一章 見鬼眼の役立たず(4)

「また無職になっちゃった……」

 駅前広場のベンチで、私はがっくりとうなだれた。陽は既にとっぷりと暮れ、ベンチの前を帰路に就く人々が急ぎ足で通り過ぎていく。

 あの状況、はたから見たら私は「寒さで具合が悪くなったお客様に氷水をぶちまけて追い払った極悪非道な店員」以外の何者でもない。怒りに燃える店長からは危うく同じように氷水を頭からぶちまけられるところだった。

 とはいえ、事情を説明するわけにもいかない。クビを宣告されて店を出て以降、ずっとここに座りっぱなしで立ち上がれずにいる。ため息をつくと、白い息がふわりと夜に溶けた。

「あのあと、雪女さんは無事に帰れたかなあ……」

 店を飛び出す間際の雪女は不安そうな、泣きそうな顔をしていた。――雪女だけではない。人に紛れているあやかしは、大抵いつも不安そうな顔をしている。

 そんな顔を見てしまうと、あの時の先生と重なってどうしても助けずにはいられない。

 最初に勤めていたデパートでは、十字架のモチーフのせいで気分が悪くなってしまった吸血鬼のために飾られていた高価なオブジェを壊してしまってクビ。

 その次のスーパーでは、玉ねぎ入りの試食を食べようとした化け猫の子どもを止めようと商品をひっくり返してクビ。

 そのあとの花屋でも、コンビニでも似たようなことが起こり、今や履歴書の職務経歴欄は悲惨な有様だ。そして明日からはまたひとつ、負の経歴が追加されることになる。

「後悔はしてない! してない……んだけど」

 アパートは半年前から家賃を滞納している。今月末までにどうにかしないと、職なしの上に家なしになる気配が濃厚だった。

 どう考えても詰んでいる状況に、思わず深いため息が出る。

「私、なんでこんなに駄目なんだろう……」


 ――自分を卑下するな、駄犬。お前はいつも能天気に笑っていろ。


 ふと、はるか昔に言われた言葉が脳裏に浮かんだ。

 言ったのは子どもの頃の友達だ。気まぐれで強引で、私のことをペットだと言ってはばからなかった。『遊んでくれた』というより『遊ばれていた』という方が正しいのかもしれないが、それでも遊びに行けば必ず顔を出してくれたし、『くーちゃん』と呼びかけたら『そんなあだ名で呼ぶな』と嫌がりつつも返事をしてくれた。

