真夜中のプロポーズ

 早いもので告白騒動から一週間が経とうとしていた。告白を受けた翌日なんかはどんな顔をして会えばいいのかと悶々としながら階段を上っていたのだが、当の灯里は告白をした事実などなかったかのようにケロッとしていた。


 いつものように僕に食べ物をねだり、星空を眺めながらあーでもないこーでもないと雑談をする毎日。そこにはあの日灯里が僕に見せてくれた本音はどこにもなく、いつも通りのどこか猫っぽい病み系彼女がいるだけだった。


 なんだか告白の返事をどうしようかと必死に悩んでいる僕がバカみたいだった。


 僕は心のどこかでこのまま「なあなあ」な関係が続いていって、灯里が精神的に成長したタイミングで世間一般の方々と同じような男女の関係になれるのだと思っていた。


 油断していた、といえばそれまでだ。だからこそ、僕は唐突に灯里から送られてきたメールの文面を見て心がザワザワしていた。


「いつものとこで待ってる」


 絵文字も何もない簡素な文面。だけど僕は、この一文から彼女なりのSOSを感じ取ったのだ。


 メールを見た瞬間、僕は急いで着替えて愛車のママチャリにまたがった。目指すのは当然、あの廃墟だ。


 自転車を漕いでいる間様々なことが脳裏をよぎった。意外なことに、灯里は今どきの女子高生らしく文面に絵文字などを多用する。それが何もないというのは、よっぽどのことがあったのではないかと思ってしまう。


 現在時刻は夜の六時。僕達が普段なんとなく待ち合わせをしている時間には程遠い時間だ。待っていれば今夜も会えるというのに、わざわざメールを送ってきたことにはきっと意味があるはずだ。彼女は意味のないことをするタイプではない。


 色々悪いことを考えたけど、ひょっとすると、ただこの間の告白の返事を聞きたくなっただけなのかもしれない。気まぐれなところのある灯里のことだ。その可能性だって十分に考えられる。


 だけど僕にはどうしてか、彼女が助けを求めているように思えてならなかったのだ。


   ○


 廃墟に到着すると、鍵をかけることすらせずに自転車を乗り捨てた。


 一直線に階段に向かい、駆け上がる。肺が酸素を求めて喘いでいるけど知ったことではない。今はただ、一刻も早く灯里に会いたかった。


 やっとの思いで無限にも感じた階段を上りきった。ハアハアと荒い息のまま錆びたドアを開けると、彼女はそこに一人佇んでいた。


 いつも通り彼女の隣に腰を下ろす。今日は一段と深くフードを被っているせいで、いつも以上に彼女の顔色は伺えなかった。


「来てくれたんだ」

「ハアハア……ふう……当たり、前だろう?」

「そっか」


 それきり灯里は何も言わず、僕の息が落ち着くの待ってくれるようだった。


 暫くの間、僕がハアハアと息を吐く音だけが響いた。やがて僕の呼吸が落ち着くと、


「そろそろ告白の返事、聞かせてよ」

「その前に、何があったのか聞かせてくれないか? あんな文面で呼び出すから心配したんだよ?」

「……あたしに弟か妹が出来たみたい」

「それは、めでたいことなんじゃないのかい?」


 僕の問いかけに、灯里は「そうかもね」と他人事のように返事をした。そして、

「でもこれで、いよいよあの家にあたしの居場所はなくなった」

 ――そう、呟いた。


 呟きだからこそ、灯里が本心からそう思っているのだろうことがわかった。


 ここで「そんなことはない」と言うのは簡単だ。だけどそれは、心の底から悩んで家を出てきたであろう灯里の心を踏みにじる行為だ。


 なんて声をかけるべきなのか思い悩んでいると、


「それより、返事。返事が聞きたいんだけど?」

「正直なことを言ってもいいかい?」

「いいよ。今思ってること、正直に伝えてほしい」


「僕はずっと前から灯里のことが好きだった。これは嘘偽りのない本心からの気持ちだ」

「そっか。あんた、あたしのこと好きでいてくれたんだ……ありがと。じゃああたしのこと養ってよ」


「話しを最後まで聞いてくれ。今の僕は学生という身分だ。だから、君のことを養ってあげることはできない。現実問題、家を借りるにしても家賃や水道光熱費、食費なんかが必要になってくる。とてもじゃないがバイトで二人分を稼ぐことは出来ないんだ」

