第2話「アケミ」


「始まりはよくある男女の揉めごと事案だった。男の自宅でまったり過ごしてた男女。何のきっかけかわからないが、突然男が女を殴った。そして通報してきたって話だ」


「よくあるの? そんな怖い揉めごと」


「事案自体は売れるほど多いぜ、レイカ。この手の事案は毎日のように起きてるけど、どれもニュースにならねーから世間様は知る由もない。でも今回珍しかったのは、ってことだった。現場に到着した地域課の警察官は、女からの出血と男の拳にその返り血が付いてるのを認めた。だから男を傷害事件被疑者として現行犯逮捕したんだ。男の名前は難樫なにがしタカシ。二十一歳の大学生だ」


「殴った方が通報したのか。自首みたいなもんか?」


「まぁそうだよ、ヨシ。ウチの管内はゴッサムシティ並みの治安だからな、そういう自首まがいの事件はわりと珍しい」


「ゴッサムシティ……、そりゃヤバそうだな」


「ヤバじゃねーよ、実際ヤバいんだよ。県下ナンバーワンの粗暴犯発生数だぜ?」


 俺の言葉を、さらりと笑ってなすサム。サムは新しく運ばれてきたアイスコーヒーを口にして、さらに言葉を継ぐ。


「それでとりあえず。被疑者のタカシを署に連行して、弁解録取書って調書を取ることにした。弁解ベンロクって逮捕身柄には必ず行う手続きで、要は『どういう事実で自分が逮捕されたか』とか『弁護人選任権』とかを被疑者に説明して、同時に弁解の機会を与えるんだ。でも、この時から被疑者はおかしかった」


「どういうところがおかしかったの?」


「その被疑者、ずっと俯いたまま呟くんだよ。『アケミが来る、アケミが来る、アケミが来る……』ってな」


「アケミ? 被害者を恐れてるってこと?」


「いや違う。被害者の名前は、


 レイカとカナコが揃って眉をひそめる。俺もサムの発言を訝しむ。それじゃあアケミって、誰だ?


「結局被疑者は、その調書に署名指印をしなかった。あぁ、調書の末尾に署名と指印を押すことで『認めた』ってなるんだが、被疑者は認めるどころかこっちの話をまるで聞かなかったんだよ。この弁録って事実の認否も聞くんだが、ニュースとかで聞いたことねーか? 警察は、認否を明らかにしてないって文言を」


「あぁ、わたし聞いたことあるよ! こないだの大きな事件のニュースでもやってたよね。犯人の認否は明らかになってない、とか……あれのこと?」


「それだレイカ。あれは警察がワザと認否を明らかにしてないんじゃない。被疑者が自認も否認もしないから答えようがねーんだよ。で、今回のケースはまさにそれ。この被疑者は取調べにならなかった。おれが何を聞いても『アケミが来る』としか言わねーんだからな」


「もしかしてその犯人、泥酔してたとか?」


「いいセンだな、カナコちゃん。でも強い酒臭はしなかったし、現場に転がってた酒の空缶からして飲んでても微量だった。だからおれらは薬物使用を疑って、被疑者からションベン抜いて予試験に掛けたんだ。予試験ってのは別々の試薬で三つの試験を同時に行うんだが、結果はひとつも反応を示さなかった。つまり薬物関係も完全にシロってことだ」


「じゃあなんで、犯人は狂ってたんだ?」


 俺の言葉を聞いたサムは、両掌を上に向けて首を振る。つまりは「わからない」ということだろう。確かに狂ったヤツの頭の中なんてわかるハズがない。というか、わかりたくない。それが正直なところだった。


「狂ったヤツが、必ずしも薬物喰ってるとは限らない。ナチュラルに狂ってるヤツは意外と多いんだぜ、この界隈はな」


「ナチュラルに狂ってるってそれ……」


「言葉を選ばす言うと、精神病院に入退院を繰り返してるような人間ってことだ。当然、おれたちはその手の病院の入院歴を調べたよ。被疑者の家族共々な。叩かれるの覚悟で言うけど、あの手の病気は遺伝というか伝染というか、親族間で受け継がれるおそれが高い。でも結果は全部シロだった。つまりおれたちは、この被疑者がなぜ狂ってるのか全くわからなかったんだ。となると、手掛かりはひとつしかない」


