言う通りだ。もうすぐ日が沈む。慣れていない夜の森を歩くのは大変危険だ。君の気持ちも分かるが、今日の調査は諦めよう」

「……分かりました」

 木原准教授が宥めると、岸辺さんは黙った。

「では、皆様。十八時になりましたら食堂にお集まりください」

 皆が荷物を持って二階に上がる。僕も二階に上がろうとした時、ふと左側にあるドアとその近くに置かれている大きな脚立が目に入った。

「あのドアは何ですか?」僕は勝也さんに尋ねる。

「あれは地下室のドアでございます。地下室には掃除用具や万が一の時に備えて非常食が保管してあります」

「あの脚立は?随分と大きいですが」

「あれはシャンデリアを掃除する時に使うものです。本来ならばあれも地下室に置いておきたいのですが、大き過ぎて入りきれないため、仕方なくあそこに置いています」

 あれに上ってシャンデリアを掃除するのか。高い所が苦手な僕には出来そうもない。

「あの、すみません」

「はい、なんでしょう。伊達様」

 勝也さんに声を掛けたのは、大学院生の伊達さんだった。

「食事なんですけど……」

 伊達さんは声を潜めて勝也さんに何かを言う。

「ええ、それなら大丈夫ですよ。ご安心ください」

「そうですか、ありがとうございます」

 伊達さんは安心したように頷くと二階に上がっていった。何を話したのか気になるけど、声を潜めたという事は聞かれたくない話だったのだろう。なら、何も知らない方が良い。

 僕はそのまま二階にある自分の部屋へと向かった。


「うわ、広いな」

 部屋は十五畳ほどあり、一人で泊まるには十分過ぎる広さだった。

 部屋の中に入ってまず目に入るのが大きなベッドだ。さぞ、高級な素材を使っているのだろう。触ってみるとフカフカしていた。

 ベッドの右上には小さな棚があり、その上にはテーブルスタンド、メモ用紙を収納しているメモホルダー、ボールペンや鉛筆などの筆記具を入れたペン立て、透明なグラスが置いてあった。メモホルダーには、この部屋番号と同じ『二〇三』と書いてある。

 棚の隣には中型の冷蔵庫があり、中にはジュースが何本か入っていた。窓の近くにテーブルと椅子があるので、そこで座って飲める。

 壁にコンセントがあったので充電器を差し込み、携帯と繋げてみた。ちゃんと充電は出来る。まぁ、ネットには繋がらないし、電話も出来ないので携帯の充電が出来てもあまり意味は無いかもしれないけど。

 クローゼットを開けると、中には服を掛けるためのハンガー、その下には綺麗に折り畳まれている寝巻とジャージがあった。風呂とトイレは別々になっており、洗面所にはタオルとドライヤーも完備されている。

 大きな窓から外を見てみると、島全体が一望出来た。今居るのは二階だけど一階の天井が高いため、普通のビル三階分ぐらいの高さがある。

 部屋の中を一通り見終えると誰かがドアをノックした。ドアを開けてみると、そこには白崎部長が立っている。

「部長。どうしたんですか?」

「雨音君、美術展示室があるよ!行ってみよう」

「美術展示室?」

「たくさんの絵画が飾ってある!一緒に見ようじゃないか!」

「今からですか?ちょっと休みたいんですけど……」

「いいじゃないか!ねっ、ねっ!」

 部長は強引に僕の腕を引く。船酔いとバス酔いはもうすっかり治ったらしい。僕は小声でボソリと言う。

「回復力が早いなぁ。もう少しだけ大人しくしていても良かったのに」

「うん?なんか言ったかい?」

「何でもありません。分かりました。行きます」

 抵抗しても無駄だという事は経験から知っている。僕は部長に連れられ、部屋を出た。


 美術展示室は部屋の目と鼻の先にある。中に入ると、たくさんの絵画が壁に飾ってあった。絵の知識はまるで無いけど、この光景には圧倒される。

 絵画を一つ一つじっくり眺めていた部長は、ある絵の前で足を止めた。

「ふむ。これは中々の絵だね」

 部長は腕を組みながらそんな事を言う。

「有名な絵なんですか?」

「いや、全然知らない。だけど、なんかこう心に来るものがある」

 その絵には人間を含めた様々な生き物が描かれていた。生き物達には光が降り注いでおり、一見すると幸せそうに見える。

 気になるのはどの生き物にもほんのわずかに黒いシミのようなものが描かれている点だ。この黒いのは何だろう?

