一章 見鬼眼の役立たず(2)
人に化け、何食わぬ顔で人間の社会に紛れているあやかしは実のところ意外と多い。しかも、その大半はちゃんとした立場や仕事も持っていて、人間としてごく普通の生活を送っている。
私は子どもの頃から、そんな風に人に化けているあやかしを見破ることができた。
人ならざる者たちは私の眼には淡く輝いて見えるので、どんなに人混みに紛れていても簡単に見分けることができる。近づいて眼を凝らせば、人の姿に重なるようにそのあやかしの本当の姿まで透けて見通すことができる。
ただし、見破ったうえで何ができるかというと――特にない。あやかしの本当の姿が見える、ただそれだけだ。平穏な日常生活を送る上では無駄を通り越して邪魔とすら言える力である。
子どもの頃の私にとって、「大勢の人の中にはたまにぼんやり光る人がいて、よく見ると角や尻尾がついている」という光景はごくごく普通のものだった。生まれてすぐに両親が交通事故で亡くなって、育ててくれたおばあちゃんは朝も夜も働きづめでほとんど家にいなかったから「それは変だ」と教えてくれる人もいなかった。
だから何も考えず「あの人すごく大きな角がある」「あの人、なんで目がひとつしかないの?」と見たままを誰彼構わず話していたら、小学校に上がる頃にはすっかり「妄想と現実の区別がつかないアレな子」として遠巻きにされるようになっていた。
そこに至って私はようやく、どうやら自分が見えているものは他の人には見えないようだ、ということに気づいた。なんとかクラスメートの輪に入ろうとしてみたけれど、何を話したらいいのか分からず更に墓穴を掘るだけだった。
ひとりぼっちなのは寂しかったけれど、それよりも自分が見ているものを誰とも分かち合えないのだ、ということがたまらなく寂しかった。
そんな風に過ごしていたある日、教育実習の先生がやってきた。優しくて綺麗ですぐに人気者になった先生は、ぽつんとしている私にもたくさん話しかけてくれた。私は優しい先生が大好きになったから、ある日もっと仲良くなりたくて言ったのだ。
「ねえ、先生の尻尾はふさふさして綺麗だね! 私には見えてるよ」
先生はさっと青ざめるとその場から逃げるように走り去った。そしてそのまま、二度と学校に来ることなく教育実習を辞めてしまった。
あやかしは自分の正体が見破られることを何よりも恐れている。
そのことを遅ればせながら学んだ時には、私はまたひとりぼっちになっていた。
それでも、この眼を嫌だと思ったことは一度もなかった。私の眼に映るあやかしは不思議で、とても綺麗だったからだ。
淡い輝きを見つけるとどうしようもなく惹きつけられ、胸が躍る。どんな種類のあやかしなのか、何か困っていることはないか、近寄って確認せずにはいられない。
つまるところ、私は――あやかしが好きで好きで仕方ないのだ。
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