真夜中の花火大会

 暫く雨の日が続いていたため、ここ最近僕は廃墟に行くことが出来ていなかった。


 今日はそれなりに太陽が出ていたはずなのに、降り続いた雨はすっかりとアスファルトに染み付いてしまったようで、特有のなんともいえない匂いを発していた。


 ジトジトとした空気が身体にまとわりつくのを感じながら、僕は今日も階段を上る。


 湿度が高いせいか、カツンカツンという階段を上る音が、心なしか普段よりも重たく聞こえた。


 ギィーという音を立てながら錆びついたドアを開ける。普段ならドアを開ければすぐに彼女の姿が目に入るのに、今日はどこにも見当たらなかった。


「なんだ、いないのか……せっかく花火買ってきたのに……」

 一人でやる花火ほど虚しいものはない。しょうがないので僕はいつもの場所に腰を下ろし、星を見ることにした。


 彼女と食べようと思って買ってきたカップラーメンにお湯を注ぐ。二人分のお湯を入れて持ってきたポッドも、彼女がいないのであればただの重たい荷物だ。


 なんだかとても虚しかった。でも、思い返してみれば元々は僕一人だったのだ。気まぐれで現れていた彼女がいなくなったところで、それは結局元に戻っただけの話。これこそが当然なのだ。


 最近はいつも彼女の姿があったから寂しく感じるだけで、すぐになんともなくなるはずだ。そうに、違いない。


 ピピピ、という電子音が響いた。タイマーの音だ。どうやらボケッとしている間に3分経っていたらしい。


「今日は来たんだ?」

 さて食べるか、そう思って割り箸を割ったタイミングで、唐突に声が聞こえた。


 声が聞こえた方に振り向くと、そこには給水塔の梯子を降りている彼女の姿があった。


「なんだ、いたのかい」

「いたよ。最近姿を見なかったから、今日も来ないと思ってあそこで寝てたんだ。それより、美味しそうなもの食べてんじゃん。あたしのは?」


 当然のように自分の分を要求する彼女の姿に、僕はどうしてかひどく懐かしさを覚えた。


 久しぶりというほど久しぶりでもない逢瀬だというのに、なぜだろう。それほどまでに僕は彼女に恋い焦がれていたのかもしれない。


 だからだろうか、僕は今まさに自分が食べようと思っていたカップラーメンを彼女に献上することにした。


「まだ口をつけてないから君にあげるよ」

「マジ? やった。いただきまーす」


 言うが早いか僕からカップラーメンと割り箸をぶんどっていった彼女は、ズルズルと麺をすすっていく。よっぽどお腹が空いていたのか、みるみる間に麺がなくなっていった。


「……ふぅ、美味しかったぁ。ね、もっと食べるものないの?」

「……僕の食べかけでよければ」

「食べかけでもいいよ。お腹すいた。それちょーだい」


 彼女が豪快に麺をすすっている横で僕もひっそりとチュルチュル麺をすすっていたのだが、今夜の彼女はいつも以上にお腹が空いているらしい。しょうがないので食べかけのものを渡す。


「よく食べるねえ」

「だってずっと食べてなかったから」


 ふとした拍子に発するこうした言葉が、僕が彼女を気にかけてしまう理由なのかもしれない。


 僕の目には彼女が自由に映っているけれど、その自由は心配してくれる親という子供にとって最大の担保を犠牲にしたものなのかもしれない。


 僕が彼女に惹かれているのは疑いようのない事実だ。だけど、僕はあまりに彼女のことを知らなすぎる。


「君の家庭環境はどうなっているんだい?」

「あたしの家庭環境? そんなん聞いてどうするのさ」

「いや、ただ……そう、気になったんだ」


「別に面白いことないよ。親が再婚して、ママ母と折り合いが悪いってだけ」

「お父さんは?」

「パパは仕事が忙しくてほとんど家にいない。だから、ママと二人っきりなんだけど、話すことないし、あっちもあたしのこと邪魔に思ってるっぽいからね。よくある話だよ」


「そう、か……」

「そんな深刻な顔しないでも、あたしは全然気にしてないよ? むしろ、変に干渉されないから自由でいいしね。あんたこそ、こんな夜中に出歩けるなんて、家庭環境よくないんじゃないの?」

「僕は普通の家庭だよ。親も真夜中の散歩のことは知っている」


 僕がこうして毎夜一人で出かけることが出来ているのは、何かがあっても心配してくれる親がいるという保証があってのものだ。だからこそ、僕は気軽に、安心して真夜中の冒険に赴くことが出来るのだ。