 『くーちゃん』は、私にとってたったひとりの大事な友達だった。彼が今の私を見たら、いったいどんな顔をするんだろうか。

「さすがに今の状況は笑えないよ、くーちゃん……」

「どーしたの、おねーさん」

 ぽつりと呟いた時、ふいに声がかけられた。茶髪の男が私を覗き込んでいる。

「えっ……誰ですか」

「さっきからずっとここに座ってるけどさ、何か悩み? 良かったら話してみてよ」

 手慣れた感じの軽い話し方にファッション誌から抜け出してきたような今時の格好。

 どう見てもナンパだ。私は力なく首を振った。

「すみません、間に合ってますから」

「えっ、何も間に合ってなさそうなんですけど。おねーさん悩み話す相手とかいなさそう。独り言多いのって話し相手がいない人にありがちなんだよねー」

「うっ」

 まさしく、私の独り言は誰も話し相手がいなかったがゆえについてしまった悲しい癖だ。考えていることがつい口から洩れてしまう。

「空気に向かって話すよりは人に向かって話した方が良いって、ね」

 クリティカルに弱点を突いてきたナンパ男は、ひょいと私の隣に腰を下ろした。

「え、あの、ちょっと」

「オレ、今時間あるからさ。おねーさんの悩み聞いてあげるよ」

「そんな、知らない人に話すほどのことも」

「よく知らない相手だからこそ気楽に話せるってものでしょ。ほら、遠慮なく」

 ナンパ男は言葉こそ人懐っこいが、ぐいぐいと押してくる。助けを求めて視線をさまよわせたけれど、忙しくすれ違う人は誰もこちらを見ようとはしなかった。

「話すだけでもすっきりすると思うよ。おねーさんの力になりたいんだって、それだけ」

 どうやら私の話を聞くまで、動くつもりはないらしい。

「別に楽しい話でもないですけど……」

「オッケー了解! 聞いたらどっかに行くからさ、ほらどうぞ」

 手短に話してどこかに行ってもらおう。私はため息をついて、口を開いた。

「実は……」


 ――それから数分後。

「え~、それでクビ? 酷いな」

「そうなんです……本当に私、お店で酷いことしたなって」

「違う違う、酷いのは店長のほうだって。だってさ、おねーさんはそのお客さんを助けるためにやったんでしょ?」

「まあ……そのつもりでやりましたけど」

「それでお客さんが助かったんなら結果オーライじゃん。なのにクビになっちゃうってさあ、ほんとに大変だったね」

「……ありがとうございます」

 優しい言葉にじんと胸があったかくなる。

 手短に話すつもりが、気がつくと今日のことをすっかり聞き出されていた。てっきり引かれるだろうと思っていたら、ナンパ男は思いがけず真摯に聞き、温かな言葉をかけてくれた。

 どうやら、思ったよりもずっと良い人だったようだ。外見や喋り方で勝手に誤解して、失礼なことをしてしまった。

 心の中で反省していると、ナンパ男が不意に手を打った。

「じゃあさ、仕事紹介してあげるよ!」

「へっ?」

「今、知り合いの飲食店が人手足りなくて困ってるんだ。おねーさんにぴったりだと思う」

 ナンパ男はニコニコと私を覗き込んだ。

「明るくていい店だよ。お願いしたら日割りで給料もくれるし」

「えっ、日割りの給料……」

「俺の紹介なら即日で働けると思うよ。おねーさんなら、俺も安心して紹介できるし」

 私は唖然としてナンパ男を見た。まさか、こんな幸運が転がり込んでくるなんて信じられない。この人は天使か何かだろうか。

「あーでも、人気のお店だから急がないともう募集枠埋まっちゃうかもだけど……」

「や、やります! お願いします!」

 私は慌てて身を乗り出した。このチャンスを逃したら、今度こそもう後がない。

「オッケー、じゃあ紹介するよ! いやー、これでノルマ達成と」

「えっ、ノルマ?」

 首を傾げていると、ナンパ男がずいと距離を詰めてきた。

「なんでもないよ、こっちの話。じゃあさっそく詳しい話を――アイタタタタッ」

 朗らかな言葉が急に悲鳴へと変わった。見ると、さりげなく肩に回されかけた腕がベンチの後ろから伸びた手にねじりあげられている。

「え、え、何……」

 顔を上げると、紅い目をした狐の顔が視界に飛び込んできた。

「……狐?」

 思わず瞬いてから、狐の面をかぶったひとであることに気づく。

 立っていたのはすらりとした長身の男性だった。桜の花弁が散る紺の着物に白の羽織を纏い、銀色の長い黒髪を後ろでまとめている。神社で見かけるような木彫りの狐面をつけているせいで顔のほとんどが覆われており、素顔は口元のみがわずかに覗いているだけだった。

 かなり目をひく格好のはずなのに、いつ現れたのか全く気がつかなかった。通り過ぎていく人々もちらちらとこちらに興味深そうな視線を向けてくるが、関わり合いになりたくないのか足早に立ち去っていく。

「あの、あなた何……」

 言葉の途中で、私はやっと気が付いた。

 よくよく見ると、男性の全身がうっすらと淡く輝いている。あやかしが発する輝きのようだが、今までに見たことがないくらいほのかな輝きだった。

 普通の人間ではないようだが、普通のあやかしのようにも見えない。こんな人を見るのは生まれて初めてだ。

 もっとよく見ようと目を凝らした時、ふと狐面の奥の瞳と目が合った。

 こちらを見つめる瞳が金色だと気づいた瞬間――唐突に、頭の中がぐらりと揺れた。

 同じ色の瞳を、確かに見たことがある。

 あれはいつだっただろうか。子どもの頃、どこかで――。

「――いってぇな、なんなんだてめぇ!」

 怒鳴り声に、私はハッと我に返った。腕を振りほどいたナンパ男が狐面を睨み上げている。

「なんのつもりだ、ふざけた格好しやがって。ケンカ売ってんのか、ああ?」

 先ほどとは別人のような荒々しい口調に、思わず身をすくめてしまう。狐面の方は平然とした雰囲気で胸に手を当てた。

「これはこれは、失礼しました。止めようと思いまして、つい力が入ってしまい」

「ああ?」

「そちらの方をスカウトされるところだったのでは?」

 狐面がこちらを見る。聞きなれない言葉に、私はきょとんとした。

「え……スカウトって?」

「だからなんだよ! あんたにゃ関係ないだろ」

「まあ、関係ないと言えばないのですがね。一応ご忠告申し上げたくて」

「忠告?」

「ええ、何しろあなたのお手並みがあまり見事なもので!」

 熱の入った言葉に、ナンパ男が面食らったように瞬く。

「……あ?」

「格好や仕草から相手の状況や内心を読む鋭い観察眼に、いともたやすく女性の警戒心を解き仕事の斡旋へ繋げる卓越した話術。明らかに警戒していた彼女が心を開くまでに数分もかからぬ手際、実に感服いたしました」

