2.連載二回目

『■■大学へと進学した安田さんの生活は、まさに苦学生のそれだったそうだ。日中は勉学に励み、日が暮れてからは幾つかのバイトを掛け持ちし、法律で許されたギリギリの時間まで働き続けた。

 苦労の連続だったそうだが、同じ大学へ進学した高校時代の同級生によれば、金の亡者の如き親類の元から逃げ出し一人暮らしを始めたことで、むしろその表情は明るいものになっていたらしい。

 安田さんは大学でも成績優秀で、担当教授の覚えもめでたかった。折しも、老舗証券会社や大手小売りなどの大型倒産が相次ぎ、大学生の就職がますます厳しくなっていた時代。当初は就職を考えていた安田さんだったが、教授の勧めもあり、大学院へと進むことになった。金銭的には決して楽な道ではなかったが、その頃の安田さんには学者や研究職への憧れが芽生えており、苦にはならなかったそうだ。

 ――けれども、この判断は結果として誤りだった。

 安田さんが博士課程へ進むことを考え始めた頃、担当教授にこう言われたのだという。「実家の援助がない君では、博士課程を終えてもその後の道筋がつかないだろう」と。

 二〇一八年現在でも、博士課程を修了した多くの人が、ポストドクターと呼ばれる任期付きの研究員の身分に甘んじ、正規の研究職に就けない問題がある。安田さんの場合も、博士課程を終えたとしてもその後の就職先が見付からないだろうと、教授にはっきりと言われてしまったのだ。

 期限付きや安月給、あるいはほぼ無給の研究職を続けながら、任期の定めのない職に空きが出るのを待つ。そんな生き方が出来るのは、実家からの援助がある人間くらいのものだ、と。

 安田さんは「ならば仕方ない」と頭を切り替えて就職へと舵を切った。が、その当時の就職状況は安田さんが四年制大学を卒業した頃と比べても、殆ど好転していなかった。新卒かつ院卒の枠を用意していた企業も数多あったが、就職を求める院卒の学生もまた多く、安田さんの就職活動は熾烈を極めたという。

 国公立大の院卒と聞けば一部の方は「当時の就職はむしろ有利だったのではないか?」と疑問に思うことだろう。本誌記者Kも当初は同意見だった。にもかかわらず、結果は芳しくなかったという。

 ――これは邪推だが、安田さんの両親が鬼籍に入っていることや、一部の親類が破産していることなども、安田さんの就職を難しくした一因だったのかもしれない。一部の企業には、就職希望者の家庭環境などを重視する所も少なからずあり、身上調査も頻繁に行われていたと聞く。企業側としても、採用で失敗したくなかったのだ。

 とにもかくにも、安田さんは大企業には軒並み縁がなく、最終的に渋谷に本社を構える中堅のソフトウェア開発会社へと就職を決めた。当時、IT関連会社には勢いがあり、安田さんも可能性を感じていたそうだ――が、これもまた、彼の苦難の始まりでしかなかった(続く』


「……いつも思うんだが、お前の文章には外連味が足りねぇなぁ」

「外連味、ですか?」

 連載第二回の初稿を眺めながら、編集長が木下に駄目出しをしていた。前回かなりの部分に赤を入れられたが、今回も大幅に書き直すことになりそうだった。

 とは言え、内容自体に手は入れられていない。言葉選びだとか見せ方だとか、そういった部分のみを直すように言われていた。

「ま、嘘っぱちを書くわけにもいかねぇからな。それにな、流石に同い年だけあって、氷河期世代の悲哀? 的なものが滲み出てるって評判だぜ、お前の文章」

「はぁ」

 「一体どこの誰からの評判なのだろうか?」という疑問が浮かんだが、話が長くなりそうなので木下は口をつぐむことにした。

 ――尤も、記事の評判が良いというのは事実なようだった。ページビューはそこまで奮わないが、SNSでは地味に共有され続け、おおむね好評を得ていることを木下自身も確認している。

 見ず知らずの他人を救って命を落とした氷河期世代の男。彼の所持金はわずか千円で預金も無かった。そんな、約束された不幸な結末に至る過程を知りたくて、少なくない読者が記事にアクセスしている。民衆は他人の不幸が大好物なのだ。

「ま、この安田って奴ぁ、不幸で苦労もしてるが、まだ順調な方ではあるわな。この段階では、だが。この後なんだろ? 奴さんが本格的に人生狂っちまうのは」

「……この段階でも十分に不幸だと思いますけどね」

 ――そう。安田はこの時まではまだ、なんとか人生の表街道を歩いていたのだ。

 両親の突然の死に見舞われても、親類に遺産を食いつぶされても、研究職への道を断たれても、彼は拗ねることなく、自らの努力で道を切り開いてきた。

 多くの同世代が進学そのものを諦めたり、まともな就職が出来なかったり、自棄になって人生そのものを放棄してしまった中でも、安田は負けなかった。木下などから見れば、十分に眩しいと言える生き方だ。

