第8話 恋のライバルは俺自身!?

「あれは女慣れの修行の一貫で行なったものでありまして、オリヴィアさんとはそれ以上でもそれ以下の関係でもありません! でも、俺がオリヴィアさんの胸で失神したことは紛れもない事実です! そのことは、猛反省しております! どうか、どうか、おゆるしくださいッッッ!!!」


 そう言い、俺はナターシャに頭を下げた。

 オリヴィアさんとは背中に胸を押し付けられる以上の間柄ではない。


 しかも直にではなく、服越しである(ここ重要!)


 記憶は曖昧だけど、ナターシャと行なったキスの方が間違いなく気持ちがこもっていたはずだ。


 それに俺が女慣れの修行中であることは、ここに来る前に先触れがナターシャに伝えてはいる。

 本来はここまで謝る必要はないのかもしれないが、俺は婚約者がいる身でありながら、ナターシャ以外の女性に対して失神するほど興奮したのは紛れもない事実だ。

 ここはチンケなプライドなんか捨てて、しっかりと謝罪をしておくべきだろう。


 ……あと、単純に目の前にいるナターシャがめちゃくちゃ怖いというのもある。


 決して顔が怖いというわけではない。むしろぷんぷんという感じの怒り方のため、外見だけなら可愛らしくて迫力が全くない。


 ……だけどそんな愛らしい雰囲気に反して、彼女が放つオーラが凍てつくように俺の肌に突き刺さる。流石は聖女だ。


 十分な時間が経った後、俺は恐る恐る頭を上げてみた。

 まだ怒っているのかもしれないと思いながら、ナターシャの顔色を窺うと、意外なことに彼女は申し訳なさそうな表情をしていた。


 一体どういう心境の変化なのだろうか。


「……先程は取り乱してしまい、申し訳ありません。あなたの事情は理解しているつもりです。ただ、女心とは複雑なものでして、理屈と感情を上手く割り切れない部分があるのです。それに私は聖女。恋というものを、自分とは無縁なものとして割り切って生きてきました。そのため、シュヴァルツ様が他の女性に惹かれたという事実に対して、普通の女性以上に嫉妬してしまっているのだと思います。昔のあなたは、その……わ、私以外の女性以外に対して、一切の興味を示されませんでしたからっ!!!」


 そう言い、赤面しながら下を向くナターシャ。


 ……ああ、そうだった。

 ナターシャは今まで聖女として生きてきたんだ。俺以外の男と関わることには慣れていないのだろう。

 しかもその俺が記憶を失くして、こうも変わってしまったのだ。困惑してしまうのも無理はない。


 俺は自分のことで手一杯になっていたけど、どうやらそれは彼女も同じだったようだ。


 そのことがわかって、俺は少し安心した。


「正直に言うと、あなたとこうして話をするまで、俺はあなたのことをもっと浮世離れした人だと思い込んでいました。何せ、聖女ですし、昔の俺がめちゃくちゃ愛した人ですからね。……でも実際に会ってみたら、そんなことはなかった。あなたは年相応の悩みを抱えるごく普通の女の子です。そして、どうやら俺とあなたはある意味、同じ悩みを抱えている似た者同士なのかもしれませんね」


 苦笑いを浮かべながら俺は正直に本心を吐露する。


 どうやら、聖女という神職と、昔の俺が愛した女性という先入観が、俺の中の彼女の虚像を膨らませてしまっていたようだ。


 でもこうして彼女と話してみたらその誤解は解けた。


 だから俺は、彼女の悩みが俺と同じものだということに気づけたのだ。

 自分に振り回されるという悩みに。


「私とシュヴァルツ様が似た者同士……ですか?」


「ええ、そうです。俺は過去の自分の言動に。あなたは芽生えたばかりの慣れない感情に。つまり、俺たちは自分に振り回されているという共通点を持っています。そんな俺たちに必要なことは、自分と向き合うことです。ね、同じでしょう?」


「言われてみれば、たしかにそうかもしれません。……でも、私はあなたのように強くはありません。記憶を失くされる以前のあなたは恋に不慣れな私を嫉妬させないように、どんな女性の色仕掛けにも反応を示されませんでした。今思えばあれはあなたの優しさだったのですね。おかげで私は自らの黒い感情を自覚せずに今まで過ごせてきました。……でも、今は違う! 私は、私自身に宿る醜い感情を自覚してしまいました。私は、それと向き合うことが、とても怖いのです……!」