 淀みなく紡がれる熱のこもった賛美の言葉を聞いていると、何故かふわふわといい気分になってくる。脇で聞いているだけでもそんな気分になるのだから、真正面からそれを浴びているナンパ男はひとたまりもないだろう。険悪だった表情が照れくさそうなものへと変わっている。

「まあ、このくらい大したことないけどさ」

「またまたご謙遜を。かなりの凄腕とお見受けしましたよ。それだけに、こんな手合いに引っかかるのはいかにも惜しいと思いましてね」

「こんな手合い……?」

 狐面は両手の人差し指をくるくると回すしぐさをして見せた。

「彼女、実はヒモ付きなんですよ」

「へっ?」

 またしても知らない単語が出てきた。思わずぽかんとしてしまったが、ナンパ男には十分意味が通じたらしい。顔をしかめて私を振り返った。

「マジかよ、そんな風に見えねーけど」

「本人は見た通りですが、ヒモの先については聞かぬが花です」

「……もしかしてアンタ、監視役か?」

 狐面から覗く口元がにこりと微笑んだ。

「そちらも聞かぬが花かと。行きはよいよい帰りは怖い、と言いますし」

「……この女横取りしようとして、適当なこと言ってんじゃねえだろうな」

「僕の言葉をどうご判断されるかはご自由に。忠告は致しましたので、あしからず」

 狐面は肩をすくめた。ナンパ男は私と狐面を見比べると、舌打ちをして立ち上がった。

「分かったよ。なんかヤバそうだし、あんたの忠告に従っとく。じゃあな」

 言い捨てると、さっさと去っていってしまう。私はぽかんとしてその背を見送った。

 仕事を紹介するって話はどうなったんだろうか。追いかけて聞いたほうがいいかもしれない。

「何してる」

 悩んでいると、ふいに腕を掴まれた。狐面がこちらを見下ろしている。

「えっ……」

「グズグズするな、行くぞ」

「はい? 行くって、どこへ……あ、わわわっ」

 狐面は私の腕を掴んだまま、さっさと歩き出した。引きずられかけながら慌ててついていく。

「あ、あの! 私、あの人を追いかけて仕事を紹介してもらわないと……」

「どう見てもあからさまにそっち系の店のスカウトだろうが、今のは」

「えっ、そ、そっち系ってどっちですか?」

「分からないならそれでいい。つくづく脳内花畑な奴だな」

「それ褒めてないですよね? ていうか、さっき言ってたヒモ付きってなんですか」

「借金持ちという意味だ。それもバックがついてる系の」

「ええ 私、そんなダークな感じの借金はギリギリないですけど……ふぎゃっ」

 狐面がぴたりと足を止めたので、勢い余って背中にぶつかる。鼻を押さえて顔を上げると、狐面の前には黒塗りの車が停まっていた。

 見るからに高そうな雰囲気を醸し出している車のドアが音もなく開く。

「乗れ」

「えっ、ちょっと待って本当に状況が」

 舌打ちした狐面はいったん手を離すと、私の襟首を掴んでぽいっと車に放り込んだ。

「きゃあっ」

 顔面から突っ込んで、またしても鼻をぶつけた。涙目で身を起こすと、ちょうど狐面が乗り込んでドアを閉めたところだった。

「出してくれ」

「はあ~い」

 声に応じて車が滑らかに走り出す。流れる窓の外を呆然と見つめていると、ぶっきらぼうな声がかかった。

「せめてソファに座ったらどうだ? 這いつくばるのがお好みなら構わないが」

「は、這いつくばるって……」

 改めて見回すと、車の中はちょっとした部屋のようになっていた。私がへたり込んでいるのは厚いカーペットが敷かれた床で、狐面は窓際に置かれた長いソファに悠々と腰かけている。