「ほう、その絵の価値が解るのかね」

 声を掛けてきたのは古美術商を営んでいるという工藤さんだ。

「これはね『嫉妬』と呼ばれている絵だよ」

「『嫉妬』……ですか」

「うむ。作者も正式なタイトルも不明の絵だが、そう呼ばれている」

『嫉妬』。作品名を聞くと、なんとなく黒い点の正体が解った。

「もしかして、この黒い点は嫉妬を表現してるんですか?」

「そうだ。どんな生き物にも嫉妬の心がある。この絵はそれを伝えたいのだと言われているな」

「なるほど……」

 知らない絵も、込められたメッセージが理解出来ると見る目が変わる。面白いものだ。

「ちなみに、本物なら数千万の価値がある」

「す、数千万……!」

 金額を聞いてさらに見る目が変わった。我ながら現金なものだ。

「私はこの展示室にある絵を全て鑑定して総額を出してくれと頼まれたんだ。父親の趣味で集めたものだから、価値を知っておきたいんだとさ」

 この絵は山本正氏の父親である山本惣五郎氏が集めたものらしい。こんな展示室を作るくらいだから相当絵が好きだったのだろう。

 工藤さんの仕事を邪魔してはいけないと、僕と白崎部長は展示室を出ようとした。

「ちょっと待ちたまえ」

 工藤さんが僕達を呼び止める。

「君達は、あの子と知り合いなのかね?」

「あの子?」

「ほら、あの黒い服を着た子だよ」

「黒原さんですか?いえ、今日会ったばかりですけど」

「そうか……いや、なんでもない。引き留めて悪かったね」

「いえ、では」

 工藤さんに頭を下げ、僕と白崎部長はそのまま展示室を後にした。


 十八時になったので食堂に集まると、豪華な料理が並んでいた。美味しい料理の数々に舌鼓を打つ。この料理を作ったのは勝也さんだという。バスの運転だけでなく、料理まで作れるとは……凄い人だ。こんなに素晴らしい料理を無料で食べられるなんて、僕達はなんてラッキーなんだろう。

「さて、では明日の予定を確認しておきます」

 食事も進んだ所で、山本さんが口を開く。

「明日は二手に分かれて島を見て回ります。木原准教授と伊達さん、岸辺さんは島の調査を。それ以外の方は私と一緒に既に調査済みの場所を回り、イベントやサバイバル体験をするのに適した場所を見付けていただきたい」

「おじさん。私達も付いて行って良いの?」

「もちろんだよ。島を周って、こんな事をしたら自分達は楽しめるってアイデアが出ればどんどん言ってくれ。そのために恵達を呼んだのだから」

「分かった!」

「研究者の方々はくれぐれも怪我をされたり、森の中で迷われたりしないように注意してください」

「分かりました」

 木原准教授が代表して頷く。

「イベント会社のお二人も明日はよろしくお願いします」

「はい、お客様を楽しませる最高のイベントを考えたいと思います」

「精一杯、頑張ります!」

 イベント会社から来た飛石さんと田沼さんも頷く。

「工藤さんは絵画の鑑定をお願いしますね」

「あ、ああ……」

 工藤さんはぎこちなく頷いた。あれ?工藤さん、何か緊張してる?

 もしかして、凄い絵でも見付けたんだろうか?

