第167話 【鬼の双璧編 壱】酒呑童子と茨木童子

 魔城の天守閣。


 謁見の間の玉座に座るは酒呑童子しゅてんどうじ

 足を組み、ひじ掛けに置いた腕に頬杖をついて、その報告を聞いていた。



「長らくお待たせしておりましたが、ついに完成の刻を迎えることができました。こちらがご所望の品、鬼ノ秘薬が一つ〈鬼魂奇應丸きこんきおうがん〉にございます」


 酒呑は従者から差し出された霧の箱を開けると、中に入っていた紫色の一センチほどの丸薬をつまみ、間近でめ回す。



「ほぅ、よくできているようだ。も注文通り……なのだな。これが噂にたがわぬその効果を発揮すれば、ヤツらの勝ち筋は完全に断ち切ったも同然。やはり、こと戦いにおいては念には念を入れねばな。ククク」


「はっ! して、この後はいかがされるおつもりで?」


「ふん、そうだな。……ふむ。どれ、茨木の様子でも見に行ってやるか」


「かしこまりました! 万一に備えて護衛はお付けになられますか? 茨木さまには、その……憧術がありますゆえ」


 従者の進言に酒呑は首を傾げて、血に染まったような赤い双眸をギロリと落とす。



「ひっ」


 と、身を縮こませたが及ばない。目力のみで従者は一瞬で肩を焼かれていた。「ぐぅっ」と歯を食いしばり、唸り声を漏らすことすらも耐え忍ぶ。



「余は今、すこぶる機嫌がいいのでな。次から言葉には気をつけろ」


「は、はっ!」


 酒呑は腰に掛けた布袋に丸薬を仕舞うと、城の地下牢へと一人で降りてゆく。


 従者たちは恐れおののき、その表情をまともに見ることすら許されない。それだけの絶対的な存在。


 鬼という畏怖の対象の中にあって、圧倒的な恐怖の象徴こそが酒呑童子なのであった。





 仄暗い牢の中には、魔縄で天井から手首を吊るし上げられた茨木の姿があった。


 抵抗した様子はなく、俯いた顔からは表情を窺い知ることはできないが、眠っているようにも見える。


 雪のような真っ白な肌はどこか青白く、病的な症状すら感じさせる。城に戻ってきてからの茨木は明らかに様子がおかしく、酒呑の問いかけにも静かに首を振るだけで、心ここにあらずといった具合だった。


 茨木との接見を前にして、酒呑は布袋から丸薬〈鬼魂奇應丸〉を取り出すと、喉を鳴らして飲み込んだ。バクンと心臓が一度大きく跳ね上がる。そのあとすぐにやってくる、力が体中から溢れ出すような感覚。


(あぁ、これだ)と酒呑はほくそ笑む。

 ステータスはほとんどカンストしてしまっていて、最近は成長を感じる機会がめっきり減ってしまっていた。


 だが、薬の力を借りればいつだって今のように己の中に眠る力を感じることができる。耐性だらけの酒呑にとっては薬の副作用などあってないようなものだった。



「まったく便利なものよな。我ら〈導きの国〉が人を滅ぼした暁には必要とすることはないだろうが」


 ぼやくように呟くと、牢の扉に手をかざし、神通力によって鍵を解除する。それはこの城において酒呑だけに許された特権。


 茨木が城を空けることが多い中、不穏な雰囲気を感じ取った酒呑童子は城の中に施されたあらゆる術式を自分のみが解除可能な仕様に組み替えていた。


 鬼の中に自分よりも茨木に付き従おうとする者が増えている。そんな報告を受けた時は我が耳を疑ったが、どうやらそれは眉唾ではないようだった。


 自分に鬼の力を与えてくれた茨木には感謝こそあれ、これまでに一度も疑ったことなどなかった。しかし、今の支配者は自分なのだ。もし仮にその地位を脅かすような真似をしてきたらその時は容赦はしない。


