第七話

 七日目、月曜日。

 今日が涼花と話せる最後の日だ。にも関わらず、仕事である。当然のように出社する。そういう約束だからだ。

 とはいえ、そこまで精神的苦しさはない。

 最終日にはどうなってしまうのか。涼花との七日間が始まってから恐れていたことだったが、杞憂に終わりそうだ。

 その要因は昨日の通話に尽きるだろう。

 答えは既に出した。だからこそ、今日の別れに憂いはない。

 そのはずだったのに。


「智也さん。今日の夜、ご予定とかありますか?」


 不意な誘い。

 相手は、経理部の道谷朋夏みちやともかであった。


「ええっと、まあ」


 ☆       ☆      ☆


『もしもし』


「……もしもし」


『ついにやって来たね』


「ああ。……いや、湿っぽいのはなし。聞いてくれよ、こんな日まで会社だったんだよ」


『社会人は大変だね。これは死んじゃって正解だったかな?』


「なわけあるか」


『流石に不謹慎が過ぎるか』


「そうだな。って言っても死んだ本人が言うんじゃ元も子もないけど。けど、まあそれを差し置いても甘いな。何故なら俺の計画じゃ今頃は同棲して涼花には主婦見習いをやってもらってる頃だからな」


『なっ。それってまさか会社に勤めなくてもいいってこと?』


「ある程度はな。もちろん、やりたいことがあるなら尊重はするけど、生活費の大半は俺が稼いでる想定」


『……まったく魅力的な未来もあったもんだぜ。惜しいことをした』


「しかも、一人暮らし期間を挟んでの同棲だから俺も一通りの家事スキルは備えてる想定だ」


『ということはつまり……っ』


「家事全般はしなくても大丈夫だし、最悪何もしなくてもいい。ヒモ或いは趣味費のためにバイトするフリーターでもオーケー。昼寝、夜更かし好きに過ごして構わない!」


『しかも、同棲だから必然的に智也といれる……最高かよっ』


「ふっふっふ。本当に死んだのは正解と言えたかな?」


『く……。まさか今更そんな将来設計を聞かせるなんて、智也は悪魔か何かっ?』


 その場の勢いとノリ任せの楽しい雑談。調

 死者を前にその死を揶揄するあたり、かなり最低な会話をしているのかもしれないが、当の涼花自身が明るい。

 そもそも死者についてその死に触れるのがタブーかなんて実際に会話できることなんて基本ないのだから分かるまい。


『はーあ。なんで死んじゃったかな』


 零れた涼花の本音。


『残しちゃって智也は私を恨んでる?』


「別に。涼花は死にたくて死んだわけじゃないだろ。事故なんだから」


『そりゃそうだけどね。こうも拗らせちゃったから』


「それこそ俺が勝手に拗れたんだ。涼花が好きすぎてな」


『はいはい……』


「そういえば成人式の時な――」


『ねえ、智也。今日、何かあった?』


 次の話題を振ろうとしたところで、涼花がそんな問いを投げかけてきた。


「…………叶わないな、やっぱりバレるか」


『何となくね。最初は最終日だから明るく振舞ってるのかと思ったけど』


「もちろん、そのつもりでいつも通り喋ってたんだけどさ……まあ、それだけじゃないんだよね」


『うん。それで、何があったの?』


 隠せないと悟り、口を開く。


「…………女の子にご飯に誘われた」


『……』


 簡潔に会社でのことを打ち明ける。


「けれど断って、今、こうして通話してる」



『……』


 涼花は黙っている。


「……怒るか? 怒るよな。約束を破ったわけだし」


 涼花との約束。

 誘われたらそっちを優先する。女の子からの誘いは特に。


『…………許す!』


 間をおいて涼花はそういった。

 しかも、弛緩した空気で続ける。


『というか今更だよね。昨日、あんなこと言っといてさ』


「じゃあこれまでの沈黙は何だったんだよ!」


『え、ちょっと泳がせようかと思って』


「泳がせるな! この限られた時間の中でさ!」


『いや、でもまた断っちゃったか~。もう幽霊の私のために生身の女の子をね~』


 やけに上機嫌に言う涼花。


『まあ智也は私のことが大好きなんだもんな~。両思いだからな~』


 最後の通話への参加に後ろめたさがあった故に、こんな喜ばれるとは想定外だった。


「それが断ったというか、念のため延期したというか……」


『は? なに浮気? キープ?』


「そんなつもりは滅相もございません!」

 

 怖っ!

 でへへ、えへへな照れ笑いから一瞬で凍えるトーンに変化する。


『冗談、冗談。別に他の子を好きになるんだったら全然それで良いんだからね?』


「まあそれは柔軟にやるよ」


『そこは一途に私を好いて欲しいところだけどね』


 どっちなんだよ、とは言うまい。

 好き同士で居たいけど、俺と涼花は生きる者と死んでる者だ。

 一緒に居たいという本音と共に、好きだからこそ俺の人生を壊したくないというのもまた本音なのだろう。

 なんて俺が悟ったとように言うのも何かおこがましい気がするが、死んでなお思われているというのはなんと幸福なことだろうか。

 なんて考えていると、残る通話時間は五分を切っていた。


「……ありがとう、涼花。わざわざ会いに来てくれて」


『どういたしまして。そっか、もうお別れだね』


 きっと、もう涼花とこうして言葉を交わすのは最後なのだろう。

 そう思っていたが、先ほどからずっと満ち足りた気持ちが止まらない。


「ああ、お別れだな。ちくしょ、なんて言ったらいいのかね、上手い言葉が浮かばないや」


『そんな難しく考えなくていいんだよ。最後の言葉なんてさ』


 涼花はそこまで言うと言葉を切った。

 なんていうんだよ? 問おうとした刹那、不意打ち的に。


『さよなら、智也。――大好き。愛してる』


 フリーズ。時が止まったかと思った。

 涼花のその言葉を聞いて、俺はしばし動けなくなっていた。


 ――ツー。ツー。


 気が付けば、耳元からはそんな電子音しか聞こえなくなっていた。


「……あ、あ。ぁぁぁぁぁああぁぁぁあああ」


 途端に押し寄せる喪失感。先ほどまでの気持ちはどこへやら、冷たい感情の濁流に押し流される。

 七日目の夜。

 俺は一人、泣き明かした。

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