 もし木下が安田と同じ境遇に陥ったら、あっさりと自らの命を断っていたかもしれない。尊敬に値すると言っていい。

 けれども、安田のその頑張りが報われることはなかった。

 安田が就職したソフトウェア開発会社は、従業員数十人の小さな職場だった。大手開発会社の下請けの――また更に下請けの下請け。ひ孫請けくらいだったと、当時の従業員は語っている。

 給料は安く残業代もまともに出ない。それでいて終電や休日出勤は当たり前。つまりは今で言う「ブラック企業」というやつだ。

 しかしながら、まだ当時は「新人は朝一番に出社しデスクを拭き掃除する」だとか、「残業は当たり前」だとか、「どんなに忙しくても上司の飲み会の誘いは断るな」だとか、一部で昭和のノリが残っている時代だった。真面目な安田は「そういうものなのか」とそれを受け入れてしまい、入社一年目にして過重労働とパワハラに肩まで浸かった生活を送ることになったそうだ。

 ――当時のIT業界は惨憺たる有様だった。安田が就職する二年ほど前まで、日本は俗に「ITバブル」と呼ばれる刹那の好景気に沸いていた。「IT革命」等といった言葉が流行語となり、沢山の新興IT企業が生まれた。

 しかし、その多くは実態を持たぬ虚業であり、殆どは投資やM&A、更には詐欺まがいの商法で成り上がりを目論む山師的企業が多く、やがてバブルは弾けた。多くの企業が消え、あるいは吸収合併され淘汰が進んだ。

 更にその翌年、アメリカ合衆国で同時多発テロが発生し、世界に不況の波が押し寄せた。日本経済全体も更なるダメージを被った。

 安田が就職したのはその翌年、日本のIT業界が二重のショックを受けて右往左往していた頃だった。新卒全体の就職率だけ見ても最低水準にあった。未曽有の不景気・就職難の嵐が吹き荒れていたのだ。

 そんな中で、安田は正社員という身分を勝ち取った。今の価値観で見ればブラック企業に搾取される「社畜」というレッテルを貼られてしまうだろうが、当時の状況を考えれば、安田はまだ「勝ち組」に近かった。

 だが、安田がようやく勝ち取った社会人としての身分は、不景気の嵐の中でいとも簡単にかき消されてしまった。会社が、倒産したのだ。

 発端は、安田の勤めていた会社の元請けに当たる中堅企業が、ある新興のIT関連会社に買収されたことだった。IT関連会社と言っても自社での開発は殆どやっていない。ITバブル崩壊に乗じて、様々な企業や権利を安く買い叩き、あるいは高く売りつけ、成り上がってきた会社だ。

 彼らのあり方は実質的には投資ファンドのそれだ。安く買った企業や権利の値打ちが吊り上がるように様々に手を尽くし、機を見て売りさばき利益を上げる。場合によっては企業価値を高めてくれて、より資金力のある会社に売ってくれる救世主とも言えるが――売買ゲームの標的となった企業の多くは悲惨な末路を辿ることが多かった。

 そういった買収を受けた企業がまず迫られるのは、徹底的なコストカットだ。

 不採算部門の整理、それに伴う従業員のリストラ。そして、下請け企業との関係の見直し。そういった施策により、短期的に業績が改善したかのように見せかけるのだ。

 安田が巻き込まれたのも、これに似た買収劇だったようだ。下請け企業はあっさりと今季での契約終了を告げられた。海外の、もっと単価の安い下請けに切り替える、というのがその理由だったそうだ。

 今までの下請け企業への発注が無くなれば、当然のことながら孫請け・ひ孫請け企業への発注も消滅する。そして、ひ孫請けレベルの中小企業ならば、殆どの発注を一社のみから受けているような会社も少なくなく――安田の会社がまさにそれだった。

 安田の勤めていた会社は、あっさりと消滅した。後に残されたのは、国の制度によって一部だけ補償された未払い分の給料と僅かな手当のみ。

 入社一年目にして、安田は失業者となってしまったのだ。

 当然、安田は再就職の為に奔走した。だが、日本は新卒偏重社会だ。中途採用の門戸はあまりにも狭い。おまけに安田は社会人経験一年未満だ。そんな人間を都合よく採用してくれる奇特な企業と巡り合うことは、残念ながら出来なかったらしい。

 そして、ここで安田の消息はぷっつりと途切れる。当初は大学時代の友人や潰れた会社の仲間達と連絡を取り合っていたらしいのだが、数か月後に連絡が途絶えてしまったそうだ。