 状況が少しずつ飲み込めてきて、ぞくりと背筋に寒気が走った。

 こういうシーン、映画でよく見たことがある。

「こ、これってまさか……誘拐」

「お前を誘拐しても益など皆無だろう」

 狐面はひじ掛けに頬杖をついて肩をすくめた。表情は見えないが、全身から呆れたような空気が出ている。

「身寄りもない、友人もいない、貯金もない」

「うぐっ、な、何で知って」

「おまけにアルバイトも軒並みクビで、住むところもない」

「す、住むところは一応まだ、今月末までは……」

「ない。さっき僕が引き払っておいた。滞納していた家賃は清算済みだ」

「清算って、だってお金……あっ」

 先ほどの会話が頭をよぎる。狐面の口元がニヤリと笑った。

「お前には借金がある。ヒモの先は僕だ」

「や、やっぱり誘拐じゃないですか! このまま海外に売られちゃうんですか、私!」

「お前みたいなボンクラが売れるか。滞納家賃分は給与の前借りとしてカウントしてある」

「……給与?」

「お前には僕のところで働いてもらう」

 狐面は私にさらりと告げた。

「福利厚生は充実しているぞ。賄いつきの社員寮完備、制服支給。給料については――」

「ちょちょちょ、ちょっと待ってください!」

 面食らって叫ぶと、狐面から覗く口が不機嫌そうに曲がった。

「何だ。雇用主様の話を遮るな」

「雇用主って……つまり、あの、私を雇ってくれるってことですか?」

「そう言っているだろう」

 私は改めて目の前の人物を上から下まで眺めた。

 よくよく見ると、やっぱりうっすらと淡く輝いている。ということは、この狐面は人間じゃない――あやかしだ。

 だけど私が見てきたあやかしはみんな、人の注目を集めないようできる限り目立たずひっそりと振る舞っていた。間違ってもビジネス街を怪しいお面をつけて闊歩したりなんかしない。

 怪しい、怪しすぎる。はっきり言って胡散くさい。

「仕事ってまさか……あなたの生贄になれ、とかじゃないですよね?」

 恐る恐る尋ねると、狐面の下から覗く口元が吊り上がった。

「生贄とは面白いことを言うな。何故そう思う?」

「何故って……だってあなた、あの」

 あやかしじゃないですか、という言葉を飲み込むと、狐面の笑みはますます深くなった。

「――その眼は健在のようだな」

「へっ?」

 小さくひとりごちた言葉が聞き取れずに首を傾げると、ぽんと何かが放られた。

「あらぬ妄想はほどほどにしておけ。お前にやってもらう仕事はこれだ」

 膝の上に落ちたのはリーフレットだった。手触りからして上質な紙で作られているリーフレットの表紙には、『月下楼げっかろう』と箔押しされている。

「ええと、『特別な出逢いをあなたに 縁結び承ります』……えっ、縁結び」 

 中身に目を走らせた私は、思わず瞬いた。意外すぎる業種だ。

「縁結びって、つまり婚活相談業……ってことですか?」

「もちろん婚活相談や相手の紹介も行うが、それだけじゃない」

 私の質問に、狐面は笑みを浮かべて答えた。

「お客様のご要望に応じて見合いのセッティングから結納、結婚式の手配まで引き受けている。今向かっている建物は、普段は事務所兼従業員寮として使っているが結婚式を挙げる設備も整っているからな」

「どんなすごい事務所なんですかそれ……」

「事情を考慮して臨機応変に対応できる式場は必要だろう」

 白い指が狐面をコツコツと叩いた。

「出会いからご成婚まで総合的にサポートして、お客様に幸せなご縁を結んでいただくよう尽力するのが『月下楼』の役割になる」

 流れるような弁舌を聞いているうちに、胡散くささに取って代わってふわふわと甘い気持ちが胸に広がった。

「幸せなご縁を結ぶお手伝いなんて素敵ですね! そんな仕事ができたらすごく楽しそう……」

 結婚といえばロマンチックで愛情と祝福に満ちた一大イベントだ。今まで全く縁がなかった世界にうっとりしていた私の耳に、狐面が続けて口にした言葉が飛び込んできた。

「――ただし、『月下楼』のお客様は少々特別な方々となる」

「特別?」

 瞬いて狐面を見やると、仮面の奥で黄金の瞳が細められた。

「うちのお客様は人間じゃない、あやかしだ」

「……へっ?」

「『月下楼』が取り扱うのは、あやかし専門の縁結びということだ」

 私はぽかんとして狐面を見つめた。少し遅れて、言葉の意味が衝撃を伴ってじわりと頭に染み込んでくる。

「あ、あやかし専門……って言いました、今」

「ああ、言った」

 駄目押しのように頷かれ、半ば唖然としたまま手元のリーフレットに視線を落とす。

「あ、あの、でもこのリーフレットに電話番号とか住所とか書いてありますよ? そういうところって、あやかしにしか行けないような不思議空間にあったりするんじゃないんですか」

