5.取材開始

『過日、本誌で報じた■■駅での人身事故の続報をお届けしたい。

 亡くなったのは、安田翔太さん。都内在住の、四十歳の男性だった。安田さんが赤の他人の命を救う為に命を落としたことは、既報の通り。

 その後、本誌の独自取材により、ショッキングな事実が判明した。安田さんが亡くなった際の所持金はわずか千円だったという。しかも、関係者の話によれば預金の類もなかったらしいのだ。

 見ず知らずの酔客を助ける為に命を落とした安田さん。その行為は紛れもなく英雄的なものだ。けれども、その英雄は文無しに近い中年男性だった。

 金銭的に困窮していたであろう安田さんが、それでも他人の為に命を懸けられた理由とは一体何だろうか? 今の四十代と言えば、いわゆる「氷河期世代」だ。今の日本で、最も報われていない世代の一つだ。

 安田さんも、そういった報われなかった人々の一人なのだろうか? もし仮にそうだとすれば、報われなかった彼がそれでも他人の為に命を張ることが出来た、その理由は?

 本誌記者Kが取材を進めたところ、安田さんの人生には、とても一言では表せぬ荒波が襲い掛かっていたことが判明した。不幸という言葉では言い尽くせぬ荒波が。

 ――これは、一人の氷河期世代が時代の波に揉まれながらも、人間としての尊厳を捨てなかった、その真実に迫るシリーズ連載。

 その名も「凍れる世代」。近日連載開始』


「ええと……」

 編集長から送られてきた、本人曰く「世紀の名文」を読み終え、木下は自席で戸惑いの表情を浮かべていた。

「なんだ、不満か? 木下」

 すぐ傍にデスクを構える編集長が、その木下の表情に目ざとく気付いた。本人はただ確認しているだけなのだろうが、パンチパーマの強面なので、言われた木下からしてみれば、凄まれているようにしか感じない。

「いえ! よく書けていると思います! でも、ですね。まだろくに取材も進んでいないのに、『とても一言では表せぬ荒波が~』とか吹いちゃっていいんですかね」

「ば~か、いつも言っているだろう。こういうのは、ハッタリが大切なんだよ」

「そういうものですかねぇ……」

 ――安田の葬儀から既に数日が経っていた。

 金野と別れた後、木下は彼女からの「依頼」を実現すべく、編集長に安田の事故の続報記事についての企画書を送っていた。

 氷河期世代、若い頃に両親が死亡、親戚からの手酷い扱い、苦学……。安田の不幸な人生は、実にエルゴ・ニュースの読者向きだ。ゴシップ好きは、同時に他人の不幸や悲劇が大好物であることが多いのだ。

 だから、まずこの企画は通るだろうと木下は考えていたのだが、まさかシリーズ連載等という仰々しい看板を付けられるとは、思ってもみなかった。

「正直な、最近のウチの記事はどれも食傷気味なんだよ。芸能人のゴシップも、ここ数年はすぐに訴訟をちらつかせてきてやりにくいし、ネット炎上も匿名掲示板やSNSの連中の方が拡散力が高くて、わざわざウチの記事を読む奴も減ってきた。ここいらで、ちょいと変わり種というか、ジャーナリズムの基本に立ち返りたい訳だよ」

「はぁ……」

「なんだ、その気の抜けた返事は。お前、仮にも昔はマスコミ志望だったんだろぉ? なら、たまには足で稼いだ取材内容で、面白れぇ記事を書いて見てぇとは思わねぇのか?」

 一体どういう風の吹き回しなのか、編集長は本気のようだった。彼が一度こうと決めたら、もう木下が何を言っても無駄だった。

 編集長の堤下は、木下の大学時代の先輩だ。と言っても、同じ時期に大学に通っていたことはない。木下が所属していたテニスサークル――という名の飲み会サークルのOBだったのだ。

 歳は木下よりも一回りほど上。いわゆるバブル世代だが、そう呼ばれるのはあまり好きではないらしい。曰く、「あんな浮かれポンチ共と一緒にするな」だそうだ。

 木下が在学中に、サークルの飲み会によく出没し、何故だか木下のことを気に入ってくれていた。木下が大学を出てからしばらくの間は会うこともなかったのだが、木下が三十歳を過ぎて何年かした頃に偶然に再会。派遣社員の身に甘んじていることを明かすと、立ち上げたばかりの「エルゴ・ニュース」社に誘ってくれた。木下にとっては大恩人と言える。

