5.タワーマンションの最上階にて
「まさか、『氷の華』の名前が出てくるとはね」
「知っているのか、金野」
「うん。警察とかでは結構有名な詐欺集団……いえ、カルトと呼んだ方がいいかしら? とにかく、悪質な連中よ。でも、その実態はよく分かっていなくて、マスコミで取り上げられることも殆どないらしいの」
「詳しいんだな」
「……うん、ちょっとね」
苦笑いしながら、金野がテーブルに置かれた高級そうなティーカップを口元へ運ぶ。その動作は洗練されていて、どこかの女優かセレブ妻か、といった風情だ。
木下の知っている金野とは、まるで別人のようにも思えてしまう。あるいは、今いる場所の雰囲気に木下が酔ってしまっているのかもしれないが。
――木下は、金野の自宅を訪れていた。驚いたことに、彼女の自宅は都心の高層マンションの最上階という高級物件だった。軽く億は超えるだろう。
金野の実家はそこそこ裕福だったはずだが、こんな高級物件を買える程ではないはずだ。この手の物件は毎月の管理費だけでも馬鹿にならないはずで、それはつまり、金野にはそれを維持出来るだけの収入か資産がある、ということだ。
(そう言えば、俺は金野の職業すら知らないな)
再会して以降、頻繁に連絡を取っていてなんとなく「中学の頃のように仲良くなった」気でいたが、その実、自分と彼女の間には埋められない何かが横たわっているのではないか? そんな思いが、木下の中に芽生えつつあった。
「どうしたの木下君、キョロキョロして」
「え、ああ、ちょっとな。こういう部屋には初めて入ったんで。なんか、落ち着かない」
「ああ……。私もね、住んで何年か経つけど、実はちょっと落ち着かないの」
ペロっと舌を出してイタズラ少年のような笑みを浮かべる金野。その姿は、紛れもなく木下の知っている彼女のものだった。
「実はね。この部屋、自分で買った訳じゃないのよ。娘の父親から、慰謝料代わりに貰ったってところかな。維持管理費込み込みでね」
「その……離婚を?」
「まあ、そんなところ。あんまり人に聞かせたい話でもないから、他の人には内緒にね」
「それは、もちろん」
「うん、よろしく。――というところで、話を戻しましょうか」
言いながら、金野が手にしたタブレットPCに目を落とす。そこには、安田から木下達のもとへ送り付けられてきた、例の「遺書」が表示されていた。
「安田君が仲間達と作った互助サークルが、いつの間にかマルチ商法やカルト宗教、特殊詐欺の温床になっていた。安田君も知らない間にその片棒を掴まされていて、逃げられなくなった。全てはこの、元締めとも呼べる『田崎太郎』という男が仕組んだものだった、と」
「ああ。安田は長いこと、その田崎に脅されて『氷の華』とやらの幹部として働かされてたらしいな。で、しばらく前に意を決して逃げ出して……命を落とした。本人は組織に殺されるって書いてるが、実際には人助けをして死んじまった訳だ」
「そこが安田君らしいわね。変わってないと喜ぶべきところなのかは、複雑な気持ちだけど」
「違いねぇ」
金野と二人、思わず顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。
安田は、組織についての重要な情報を持ち出して逃亡を図ったらしい。例のファイル共有スペースには、何人かの顔写真と名前、幾つかの団体名が羅列された文書も保存されていた。まだすべてに目を通してはいないが、恐らく「氷の華」の関係者や関係団体の一覧なのだろう。
「そのカルト集団の実態は、警察も分かってないんだったっけ? じゃあ、この資料はとんでもないお宝って訳だな」
「そうね。この資料が信用出来る、役に立つものなら、だけど」
「どういうことだ?」
「そもそもの話だけどね、この一連の文書を送って来たのは、本当に安田君なのかな?」
「それは……」
言われてはたと気付く。木下は今の今まで、この文書の送り主が安田であることを全く疑っていなかった。しかし、よくよく考えてみれば、確かに不審な点は多い。
安田が死んでから既に一月ほどが経っている。安田の死から手紙が届くまで、あまりにも間が空きすぎている。例の警告文の件もある。本当に送り主が安田なのかどうか、言われてみればあまりにも怪しい所だった。
だが――。
「まあ、送り主は十中八九くらいで安田君だと思うけどね」
「えっ」
当の金野から、思わぬ肩透かしを食らう。