「例のか」


 俺の言葉に、サムは腕組みをして深く頷いた。「アケミが来る」と言う言葉と、そして被害者はアケミって名前じゃないこと。なんとなく背筋が寒くなる気がする。


「あぁ、その通りだ。『アケミが来る』としか言わないこの被疑者が言う『アケミ』とは何者なのか? って話だろ。ちなみに被害者は『ユミ』って名前で、被疑者のタカシと同い年の女だ。『ユミ』を『アケミ』と聞き間違えるのには無理があるだろ? で、このユミからも当然聴取しねーとってことで、事件当時なにがあったのかを訊くことにした。だがユミは『あの人が突然おかしくなって、私の鼻を殴った』としか言わねーんだよ」


「あの人って……、そもそも二人は彼氏彼女の関係なの? 自分の彼氏、そんな呼び方するかなぁ」


「ほんといい着眼点してるな、カナコちゃん。この二人はその日初めて会う二人だったんだ。出会いのきっかけは流行りのマッチングアプリ。初めは外の飯屋で会ってたんだが、意気投合してタカシの部屋で二次会の宅飲みをしようって流れになったらしい。まぁ、これもよくある話だ。そしてタカシがコトに及ぼうとして、ユミが拒否した。激昂したタカシがユミを殴った……って、警察官なら誰でもそんな単純な絵を描くと思う。でも違った。被害者のユミは、性的な乱暴は全く受けてない、受けそうにもなってないって言うんだよ」


「ウソを吐いてる可能性はなかったの?」


「ユミにはウソを吐くメリットがない。逆に襲われそうになった、ってウソを吐くメリットはある。タカシの罪を重くしたい時に使えるウソだ。けど襲われそうになったのに『襲われなかった』ってウソ吐くメリットは全くないだろ? 被疑者のタカシを助けたい時は別としてな」


「なら、その犯人を助けたかったんじゃないの? そのユミって人は。タカシって人を気に入ったとか?」


「いやレイカ、それもねーよ。マッチングアプリで出会ってまだ数時間の男に、被害者のユミは鼻の骨を確かに折られたんだぜ。鼻血ドバーってヤツだ。そんなヤツ気に入るか普通? だとしたら完全にドMだろ。それに件のタカシはイケメンってツラじゃない。それに将来有望って大学に通ってたワケでもないし、おまけに金も持ってない。どこにでもいる普通の大学生、それが今回の被疑者のタカシだ。助けるメリットなんてどこにもねーんだよな」


「つまり被害者のユミは、ウソをついてないってことかぁ」


「少なくともユミは、タカシに襲われてないってウソを吐いて得はしない。もしタカシにそう頼まれて、見返りに多額の金がユミに渡るってんならそのセンもアリだが、タカシは終始あの状態だし既にパクられてる。もしタカシが自分の有利になるようユミにウソの供述を頼むなら、そもそも自分が逮捕されないようなウソを頼むハズだし、それに通報したのはだぜ。裏を取るためにそれとなくユミの所持品も調べたんだが、ユミの持ってた金が不自然に多いワケでもなかった。ただ、」


 サムはそこで一旦、言葉を切った。そして咳払いをひとつすると、少しだけ声のトーンを落として俺たちに告げる。きっとここからの話はヤバいものになる。なんとなく、俺はそれを肌で感じていた。


「……ユミの所持品にひとつだけ、妙なものが混じってたんだ。それはフェルトで作られた、古ぼけた手作りっぽい小さな人形だった。ユミは結構派手な美人でな。ああいうタイプの女が持つには、あまりに似合わないと感じる人形だ」


「人形? なぁサム、もしかしてその人形って、」


「あぁそうだ。ユミは言うんだよ。この人形の名前は、




【続】



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