 ――だけど、彼女にはそれがない。


 自由と安全は表裏一体の関係だ。今の彼女は限りなく自由だけど、それと同じだけ危険な状態にある。


「ま、だからあたしはこんな真夜中に廃墟に入り浸れるってわけ。ど、納得した?」

「理解はしたよ。納得はしてないけどね。スマホは持ってる?」

「スマホ? 持ってるけど……」


「連絡先を交換しよう。そうすれば、君に何かあった時僕に連絡出来る」

「えー連絡先交換するの? めんどいなあ」

「まあそう言わずに」

「しょうがないなあ。QRコード出すからそっちで読み取って」


 彼女が差し出したQRコードを読み取ると、画面に「灯里あかり」という名前が表示された。


「君の名前、灯里っていうんだね」

「あ、しまった。連絡先交換したら名前わかっちゃうのか」

「これでようやく君のことを名前で呼ぶことが出来るね。せっかくだから、僕のことも名前で呼んでよ」


「名前で呼んでほしいって? やだし。あんたはあんたで十分なのっ」

「そっか。今はまだ、それでいいさ。その内気が向いたら名前を呼んでくれ」

「……いつかね。そういや、今日はずいぶん荷物が多いけど何持ってきたの?」


「これかい? 聞いて驚け、前にやりたいって言っていた花火を持ってきたんだ」

「花火? マジ? やった! ね、早くやろうよ!」

「はいはい。今準備するちょっと待って」

「はやくはやくっ。もう待ちきれないよ」


 持ってきた水をバケツに入れて、ロウソクに火をつける。頑丈にセロテープで包装されている袋から花火を取り出してようやく準備完了だ。


「もう準備出来た?」

 明らかにソワソワとしている灯里の様子に苦笑しながら、「うん」と返事をする。


「よーし花火だあ! 何からやろうかなー? 可愛いのがいいな」

「可愛いの……うーん、色が途中で変わるこれなんていいんじゃないか?」

「なになに……燃焼中に色が七色に変化します、うん。これにしよう」


 シュバーという火薬が燃える音と共に、色鮮やかな火花が先端から放出される。


「すごーい! キレイだね」

「そうだね。思っていたよりもしっかり七色に光ってる」


 灯里は初めての花火を満喫しているようで、クルクル振り回してみたり、ジッと眺めてみたりと楽しげだった。


「あ、終わっちゃった……」

「まだまだあるから大丈夫だよ」


 燃焼の終わった花火をバケツに放り込んだ灯里は、先程とは別の花火に火をつけた。


「これ、燃焼が長いタイプなんだって。これで文字書くからなんて書いたかあててよ」

「そうきたか。いいよ、やってくれ」


 灯里はゆっくりと花火を宙に動かしていった。そうして出来上がった文字は……。


「……僕の名前?」

「そ。正解はあんたの名前でしたー。呼んであげない代わりに書いてみたんだ」

「そうまでして名前を呼びたくないのかい」

「あたし人の名前呼んだら魂取られるって教えられたから」

「またまた」

「さーまだまだ楽しむぞー。次は二本持ちっていうのやってみようかな」


 三人用の花火を買ってきて正解だった。楽しい時間は過ぎるのが早いというが、本当にあっという間になくなってしまった。


「これで最後かあ。残りは線香花火だっけ?」

 最後の一本から迸る火花を名残惜しそうに眺めながら灯里は言った。


「そうだね。線香花火には線香花火の良さがあるからきっと楽しめるさ」

 灯里が終わってしまった手持ち花火を名残惜しそうにバケツに放り込んだの確認した僕は、袋から線香花火を取り出して彼女に渡した。


「線香花火ってどっちが長く保つか競争したりするものなんでしょ? あたし達もやろうよ」

「いいね。でも、ただの競争じゃつまらないな。勝った方が負けた方に命令出来るってのはどう?」


「勝った方が負けた方に命令出来る……うん、いいね。それでやろう。じゃあ、いっせーのーで火をつけよ」

「「いっせーのーで」」


 線香花火の細い先端に火をつけると、シューという音を立てながら徐々に火種が丸まっていく。そうしてパチパチと音を立て始める。こうなってからが勝負だ。


「綺麗だね」

 ほう、と息を吐くように嫣然と声を発した灯里の横顔は、線香花火の僅かな明かりに照らされているせいか、どこか憂いを秘めた美しさがあった。


 ハッとするような美ではない。しっとりとしていて、暗闇からひっそりとこちらを眺めているような、粘着力のある美しさだ。猫のような、といってもいいかもしれない。


 そんな彼女に見惚れていたからだろう、気が付けば僕の火種は情けなくも地面に落下していた。


「あ」

「あたしの勝ちだね」

「くそう」

「なに命令しよっかなー。うーん…………思いつかないから次来た時でいいや」


 真夜中にひっそりと開催された二人きりの花火大会。僕はそれからも灯里に競争で勝つことはなかった。

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