「この差出人にある『(有)オオイソ代行サービス』ってね、調べてみたら配送代行業者だったの。荷物や手紙を依頼人から預かって、指定された日に依頼人に代わって配送手配する」
「……そのサービス、何か意味があるのか?」
「誕生日プレゼントとかメッセージとか、自分じゃ忘れちゃいそうなちょっと先の発送手配とかに、結構重宝してるらしいわよ? 世の中、色々なサービスがあるものね」
言いながら、金野がタブレットPCの画面を向けてくる。「(有)オオイソ代行サービス」のWEBサイトだ。料金体系や依頼条件、実際の事例など、丁寧にまとめられている。
「この会社にね、問い合わせてみたの。『中身が足りないみたいなんですが、依頼主と連絡取れますか?』って。そしたら色々と教えてくれたわ。依頼主が中年男性だったこと、荷物は一度も封を開けていないので関知してないこと、依頼日が去年の十二月だったこと。依頼主の連絡先は個人情報だからって教えてくれなかったけどね」
「依頼日が十二月……なるほど、安田が事故に遭うよりは前だな」
安田の事故は一月の中旬に起こった。それより半月以上前に、業者への依頼が行われていることになる。
「それにね、この一連の文章からは、何となく『安田君らしさ』を感じない?」
「ああ、それは確かに」
これには木下も同意した。何となくではあるが、読んでいて「安田が語っている」感触を受けたのだ。明文化出来ない程度の感覚ではあるのだが。
「うん。だから送り主は多分、安田君本人で合ってるんだと思う。だから、資料も本物だと信じたい。安田君が命を懸けて『氷の華』の実態を世間に暴露しようとしたんだと。でも、少なくとも十二月の時点で、組織には資料の持ち出しがバレてる訳よね? そこから今まで、彼らが何の対策もしていないなんて、あるのかな……とも思うの」
「証拠隠滅を図っていると?」
「うん。世間にいきなり公表されても困らない程度の対策は、してるんじゃないかって」
資料には、関係者らしき人物の顔写真も複数含まれている。それを隠滅する方法を想像して、木下は思わず身震いした。
「……少なくとも、うちの会社でこいつを直接公表ってのは、止めた方がいい?」
「そう思うわ。私としては、警察の信用出来る筋に渡すのが一番だと思うけど。例の警告文のこともあるし、私達は既に『氷の華』に警戒されててもおかしくないと思うの。下手に自分で動くのは、危険だわ」
「それは、確かに」
既に例の警告文でヒヤッとさせられていることもあり、木下も素直に頷く。警察でも詳細を掴みかねているカルト集団の内部資料など、ゴシップメディアとしては特上すぎる特ダネだ。だが、命あっての物種でもある。
基本は警察に任せるとして、木下はいざ彼らが「氷の華」を摘発した時に、すぐさま詳細な記事を出せるよう準備しておくのが無難かもしれない。
――そこでふと、木下の頭にある疑問が浮かんだ。
「しかしなぁ、安田の奴なんだって俺達にこんなものを送りつけたんだろう? 警察だとか大手のマスコミだとかに一斉に送りつければ、もっと効果的だったと思うんだが」
「それは私も思ったわ。そもそも、どうして二十年以上も会っていないような私達に、こんな重要な文書を送って来たのかしら? それに、私達の自宅や職場の住所を、安田君はどうやって知ったのかしら?」
「だよなぁ」
木下もそれが不思議だった。自分達は、確かに中学時代の安田とは仲が良かった。金野にいたっては幼馴染でもある。だが、二人ともここ二十年以上、安田とは会っていない。若い頃の友情だけで、そこまで信頼されるとも思えない。
なにより金野の自宅住所や木下の職場を、安田はどうやって知ったのか――。
「いや、待てよ。もしかして」
「どうかした?」
木下の脳裏に、ある考えが浮かんだ。ほぼ直感ではあるが、確信に近いものが。
そのまま、金野に返事もせずにノートパソコンを操作して、安田から送られてきた資料を漁り始める。「氷の華」の関連団体のリストらしきものに、上から順に目を通していく。
量が膨大な為、まだざっとしか見ていないし、実在する団体かどうかも分からないものが多い。だが、その有象無象の中に、木下は見知った名前を見付けていた。
「金野、ここ見てくれ」
「……これって!」
木下から向けられたノートパソコンの画面を見て、金野の表情が驚愕のそれに代わる。彼女の目線の先、「氷の華」の関連団体と思しきリストの中に、その会社の名前があった。
『タナ・リサーチ株式会社』の名が。
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