「そんな場所では『月下楼』の意味がない」

 狐面は不機嫌そうに手を振った。

「『月下楼』の建物はきちんと人間社会に存在している。何しろあやかしのなかでも『正体を隠して人間として生活しているあやかし』向けだからな」

「え、ええっ……」

「結婚式場も兼ねていると言っただろう。お客様が結婚式を挙げる際は、当然人間の参列客もいらっしゃる。お前の言う不思議空間にご案内するわけにもいくまい?」

 あやかし専門の縁結び。しかも、人間として生活しているあやかし向け。

 ふわふわした甘い気分は消し飛んで、再び胡散くささが漂ってきた。

「何だかすごくニッチな気がするんですが……本当にそんな仕事してるんですか?」

「大っぴらに看板を出せるものでもないからな。――だが、必要だろう」

 静かな言葉にどきりと心臓が跳ねた。

「正体を隠し人に紛れて生きるあやかしでも、心を許せる誰かと幸せになりたいと願うことが悪いはずはない」

 カフェから逃げるように飛び出していく雪女の背中が脳裏をよぎり、私は小さく頷いた。

「それは……確かに」

「結構。では存分にうちでお前の力を役立ててくれ。期待している」

 すかさず狐面が迫る。忘れていた胡散くささを思い出してしまって、私は口ごもった。

「ええと……でも私、ブライダル業界は未経験なのでどこまでお役に立てるか……」

「そんな経験など最初から期待していない」

 狐面の奥の金色の瞳が、まっすぐに私の目を見据えた。

「お前が必要なんだ。――あやかしの正体を見破る、その『けんがん』がな」

「なっ……!」

 今度こそ本当に心臓が止まった気がした。口を開け閉めしたけど言葉が出てこない。

「ど……どうして私の眼のこと、知ってるの?」

 なんとか絞り出すと、狐面は肩をすくめた。

「忘れるわけがない。お前のとりえと言ったらそれくらいだからな」

「ええ……」

「それにしても、こうやって顔を合わせるのは久しぶりだ」

 ふと、狐面の口調が柔らかくなった。金色の瞳が優しく細められる。

「恐ろしいほど変わらないな、お前は」

「えっ」

「昔のままだ。――少し、安心した」

「そ、それは……よかった」

 ぎくしゃくと頷くと、狐面が軽く首を傾げた。

「お前はどうだ? 僕を見て変わったと思うか」

「え え、えーとですね」

 どうしよう。やけに親しげな雰囲気につい合わせてしまったけど、狐面の下の人物に心当たりが全くない。

 いっそ誰ですかと聞いてみたいけれど、怒られるんじゃないだろうか。

 悩んでいると、狐面が微笑みながら言った。

「怒らないから言ってみろ」

「それじゃ、あの……どちらさまでしたっけ」

 お言葉に甘えて口にしたとたん、ぴしり、と空気が凍りついた。

 柔らかな雰囲気が消し飛び、一瞬にしてまなざしが刃のような鋭さを帯びる。

「――おい。正気か貴様」

「ひえっ……お、怒らないって言ったのに!」

「お前には怒ってない。お前を過信していた自分にはらわたが煮えくり返っているだけだ」

「やっぱり怒ってるじゃないですか! だいたい顔も分からないのに誰かなんて……ふぎゃっ」

 伸びてきた手が私の両頬をわし掴みにした。潰された口がすぼめられ、ひょっとこのような顔にさせられる。

「なにひゅるんれすかっ」

「よく見て思い出せ、ポンコツ」

 わし掴みにされた顔に、ぐいと白塗りの狐面が近づいた。

「――お前のご主人様を忘れるな、駄犬」

 囁かれた言葉に、脳がぶん殴られたような衝撃が走った。


 蘇る記憶は、夕暮れに赤く染まる神社。

 赤い鳥居に腰掛けた淡く輝く少年には、黒い耳と尻尾が生えている。

「僕は九曜。今日からお前のご主人様だ、よく覚えておけ」


「……まさか、くーちゃん?」

「気づくのが遅い、馬鹿め」

『くーちゃん』ことよう――私のたったひとりの「友達」は不機嫌に言い放った。

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