 それだけに、頭が上がらないのだ。

「分かりました。やるだけやってみますよ」

「よぉし、その意気だ! ちゃんと必要経費は出すから安心しろ」

 「必要経費と言っても、どうせ交通費くらいしか出ないんでしょう」という言葉を必死に呑み込み、代わりに「ありがとうございます!」と威勢の良い返事をする。賢明な木下は、雇用主に皮肉を言うような失策はしないのだ。

(まあ、どのみち金野からは「俺」への依頼もあったからな。安田のことは調べなきゃいかん)

 金野からは、記者Kへの伝言だけでなく、木下個人に対して「最近の安田を知っている人間がいないか」を調べるよう依頼されている。どちらにせよ、取材というか調査というか、そういったことをやらなければならないのだ。会社の業務として動けるという大義名分を得ただけでも、御の字だった。

 ――だが。

「え~? 編集長、木下が取材に出ちゃったら、俺の仕事が増えるじゃないですか」

 大胆にも、編集長の決定に異を唱える者がいた。木下のすぐ隣の席に陣取る、副編集長の伊藤だった。

「なんだ。伊藤は俺の決定に不満か?」

「いやいやいや、編集長の決定に異を唱えるなんて、大それたことは言いませんよ。でも、俺の仕事量増えちゃうな~って」

 「思い切り異を唱えてるじゃないか」という言葉が喉まで出かかったが、木下はなんとかそれを呑みこんだ。

 伊藤は「副編集長」という肩書ではあるが、特にそれらしい仕事はしていない。それどころか、仕事自体をまともにしていない。「俺の仕事が増える」等と言っているが、木下の不在時にその穴を埋めるのは、恐らく他の社員や外注の編集者であって伊藤ではない。

 伊藤は編集長の一歳下。既に五十路だが、ファッションセンスが二十代で止まっている若作りの男だ。態度と肩書は立派だが、その実態はただの社内ニートだ。業務時間の大半は、ネットを見るかパソコンに初めから入っているゲームで暇を潰すかしている。

 木下も詳しいことは知らないが、「エルゴ・ニュース」社の出資者の親類で、百パーセントコネで入社して来たらしい。編集長としてもやや持て余している部分がある。が、編集長は言いたいことはハッキリ言うし、伊藤も編集長にそこまで強く出れる訳では無い。微妙な力関係であるようだ。

「分かった分かった。お前の仕事が増えないようにする。その代わり、お前は木下の仕事には口を出すな。編集長命令だ」

「そういうことなら、まあ」

 へらへらと愛想笑いしながら編集長の申し出を了承する副編集長。どうやら編集長と交渉して何かを勝ち取った、と思っているようだが、傍から見れば伊藤の言葉で編集長が何かを譲歩した訳ではないことは丸わかりだ。

(まあ、いつものことか)

 何度目か分からぬ諦観を抱きながら、木下は自分のパソコンに向き直った。伊藤の相手をしている時間がもったいなかった。早速動き始めなければならない。

 とはいえ、一体何から手を付ければいいのか、途方に暮れてしまう気持ちもある。木下にも少ないながらも取材経験はある。だが、それは既に明るみになっている事件や事象の裏取りが主なものだ。幼馴染の金野ですら知らなかった、安田の十数年の足跡など、一体どう調べればいいのやら。

 ――一瞬、田奈の顔が浮かんだが、慌ててそれを打ち消す。きっと法外な報酬を要求されるだろうし、何より彼のことは一切信用出来なかった。

(仕方ない。正攻法で行くか)

 考えていても仕方ない。木下は思いつく限りの方法を、試していくことにした。

 まずはSNSを当たる。あの手の事件が起きた場合、SNSには真偽不明の「被害者の関係者」が大量に現れる。「学生時代の同級生」「職場の元同僚」「友人・知人」等など。

 木下の肌感覚では、多くは耳目を集めたいだけの虚偽であることが多い。が、中には実際の関係者が混じっていることもある。

 砂浜に落ちた針を見付け出すような地道に作業にはなってしまうが、あからさまな偽物アカウントを除外しつつ、その一つ一つにコンタクトを取っていく。

 返事の有無はまちまちだ。多くは無視される。返事があっても、いきなり金銭を要求してくる輩もいる。饒舌に尤もらしいことを教えてくれるが、裏取りすると全くのデタラメだった、なんてこともある。根気強く続けていく必要があった。