 そこからの約十六年間、安田は一体何をしていたのだろうか? 学生時代の友人にも元同僚にも連絡を取らず、一体何を。

 木下はその手掛かりを知る唯一の人物と、この日の夜に会う予定だった。安田の勤めていた会社の先輩だった、大中原という男だ。安田の知己に片っ端から連絡を取っていたところ、大中原がそれを聞きおよび、彼の方から連絡をくれたのだ。

 渋谷駅近くのカフェで、夜の八時に会う約束をしていた。果たして、どんな話が聞けるのやら――。


   ***


 冬だというのに、夜の渋谷駅前は相変わらずの混雑ぶりだった。全体的に若者が多いが、中年も老人も外国人もいる。夜の七時を回っているにもかかわらず、明らかに小中学生と思しき連中の姿さえある。

 活気があると言えば聞こえはいいが、木下にはそれが猥雑さにしか感じられない。だから、彼は渋谷の街があまり好きではなかった。

 木下がもう少し若い時分には、渋谷の街を歩いているだけで宗教勧誘を受けるわ、キャッチセールスに呼び止められるわ、「チーマー」と呼ばれた不良集団に因縁を付けられるわ、元の顔が分からない程に化粧の濃い女子高生に売春を持ちかけられるわと、ろくな思い出が無かった。

 「普通に歩いてるだけだったら、そんなことにはならないぞ」と友人達には言われたが、どうも木下は、トラブルが向こうから押しかけてくるような星のもとに生まれたらしい。もしくは、そういった人種を引き付けるような顔をしているのか。

 とにもかくにも、木下は渋谷の街を長く歩く気にはなれず、足早に目的のカフェへと向かった。

 「カフェ・シャルルマーニュ」、チェーン店ながらも古式ゆかしい喫茶店を意識した、落ち着いた内装で統一されたカフェだ。コーヒーも軽食も手ごろな値段な割に、会社全体の方針なのか、長居しても店員が嫌な顔をしてこない。

 その為、学生の勉強や商談スペース、果ては宗教勧誘にまで手広く利用されている。前者二つはともかく、後者については全く褒められたものではないのだが――。

 店員に待ち合わせであることを伝え大中原の名前を出すと、「予約席」という札が置かれた席まで案内された。適度にパーテーションと観葉植物が配置されている為、他の席からは見えにくくなっている席だ。

 まだ、大中原の姿はない。時刻は八時まで十分前といったところ。少し早く来過ぎたのかもしれない。木下はブレンドコーヒーを注文し、一人啜り始めた。

 ――だが、十分経っても、ニ十分経っても、大中原は姿を現さなかった。メールなどで連絡もない。

(何か、トラブルでもあったのか? それとも……)

 流石の木下も、少し不安になってくる。ただのキャンセルならば仕方ないと諦められる。だが、木下は正体不明の胸騒ぎを覚えていた。なにか、彼の直感のようなものが、トラブルを予感させたのだ。

「何をバカな。……考え過ぎだな」

 自分に言い聞かせるように口に出して呟き、そっと席を立つ。帰るのではない。少し落ち着く為に、化粧室へ行こうと思ったのだ。コーヒーをすっかり飲みきったせいか、僅かながら催してもいる。念の為、椅子の背にかけていた安物のコートを脇に抱え、木下は化粧室へと向かった。

 そのまま、ゆっくりと用を足すと、洗面台で乱雑に顔を洗い、櫛でしっかりと髪を整え直す。鏡にはくたびれた中年男が映っている。取材に出るようになってからは、きっちりとスーツを着るようにしているが、取ってつけた感が満載であり全く着こなせていない。酔っぱらって終電間際のホームでへべれけになっているサラリーマンの方が、木下よりも遥かにスーツを着こなしていることだろう。

 化粧室を出て席へと戻る。だが、大中原の姿はまだなかった。どうやら本格的にすっぽかされたか、何かトラブルがあったかしたのだろう。

 時刻は既に九時近い。念の為、店員に言伝だけ頼んで帰ってしまおう。――そう考えた時だった。テーブルの上に、先程までは無かったものが鎮座していることに気付いた。

 紙ナプキンのホルダーの下。そこに、一通の茶封筒が挟まっていたのだ。化粧室へ行く前は、確かに無かったものだ。

「いつの間に……?」

 我知らず呟きながら椅子に座り、茶封筒を手に取る。封はされておらず、僅かに口が空いている。一応の警戒をしながら中を検めると、そこには三つ折りにされたコピー用紙らしきものが収まっていた。

 ――既視感が木下を襲う。

 そのまま、コピー用紙を引っ張り出し、開く。そこには――。

『警告はしたぞ 一度目までなら見逃す これ以上探るな』

 先日、オフィスに届いていたものによく似た「警告文」が書かれていた。

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