一章 見鬼眼の役立たず(5)
初めて出会ったのは近所の神社だった。
願い事がよく叶うと耳にして、放課後に毎日通っていたのだ。その日も一生懸命手を合わせて、顔を上げた時に声が降ってきた。
「お前の声は大きいな。うるさくて耳がもげそうだ」
「えっ?」
驚いて見上げると、鳥居に腰掛けた男の子がこちらを見下ろしていた。神主さんが着るような黒い和服に袴姿の男の子は淡く輝いていて、人ではないことがすぐに分かった。
私はぽかんとして少年を見つめた。自分から声をかけてくるあやかしなんて初めてだ。
「お前だろ、
男の子は鳥居を蹴って、私の前に音もなく着地した。びっくりするほど綺麗な顔をした男の子にはふさふさの耳と尻尾が生えていた。
「あやかしの正体が見破れるんだろう? 僕の本当の姿も見えてるのか、なあ」
「……」
黄金に輝く瞳に見つめられて、私はとっさに俯いた。
あやかしは自分の正体を見破られることを何よりも恐れている。
これ以上、先生のような眼で見られるのは嫌だ。
「おい、聞こえてるか?」
不意にごく近くで声がした。顔を上げると、いつの間にか距離を詰めていた男の子が私を覗き込んでいる。心臓がどきりと跳ねた。
「わ、私のこと……怖くないの?」
「はあ?」
やっとの思いで絞り出した言葉に、男の子はにやりと笑った。
「怖いわけあるか。いいから、お前の眼に僕がどう見えているか言ってみろ」
促されて、ごくんと喉を鳴らす。
「……きれいな尻尾と耳だね。ふかふかしてる…‥あなた、狐?」
思い切って言うと、男の子は少し驚いた顔になった。
「ふうん、ホントに見えてるんだな。お前、名前は?」
「てまり……福来てまり」
「てまり、か。ふうん」
おばあちゃん以外に名前を呼ばれたのは久しぶりだ。何だか照れくさくて、くすぐったい。
「あの……あなたは?」
「僕はこの神社の主だ」
名前を聞いたつもりが予想外の答えが返ってきて、私は目を瞠った。
「主……もしかして、神様ってこと?」
「ああ。お前が毎日毎日、やたら気合を入れて祈ってるのも聞こえてる」
声を出して祈ったつもりはないのだけど、気づかないうちに出ていたのかもしれない。
そう思ってから、パッと胸が温かくなった。
「じゃあ、神様は私のお友達になってくれるために来てくれたんだね!」
わくわくして前のめりになった私に、狐の神様は眉をひそめた。
「なんで僕がお前の友達にならなきゃいけないんだ」
「だって私、お友達が欲しいってお願いしたもん! 神様はお願いを叶えてくれるんでしょ?」
「そんなわけあるか」
神様はあっさり首を振った。
「僕はただ、あやかしが見えるヘンな奴を見に来ただけだ。お前も人間なんだから、その辺にいる人間の子どもと友達になればいいだろ」
投げられた言葉がぐさりと胸に突き刺さる。
「だいたいうちは縁結びの神社で、お前の願いはまるで見当違い……」
呆れたように言っていた神様は私を見ると、ぎょっとしたように言葉を切った。
「おい、いきなり泣くな」
「えっ」
言われて初めて、涙がこぼれていることに気づいた。気づいたらもう止まらなくなった。
「だ、だって……誰も仲良くしてくれないんだもん。みんな私のこと気味悪い、ヘンな奴だって……先生も私のせいでいなくなっちゃった」
先生のことを思い出すと、もう悲しくて悲しくてたまらない。
「お友達、欲しい。誰か、一緒にいてよ……」
しゃがみ込んで泣いていると、頭に手が置かれた。ふわりとどこか甘い香りがする。
「ああもう、分かった。……僕が一緒にいてやる」
「えっ?」
神様はごしごしと私の頭を撫でた。
「お前があんまり哀れだから、僕のペットにしてやる。だから泣くな」
「それ、私と遊んでくれるってこと?」
「気が向けばな」
顔を上げると、神様はにやりと笑った。
「僕は九曜。今日からお前のご主人様だ――よく覚えておけよ」
「やったあ!」
とたんに涙が引っ込んだ。嬉しくなって神様に飛びつく。
