第三話「複雑であり単純、単純であり複雑」
1.タナ・リサーチ株式会社
「氷の華」の組織構造はいたってシンプルだ。その命令系統の構造は、マルチ商法のそれに近い。
まず、大本となる「氷の華」の幹部がいて、部下に命令を下す。その部下は更に自らの子飼いの部下に命令を伝達、その部下は更に配下の人間に……と繋がっていく。
関わる人間は下へ行けば行くほど増えていくが、末端の人間は頂上に誰がいるのかを知ることはない。大本の命令がどこから出ているのかも知らずに、それを実行する。
故に、「氷の華」による詐欺や違法な商法の現場を押さえても、検挙出来るのは末端の人間かその直上の上司くらいまでが関の山らしい。それより上には中々辿り着けないのだという。末端の人間同士は携帯電話やSNSで直接連絡を取っているので繋がりが判明しやすいが、上司からの指示は口頭や人づてで行われることが殆どなのだとか。
つまりは「トカゲのしっぽ切り」に特化した組織構造をしているのだ。
そして、この組織構造に組み込まれているのは、個人だけではない。いくつかの団体・企業も組み込まれているようだ。
「氷の華」と各団体・企業には、直接的な繋がりがある訳ではない。指示や金の流れ、取引について、いくつかの団体・企業を経由している――その内の少なくない企業がいわゆるペーパーカンパニーである――為に、一つの団体・企業を捜索しても「氷の華」に辿り着くことが難しくなっているらしい。
「タナ・リサーチ株式会社」も、そんな企業の一つらしかった――。
「やあやあ、よく来たね木下ちゃん!」
木下がタナ・リサーチ社を尋ねると、社長である田奈が相変わらずの軽薄な笑顔で出迎えた。会社自体は、赤坂にほど近いオフィスビルの中層階に陣取っている。田奈の趣味なのか、エントランスには北欧デザインのソファとローテーブルが並べられ、どこか気障ったらしい雰囲気がある。
あわよくば社内の様子を窺いたかったところだが、オフィスは堅牢なパーテーションで区切られており、各区画に入るにはIDカード式のセキュリティドアを潜る必要がある。必然、社内の様子や従業員の姿を見ることは殆ど出来なかった。
「で、今日はどんな用よ? まさかとは思うけど、仕事の依頼~? 高いよ? うちは」
そのまま、エントランスのソファに田奈がドカッと腰かける。どうやらオフィス内に通してくれる気は無いようだ。
「依頼するかどうかは、話次第だな。田奈、うちの会社のことは知ってるよな?」
「ん~? ああ、エルゴ・ニュース社だっけ? もちろん、知ってるよ。安田ちゃんの事故のことを書いた記事も読ませてもらった。よく調べてあるじゃないか」
「へぇ、読んでてくれたとは思わなかったな」
「他ならぬ同窓生の死についてだからね。気になるのが人情ってものだろう?」
珍しく神妙な表情を浮かべ目を伏せる田奈。彼の人となりを知らぬ者が見れば、「旧友の死を悲しんでいる」ように見えたことだろう。だが、田奈という男は他人の不幸を悲しむようなタマではない。むしろ、他人の不幸を見るや否や自分が甘い汁を吸うのに利用出来ないか、探り出すようなタイプだ。
今も、安田の死を悲しむふりをして、エルゴ・ニュース社の記事を褒め、木下からの印象を良くしようと目論んでいるはずだ。当の木下は中学時代から田奈のことを嫌っているので、全く持って無駄な努力ではあるのだが、田奈本人はそのことに一切気付かない。
彼は、自分が他人から嫌われている可能性など、欠片も想定しない人間なのだ。自己愛と自己肯定のモンスターと言える。
けれども、今は田奈のその性格が、木下にとって都合よく働く。
「そうか、田奈も安田のことを気にかけてくれてたんだな。実はな、今日来たのは、その安田の件なんだ。どうも安田の奴、生前よろしくない連中と関係があったらしくてな」
「……よろしくない連中?」
「ああ。情報通の田奈なら、『氷の華』って名前は聞いたことがあるんじゃないか?」
