一章 見鬼眼の役立たず

一章 見鬼眼の役立たず(1)

 街で有名人とすれ違った時、気づく人間はいったいどのくらい居るだろうか。

 帽子をかぶっている程度なら、気がつく人はいるだろう。けれど、念入りに変装していたらすれ違う程度で気づくのは難しい。

 すぐ傍に異質で稀有な存在がいたとしても、見破れなければいないのと同じだ。

 そんな風に、なんでもなく流れていく日常の風景の中には、時々とんでもない正体を隠しているものが素知らぬ顔で紛れ込んでいるのかもしれない。


 たとえば今、カフェの片隅で本を読んでいる女性は人ならざるもの――あやかしだ。


「福田さん。おーい、ふくさん?」

「……あ、私ですか?」

 私はハッとしてグラスを拭く手を止めた。カウンタ―の向こうにいた店長が眉をしかめる。

「店員は君しかいないだろ。アルバイトだからってボーっとしないでほしいな」

「す、すみません」

 頭を下げ、少し迷ってから一応付け加える。

「あの……私の名前、福田じゃなくてふくです。福来てまり、です」

「あーごめんごめん、福田じゃなくて福来さんね」

 店長は面倒くさそうに手を振った。

「そんなことよりさあ、エアコンの設定いじった? 店内がやけに寒いんだけど」

 二月に入って寒さは多少和らいできたけれど、風にはまだまだ冬の気配が色濃く残っている。しっかり暖房をきかせてあるはずのカフェの店内はかなりひんやりしていた。お客様のほとんどが席に置いてあるひざ掛けを広げ、追加で欲しいという人もいる始末だ。

「いえ、私は何も……」

「本当? 参ったな、温風は出てるはずなんだけど」

 修理屋に連絡しないと、とブツブツ呟きながら店長はキッチンへ引っ込んでいった。その背中を見送り、私はちらりと店内を振り返った。

 柔らかな陽が差し込む窓際の席に視線が吸い寄せられる。座っているのはごく普通の若い女性で、おかしなところは何ひとつない。周りの客も彼女を気にする様子はなかった。

 けれど、私の眼には彼女の本当の姿が見えていた。

 全身に淡い輝きをまとったその姿は、氷の像がそのまま動いているかのように半ば透き通っている。呼吸するたびに小さな氷の欠片がキラキラと舞って、ダイヤモンドダストのようだ。

 彼女の正体は雪女だ。間違いない。

 店内の寒さも、彼女が纏う冷気が原因だった。かなり抑えてはいるだろうけれど、どうしてもある程度は仕方ない。

 それにしても、日差しを浴びる雪女ってなんて綺麗なんだろう。あの白い肌はやっぱり触れると冷たいんだろうか? 

 なんだか暑そうに見えるけど、やっぱり日差しが辛いのだろうか。

「ブラインド下ろしたほうが……あ、それとも奥の席に変更してもらうとか……?」

「福来さん、独り言やめてね~」

「は、はい!」

 店長の声に我に返り、私は雪女から視線を引きはがした。

 あやかしを見かけると、つい夢中になって周りが見えなくなってしまう。ついでに独り言も多くなってしまう。どちらも私の悪い癖だった。

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