聖魔のギルガメス〜呪われた少年は英雄になる夢を諦めない〜

月本 招

第一部

エピソード0 二人の英雄

 ――なんといびつで残酷な景色なのだろう


 美しい夕闇の下、辺り一面には無惨な屍体が散乱していた。

 まさに地獄。見渡す限りの血の海。



 ――ここはどこだ。俺は一体何をしている


 違和感を覚えて身体に目をやると、皮膚からおびただしい量の血を流しながらうごめいている巨大な胴体がそこにはあった。


 視界に映るこの醜い頭。眼は紅い鬼灯ほおずきのようで、蛇にも龍にも見える。



「まさか、これが俺……?」


 八つの頭に八つの尾。身体には樹木やコケなどのあらゆる植物が生え、どす黒い深緑色をした皮膚はただれていて、腹からは絶えず血がしたたり落ちている。


 それは言葉にするのもはばかられる、形容しがたいほどの醜い姿だった。


 ムサシは、思い出せる記憶を辿る。



(あの日、巌流島に向かい、そして、俺はあの男との戦いに……


 そこで何があった? 思い出せない……


 ……ああ、そうか。肉体ではなく、。だとすれば、これは輪廻転生。見えざる力によってこの化け物にさせられたのだろう。


 でもなぜ? こんな化け物に転移させられるなんて……よほどの悪行を働くか、もしくは……)


 ムサシは息を呑んだ。思い出したのだ。あの時、武士には有るまじき醜行しゅうこうを犯していたことを。



(あの時、あの行い……か。


 確かにあれは愚劣な行いだった。結果的に複数で一人をなぶり殺しにしてしまったのだから。


 あの行為そのものが禁忌と見なされ、その代償として俺の魂はこの化け物に強制転移させられた。どうやらそんなところか……。


 他に説明などつくはずもない――)



 あくまでも憶測にすぎないが、状況と心持ちは少しずつ整理されつつあった。自分の犯した罪の代償だ。それはあがなうしかない。


 しかし、それは代償と言うにはあまりにもむごたらしい仕打ちだとムサシは悲嘆する。


 夥しい数の死体。まさに阿鼻叫喚。親の亡骸を前に狂ったように泣き叫ぶ子供。四肢が切り刻まれ血涙けつるいを垂れ流し、「殺せ」と懇願する女。


 視界の中に映る全ての人間の自分に向けられる憎悪と絶望のまなこは、罪の代償と呼ぶにはあまりにも重く、地獄の光景は脳裏をえぐる。


 そして、その地獄を作り出しているのが他でもない、自分自身なのだ。


 止めたい。今すぐにこの暴虐の限りを尽くした蛮行を止めたい。しかし、それ以上に湧き上がる破壊衝動を抑えることができない。己の意思では抗うことができないのだ。これも禁忌を犯した代償だというのか。



 それから、三日三晩に渡って、ムサシは幾つもの山を越えて、目に映る全ての村を壊滅していった。ムサシが通った後には血で溢れる大河が流れていた。


 さらに、ムサシの非道な行為によって生み出された魑魅魍魎ちみもうりょうが溢れ返り、屍の山を喰い尽くしていく。


 このままでは遠からず、この大地に住む全ての人間を滅ぼしてしまうだろう。この破壊衝動はそれまで収まることは無いのだろう。


 まさに絶望。諦めの境地。ムサシは残酷な自分の運命を呪った。



 その後も破壊行動は続き、それは八つの山を越えて河上まで続いた。振り返れば血の河川はどす黒い赤みを帯び、辺りには酷い悪臭が漂っている。


 そんな状況の中、ふと芳醇ほうじゅんな香りを感じる。目をやると溜め池が近くにあり、嗅いでみるとその中は水ではなく酒であった。


 喉の渇きを感じたこともあり、ムサシは八つの頭を突っ込んで一気に池の中の酒を飲み干した。


 うまい酒だ。一瞬だけでも、この世の地獄を忘れることができたことをムサシは神に感謝した。





 痛みを感じる。まぶたを開く。どうやら眠っていたようだ。痛みを感じているのは尾のようで、目をやると切り落とされていることがわかった。地面に落ちてビクビクとのたうち回る血に染まった醜い尾を見て思う。


 ああ、地獄は続いているのだ――と。



「オロチ! ヤマタノオロチよ!」


 切り落とされた尾の近くから人の声がする。暗闇の中、月明かりに照らされてキラリと光を放つ長剣がこちらに向かって声を上げている。



(ヤマタノオロチ? それがこの化け物の……今の俺の名なのか)


 八つの頭をゆらゆらと揺らしながら十六の紅い眼で一点を見つめると、そこには剣を手に持ち、血塗られた白装束に身を包んだ、長髪を後ろでっている男の姿があった。



「……貴様は?」


 ムサシが男に尋ねる。



「俺はスサノオ。スサノオノミコトだ。訳あってお前を成敗しにやって来た」



 その姿を見ればわかる。この男がここへ来るまでにどれほどの苦難の道を切り拓いてきたかを。道中の魑魅魍魎と戦い、それらを退治しながら命からがら辿り着いたことは想像に難くない。


 男の言葉を聞くと、ムサシは心から安堵し、悪夢と呼ぶにはあまりにも生ぬるい、この世の地獄をしかと目に焼き付けた。



「スサノオよ。貴様に託す……。必ず、必ずやこの俺を確実に滅してくれ。どうかこれ以上の地獄を生み出さないでくれ」


 ムサシが言うとスサノオは驚きの表情を浮かべ、剣先を地面に下ろし、口を開く。



「オロチ。ひょっとしてお前は自分の意志とは無関係にこのような殺戮を繰り返していたのか。一体どうして?」


 ムサシは身体を揺らし、空気を震わせた。辺りの木々が一斉にざわめく。



「……犯した罪の代償で俺はこの化け物の中に閉じ込められたのだ。しかし、もう自分の意志ではどうすることもできない。この機会を失えば、俺はきっとこのままこの世を滅ぼしてしまうだろう。だから、貴様に託すしかないのだ。俺を殺してくれ。そして、俺に別の償いの機会を与えてくれ。どうか……頼む――」


 スサノオはゆっくりと剣を振り上げると、決意の籠った声を向ける。



「どうしてそのような醜い化け物になったのかはわからぬ。ただ、その言葉に偽りがないことだけはわかる。お前の願い、このスサノオノミコトが確かに受け止めた」


 スサノオの言葉にムサシはボロボロと涙を流した。その涙はたちまち大水となり、血で染まった川を洗い流していく。



「スサノオよ、最後に一つ頼みを聞いてくれ。とても許されたもんじゃねぇが、せめて俺が滅ぼしてしまった村人たちを手厚くとむらってやってくれないか。そうでなければ、俺は死んでも死にきれないもんでな……」


 スサノオの目からも大粒の涙がポタポタと零れ落ちていた。スサノオはムサシの言葉を聞き届けると、無さを押し殺して、歯を食いしばり強く頷く。



「……言われるまでもない。だから安心して成仏しろ、ヤマタノオロチよ! 次の輪廻では、お前がに生まれてくることを願って!」


 叫び声と共にスサノオは空高く舞い上がると、手にした長剣、天羽々斬あめのはばきりを天高く掲げ、ヤマタノオロチ、いやムサシの首を目掛けて渾身の一太刀を振り下ろす。



「ありがてぇ……この恩は一生、いや未来永劫忘れねぇぜ……よ……」


 スサノオの一太刀でヤマタノオロチの首が斬り落とされると、落下の衝撃で大地が裂け、近隣の山が音を立てて崩れていく。


 ムサシの地獄は終焉を迎えたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る