安田から送られてきた資料を信じるならば、田奈は「氷の華」と繋がりがあるはずだ。名前を出すことで、あわよくば動揺してくれるかもしれなかったが――。
「氷の華、か。こりゃまた厄介な名前が出てきたねぇ。具体的には、安田ちゃんと例の団体は、どの程度関わってたんだ?」
意外にも田奈は、動揺の色を欠片も見せなかった。真剣そのものといった風情で、木下に話の続きを促してさえいる。
「いや、まだ『関係があった』程度の話しか分からなくてな。具体的にどう関わってたのかを、これから調べようと思ってるんだ。実は、俺の所に生前の安田を知ってたって人から、タレコミがあってさ」
「へぇ……タレコミが。それは、信用出来る相手からのモノなのか?」
ソファにふんぞり返っていた田奈の体が、段々と前のめりになりつつあった。木下の話に興味を持っている証拠だ。
「それすらも分からん。けど、その人から寄せられた情報はどれも正確なんだよ。今のところ、きちんと裏が取れてる。ただ、そのタレコミは不定期なんだ。たまに俺の所に封書が届いて、断片的な情報が綴られてる。全体像は、まださっぱり見えやしないんだ」
木下は、事前に考えておいた「作り話」を慎重に展開していった。
安田から送られてきた資料を信じるならば、タナ・リサーチ、ひいては田奈自身が「氷の華」と関係しているはずだった。だが、それがどの程度のものなのかはまだ分からない。上層部に近いのか、それともただの使い走りなのか。どちらにせよ、経営者である田奈が何も知らないということはあり得ないだろう。
あくまでも木下の推測だが、タナ・リサーチは「氷の華」の情報収集部門として機能している企業である可能性が高い。「氷の華」の関係者が送り付けてきたらしい例の「警告文」と、安田から送られてきたインターネット・アドレスとパスワードの送り先は同じだった。偶然の一致かもしれないが、木下はそこに必然を感じていた。
警告文の送り主も安田も、どちらも同じ情報を参考にして木下達に文書を送りつけたのではないだろうか、と。そしてその情報を調べ上げたのが、他ならぬタナ・リサーチだったのではないか、と。
田奈は、安田の「お別れ会」で、木下や他数名の職場など個人情報をピタリと言い当ててみせた。田奈自身は「会う予定がある人間の情報は、事前に最低限調べておく主義」等と言っていたが、そうそう都合よく、短期間に他人の素性を探れるものだろうか? という疑問があった。
実際に田奈が木下達の個人情報を調べ上げたのは、もっと以前のことだったのではないだろうか? それこそ、「氷の華」からの指示によって予め調査していたデータを流用したのではないだろうか。
そしてその指示を出したのが、他ならぬ安田だったとしたら……?
もちろん、多分に木下の推測が入っている。だが木下には、一連の出来事が全て繋がっているのではないかと感じられた。
「ふぅん、謎の人物からの不定期のタレコミ……但し、その情報自体は信頼性が高い、ねぇ。で? 木下ちゃんは弊社にどんな依頼をしたいのかな? やっぱり、『氷の華』関連か」
「言ったろ、依頼するかどうかは話次第だって。そう逸るなよ。確かに『氷の華』関連の情報は欲しいが、この会社はカタギの商売なんだろ? カルトだかマルチ商法だかの、危ない案件についても依頼すれば調査してくれるのか?」
「それは、ほれ。報酬次第ってやつさ」
営業スマイルを浮かべながら、指で輪っかを作る田奈。その笑顔の下の感情は読めないが、田奈の性格上、「うちがその『氷の華』の関係会社だよ、バーカ!」くらいのことは思っていそうだった。
「なるほどな。依頼するかどうかは次のタレコミの内容次第なんだが……一応、上にかけあって、それ相応の調査費を出してもらえるように頼んでみるわ」
「あはは、期待しないで待ってるよ」
話はそれで終わった。田奈はいそいそと立ち上がると、挨拶もそこそこにセキュリティドアを潜ってオフィス内へと姿を消してしまった。後には木下だけが残される。
(さて、これが少しは撒き餌になってくれるといいんだが)
心の中で独り言ちながら、木下はタナ・リサーチのエントランスをあとにした。