「ところで、あんた良い体してるな。何かスポーツでもやってたのかい?」

 冒険家の加藤さんが飛石さんに話し掛ける。

「ええ、柔道をやっています」

「へぇ、通りでガッチリとしてるわけだ」

 飛石さんの鍛えられた肉体を加藤さんは興味深そうに眺める。

「今度、アフリカに行く予定なんだが、良かったら俺のボディーガードでもしないかい?あんたなら猛獣相手でも一対一なら勝てそうだ」

「ははっ、考えておきます」

 肉体を褒められ、飛石さんはまんざらでもなさそうだ。

「そっちの姉ちゃんはまだ若いな」

 加藤さんは飛石さんの横に座っている田沼さんを見る。

「田沼は私の部下で今年二年目です。優秀なんですが、そそっかしい所もありまして……そこさえ直してくれたら良いんですけどね」

「す、すみません」

 田沼さんは恥ずかしそうに頭を下げる。

「若いんだからこれからさ!頑張れ!」

 加藤さんは笑顔を見せながら、田沼さんにエールを送った。

「それにしても、冒険家としては俺も未開領域の探索に行きたかったな。この島で独自に進化した猛獣が居るかもしれないし」

 白崎部長と似たような事を言う。部長を見ると案の定、ウンウンと頷いていた。

「はははっ。珍しい鳥や昆虫は居るかもしれませんが、大型動物はこの島には居ないでしょうね」

「冗談だよ。言ってみただけさ」

 木原准教授と加藤さんは一緒に笑う。。

「あの!どうしてこの島に大きな動物が居ないって分かるんですか?」

「『月辺島』は大陸から分離した島じゃなくて、火山活動の影響で出来た島だからだよ」

 飯田先輩が質問すると、木原准教授は優しい口調で説明してくれた。 

「大陸の一部から分離して出来た島の場合、元々その大陸に住んでいた動物が島に取り残される場合がある。だけど火山活動の影響などで海に誕生した海洋島は、一度も大陸と接した事が無いので最初生き物は居ない。周囲を海に囲まれた島に行けるのは空を飛べる鳥や鳥が運ぶ植物や虫、または流木と一緒に島へ流れ着いた小型の生き物だけだ。だから『月辺島』のような島には大型の動物は居ないんだよ」

「へぇ……」

 飯田先輩は納得した様子だ。

「でも僕、鹿を見ましたけど」

 何気なくそう言うと、木原准教授達は驚いた様子でこちらを見た。

「鹿を?いつ?」

「バスに乗っていた時です。窓から外を見ていたら二頭の鹿が居ました。たぶん、親子だと思うですけど……」

「雨音君!何故、私に言ってくれなかったんだい!」

「部長はバス酔いで僕の話なんて聞こえてなかったじゃないですか」

 白崎部長は頬を膨らませる。そんなに鹿が見たかったのか。 

「見間違いだろ。この島に鹿が居るはずない」と岸辺さん。

「そうだね……確かに鹿は何キロも泳げるけど、流石に『月辺島』まで泳いで来るのは難しいだろうね」

 木原准教授も懐疑的だ。

 じゃあ、岸辺さんの言うように。あの鹿は僕の見間違えだったのだろうか?

 でも、あれは確かに親子の鹿だった気がするけど……まぁ、いいか。専門家が見間違えと言うのなら、そうなのだろう。僕は自分を納得させた。


 食事が進むと、会話も弾んでくる。

「加藤さんは今までどんな所に行ったんです?」

「アフリカやアマゾン、ヒマラヤにも行ったぜ。何度も死にかけたけどな。はははっ」

「一番行ってみて印象深かったのは何処です?」

「やっぱアフリカかな?象に襲われて何か所も骨折した時は本当に死ぬかと思ったぜ。あはははははっ!」

 命の危機を加藤さんは笑い飛ばす。なんというか豪快な人だ。

「ところでよ。あんたの親父さんは『月辺島』を調べるのを拒否していたみたいだけど、良いのかい?外部の人間に島を調べさせても」

 加藤さんは山本さんに尋ねる。

「はい。父がどうして『月辺島』を調べられるのを嫌がっていたのかは分かりませんが、私は『月辺島』の全てを明らかにしたいと思っています。そして、たくさんの人に『月辺島』へ来て欲しいと考えているんですよ。なので、以前から面識のあった木原准教授に島の調査を依頼しました」

「まぁ、ただ島を持っているよりも、観光客に来てもらった方が儲かるもんな」

 加藤さんがそう言うと、山本さんは苦笑した。

「しかし、調査期間は俺達と同じく三泊四日なんだろ?ちょっと短すぎないか?『月辺島』を調べるなら何か月もかけて調査するべきだろう。それに人数だってもっと大勢の専門家を連れて来るべきだ。なんだって調査期間がたった三日で、しかも三人しかいないんだい?」

「もちろん、これからはもっとたくさんの専門家をお招きして島を調べる予定です。しかし最初の調査報告は島の持ち主として直接聞いておきたかった。ですが、スケジュールの都合上、私は今日合わせて三日しか此処に滞在出来ません。なので『月辺島』の調査は三泊四日の範囲内でとお願いしました」

「調査に三人しか居ないのもそちらの都合かい?」

「ええ、島を調査してくださる方以外にも、私が居られる三日間で島に来て欲しい方を出来るだけ招きたいと思いました。ですが、別荘の部屋にも限りがありますので、島に来るのは三人までにして欲しいと木原准教授に頼んだのです」

「俺はもっと長く調べたかったですけどね。いくらなんでも短すぎますよ」

「岸辺君」

 愚痴をこぼした岸辺さんを木原准教授が窘める。 

「『月辺島』は山本さんの所有地です。私達は調査をさせてもらっている立場なのだという事を忘れないでください」

「……」

 木原准教授に怒られた岸辺さんは、不満そうな顔をしながらも口を閉じた。

「そ、それにしてもシャンデリアとか豪華だよね!」

 貝塚さんが話題を変える。

「そうだよね。シャンデリア綺麗だよね。でも落ちて来ないか少し心配」

 飯田先輩がそう言うと、勝也さんは「ははっ」と笑った。

「ご心配なく。この別荘は豪華さだけでなく安全面にも考慮しています。あのシャンデリアはたとえ三百キロ以上の物を乗せても落ちないようになっているんですよ」

 勝也さんはさらに続ける。

「安全面を考慮しているのはシャンデリアだけではありません。壁やドアは特別強固に作られていますし、窓は全て強化ガラスで出来ています。ライフルの弾でも通さないようになっているんですよ」

「へぇ、凄い!」飯田先輩は称賛する。

 でも、別荘全体をそこまで頑丈にする理由はなんだろう?台風対策かな?