 杞憂きゆうであればいい。

 どれだけそう願っただろう。


 だが、現実は思い通りにはならないようだ。

 茨木は敵の侵入を許したばかりか、自室へとかくまっていたのだから。



(茨木……まさかお前が余を裏切るとはな)


 きっと、外道丸だった頃の弱い自分なら耐えられなかっただろう。それだけ茨木童子の存在は酒呑童子の中で特別から。


 酒呑は布袋の中に、もうひと粒〈鬼魂奇應丸〉が残っていることを確認すると、鉄錆で赤茶けた牢の扉を、ぎぃと音を立てて開いた。



「あの茨木童子ともあろう者が惨めな姿を晒しているな」


 牢の中に足を踏み入れると、魔縄で吊らされている茨木に向かって声を掛ける。



「……なんだ、誰かと思えばお前さんか。鬼の王自ら、わざわざこんなところへ何の用だい?」


 茨木は俯いたまま視線だけ上げると酒呑童子を静かに捉える。



「お前に聞きたいことがあってな」


「あたしに?」


 茨木の目が鋭さを増す。美しい瞳の中に宿っているものが敵意でないことを願い、酒呑はその場にあぐらで座り込むと頬杖をついて尋ねた。



「お前は此度のいくさをどう見ている?」


「どう……って?」


「この世に残された脅威は頼光四天王、ヤツらだけよ。余はそれでも取るに足りぬ相手だと思っていた。だが、先刻の大江山四天王との戦いの件。余の耳にも届いておるぞ」


「……」


 茨木は口を閉ざしたまま何も答えようとしない。しばらくの間を置くと、酒呑は再び問いを口にする。



「茨木。お前、ヤツらにみすみす進行を許したそうだな。しかも、お前自身も戦いに参加したそうではないか。一体何を考えている? 余興だとしても、我らの不利になるような行動は見過ごせんな」


 酒呑の言っていることの方がよほど筋が通っていると茨木は思う。しかし、そこには前提が抜けているのだ。



 人と鬼。どちらの行いが正しいのか。

 種族が異なれば考え方も立場も異なる訳で、どちらが正しいというのが違うのだとすれば、ではどちらが身勝手な行動を取っているのか。


 それは明らかに鬼だと、は確信する。

 それまで不可侵とも言える領域だった人の住む京の都に平気で足を踏み入れ、貴族の娘たちをさらってきては喰らい、己の血肉に変えては力を増している。


 その行為が鬼を黒属性に変化させている要因である一方で、茨木のような人の血肉を喰わらずに人と同じような食事を摂っている一部の鬼は黒属性に染まらずに、他の属性へと変化している。


 黒属性とその他の属性。それが鬼の中にひずみを生んだ。いや、元々の思想が異なるが故に結果として属性が分かれたのだとも言えるのかもしれない。


 つまり、元から鬼は一枚岩ではなかったのだ。しかし、酒呑も茨木もその部分をどこかないがしろにしていた。自分たちの関係さえ良好であれば問題ないと高を括っていた。


 でも、それは大きな誤りだったのだ。気づけばもう後戻りができないところまで、鬼の世界は歪みきってしまっていたのだから。


 それでもまだ鬼の世界における理想を信じている者がいる。


 その名は酒呑童子。

 今、茨木の目の前であぐらをかいている鬼の王。



「……酒呑よ。お前さんは人間を滅ぼしたとして、そのあとに何を求めるか?」


「あ? その後も何もないだろう。人間を滅ぼすことが我らの最終目的だったはずだ。我が妹、すいが殺された時、そう心に誓いを立てた。はあの頃と何も変わってはいないんだよ」


 酒呑はいつの間にか、王としての口調から昔の外道丸のそれに戻っている。そこに着飾っていない素の酒呑が感じられて、余計に身を削られる思いがした。


 酒呑。お前さんは翠を心から大切に思っていた。あの時、そんな外道丸の優しさにつけ込んだのはあたしだ。


 あたしは間違えてばっかりだ。


 だから、けじめはつける。

 酒呑を殺して、あたしも。


 それが血を流さないで済む、一番の方法に違いないのだから。

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