第9話 聖女と青二才と黒歴史野郎の三角関係

『花見も良いが、俺の胸元で咲く花の美しさには敵わねぇな。ほら、俺を見て桜色になったお前の顔、もっと近くで見せ――』


「――最後まで言わせると思うなよ、おらぁぁぁっっっ!!!」


 悪夢が始まった瞬間に飛び起きる。

 こうすることで不快な寝汗で枕を汚さずに済むのだ。

 この世でこんな妙技を身につけたのはきっと俺だけだろう。

 もはや慣れ親しんだ俺の1日の始まりである。


 そして、あんな夢を何度も見たせいでわかったことがある。

 俺が定期的に見るあの夢は、どうやら昔の俺がナターシャと過ごしている日々の記憶の断片のようだ。


 よくもまぁ、当時の俺はあんな歯の浮くような言葉をつらつらと言えたもんだ。


 魔王を倒したようなやつだから頭がぶっとんでいるのは仕方ないのかもしれないが、いくらなんでも愛が重たすぎやしないか?


 ……いや、ちょっと待てよ。


 つまり、今の俺も何かの拍子であんな風になるかもしれないってことだよな?


 うわぁ、なんか急に寒気がしてきたぞ。


 生き方には気をつけよう。ほんとマジで……。


「にしても、早く目が覚めすぎたな……」


 窓越しから見える空はまだ暗く、二度寝したくなるような時間帯だ。


 因みに俺は神殿の客間の一室を借りている。この部屋には俺以外に誰もいない。


 女慣れという壮絶な修行の最中ではあるが、夜くらいは一人で過ごしたいという要望が通り、こうして一人部屋を与えられているのである。


 はてさて、今日は何回ぶっ倒れることになるのやら……。


 ……ん?


 窓の外を見ると、灯りを持って、誰かが外へ出て行くのが見えた。

 それが誰なのかは言うまでもない。


。俺のために、本当に健気な女だ。後でめちゃくちゃ愛してやるからな……!』


 早速、脳内にあいつの声が響いた。


「だから普通にナターシャと言え、ナターシャと! 自分がそんなこと言ってると思うと背筋が凍りつきそうになるから、マジでやめてくれ!!」


 俺はナターシャと唇を重ねてからずっと、もう一人の俺の声が聞こえるようになった。


 だけどこいつが俺に話しかけてくるのは、いつもナターシャが絡んだ時だけだ。


 それ以外はいつもだんまりを決め込んでいるせいで、こいつから昔の記憶を聞き出すことはほとんどできていない。


 つまり、今のところこいつは俺の心を掻き乱すだけのただのお荷物。


 なんかタチの悪い悪霊に取り憑かれた気分である。


『誰が悪霊だ。惚れた女を悦ばせるのが、男ってもんだろ? まぁ青二才には、こういった話はまだ早いか』


 と、このように俺の心の声はこの黒歴史野郎に筒抜けだ。


 つまり、こいつと会話するのに際して、実際に口を用いる必要なんてない。


 だけど、こいつは自由に俺の身体の主導権を奪えるというわけではないらしい。


 だから誰もいない部屋では、この黒歴史野郎に自由に肉体を使える優越感を見せつける意味で、俺はこうして口を使って話しているのである。


 ……なんかやってることが小物くさいな、俺。


「にしても、ナターシャはこんなやつのどこに惚れたのかねぇ? オレ様系男子と言えば聞こえは良いけど、要はただのナルシストなだけじゃないかよ……」


『男の嫉妬は見苦しいぞ、青二才。曲がりなりにもお前は俺だ。嫉妬するんじゃなくて、常にされる側であれ』


「な、なんで俺がお前なんかに嫉妬するんだよ……!」


『いい加減、意地を張るな。チンケなプライドなど捨てろ! ……俺も認めたくはねぇ。だけどお前と俺の差は記憶があるか、ないかの違いだけだ。好物が同じなら、惚れた女の趣向も当然同じだ』


 ……言われなくても俺だってそんなことくらい、わかっている。


 俺がナターシャのことを意識しているのは紛れもない事実だ。


 だけど、俺自身、恋だの愛だのというものがまだよくわかっていない。


 それに俺はこいつのようにナターシャ以外の女性への煩悩を完全に排除できているわけでもない。


 だったら、俺がナターシャ以外の女性のことを好きになる可能性もあるはずだ。


 何もかもがこんなやつと同じだとは思えない。いや、思いたくない!


