彼此繋穴〜ヒコンケイケツ〜

月城 亜希人

プロローグ


 夕暮れの空は雲で覆われていた。


 セピア色に染まるはずの世界は薄暗く、風はいでいた。


 人気のない街外れを黒猫が歩く。


 街灯、電柱、横断歩道。


 ひび割れ、探し人のビラ、掠れた白線。


 コンクリートの壁、廃墟、シャッター通り。


 時が止まったような、さびれた世界。


 その中を、雫が落ちた。


 ほどなく、雨。


 黒猫がぴたりと足を止め、嗅ぐように鼻を鳴らした。


 かと思えば、くしゃみ。毛を逆立て、黄色い両目で彼方かなたにらむ。


 視線の先には路地。その薄闇うすやみの中を影が這っていた。


 にわかに雨脚あまあしが強まった。辺りに漂う血の臭いが、雨粒に溶けて消える。


 引きずられた血痕けっこんにじみ、浮いて、排水溝に流れていく。


 消え入りそうな細い呼吸。


 血色の悪い無表情の美しい女が、血と雨に濡れた体を引きずっていた。


 長い黒髪とルームワンピースが、若く豊満な体にべったりと張り付いている。


 両足と左腕に創傷そうしょうほおと首にも同様の傷がある。いずれもおびただしく出血していた。


 ぱしゃっ、と水の跳ねる音がした。逡巡しゅんじゅんを感じさせるような、水に濡れた足音。


 傘を差した女子高生の少女が、おずおずとうかがうように近づいてくる。


 女のかすんだ目に、あどけなさの残る少女の強張こわばった表情が映る。


 女はただ少女を見つめていた。声は出せないようだった。


 血が泡立あわだつ音を鳴らして軽くせながら、助けを求めるように手を伸ばす。


「た、大変」


 少女が泣き出しそうな顔をして、悲鳴じみた小さな声を上げた。


 傘を捨て、女に駆け寄る。


 そして女を華奢きゃしゃな腕で抱き支えて座り込み、その白い手を握った。


「だ、大丈夫、大丈夫です。今、助けを呼びますから」


 少女は澄んだ声を震わせて言い、胸ポケットからスマホを取り出す。


 それが手から滑り落ちた。慌てて拾おうとするが、上手く掴めない。


 動揺。困惑。苛立ち。恐怖。仕草にそれらが表れる。


 そんな少女の姿を、女はずっと無表情で見つめていた。


 が、ふと安心したように笑んだ。


 女の瞳から、の世への執着しゅうちゃくが失われる。


 やがて女は、少女の腕の中で糸が切れたようになった。


「そんな――」


 震える唇が涙声を漏らした直後、荒々しく水を散らす硬い音が迫ってきた。


 少女は女の死体を抱えたまま、驚いたように顔を上げる。


 上背のある細身の男が駆け寄ってきていた。


 黒ずくめの装い。パーカーとスキニージーンズ。


 フードを被っており、俯いていて顔は見えない。


 右手には赤く濡れたナイフが握られている。


 少女は動かなかった。動けなかった。あるいは動くひまもなかった。


 最後に目にしたのは、ナイフを振りかざす男と綺麗きれい亜麻色あまいろの髪だった。

 


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