第一話
藤ヶ谷智也。二十七歳。彼女無し。
社会人五年目のサラリーマンだ。
精悍な顔つきとギャップのある人懐っこい笑みを武器に業績を上げる営業職であり、職種ゆえに身嗜みも整っている。
容姿や性格とて、ずば抜けて優れているわけではないが、大きな難があるわけでもない。
つまりは、パートナーくらい普通にしていれば出来ないこともない、一般的な男性だ。むしろ、ギャンブルはしない上、酒や煙草も付き合いくらいであれば世の女性的にも優良と言って差し支えないスペックだ。
にもかかわらず、彼女がいないのには、理由がある。
それは智也が恋愛に対して全く意欲的でないからだ。
だが異性に対し、恐怖心を抱いているかといえばそうではない。
将来的には結婚するだろう人生設計はあるし、望んでいる。またそれを逆算した年齢的な焦りだってある。
それでも、いまいち積極的になれないのは、理想のパートナーと思える人物が存在したからに他ならない。それは高校時代の彼女である友利涼花(ともりすずか)だ。
しかし、それが叶わないことも頭では分かっている。
それでも、動けないのだ。
☆ ☆ ☆
「誰か告白でもしてきてくれればな……」
職場のトイレ。小便が下から垂れるのと同時に口から漏れた独り言。
「なーに、甘ったれたこと言ってんだよ」
だがそれは後から来た同僚に、ぴしゃりとあしらわれた
「合コン来ても盛り上げないし、女の子がその気でもさりげなく交わすような男がよ」
同僚の言葉には、呆れの他にも嫉妬の感情が滲んでいる。
「またフラれたの?」
「まーな」
用を足しながら同僚が答える。
「つーかお前こそ、経理のトモカちゃん、パスしたろ」
「……あはは。まーね」
心苦しい𠮟責であった。
経理のトモカちゃんとは、この同僚から自分に気があるらしいこと知らされていたのだ。そしてその後のアピールに対し、俺は消極的な態度を取り続けることで事前に告白の芽を摘んだ。
「あー、くそ! なんでお前ばっかりモテんだよ! あれか、物欲センサーってやつか」
用を足し終えた同僚と共に社内を歩く。
同僚は異性に飢えていた。
仕事そっちのけで多くの合コンをセッティングし、女性社員の噂をかき集める。面白い奴だが、良くも悪くも素直であり、本能的だ。
女友達は多いが彼女はない。そういう男だった。
そして結婚願望への焦りを感じてからは。相談に乗ってもらいよく話す仲になっていた。
「なんでだろね……」
「適当に喋りやがって。あ、そうだ、お前。これやれよ」
「え、何?」
「これだよ、これ。チャップル!」
同僚が示したのはマッチングアプリだった。
「あー、最近よく聞くな」
広告でみたのを思い出しつつ頷く。
「お前、言ったよな。彼女欲しいって」
「まあ、言ったね……」
同僚は詰め寄って問う。
「にもかかわらず、お前は女を遠ざけるような感じだ。なあ、彼女欲しいってのは嘘か?」
「いや嘘じゃ、ない」
「だよな。だったら、ここでダウンロードしろ。もちろん、アカウント登録までな」
「……わ、分かった」
同僚の凄みに促されるまま、チャップルを入れ、アカウントを作る。
彼女については、親からもプレッシャーを掛けられ始めていた頃合いだ。むしろ、始めるきっかけを伺っていたのでちょうどよい。
「ニックネームは本名じゃなくていいぞ」
「それじゃあ、ユウヤで。よし、登録完了」
登録完了画面を見せると、同僚の表情から険しさが消えた。
「よっしゃ。ナイス! 紹介するとポイントがもらえんだよ! いや、ありがとな! 今金欠でさ!」
一転、ニコニコな同僚。
「……なるほど、そういうことね」
先ほどまで同僚の圧の理由に気づき、騙されたような気分で嘆息した。
「いやまあ、ありがたくはあるんだよな……釈然としないけど」
そんな気持ちで能天気な同僚の背を見送った。
☆ ☆ ☆