「うわっ……犬かお前は。おい、どさくさに紛れて耳を触るな」
「九曜! いい名前だね! ねえ、くーちゃんって呼んでいい?」
「ダメだ」
「うわあ、くーちゃんの尻尾ふかふかだあ! 気持ちいい~!」
「おい、尻尾にじゃれるな! この駄犬が……徹底的にしつけないとな」
それ以来、私は毎日のように神社に通った。くーちゃんは気紛れで、呼んでもなかなか現れなかったり、すぐにいなくなってしまったりする。かといって、少し行けない日が続いたら「なんでちゃんと来ないんだ、駄犬」と叱られる。
「お前の主人は僕だ。命令には絶対服従、いいな」
「うん分かった! それで今日は何して遊ぶ?」
「今日は『待て』の訓練だ。何をしていても僕が『待て』と言ったら止まれ」
「はーい!」
奇妙な友達との関係は、おばあちゃんが身体を壊して遠くへ引っ越すことになるまで続いた。
くーちゃんと過ごした時間はそんなに長いものではなかったけれど、私にとってはきらきら輝く宝石みたいに大切な宝物で、何か辛いことがあるたびに元気をもらえる思い出だった。
――そんな、私にとって人間とあやかしを通して唯一の『友達』だったくーちゃんが、目の前にいる。
「ほ、本物?」
「偽物に見えるか? お前のポンコツも極まれりだな」
話し方、態度、どこをとっても間違いない。一気に懐かしさが胸いっぱいに広がった。
「くーちゃん……ほんとにくーちゃんだ……!」
「その阿呆みたいな呼び方はやめろと何度も言ってるだろ。まったく……うわっ」
私は思わず目の前の相手に飛びついた。勢い余ってそのままソファに押し倒してしまう。
「こら、じゃれつくんじゃない駄犬!」
「くーちゃん久しぶり! ずっと会いたかった!」
ぎゅっと抱きついた身体は昔よりずっと大きかったけど、どこか甘い香りは昔のままだ。
「どうして気づかなかったんだろ……確かにこれ、くーちゃんの匂いだ。懐かしいなあ」
「匂いで見分けるとはさすが犬だな……おい、あちこち触るな」
「あれっ、耳は? 尻尾はどうしたの、くーちゃん? あんなにふかふかだったのに」
「落ち着け、この……てまり、『待て』!」
昔、さんざん教え込まれた命令通り、反射的に身体が固まった。私の下敷きになった姿勢のまま、くーちゃんは大きなため息をついた。
「お前……まさか誰でもこんな風に押し倒してるんじゃないだろうな」
「そんなことないよ。でも、どうしてくーちゃんがここにいるの? 神社は……まさか、潰れちゃった?」
「勝手に潰すな、ちゃんとある。『月下楼』はサイドビジネスのようなものだ」
「さ、サイドビジネス? 神様って副業オッケーなの?」
「くだらない質問が多すぎだ。他に言うことはないのか」
「他に?」
きょとんとした瞬間、伸びてきた手がぐいと私を引き寄せた。あっという間にくーちゃんの胸に顔をうずめるような体勢になる。さっきより強く甘い香りが私を包んだ。
「くーちゃん?」
「お前と同じように旧交を温めているだけだ。何か問題があるか?」
「ないけど……重くない?」
「今更」
すっぽり腕の中におさまっていると、なんだか妙にむずむずする。落ち着かない気分でいる私の耳元で、低い声が囁いた。
「覚えているか、てまり」
「え?」
「ずっと考えていた。お前との約束をどうやって――」
その時、車が停まった。間髪いれずに勢いよくドアが開けられる。
「到着しましたよお、九曜様!」
車内を覗き込んできたのは華やかな美女だった。目尻が上がった琥珀色の瞳が印象的な顔はきっちりメイクされていて、ピンクの髪から尖った耳が見えている。
「ささ、お手をどう……ぞ」
私とくーちゃんの状態を見た美女がピシリと固まった。満面の笑みを浮かべた綺麗な顔が、みるみるうちに険しくなる。
「あ、どうも……初めまし」
「――あんた九曜様に何してんのよーっ!」
金切り声が車内にビリビリと響き渡った。
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