「そこをなんとか」


「無理なものは無理だ。だから、ってわけじゃないけど僕が卒業するまで待ってほしい。後半年待ってくれれば僕は大学を卒業して就職する。そうすれば、灯里のことを養えるだけの稼ぎを得られるはずだ。もちろん、最初の頃は贅沢はさせてあげられないかもしれないけど、そこは我慢してくれ」

「えー、贅沢出来るように頑張ってよ」


「新卒一年目で得られる給料なんて知れてるんだ。二人分の食費を払ったらなくなるさ」

「そういうものなの?」

「そういうものだ」


「なんだ。社会って厳しいね」

「まあ、社会は度々荒波に例えられるくらいだからね。それで、その……だから、とにかく後半年待ってほしいんだ。そうすれば灯里も高校を卒業しているはずだし、結婚も出来るようになる」


 自分で言っていてなんだか恥ずかしくなってきたが、そもそも養ってと言ってきたのは灯里の方だ。それはつまり僕に結婚してくれと言っているようなもので、いわば逆プロポーズだ。僕はそれを受けて今再びプロポーズをしている格好になる。


「僕は言うことは言った。今度は灯里の番だぞ。返事をくれ」

「んー、半年待ったら結婚でしょぉ? むむむ……悩むなあ」


 灯里は顎に手をやって、ウンウン唸った。一生懸命考えているようだったので、黙って待っていると、


「一個だけお願いしていい? それきいてくれたら半年待つよ」

「お願いにもよるけど、いいよ」

「今夜だけあたしと逃げてよ」

「逃げるって、どこに?」


「どこでもいいよ。ここじゃないどこか。家出をしてきた手前、すぐに帰るのはバツが悪いじゃん? だから、今夜だけあたしに付き合ってよ」


「やっぱり家出してきたのか……急いで家を出てよかった。親御さん、今頃心配して君のこと探してるんじゃないの?」


「そんなんいいから、あたしのお願い、聞いてくれるの、聞いてくれないの?」

「……スマホ貸してくれ」

「いいけど、なにすんの?」

「君のお父さんに連絡を入れる」

「お父さんに連絡入れる、って……え、本当に言ってるの?」


「マジもマジ、大マジさ。本当は灯里が直接話すのがいいんだろうけど、今は話しづらいだろう? だから僕が代わりに今晩は僕の家に泊めますと連絡を入れるんだ」


「やめてよ、恥ずかしい。そんなことしないでも大丈夫だって」

「万が一捜索願を出されていたら捕まるのは僕だ。そうならないためにも、これは受け入れてもらうぞ」


「えー……捜索願なんて普通出すかなあ? あたし普段から夜中に家抜け出してるけどなんも言われたことないよ?」

「夜遊びと家出は別だよ。それに、君だって前科持ちの夫は嫌だろう?」

「あたしは別に気にしないけど……」


「いいから、連絡を入れた後なら逃げるのでもなんでも付き合うから」

「……仕方ないなあ」


 灯里から借り受けたスマホで彼女の父親に連絡を入れると、焦った様子の声が電話口の向こうから聞こえてきた。


 やはり普段の夜遊びで家を抜け出すのとはわけが違う。今回は、完全に家族が見ている前で家出という形で家を飛び出したらしいので、とても心配していたらしい。


 きちんと事情を説明すると納得してくれたので、今夜一晩は僕が灯里の身を預かる運びとなった。


 まさか灯里の父親との初会話がこんなことになろうとは思わなかった。きっと結婚のご挨拶に向かう時には、あの時の、となるのだろう。


「お父さんとお母さん、君のこと探していたらしいよ」

「あたしのこと探してたの? ……そっか。一応心配してくれてたんだ」

「君が思っているよりも、君の家族は君のことを大切に思っているんじゃないかな」


 灯里は少しの沈黙の後、「よくわかんないや」と言った。そして、のそりと起き上がるとフードを取って僕に手を差し伸べながらこう言った。


「そろそろ行こっか? 真夜中の逃避行って、なんだかワクワクしてきたよ」


 月の光に照らされた彼女の表情は、僕が今まで見たどの表情よりも彩りにあふれていた。

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