第五章
「どういうことですかオーナー!」
明日、球団からの説明会があると連絡を受けたにもかかわらず、下村のもとには多くの選手が集った。それぞれが不平不満を立て続けに投げかけている。
群がる選手を下村は宥めた。
「大手スポンサーが降りたんだ。ただでさえ赤字運営で厳しかったんだけど……トドメを刺されたね」
「どうして続けられなかったんですか!」加治屋は言った。
「もちろん手はあったよ。ビリスタを別の会社に買い取ってもらい、選手全員は定時まで働いてもらって、仕事帰りに野球をしてもらう、とかね」
「そんなの――」
「そうだ。プロ球団のすることじゃないし、私も望んでいない」
選手らの勢いは失いつつあった。チームが無くなるという現実を受け入れ始めている。
「本当にすまない」下村は立ち上がり、頭を下げる。
もう、声を上げる者はいなかった。
誰もが下村の人柄や努力を知っている。これ以上、下村を責めることはしなかった。
後期リーグを終えるまでチームはなくならない。そう確証を得て、解散となった。
誰かが声をかけたわけではない。だが、クラブハウスの控え室に選手が自主的に集まった。
声を発することさえも憚る雰囲気のなか、安宅は話し始めた。
「チームが今シーズンまで持つなら安心だな」
「球団が無くなっていいって言うのか?」加治屋が反応する。
「どのみち、追い出される身だ。無くなろうが関係ねぇよ」
「お前……!」
加治屋は安宅に詰めよる。しかし、安宅は動じなかった。むしろ、迫るようにして凄んできた。
「何だよ?」
「……何でもない」
ここで争っていても仕方がない、加治屋は迸る怒りを抑えた。
「結局、俺たちは球団の都合に振り回されるだけなんだよ!」
安宅の言い分に誰も反論できなかった。的を射ていたから。
しかし、これまで世話になってきた球団には愛着がある。みすみす失いたくはない。救うことのできない歯痒さ、やりきれない悲壮感が選手にのしかかった。
「もう、どうしようもないんですか……」皆川は言った。
と、
「後期リーグで優勝しよう」
加治屋は呟く。小さな声だったが、控え室にいる選手全員は聞きとることができた。
「優勝してどうなるんだよ。結局、球団はなくなるじゃねぇか」安宅は突っかかる。
「球団がなくなるのは俺たちじゃどうしようもない。だけど、球団の価値を高めることならできる」
「今さら球団の価値を高めてどうするんだよ――」
「強いチームにはスポンサーがつく」
星の声に加治屋は頷く。
「そうですよ! スポンサーが一社減ったなら、一社増やせばいいだけじゃないですか!」皆川は言った。いつもの元気を取り戻しつつあった。
周りにいた選手も活気づいてきた。一縷の希望の光が選手の心に差し込んでいた。
「話が出来すぎだ」それでも安宅は釘を刺す。
「でも、他にできることなんてないだろ?」
ふん、と鼻をならす安宅。これ以上、言及することはなかった。どうやら乗り気らしい。
「目指すは後期リーグ優勝だ!」
選手の鬨の声が上がる。誰もがチームの存続を信じて疑わなかった。
きっと上手くいく。楽観的な考えだったが、今の選手の心を支えるには十分だった。選手たちは二度目の解散をして帰路についた。
加治屋が家に帰ったときには、朝番を終えた真田が待っていた。すでに球団が無くなるニュースも、加治屋が球団事務所に訪れていたことも知っている。
「どうだった?」真田は恐る恐る尋ねた。
「ニュースのことは本当だったよ。今期で解散だって」
「やっぱりそうなんだ……」
気落ちする真田。対照的に加治屋は明るかった。
「でも、まだ存続する可能性だってある」
「え?」
真田にクラブハウスでの出来事を話した。後期リーグで優勝して新たなスポンサーを見つけること。それがビリオンスターズの新たな目標だと。
真田は訝しげに、
