第168話 【鬼の双璧編 弐】破断

 茨木童子は黎明れいめいの鬼である。

 いわば、茨木こそが鬼の歴史と言ってもいい。


 一方で、そんな茨木と対を成す存在である酒呑童子はそのが異常だった。


 元の姿は外道丸という人間。

 しかし、外道丸はいわくの絶えない少年。


 母の胎内で16ヶ月を過ごし、産まれながらにして歯と髪が生え揃っていて、4歳で成人並みの身体と知性を持ち合わせていたなど、いずれも人外と言われても仕方のない噂にまみれていた。


 そんな曰くの中でも最も妖しげな逸話。それは外道丸が、かの大妖怪「ヤマタノオロチ」の子であるという話に違いなかった。


 それだけの潜在能力ポテンシャルを持った素材が鬼化した。それが現三大妖怪が一体、酒呑童子。



 そんな鬼の歴史上、類を見ない凶悪な個体と化した酒呑童子は次々と鬼を生み出していく。


 絶対的な強権支配を断行し、暴力が暴力を支配する世界を作り上げたのだ。


 だが、その中にあって唯一の異質が茨木童子。いや、酒呑童子と真逆の性質を持つ茨木童子、二人の存在があったからこそ、鬼の世界は均衡を保てていたといえる。


 二人は共依存関係に違いなかった。茨木は妹のすいが殺された酒呑の無念を晴らすために鬼化をさせ、酒呑は人間を殲滅することこそが茨木の願いだと信じて、共に茨の道を歩んできた。


 しかし……


 茨木の中から人間を滅ぼすという選択は消滅していた。

 その理由は、過去の記憶を取り戻したからに他ならない。


 自身が敬愛したアマテラス、そしてスサノオという神。

 その二柱ふたばしらが人に転生しているという事実。


 その事実の前では、人を滅ぼすことなど、もはやありえなかったのだ。


 それはつまり、彼らと敵対することを意味するのだから。


 かつてスサノオが口にした、「いつか神と妖、それに人も一緒に手を取って暮らせる世の中になれば――」という思い。


 茨木は胸の内で決意する。

 今こそ、その願いを叶える時だ、と。





「茨木。俺はなぁ、お前にだけは裏切られたくないんだよ。俺を鬼にしてくれたあの日、共に誓っただろう。俺たちで人間に復讐を果たす、と」


 茨木の目の前であぐらをかいている酒呑童子が居住まいを正して両拳を膝の上に立て、真剣な面持ちで語り掛けてくる。


 茨木は息を呑む。酒呑の言葉はまさしくその通りだったからだ。

 この男はあたしの言葉を信じてここまでやってきた。

 だけど――



「すまないね。どうにも最近忘れっぽくなっちまってねぇ。あたしはそんなことを言ったのかい?」


「――茨木ぃ。あくまでも俺の反目はんもくに回ろうというのか?」


「……もういいじゃないか。お前さんは十分に人を殺し、そのはらわたを喰らい尽くしただろう」


「十分……だとぉ?」


 酒呑童子の真っ黒な闇の双眸が瘴気を取り込んでいく。そのまなこはあまりにも悲しく、そして憎悪に満ちていた。


 しかし茨木は目を背けない。互いに見合ったまま茨木は内なる思いを口にする。



「あぁそうだ。大体、あの子が、すいが人間を滅ぼすことを望んでいるなんて本気で思っているのかい? 自分のせいで人が滅んだなんてあの子が知ったら、一体どんな顔をするんだろうねぇ」


 茨木は酒呑の心のきわを突くような言葉を投げかける。


 酒呑は何も言わず、怒りをかみ殺して肩を小刻みに揺らしていた。その様子を視界に収めた茨木は、なおも踏み込んでいく。ギルたちによる無血開城を後押しするために。



「……なぁ酒呑よ。もう矛を収めよう。復讐はもう十分に果たしたはずだろ。翠を手にかけた藤原西光ふじわらさいこうは生きたまま獣の餌となり、貴族の娘も片っ端から攫って殺し、人間社会を恐怖の底に沈めたではないか。人間が悪なのではなく、悪意のある一部の人間が悪だってことはわかっているだろう。お前さんは妹思いの良い兄だ。だからもう――」


 茨木の言葉を最後まで聞くことなく、酒呑は立ち上がると同時に茨木の喉元から顔の顎先を荒々しく片手で掴みあげた。ミシミシと頭蓋ずがいが軋む音が茨木の脳に直接届き、思わず呻き声をあげる。