『それを意地になってるって言うんだよ。……ったく、つくづくお前は俺と同じだな!』


 そう言い、もう一人の俺はため息を吐く。もちろん、実際に息を吐いたわけではないが、そんな感じがする。


「ぐっ……! か、仮にだぞ! 仮に俺がナターシャに惚れたとしたら、それがお前にとって何のメリットになるんだよ!」


『この肉体の主人格はお前だ。俺は自由にこの身体を扱うことはできない。つまり、いざという時にナターシャを守るのはお前の役目ということになる。俺はお前にそのための覚悟を持ってもらいたいだけだ』


「……覚悟? 俺だって、婚約者を守りたいという気持ちはちゃんと持っているぞ?」


『それはただの義務感だ。義務と覚悟を履き違えるな。お前もこの身に起こっている異常は理解しているだろ? 仮にその元凶が母さんだったとしたら、お前は躊躇いなくぶった斬れるのか?』


「それは……! ていうか、お前こそ、そんなことができるのか? 実の親だろ……! しかも俺と違って、生まれた頃からの記憶も持ってるんだろ!?」


『育ててもらった恩は忘れない。墓くらいは、ちゃんと作ってやるさ……』


 ……こいつ、そこまでのことを考えているのか!?


 同じ俺なのに、培った経験の差を感じてしまう。


 流石は魔王を倒した英雄だ。今の俺とは、完全にモノが違う……!


『……まぁ、お前がナターシャへの恋心を自覚するのは時間の問題だろうけどな。それまでの間、精々俺たちの愛の儀式キスを特等席で観察しながら、己の気持ちでも見つめ直せ、青二才』


「ぐっ……!」


 俺は女慣れの一環として、朝、昼、夜の3回、ナターシャとキスをすることになっている。


 しかし、今の俺は女性への免疫が全くない。


 これでも修行のお陰で以前よりもかなり改善されたが、キスのような過激なことを行えばやはりすぐに気を失ってしまう。


 こいつは、俺が意識を失った時にだけ俺の体の主導権を奪うのだ。


 だから俺はナターシャの味を知らない。ただ、ぼんやりとした意識の中、俺はこいつとナターシャが愛し合っているのをなんとなく認識することしかできない。


 ナターシャがこんなにも早く起きているのは、そのための準備。

 彼女はいつも身を清め、退魔の力を宿してから俺と口づけを行う。


 本来は、そこまでの準備をする必要なんかない。


 俺と彼女が口づけをしても、結局、俺の記憶は戻らなかった。

 起こった変化と言えば、昔の俺の声が聞こえるようになったことだけだ。

 こんなことを続けて早一週間になるが、それ以上の変化は起こっていない。


 常識的に考えれば、魔族の関与の可能性は限りなく低いと考えられる。


 だけど彼女は、少しでも俺の記憶が戻ることを信じて、願掛けの意味でこんなことをしているのだ。


 ……全ては俺が昔のように戻ることを望んで。


 ナターシャは今の俺なんか見てはいない。彼女の心の中にいるのは、常に昔の俺というわけだ。


『不貞腐れてるところ悪いが、青二才。お前にどうしても頼みたいことがある』


「……なんだよ。いきなり改まりやがって、気持ち悪りぃな」


『少し先の話になるが、ナターシャを紅葉狩りに連れて行ってやってくれねぇか? ……約束したんだよ。とびきり綺麗な紅葉を見せてやるってな』


 俺がこんなことになったんだ。おそらくナターシャは気にもしていないだろうけど、こいつなりに仁義を通したいのだろう。


 ほんと、惚れた女には律儀なやつだな、昔の俺は。


 ……あれ、紅葉狩り? そういえばあの夢の続きも、たしかそんな感じの話だったような気がする。


  ◆


 桜の木の下。胸元にナターシャを抱き寄せている俺。


『花見も良いが、俺の胸元で咲く花の美しさには敵わねぇな。ほら、俺を見て桜色になったお前の顔、もっと近くで見せておくれ』


『……シュヴァルツ様は、紅いものがお好きなのですか?』


『俺を見てどこまでも、どこまでも紅く色づくお前が好きだ。秋になるまでに、お前のその顔を桜色から紅葉色になるまで俺に夢中にさせてやるぜ!』


『ふふふっ! それは楽しみですね。でしたら、今度は一緒に紅葉狩りにでも行きましょう! その時に、紅葉と私、どちらが紅いか比べてくださいね!』


  ◆


 ああああああッ!!! とんでもない記憶の蓋を開けてしまった!!!


「……お、お前! なんでこんな恥ずかしいことぽんぽん言えるんだよ! 絶対頭おかしいだろ!」


『そのうちお前もこうなるさ!』


 嫌だ、絶対に嫌だ……!


 俺は自分の行く末に頭を悩ませながら、朝を迎えるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る