 次に、中学時代の同級生を当たってみた。金野の話によれば、多くは連絡が付かなかったという。だがそれは、中学時代の名簿に書かれた電話番号が通じなかった、という意味らしい。

 そこで木下は、郵便で手紙を送ることにした。転居していても、転送サービスに申し込んでいれば一年間は郵便物を転居先へ転送してもらえる。可能性は低いが、もしかしたら届くかもしれない。

 また、近年ではIP電話への切り替えで電話番号が変わっている家も少ない。案外、電話が通じなくとも住所は昔と変わっていない可能性もあった。

 もう一つ当てがある。安田が進学した高校への問い合わせだ。二十年以上前の卒業生について答えてもらえるのか、そもそも個人情報を簡単に教えてくれるのかという疑問はあるが、当たって砕けろだった。

 安田の出身高校から情報が引き出せれば、彼のその後の進学先についても知ることが出来るはずだ。あわよくば、高校時代の同級生にも繋ぐことが出来るかもしれない。

 ――そこからの数日間は、胃の痛くなる毎日だった。

 SNS上の情報に当たりは一つもなかった。その殆どが虚偽か、あるいは同姓同名・同年代の別人物と勘違いしたものだった。全くの徒労だった。

 安田の出身高校からは、「取材拒否」の一言だけが返ってきた。安田の在学時代を知る人間は校内に残っておらず、また個人情報を明かすことは出来ないというのが、その理由だった。

 安田と進学先が同じだった同級生や、仲の良かった人々の実家住所宛に送った手紙は、その殆どが「宛て所不明」で返送されてきた。

 そして同じ頃、金野から連絡があった。安田が住んでいたアパートを引き払って、その遺品を受け取ったのだという。だが、そちらにも最近の安田の生活を知るヒントは何も残されていなかったらしい。

 唯一、警察からの情報で、安田が最後に働いていたバイト先は判明した。だが、履歴書不要の登録バイトだったらしく、住所と氏名、連絡先程度の情報しか残されていなかったそうだ。

 安田へと繋がる糸は、全て途切れてしまった。

「くっそー、手詰まりか」

 最後の頼みとばかりに警察関係も当たってみたが、見事に空振り。木下は肩を落としながらオフィスへと舞い戻った。

 雲の立ち込める灰色の空は重苦しくのしかかり、まるで木下の心境を映しているかのようだ。おまけにやたらと寒い。猛烈な寒波が日本列島付近に流れ込み、記録的な降雪に見舞われている地域もあるという。木下は逃げるようにエルゴ・ニュース社の入居するビルへと駆け込んだ。

 ■■駅から徒歩圏内にある、十階建てのオフィスビルだ。エントランスは一つで、昼間は警備員が立っている。深夜になると鍵が締まり、セキュリティカードを持っている人間しか出入りが出来なくなる。

 ワンフロアに一つないし二社ほどが入居し、階段やエレベーターで昇った先にも、各社ごとに設置されたセキュリティドアが鎮座している。ビルの規定でパスワード方式は禁止されており、その全てがビル自体の物とは異なる、各社ごとに固有のセキュリティカード方式のロックが採用されている。言わば二重の防壁だ。

 エルゴ・ニュース社はその業務の性質上、他人の恨みを買いやすい。だから、中規模とは言えセキュリティが厳しいビルをわざわざ選んで入居していた。

 深夜の残業中にうっかりエントランス用のセキュリティカードを忘れると、再入場に豪い難儀する……等という煩わしさもあるにはあるが、身の安全にはかえられない。

 オフィスへ戻ると、数人の同僚が難しい顔をしながらSNSや匿名掲示板とにらめっこしている姿が目に入った。いつもの光景だ。彼らはああやって、ネット上で今まさに「ホットな」話題が生まれていないか、監視しているのだ。決して遊んでいる訳では無い。

