2.燃えカスで終わらない為に
「ほう、『氷の華」だとぉ? そいつはまた、興味深い展開になって来たじゃねぇか」
エルゴ・ニュース社の会議室でのことだ。木下が「凍れる世代」の進捗報告の際に、「氷の華」の件に触れた途端、編集長は最新のゲーム機を前にした子供のように、眼を輝かせ始めた。少し、予想とは違う反応だった。
「ご存じなんですか、編集長」
「知らいでかよ。この業界じゃあ、連中の話は避けて通れねぇぜ? 大手メディアはビビって手を出せねぇ案件だしなぁ。俺達中小メディアの独壇場って訳さ。むしろ、お前が知らなかったことにビックリだ。お前らがガキの頃だってよ、沢山あっただろ? マルチとか霊感商法。それこそ、カルトがでっけぇ事件も起こしてるしよぉ。お前らの世代は、この手の話に敏感かと思ってたんだがなぁ」
「それは……まあ」
確かに、木下達の子供の頃から学生時代にかけて、様々なマルチ商法やカルト宗教が世を騒がせていたのは確かだ。特に、木下が高校生の時に起こった、とあるカルト教団による毒ガスを使用した地下鉄への大規模テロ事件の記憶は鮮烈だった。
霊感商法や巧みな勧誘、一部の宗教家から評価さえされたそのカルト教団は、驚くべきことにテレビなどのメディアにも頻繁に登場し、政界進出を目論んだことさえあった。被害者や入信した者の家族達が、その危険性を訴えていたにもかかわらずだ。
しかも、大規模テロ事件の数ヶ月前には同様の毒ガスを使った事件が起き、多数の死傷者を出していた。ところが警察は、ただ近隣に住んでいたというだけの理由で被害者の一人を犯人扱いし、非人道的な取り調べを繰り返したという。当時のマスコミもこれに追随し、完全なる私刑状態だったのを、木下もよく覚えている。
――そう、よく覚えている。木下が記者を志したのは、何を隠そうこれらカルト教団に対する当時のマスコミの無能さに、激しい怒りを覚えたからだった。
被害者の声を軽視し、カルト教団を面白おかしくメディアで紹介した連中は、一連の事件の責任を何も取っていない。教団に対抗していた弁護士一家が赤子も含めて惨殺された事件もあったが、あれも一部のマスコミ関係者が一家の情報を教団にリークしたからではなかったか。
かつての木下は、当時のマスメディアのいい加減さに呆れ、ならば自分が内側から変えてやろうと意気込む、血気盛んな若者だったのだ。
どうして、それを今の今まで忘れていたのだろうか。
「見ないように、してたのかもですね。若い頃は確かに、カルト教団や無能なマスコミに怒りを抱いて、自分ならもっとやってみせるだとか、大それたことを考えてたはずなのに。どうしてですかね、はは。まともに就職も出来ないで燻ってる間に、燃え尽きちまったんですかね、俺の情熱」
上司の前だというのに、木下の口からは恥ずかしい自分語りの言葉が止め処なく溢れてきてしまった。こんな話は、もっと若い頃に、それこそ酒の力でも借りて愚痴るようなことなのに。何故か、言葉が止まらなかった。
そんな木下の言葉を無表情に受け止めながら、編集長は愛用のオイルライターを懐から取り出すと、火を点ける訳でもなく蓋をカチャリカチャリと開け閉めし始めた。そもそも、オフィス内は禁煙・火気厳禁だ。他ならぬ編集長がそう決めた。
「燃え尽きては、いねぇんじゃねぇか? 最近のお前さんは、何だか表情が生き生きとしてるぜ。いつもはよう、ゾンビ見てぇに面白ネタを探して無感情にアップロードするだけの生き物だった癖によぉ」
「編集長、俺をそんな風に見てたんですか? ひでぇなぁ」
「ひでぇのはどっちだよ。俺がお前さんを拾ったのはなぁ、大学時代のお前さんが豪く熱い奴だったからだよ。マスコミ志望だったのに、既存のマスコミ全方位にケンカ売るようなこと言って、息まいててよぉ。それでよく覚えてたんだ。それがどうだ、会社に入れてみれば燃えカスかゾンビかみてぇに生気がねぇ。どうしたもんだと、俺も頭を悩ませたんだぜ?」
「うっ……」
木下は全く反論出来なかった。確かに木下は、淡々と業務をこなし編集長に対しても忠実だったが、逆に言えば彼自身から何かアクションを起こすようなことは少なかった。今までに考えてきた企画も、どれも無難なものばかりだ。
返す言葉見付からぬまま、会議机に目を落とす。だが――。
「けどよ、最近のお前は違うよな? なんだか生き生きしてやがる。昔のダチの悲惨な最期を見て、流石にお前さんもスイッチが入ったみてぇだな。それとも、金野双美ちゃんだったか? 昔のオンナにいいところ見せたくて、燃えてんのか?」
「金野とはそういうんじゃないですよ。今も昔もいい友人ってだけで。……というか、生き生きとしてますか? 俺」
「豪いアクティブに動いてるじゃねぇか。それによ、『氷の華』のことも調べる気満々なんだろ? モノがモノだけにしばらく記事には出来ねぇだろうが、今の内にやれることはやっておく。そうなんだろ?」
「……ええ、まあ。警察の方も動いてるみたいなんで、今は下手に情報を出せませんけど」
――警察への連絡は、金野に一任した。何やら信頼出来る筋に伝手があるらしい。例の資料についても隠すことなく渡すことにしていた。既に資料が警察に共有されているとなれば、「氷の華」が自分達を付け狙う理由もなくなるかもしれない。そんな効果も期待してのことだ。
金野によれば、近い内に木下も事情聴取を受けるかもしれない、という話になっていた。そのことは既に、編集長にも伝えてある。
編集長が金野の名前を知っているのも、それに関連してだ。金野が自ら編集長に連絡を取って、状況を説明してしばらく報道は控えるよう納得してもらったらしい。相変わらずのアクティブさだった。
「基本は警察に任せるつもりですよ。でも、何か動きがあった時にすぐに記事を出せるようにはしておきたいなって。大きなヤマですからね、うちが一番に詳報を出したら、世間が驚きますよ」
「ほれぇ! それだよ、それでいいんだよ!」
「は、はぁ」
ガハハと笑いながら背中をバンバンと叩いてくる編集長に、木下は曖昧な笑みを浮かべるばかりだった。彼としては、いつも通りに淡々と仕事をしているつもりだったのだが、編集長に言わせれば「生き生きとしている」のだという。
確かに、取材らしい取材をしたのもほぼ初めてなら、「氷の華」のように謎めいた集団について調査を進めるのも始めてだ。少し興奮している自覚はあるが、自分がそれほど前のめりに動けているとは露にも思っていなかった。
(燃えカスの俺にも、まだ燃やせる物が残っていたのかな?)
編集長の力強い張り手を背中に受けながらも、木下はまだ、自分の中に熱を感じられずにいた。
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