「と、ところで」

 今まで黙っていた工藤さんが意を決したように口を開いた。少し震えた声で、工藤さんは黒原さんに尋ねる。

「き、君が『黒原蕾』というのは本当かね?あの『闇化粧』を書いた……」

 工藤さんの質問に、黒原さんは頷いた。

「はい。私が『闇化粧』の作者、黒原蕾です」

「おおっ!」

 工藤さんのテンションが一気に上がる。

「そうか、そうか!君があの『闇化粧』の黒原蕾か!」

 会ってから一番の大声で工藤さんは叫んだ。

 やっぱり、そうだったのか。

 船で名前を聞いた時もしやと思ったけど、まさかこんな所で『闇化粧』の作者に会えるなんて思いもしなかった。

「く、黒原蕾というのはペンネームかね?」

「いえ、本名です」

「高校生作家というのは、本当だったんだな!」

「はい、今は高校三年です」

 雑誌で読んだ事があるけど、黒原さんが『闇化粧』を書き始めたのはまだ中学生の頃だという。あまりにも中学生離れしたその文才に人々は驚嘆した。

 彼女の文才は、それからさらに研ぎ澄まされ、今もヒット作を連発している。

「それにしても……」

 工藤さんのあの喜びよう。『闇化粧』シリーズの相当なファンだな。

 展示室で僕達に黒原さんの事を訊いたのも、緊張しているように見えたのも、好きな小説の作者が近くに居たからか。

 堅物そうな人に見えたけど、あんな一面もあるんだな。

「黒原さんには『島で起きた連続殺人事件の犯人を探せ』という、この別荘を舞台にした謎解きゲームの脚本を書いていただく事になりました。最初は断られましたが、お受けいただけて嬉しい限りです」

「へぇ、凄い!」貝塚さんがパチパチと拍手する。

 黒原さんが『闇化粧』の作者だと分かると、食事会は、彼女への質問コーナーへと変わった。「一冊本を書くのにどれくらいの時間が掛かるの?」とか「アイデアはどうやって考えているのか?」などの質問が飛ぶ。黒原さんは丁寧な口調で、質問に答えていった。

「じゃあさ! 黒原さんが今まで読んだ本の中で一番面白い!って思った本は何?あっ、小説だけじゃなくて、漫画とかでも良いよ!」

 それは僕も興味がある。飛ぶ鳥を落とす勢いの高校生作家、黒原蕾が一番面白いと思った本は一体何だろう?

 皆の視線が集まる中、黒原さんは即答した。

「『鵜天羽十夜うあもうとや』先生の『暖炉の前で』という小説が一番好きです」

 一瞬、場が静まる。

「『暖炉の前で』?知らないな。『鵜天羽十夜うあもうとや』って名前の作家も初めて聞いた」

「ごめん、私も知らない」

 工藤さんが首を傾げる。質問した貝塚さんもキョトンとしていた。

「部長は知ってます?『暖炉の前で』って小説」

「いや、私も初めて聞いた」

 飯田先輩も白崎部長も他の人達も皆、知らないという顔をしている。

「どんな小説なの?」

「優しい文章が心地よく、読み終わった後は暖かな気持ちになれる小説です」

 黒原さんは『暖炉の前で』のあらすじを話す。

 主人公は田舎に住む七十を超えた老人。雪が降り積もる冬の日に、老人は暖炉の前で遊びに来た自分の孫に色々な物語を語る。という内容だ。

 ファンタジーや恋愛など老人が話す物語は様々だが、どの物語も最後は幸せな結末を迎えるのだと黒原さんは語った。

「へぇ、面白そう。ちょっと検索して……あっそっか。ネット繋がらないんだった。帰ったら読んでみるね!」

「残念ですが、『暖炉の前で』は本屋やネットでは手に入りません」

「えっ、そうなの?」

「はい」

 黒原さんは綺麗に微笑む。


「あんなにも素晴らしい小説を手に出来た私は、とても幸福です」

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