 その一方――。

「木下、戻りました」

「あいあい~」

 副編集長の伊藤は、気のない返事をしながらだらしない恰好でカチカチと忙しなくマウスをクリックしている。仕事をしているのではない。恐らく日課である、パソコンに最初から入ってるトランプをモチーフにしたゲームに勤しんでいるのだ。いつもの光景だ。

 やれやれと心の中で呆れながら、自分のデスクに戻る。すると、デスクの上に見慣れぬ封筒が二通、置かれていた。木下宛の手紙らしい。長形3号の白封筒と茶封筒が一通ずつだった。

(俺宛に手紙……まさか!)

 期待に胸を膨らませながら、封筒を裏返す。茶封筒の方には差出人の名前が無い。が、白封筒の方には――あった。木下達の中学の同級生で、安田と同じ高校へ進学した栗原という男からの手紙だった。

 やや乱暴に封を開け、中身を検める。数枚の便せんに、知性と理性を感じさせる達筆が連なっていた。その文面を要約すると、概ね次のような内容だった。

 安田の死を知らなかったこと。知らせてくれて感謝していること。自らの近況などが綴られた後、安田について、栗原の知る限りの情報が羅列されていた。高校時代の彼の生活ぶりや、最も知りたかった進学先も書いてあった。

「よしっ! これで次に進めるぞ」

 オフィスの中だというのに、思わず大きな独り言がこぼれてしまう。伊藤が不満そうに咳ばらいをしたようだったが、木下は気にも留めなかった。

 暗中模索が続いた安田の足跡の調査だったが、ここでようやく光が見えてきた。もちろん、進学先の大学や学部が分かったところで、次の情報に直接的に繋がる訳ではない。だが、辿れる糸があるだけマシなのだ。少なくとも、可能性がゼロではなくなったのだから。

(おっと、もう一通あったっけか)

 栗原からの情報を整理しようとパソコンの電源を立ち上げてから、木下はようやくもう一通の茶封筒の存在を思い出した。

 改めて手に取ってみると、茶封筒の方はやけに薄っぺらかった。ちょうど、三つ折りしたA4用紙が一枚だけ入っているくらいの感触だ。

 こちらはあまり期待せずに封を破る。中身はやはり、三つ折りされたA4用紙のようだ。「さて、一体どこの誰からの手紙なのか?」と片手間に用紙を開き――木下は絶句した。

『安田のことを これ以上 調べるな 後悔 するぞ』

 ただそれだけ。ただそれだけの文言が、用紙の中央に大きく印字されていた。差出人の名前などはない。封筒の中身も確認したが、他には何も入っていなかった。

 シンプルだが、それだけに意味は伝わる。これはいわゆる警告、いや脅迫文だ。

(しかし、一体誰が……?)

 心当たりは全くない。状況から考えて、木下が手紙を送りつけた元同級生の誰かである可能性が高そうだが、こんなものを送りつけられる心当たりがない。

 他に、木下が安田のことを調べているのを知っていて、かつ職場がエルゴ・ニュース社であることを知っている者は限られている。それこそ、金野くらいのものだが、彼女は木下に調査を依頼した張本人だ。こんなことをする理由は皆無だろう。

 木下に対する嫌がらせやイタズラという線もあるかもしれないが、何十年も顔を合わせていない元同級生に手紙を送りつけただけでそんな仕打ちを受けるとも、考えにくい。

 理由が見えない。ただただ、不気味だった。

(そもそも、「後悔するぞ」ってなんだよ? むしろその理由を教えて欲しいくらいだよ、こっちは!)

 気味の悪さが不快感に、そして怒りに変わるまで、それほど時間は必要なかった。

 木下は茶封筒の手紙をイタズラだと判断すると、乱暴にデスク脇の袖机に放り込んだ。捨ててもいいが、また同様の手紙が来た場合は悪質だと判断して、然るべき筋に通報することも考えておいた方が良い。怒っていても、木下はその辺りについては冷静だった。

(こんな怪文書にかまってる暇があったら、栗原からの情報を精査した方が生産的だ)

 木下はそう割り切ると、茶封筒のことは忘れ、パソコンと向き合った。


 ――後に、その判断を深く後悔することになるとは知らずに。

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