4.遺言、あるいは……

『この文章を君達が目にしている時、僕はもうこの世にいないだろう。突然、こんな怪しげな文書を送られて戸惑っているかもしれないけれど、どうか最後まで読んで欲しい。そして、あいつらの野望を打ち砕いて欲しい。文字通り、僕からの最期の願いだ』


 死者――安田から木下と金野へ送られてきたその文書は、そんな言葉で始まっていた。

 木下はファイル共有スペースにアクセス出来なくなった時のことを考えて、全てのファイルを普段から持ち歩いているノートパソコンへダウンロードしておいた。何となくだが、会社に置きっぱなしのデスクトップ・パソコンには入れておきたくなかったのだ。

 そのまま、ノートパソコンを持って会議室へと逃げ込むように入る。これも「何となく」だ。誰かに見られたくない、あるいは見られてはいけないという根拠不明の強迫観念のようなものが、木下を突き動かしていた。

 そのまま椅子に浅く座り、一旦深呼吸してから文書の続きを読み始める。


『しばらく前から、僕は命を狙われている。僕の仲間、いや仲間だった連中に、ずっと付け狙われている。

 僕の死に方はどんなものだったろうか? 自殺に見せかけられていた? 事故? それとも、まだ死体が見つかっていない? いずれにしろ、ろくな死に方はしていないんじゃないかと思う。せめて遺骨くらいは両親と同じ墓に入れてもらいたいところだけど、死体がないのなら仕方ない。きっと見つからないから、探さなくてもいい』


 思わず背筋にゾクリとした悪寒を感じつつも、木下は違和感を抱いていた。安田の死に様は、見ず知らずの人間を助けての轢死だ。彼自身が挙げているものとは少々異なる。

 もしかすると、あそこでああいった死に方をしたのは、安田にとっても予想外のことだったのだろうか。――続きに目を通す。


『この十五年ほどの間、僕はある組織に所属していた。就職先が一年足らずで潰れて路頭に迷っていた頃、同じように未来を閉ざされていた氷河期世代の仲間と作った互助サークル。それが組織の始まりだった。

 最初の頃は、今でいうルームシェアをしたり必需品をまとめ買いして生活費を節約したり、誰かがお金に困っている時はカンパしたり、そんなささやかな助け合いサークルだった。

 生活に困っている同世代は沢山いたから、仲間はどんどんと増えていったんだ。皆で住む為に、ちょっと大きな一軒家を借りて、学生みたいにワイワイガヤガヤと暮らして。……楽しかったよ。

 サークルの活動は次第に互助活動だけではなく、地域のボランティアなんかにも手を伸ばすようになっていった。親類同士でもない非正規雇用の若者が、一軒家を借りて集団生活をしてるだなんて、近所から見たら怪しすぎるだろう? だから、地域活動に参加して信用を得る必要があったんだ。

 お陰で、近所のご老人方とは、随分と仲良くなれたよ』


 仲間達と一つ屋根の下でワイワイと楽しく暮らす安田の姿を夢想して、木下の頬が思わず緩む。中学時代から人当たりの良かった安田のことだ。恐らくサークルでも人望を集めていたことだろう。

 ――しかし、この後の安田に待ち受けているのは悲劇だ。貧しくとも賑やかな若者達の生活に、この後一体何が起こったのか。木下はページをゆっくりと進めた。


『サークルはどんどん大きくなっていった。同じようなことをやっていたグループとも連携して、独自の連絡網も作って。割のいいバイトや就職先の情報なんかも、グループ間で交換し始めるようになった。

 でも、人が増えれば色んな奴が出てくる。悪いことを考える奴や、悪気なく他人を怪しげなバイトに誘う奴が。僕の知らないところで、問題は起き始めていたんだ。

 僕がそのことに気付くきっかけになった事件があった。僕らの住処のすぐ近くに、近所でも有名な性格の悪いお爺さんが住んでいたんだ。やれゴミの出し方が悪いだとか、音がうるさいだとか、些細なことで怒鳴り込んできて、警察まで呼ぶような問題のある人で、僕らも度々標的にされていた。

 ある時、仲間の何人かが「あの爺さんを困らせてやろう」と良くないことを企み始めた。警察を装ってお爺さんに電話して、遠くで暮らす彼の息子さんが交通事故に遭ったという嘘を教える。そんな幼稚だけど悪質な悪戯を誰かが思い付いたらしい。

 計画は段々と悪乗りが過ぎていった。その内に「息子さんが人を轢いてしまった。厄介な相手なので示談金が必要だ。まずは手付金として百万円用意してほしい」なんて、無茶苦茶な内容まで加わっていった。

 警察が示談金を払うよう言ってくるなんて、あり得ないと常識で分かる。手付金で百万、なんて話も馬鹿馬鹿しい。ようは、息子が事故に遭ったと散々不安にさせておいてから、冗談だと分かる話に持って行って、相手が怒り出すのを期待したのだろうね。全く、馬鹿げた話さ。