「それって、選手が勝手に盛り上がってるだけで、世間ではそういう動きはないんでしょ?」
「そうだ」
「……そんなに上手くいくかな」
「いいんだよ。上手くいかなくても」
「どういうこと?」真田は戸惑った。
「球団が解散するから、俺たちはリーグ戦を放棄しますっていうのもおかしな話だろ? ただ、野球を続ける理由が欲しかったんだ」
理由があれば人は前に進める。立ち止まっていても、何も変わらない。
「……そうだよね。後期リーグは始まったばかりだもんね」真田の表情が明るくなる。
「諦めるには早すぎるんだよ」
松戸から叱責を受けた加治屋の気分はすっきりしていた。決して諦めたからではない。心の靄が晴れたような――曖昧だった目標への焦点が定まった気がした。
ビリオンスターズ対アルティメットベースボールクラブ。
七対二でビリオンスターズの勝利。
開幕から負けなしの八連勝。
これまでにないほどチームがまとまっていることを加治屋は感じていた。
犠打や進塁打といったチームプレーが増えた。本来、選手の利にならない行為だが、全員がチームの勝利の為に進んでやるようになった。一つでも多く点を取るため、チームを勝利に導くため、選手全員が一丸となっていた。
試合後のロッカールーム。松戸は加治屋に話しかけた。
「いいチームになってきたじゃないか。俺も何回かJPBで日本一になってるけど、勝てるチームていうのはスーパースターがいるチームじゃなくて抜け目ないチームなんだよな」
それはそうと、と松戸は嬉しそうに、
「久しぶりに飲むか」
「疲れが溜まってるから、そういうのは控えたほうがいいんじゃないですか?」
「バカだな。体を休めても気分が休まらなきゃ、試合に集中できない。メリハリが大事だ」
「そういうものですか」
「といっても、ただ単に俺が飲みたいだけなんだけどな!」
周りにいる選手にも声をかけて、山野食堂に向かった。
ビリオンスターズは文句なしの首位。選手も浮かれていた。
「この調子でいけば後期リーグ優勝間違いなしですよ!」
「そんな上手くいくわけねぇだろ」意気揚々と話す皆川に安宅は反応した。
「分かんないですよ。この調子なら首位のままぶっちぎりで優勝です!」皆川は珍しく反論した。
「足元すくわれても知らねぇぞ。……ところで加治屋。スポンサーの件は進展あったのか?」
「いや、まだなにも……」
「首位になったくらいじゃダメか」
スポンサーの動向は誰もが気になっていた。しかし、吉報は未だ加治屋のもとに届いてはいない。
「それにしても意外だったよ。安宅が協力的だなんて」
「弱いチームにいる選手よりも強いチームにいる選手のほうが見栄えがいいからな。来シーズンに向けての布石だよ」
「……お前らしいよ」
「そういえば加治屋は今シーズンでダメだったら教師になるんだっけか?」すでにアルコールが入った松戸は言った。
瞬間、店内の空気が凍りついた。選手たちの視線が加治屋に向けられる。
状況を悟った松戸は、
「あれ? もしかして、知ってるの俺だけか?」
「本当なんですか。加治屋さん!」皆川は加治屋に詰め寄った。
「…………今のところはな」
「そのこと、真田さんには話してあるのか?」星は言った。
ああ、と返す加治屋。安宅はビールを一杯煽り、
「お前にとって野球はその程度だったんだな」冷めた口調だった。
「違う! ……野球が好きなことは変わらない。ただ、区切りをつけたくなったんだ」
依然として重い空気。加治屋の予想していた反応と違っていた。
球団による選手の出入りはJPBよりも遙かに多い。シーズン途中でも選手の勝手な都合で抜けることもある。選手を執拗に繋ぎ止めることはしない。去る者追わずの精神だ。
「……だったら、なおさら優勝したくなってきたな」星は言った。
「星……」