『本人確認が完了しました!』
『ルミさんがあなたをいいねしました! 早速、お話してみましょう!』
「え、さっきの今でもう?」
帰り道、マッチングアプリから届いた通知に嬉しいような、一方で怪しいという気持ちを捨てきれず。
さりとて、登録したのだからと通知を開く。
すると、相手のプロフィールが表示された。
写真は、友達とカフェにいる時のワンショットだろうか、飲み物を顔に近づけた姿が映っている。緩いウェーブのかかったセミロングの髪で、少し明るい茶色に染めている。顔は美人系。同い年でアパレル店員をやっているらしい。
印象は悪くない。
正直、アプリを始めただけでお近づきになれるなら嬉しい限りだ。
「…………」
しかし、しばしの黙考の末、画面を閉じた。
やはり駄目だ。止めておこう。
悪い癖というか、どうにもならないことは分かっている。
しかし、先に進むことはできなった。
脳裏をよぎるのは、高校時代の彼女の姿。
友利涼花。
俺が唯一、恋仲になった少女であり、彼女のことが未だに忘れられない。どうしても、添い遂げるなら彼女がいいと願ってしまう。
決して、叶わないと分かっているのに。
――だって彼女は、この世界中のどこにもいないのだから。
『スズカさんがあなたのことを気になっているみたいです!』
続いて届いた通知。
表示された名前に一瞬、心臓が止まった気がした。だが、スズカなんて名はそこまで珍しいわけでもない、と思い直す。同名の人くらいいるだろう。それにアカウント名なんて本名じゃなくてもいい、と聞いたばかりだ。
だがしかし、奇妙な縁もあるものだ、とプロフィールを開いた瞬間、目に入ってきた情報を見て、今度こそ心臓が止まった。
黒髪ロングのあどけない顔立ちの少女。その身に纏うセーラー服は、俺が、いや俺たちが通っていた高校指定のものだった。
空欄だらけのプロフィール。その中には、登録時に必須項目のものもあったはずだ。
そして、フリー欄に添えられたたった一文。
久しぶりだね、智也。
「……は、はぁ?」
異常なことが起こっていることは察しがついた。
まず審査が通らなそうなアカウントだ。アカウント名とフリー欄くらいしか情報がない上に、映っているのが制服姿。容姿からも未成年であろうことは容易に察せられる。
広告で聞いた話では、安心安全みたいなことを売りにしていたマッチングアプリだったはずだ。
しかしながら、このアカウントの先に涼花がいる。
そう信じさせるには、写真とメッセージ、それだけで十分過ぎた。
――会いたい。
メッセージを送るとすぐに既読が着いた。
――ごめんね。それは出来ないみたい。
――声が聴きたい。
再度メッセージを送るとまたすぐに既読が付いた。
――うん。それなら大丈夫。二十二時になるまで待って。
――分かった。
了承のメッセージにもすぐに既読が付く。しかし、続くメッセージは特に送られてこなかった。
現在は二十時半を回った頃。
いつも通り夕飯を外食で済ませると、足早に自宅へと向かう。
家はワンルームのアパートである。
部屋の中は、独身男性の一人暮らし相応の様相であり、乱雑としている。家事は休日にまとめてやるタイプなのだ。
ともあれ、帰宅後、シャワーに入り汗を流すと、あと三十分と迫った二十二時をスマホの充電をしながら待つ。
いつもなら寝るまで、動画サイトやテレビを見て過ごす溶けるように消える数時間だが、今のたったの三十分はやけに長く感じる。
それこそ、自分は幻覚を見ているだけなんじゃないか。二十時になっても何も起こらないのでは。そんな考えもグルグルと過る三十分だった。
ヴヴヴヴヴヴ――。
「っ!」
そして、やってきた二十二時。スマホが振動した。
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