「ぐぅ……な、なにを……」


 酒呑は一度手を離すと、その手を握りしめ、茨木の顔に拳を振り下ろす。魔縄で吊らされて身動きの取れない茨木は避けることすら叶わず、まともに喰らうと、サンドバックのようにギシと天井を揺らした。



「ぐ、ふっ……」


 茨木の口元から鮮血がしたたり落ちる。最近はけん制し合っていた仲ではあるが、直接手を挙げられたことなど一度たりともなかったのだ。


 その事実は茨木の中に拳よりも強い衝撃を走らせていた。



「残念だ。本当に……な。まさかお前と敵対する日が来ようとは」


「ペッ……身動きの取れないあたしを殴って気が済んだかい?」


 口内の血を床に吐き出すと茨木はさらに強い視線を向けた。再び二人の視線が激しく交錯。茨木は意を決すると、臨戦態勢にスイッチ。腹の底から声を張り上げた。



「憧術、悠久の刻スカーレットッ!!」


 茨木渾身の憧術。それは、動きを止めて意識を操る秘術。射るような視線が酒呑の双眸に直撃すると、その巨体はガックンと大きく波を打つ。



 が、酒呑は踏みとどまる。暗澹あんたんの闇を抱えた双眸は茨木の緋色の憧術を吸収すると、間もなくして瞳の中から消し去った。


〈憧術キャンセル〉。それは禁呪と言える呪いの秘術が酒呑の体内に宿っていた証に他ならない。


 ――のは酒呑童子の方であったのだ。



「な、んだと……。酒呑、お前、まさか、鬼ノ秘薬を……超強化アルマゲドンを口にしたのか!?」


「さすがにわかるか。あぁ、完成したばかりの一品だ。思ったよりも悪くない。おかげでこうして、お前の術も破ることができたしなぁ」


「バカな! お前……取り返しのつかない代償を払うことになるぞ」


「関係ねぇな。俺は今宵、全てに決着をつける。――なぁ茨木、お前だけは信じていたのにぃ……」


 茨木の目の前で……酒呑童子の自我が……音を立てて崩れていく。



「信じていた者に裏切られたと悟った時の俺の苦しみが、貴様に分かるのかァァァァぁァァァァぁァァァァ!!!」


 酒呑は狂気に己をゆだねると目を血走らせ、太い両手で茨木の右の角を掴んだ。そのまま力任せに真っ白に輝くその角を折りにかかる。


 その腕にはおびただしいまでの血管が表面に浮き出ており、鬼ノ秘薬である超強化アルマゲドンによって太さも倍化。角を真っ二つに折らんと、ミシミシと音を鳴らし、茨木を絶望の淵へと追い込んでいく。



「や、やめろぉぉぉぉッ!! ぐ、ぅぅ、た、助けて……助けてぇぇぇ、スサノオぉぉぉぉぉッ!!!」


「ぐうぉぉぉらぁァァァァぁッッッ!!!」


【バキン】と鈍い音が牢の中に響き、それまでに怒声にまみれていた空間が嘘のように静まり返る。


 鬼の角。それは鬼の能力を司る力の根源。

 折られたらそれまで。再生は不可能。


 そして、角を失ったことにより、茨木の能力ステータスは大幅にダウン。この瞬間、茨木は一般の鬼以下の存在。つまり、酒呑童子からしてみれば無価値ゴミとなったのであった。


 戦線復帰は絶望的。

 奇跡でも起こらない限りは。



「あああぁ……」


 茨木は絶望にまみれ、滂沱ぼうだの涙を流した。自身の頭に数百年の間存在していた鬼の象徴。床に力なく転がっている白い角を、歪んだ視界の中に捉えていた。



「これが裏切りの代償だ。貴様はもう雑魚同然。ヤツらに肩入れしたければ勝手にするがいい」


「お前だ……先に裏切ったのはお前じゃないかぁ!! うわぁぁ、ぐあああ、あああああぁぁぁぁッ!!!!」


 茨木は闇夜を切り裂く声を張り上げ、狂ったように暴れ回る。しかし、暴れるほど魔縄が手首に深く食い込み、天井が微かに揺れるだけ。



 鬼の双璧と呼ばれた酒呑当時と茨木童子。

 この時を持ってたもとを分かつ。


 酒呑は茨木の狂乱の様子に満足を覚えると、何も言わずに牢を後にした。


 茨木の慟哭が魔城の地下に響いて止まない。

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