「最後くらい、優勝しようじゃないか。まだこのチームで一度も優勝できてないからな」
「…………ありがとう」
けれど、プロ野球選手に憧れを抱く同志が去っていくのは寂しく辛い。せめてもの餞にリーグ優勝を飾ろう――加治屋を知る選手の思いが募る。
だが、選手の思いとは裏腹に勝ち星を重ねることが減ってきた。これまで勢いだけで勝利してきたが、相手チームも自軍の対策を図り、勝ちづらくなる。
ビリオンスターズのリーグ一位は変わらないが、二位とのゲーム差は着実に縮まってきていた。
リーグ優勝の行方は最終戦までもつれた。
一位ビリオンスターズ、二位アンダーグーズ。ゲーム差は〇.五。勝った方が後期リーグの覇者だ。
加治屋を含めた投手陣は室内ブルペンで最後の調整を終えた。
「緊張しますね」
「ああ。優勝決定戦なんて初めてだからな」
皆川と加治屋のやりとりをみていた星はおかしそうに笑っていた。
「お前が緊張してどうすんだよ監督さん」
「星……」
「勝利に導いてくれよ」
ビリオンスターズ対アンダーグースの試合が始まった。
二対一、ビリオンスターズのリードで七回表を終える。
七回裏、アンダーグースの攻撃に加治屋は登板した。
すでに勝利の方程式に組み込まれている加治屋は期待通りの投球をみせた。七回裏を三人で仕留め、次の回も加治屋は続投した。
簡単にツーアウトをとった。この調子で抑えの皆川にバトンタッチするつもりでいた。
だが次の打者をレフト前ヒット、次の打者にフォアボールを許してしまい、一、二塁の状況を招いてしまう。
これ以上、ピンチを広げる訳にはいかなかった。しかし制球は定まらず、二ボール、〇ストライク。最悪、フォアボールでもいい、と加治屋は厳しくコースを攻めた――つもりだった。甘く入ったストレートを打たれ、打球は遊撃手の頭上を越えて長打コースとなり、二点を献上した。
皆川と交代してベンチに戻った加治屋は、
「ごめん、みんな……」
「何言ってんだ! あと一回あるぞ!」
一点差なら何とかなる。誰もがそう信じて、九回表の攻撃を迎えた。
ビリオンスターズ対アンダーグース。
二対三でアンダーグースの勝利。
ビリオンスターズが負けたことにより、後期リーグの優勝はアンダーグースとなった。
独立リーグはこれからプレーオフの期間に入る。ビリオンスターズの出番はない。
戦いは終わった。
クラブハウスでは選手同士の口数は少なく、加治屋は試合が終わってから、誰とも言葉を交わすことはなかった。
加治屋が帰宅すると、お帰り、と真田は一言話しただけで今日の試合については何も聞かなかった。すでに、試合の結果について知っているのだろう。
恭子、と改まって加治屋は名前を呼んだ。
「負けたよ」
「知ってる。速報で見てた。……あとはドラフトを待つだけだね」
「もういいんだ」
「どういうこと?」
「今シーズンでプロ野球から身を引く」
静寂。
確かに聞こえているはずだが、真田は皿洗いを続けている。水がシンクを弾く。テレビから流れるトーク番組の声がやけに耳に響いた。加治屋は時が止まったような錯覚に陥った。
「もういいの?」真田は皿洗いの手を止めた。
「ああ」
「ちゃんと考えた?」
「もちろんだ」
「後になってまた野球やるだとか、やっぱり続けるとか、あれは嘘だったなんて言わない?」
「嘘じゃない。本気だ」
皿洗いを終えた真田はリビングに座った。加治屋と向かい合うように座り、テーブルにあったお茶を一口飲んだ。
「それじゃ、もう教師一本でいくの?」
「そうだ」
「いいんじゃない」
「ごめんな。色々と俺のワガママに付き合ってもらって」
「ほんとに困るよ」
困る困る、と加治屋に寄り添う真田。
「教師になっても一緒だからね」
「……ああ」
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