***
ビルの外へ出ると、途端に寒風が吹きつけてきた。二月も後半に入り少しずつ温かくなってきてはいたが、やはり夕方以降は冷える。先日は都内でも雪がちらついたほどだ。
そのまま、安物のコートで身を守るようにして最寄りの地下鉄の駅まで歩き始める。何となく、周囲の様子を窺ってみるが、人々が忙しなく行き交っているだけで、誰も木下のことなど気に留めた様子もない。
木下も金野も、「氷の華」にマークされていることは確実だ。だから、金野などは「知り合いの伝手でボディーガードを付ける」等と言っていた。相手が相手だけに大げさとは思わないし、何より金野の家は女所帯だ。用心するに越したことはないだろう。
木下も、ゴシップメディアの記者という職業上、恨みを買ったことや付きまとわれたことは一度や二度ではない。いくら身分を隠していても、社会との接点を完璧に断てる訳ではない。以前には、とある偶然からエルゴ・ニュースの従業員であることがバレて、ネットに晒されそうになったこともあった。
――インターネットの発達により、様々な情報がネット上でリアルタイムに飛び交うようになった。携帯電話から容易に高画質の写真や動画を全世界へ向けてアップロード出来るようになったし、SNSのように拡散性の高いメディアにより一気に伝播するようにもなった。
新聞をはじめとするオールドメディアだけでなく、テレビやラジオ、エルゴ・ニュースのようなWEBメディアでさえも、その速報性には敵わない。企業や個人が運営する正規のメディアは、一応は法律を遵守する義務がある。だが、ネット上の匿名アカウント達には順法意識は薄く、情報の拡散により特定の個人や企業が取り返しのつかないダメージを負うことになろうとも、躊躇なく情報を広めてしまう連中さえ多い。
おまけに彼らは、「新鮮」でなくなった情報には興味がない。情報を拡散し、しゃぶるだけしゃぶり尽くしておいて、飽きたらゴミのようにポイと捨ててしまう。そして次の獲物を求めて、ネットの海や街中を徘徊するのだ。まるでイナゴの群れだった。
普段からそういった手合いを相手にしている木下にとって、「氷の華」のようにどこに構成員が潜んでいるか分からないような連中の相手は、今更感が強かった。もちろん、無軌道に目標をサーチ・アンド・デストロイするネットイナゴと、特定の思想や命令系統によって動くカルト組織とでは、全く性質が異なるのだが。「どこで誰の目が光っているか分からない」という意味では、大差ないように感じられたのだ。
そしてそれは、タナ・リサーチにも言えることだった。
田奈に会いに来る数日前。木下は懇意にしている情報屋から、タナ・リサーチについての評判を聞いていた。表向きは興信所というか探偵事務所というか、きちんと法律に基づいて活動している調査会社ではある。
だが、その裏では他人のゴシップや醜聞、不正の証拠などをかき集め、それを脅迫の材料として意のままに操り、市井の調査員としてこき使うようなことをやっているらしい。「お前の悪さを黙っていてやる。代わりに、他の誰かの醜聞を集めてこい」ということだ。
被害者が次の被害者を生み、それが延々と続いていく。彼らから情報を吸い上げ、タナ・リサーチは肥え太っていく。マルチ商法などに手を染めている「氷の華」の関連団体として、相応しい下衆ぶりだった。
(いや、そもそも「氷の華」が田奈のやつに手ほどきしたのか……?)
同類であるから近寄って来たのか、「氷の華」が近寄ったから下衆に堕ちたのか。どちらなのかは分からないが、ただ一つ言えるのは――田奈慎二という男が、一切の信用のおけない下衆野郎であるということだろう。
タナ・リサーチが入居するビルを見上げる。窓の外からは、オフィスの中の様子は見えない。あの中で、一体どれだけの人の不幸が収集されているのやら。木下は身震いしながら、その場を立ち去った。
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