第二話「氷の華」
1.連載開始
『安田翔太さんは、一九七七年に神奈川県の裕福な家庭に生まれた。両親は共に医師であり、安田さん本人も医学の道を志していたそうだ。小中学校は地元の公立校へと通い、成績は優秀。人当たりは良く、友人も多かった。
高校は県下でも有数の進学校へと進み、順風満帆の人生を切り出したはずの安田さん。しかし、その身に突然の不幸が降りかかった。両親が揃って事故死したのだ。高速道路で渋滞に巻き込まれた際に、大型トレーラーに追突され、即死だった。
安田さんはその後、親類の家をたらい回しにされたそうだ。どうやら親類には恵まれなかったらしく、安田さんが大学へ進む頃には、両親の遺産はすっかり食いつぶされていたらしい。両親がかけてくれていた学資保険だけが、彼に残されたという。
――安田さんの両親の遺産や土地屋敷は、かなりの額に上ったそうだ。それら全てを複数の親類が着服・横領していたとなれば立派な犯罪だ。本誌は安田さんの親類への取材を試みたが、その多くは既に死去あるいは行方をくらませており、真相は闇の中となった。
どちらにせよ、安田さんは金銭的な余裕のない状況での進学を余儀なくされた。志望していた私立医大は諦め、アルバイトで足りない学費を稼ぎながら、国立の■■大学へと進学したという。
その後、大学在学中や卒業後にも数多の不幸が安田さんを襲うのだが――続きは次回としたい』
シリーズ連載「凍れる世代」第一回の下書きを書き終え、編集長へと送る。
恐らくは沢山の赤を入れられ、更には嘘にならない程度に煽情的な文言が足されて返ってくるはずだ。デスクに編集長その人の姿がないことを確認してから、木下は大きなため息を吐いた。
栗原からの情報で、安田の高校時代の苦境をある程度知ることが出来た。進学した大学も判明した。
実名タイプのSNSで、安田と同期入学の■■大学の卒業生に片っ端からメッセージを送りつけた結果、彼の大学時代の話もぼちぼちと集まっている。最も知りたかった就職先についても、当たりがついてきた。
――しかし、調べれば調べるほど安田の人生は不幸の連続としか言いようがない。旧友として気が滅入る気分だった。
高校時代は、進学校へ通いながらも常に金銭的に苦労していたようで、みっちりとアルバイトをやっていたらしい。親類は何だかんだと理由を付けて、学費以外の金を出そうとしなかったから、食事がままならない時もあったそうだ。
栗原の話では、「安田は昼休みも学食によりつかず教室にも姿がなく、ほぼ毎日図書室で勉強していた」らしい。恐らく、まともに昼食も取れなかったから、そうせざるを得なかったのだろう。級友達に心配をかけたくなかったのか、はたまた恥をさらしたくなかったのか。どちらなのかは、木下には分からないが。
安田にそんな苦労を強いた元凶である親類達の行方が分からないのも、気が滅入る一因だった。木下は法律には詳しくないので時効だなんだはよく分からない。が、長い時間が過ぎ、しかも金を盗まれた本人が死んでいるとなれば、着服・横領をした連中の罪を裁くことが難しいのは分かる。
だから、せめて記事にギリギリ本人を特定出来る程度の情報を載せてやって、あわよくば社会的制裁を……などと考えていたのだが、全て空振りに終わった。
最初に安田を引き取った叔父夫婦は、十年以上前に火災で死んでいた。次に引き取った安田の母親の従兄の家は、商売が立ち行かなくなり一家離散していた。その他の親類も似たり寄ったりだ。事故や病気で死んでいたり、行方が分からなかったり。
――まるで、安田の両親の遺産を使い込んだ罰が当たったかのように。
「ざまぁみろ」ではあるが、あまりにも不幸が続いていて不気味でもある。安田の一族には何か、超自然的な呪いでも掛けられていて不幸が連鎖しているのではないか? 等といった、今時三文小説でも流行らないことを、木下が考えてしまうくらいには。
(まあ、呪いじゃなくとも、本人の力ではどうしようもない流れってやつはあるがな)
視線を横に移す。すぐ近くのデスクでは、副編集長の伊藤が暇そうに頬杖をつきながら、マウスをカチカチといじっている。ゲームをやっているのか、匿名掲示板を漁っているのか。イヤホンをしていないところを見るに、動画を観ている訳では無いようだ。
どちらにせよ、「副編集長」という肩書を持つ人間が業務時間中に見せていい姿ではない。これで木下よりも遥かに多い給料が出ているというのだから腹が立つ。
伊藤はいわゆる「バブル世代」だ。彼らが就職活動をしていた頃は完全な売り手市場で、名だたる大手企業が学生に頭を下げるようにして「就職していただく」という、今では信じられない状況があったそうだ。
OB訪問をすれば回らない寿司をおごってもらい、会社説明会へ行くだけで交通費すらもらえた。内定者は他の会社に行かれないように、研修という名目で国内外の旅行へ連れて行ってもらえることすらあったらしい。
その為なのか、バブル入社組には「世界は自分を中心に回っている」と勘違いしている人間も散見される。自分は大して仕事も出来ないのに後輩には威張り散らし、会社の経費を無駄遣いするのは当たり前。転職もせず同じ職場に居座り続けるので、下の世代はいつまで経っても出世が出来ない。
そんな話を、木下は何度も何度も聞いたことがあった。
伊藤もそんなクチだったらしいことは、普段の様子を見ていれば分かる。編集長からチラリと聞いた話では、「誰もが知る大企業」に長年勤めてはいたが、業績悪化の際に真っ先にリストラされ路頭に迷った経験があるそうだ。仕事もろくに出来なかったので、転職先などあろうはずもなかったのだろう。一時は自暴自棄になり、ギャンブル漬けの生活をしていたとも聞く。
もちろん、バブル世代にもやり手はいる。編集長が良い例だろう。浮かれ気分に呑み込まれず、銀行の財布の紐が緩かったことを利用して起業し、今でも会社を経営している人間も何人も知っている。
逆に言えば、そういった優秀な人間も多くいるからこそ、伊藤のような悪しきバブル世代が悪目立ちするのかもしれない。彼らだって違う時代に生まれていればもっと苦労して、自意識だけが肥大化した今の伊藤のような人間にはならなかったかもしれないのだ。
悪しきバブル世代の人々も、ある意味では犠牲者――本人の力ではどうにもならない大きな流れによって生み出された時代の徒花と言える。
(ま、それはそうとして、もっと仕事してもらいたいけどな。じゃなかったら、お前の分の給料を俺にくれ!)
頭では理解しつつも、木下のように就職で苦労し報われていない氷河期世代から見れば、彼らはヘイトの対象でしかない。そう言えば、就職活動の時の採用面接で、今ならパワハラ・セクハラとされるような下衆な質問を投げかけてきたのは、殆どが伊藤と同じ世代だったな、等と思い出しつつ、木下は仕事に戻った。
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