 本人達は冗談のつもりだった。でも、いざ実行してみると、お爺さんは「すぐに金を用意する。どこへ行けばいい」と必死に食いついてきたらしいんだ。

 もう分かるだろう? 彼らは知らない内に、当時流行り始めていた「オレオレ詐欺」と同じことを成功させかけてたんだ』


 オレオレ詐欺――最近では「特殊詐欺」という呼び方をする、大きな社会問題となっている詐欺手口だ。

 その起源は確かに九十年代後半で、社会に多く認知されるようになったのは二〇〇〇年代の初頭だった。安田達が共同生活を始めた頃には、既にある程度知られていたはずだ。

 安田は、仲間達が知らぬ間に「オレオレ詐欺」と同じことをしでかしたと書いているが、木下は違うと思った。恐らく、仲間の誰かが狙ってやったのだろう。何となくだが、そう思った。

 集団が大きくなってくると、一定の割合で素行の悪い連中が混じるものだ。木下が大学で所属していた飲みサークルにも、マルチだか霊感商法だかをやって警察のお世話になった馬鹿がいた。

 世の中、そういうものなのだ。親類に散々に騙されて両親の遺産を奪われた割に、安田は人間を信じすぎていたのだと、木下はもどかしい気持ちでいっぱいになった。


『幸い、お爺さんが現金を用意する前に電話を切ったので、実際の被害はなかった。僕はその事を後で知って、お爺さんに謝るべきだと皆に言った。皆、難色を示したけど、僕が根気強く説得して、最後には悪戯を仕掛けた全員で謝りに行かせた。

 でも、それは失敗だった。お爺さんは予想以上に激昂して、警察や近所に詐欺行為を受けたと触れ回った。僕は釈明して回ったけど、半分以上は事実だからね。残念ながら、僕らの信頼は地に落ちて、住み辛くなってしまったんだ。

 ご近所の人達は挨拶してくれなくなったし、近くで何か事件が起こる度に、警察が僕らを訪ねてくるようになった。僕らは、家を引き払って別々に暮らすことにした』


 ――思わず読む手を止めて、木下は大きなため息を吐いた。

 両親を奪われ、遺産を奪われ、夢を奪われ、進学の機会を奪われ、職場を奪われ。奪われるばかりの人生の安田が、ようやく手にした穏やかな日々。よかれと思って創り上げた互助サークルが、身内によって崩壊してしまった。流石の木下も、安田の身に降りかかった不幸の連鎖に言葉もなかった。

 安田のお人好しさが付け込まれた部分もあったのだろうが、それでもって彼を愚かだとは笑えなかった。

 しかもこれはまだ、安田が失職してから一年余りの間の出来事でしかない。安田が轢死するまで、まだ十四年近くある。その間に、一体何が彼の身に起こったのか。

 安田は「仲間だった連中に命を狙われている」と書いている。「互助サークルが始まりとなったある組織に所属していた」とも。つまり、住処を追われてもサークル自体は存続し、その後「組織」と呼べるような存在になっていったはずなのだ。それも、安田の命を狙うような危険な組織に。

 木下は手の震えを抑えながら、安田の「遺言」を読み進めた。


『別々に暮らし始めてしばらく経った頃のことだ。仲間の内、ネット技術に詳しい奴がサークル専用のコミュニティサイトを作ってくれた。それぞれのマイページがあって、皆が書き込める掲示板があって、一対一でメッセージを送る機能もあって。その少し後に流行り出した会員制SNSサイトみたいなものをイメージしてくれれば分かりやすいだろうか?

 とにもかくにも、住む所がバラバラになっても、僕らはそのコミュニティを使って連絡や交流を続けてサークルを維持したんだ。

 でもね、これがいけなかったんだ。一つ屋根の下に暮らさなくなっても繋がり続けた。その結果、何が起きたと思う? 誰も全員の様子を俯瞰することが出来なくなったのをいいことに、裏でまた悪いことを考える人達が出てきてしまったんだ。

 マルチ商法まがいのビジネスを仲間内でこっそり始めた奴がいたよ。

 カルト宗教に傾倒して、お布施集めに躍起になり始めた奴がいたよ。

 本格的に「オレオレ詐欺」に手を染める奴がいたよ。

 ――そして、バラバラに行われていた悪事をひとまとめにして牛耳る奴がいたよ。

 コミュニティサイトを作ってくれた奴が、そうだった。彼の目的ははじめから、悪い仲間達をまとめ上げて犯罪組織めいたものを作り上げることだったんだ。

 彼の名前は田崎太郎という。いつの間にか僕らの仲間に加わっていた、頭の切れる男だったよ。僕らのサークルは知らぬ間に彼に乗っ取られ、僕ら自身も気付かぬ内に悪事の片棒を担がされていた。気付いた時には僕らの手は罪で汚れていて、逃げられなくなっていたんだ。

 彼は、それまで無名だったサークルに、名前を付けた。

 その名は「氷の華」。氷河期世代による社会への復讐と変革を掲げて暗躍する、ただの犯罪者集団さ』

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