 聖女たる者、他者を僻むな、国の民を平等に愛せ……だったか。

 退魔の力を維持するための教えが、今の彼女自身の心を苦しめているのだろう。


 ……まぁ、自分と向き合うことが辛い気持ちなら俺もよくわかる。


 それに俺もナターシャが想像しているほど完璧な男ではない。


「自分のことを知るのが怖いのは、俺も同じですよ……」


「……あのシュヴァルツ様が、ですか?」


「ええ、そうです。みんなからは英雄やら何やらと散々持て囃されてはいますけど、俺はみんなが思っているほど完璧な男ではありませんよ。時折、不安で押しつぶされそうになることだって当然あります……」


 俺が記憶喪失であることは極秘事項。

 些細なミスによって、国の統率が崩れる可能性があるという重圧を、俺は日々感じながら昔の自分と向き合っている。


 偶にそのことから無性に逃げたくなることだってある。


 思えば、こんな話をしたのはナターシャが初めてかもしれない。

 そんな共通の悩みを持つ彼女だからこそ、自然とこんな提案ができた。


「……ナターシャさん。俺と一緒に、自分に慣れていきませんか? 俺はあなたを通して昔の自分を。あなたは俺を通してその黒い感情を。俺はあなたになら、弱い自分を曝け出せると思うんです。だからあなたも俺のことを頼ってください」


「たしかにこういった感情に慣れていくことが大切なのはわかっております。それにこんな私がシュヴァルツ様のためになるのだとしたら、喜んで協力致します。……でも、シュヴァルツ様に私の醜い部分をお見せするのは――きゃっ!? シュヴァルツ様、いっ、いきなり何を!?」


 俺は強引にナターシャの手を手繰り寄せた。皆まで言わなくてもよくわかっている。

 彼女が怖いのは、俺に嫌われることだ。だから俺が彼女を嫌わないであげれば良いだけだ。


「安心して。俺はどんなあなたを見ても、決して幻滅したりはしませんよ。……返事は?」


「……はぃ!」


 そう言い、ナターシャは小さく頷いた。


 ……まぁ、幻滅されるとしたらきっと俺の方だろうけどな。


 昔の俺は、ナターシャ以外の女を女として見ない規格外の男だ。


 昔の俺が彼女にとって理想の王子様だとしたら、今の俺は単なる女性慣れしていない思春期の男児である。

 違いが大きすぎて、もはや比較対象にすらなりはしない。


 ……そして何よりも、今の俺はナターシャに対して恋心を抱いてはいない。

 確かに彼女は綺麗だし、優しい女の子だとは思う。


 だけど記憶を失くしてしまった俺と、俺と過ごしてきた思い出を持つ彼女との間には埋められないギャップが存在している。


 こんな状態で俺たちの関係が長続きするとは思えない。


 もちろん、彼女は俺の婚約者だ。大切にはしたいと思っているし、良き理解者になっていきたいと思う気持ちに嘘はない。


 だけど俺は心の何処かで、破局してしまっても仕方ないと思っている部分があるのも確かだ。もちろん、それを彼女が望むのならの話だが……。


「……ひとつお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」


「はい、何でしょう?」


「シュヴァルツ様に、さん付けされるのはむず痒いので、私のことはそのままナターシャとお呼びください」


「では、俺のこともシュヴァルツと――」


「――シュヴァルツ様は、シュヴァルツ様なんです!」


「わ、わかりました……」


 何やら彼女の中に譲れない拘りがあるらしい。

 ナターシャの意外な一面を垣間見た。やはり乙女心は全くわからん。


「……それにしても、不思議な気分です。以前とは随分お変わりになられたのに、あなたからは何処か昔の面影を感じてしまいます」


 そう言い、ナターシャは俺に笑いかけた。さっきの怒り混じりの笑みではない、彼女の本当の笑み。


 そんな風に笑うのか。……って、さっきまであんなドライなことを考えてたくせに、一瞬気持ちがもっていかれそうになっているぞ、俺!


 これではチョロインならぬチョーローだ。俺は彼女から手を離し、咳払いして気持ちを沈める。


「ま、まぁ、こう見えても一応は同一人物ですからね。ナターシャさ――ナターシャは、具体的にどの辺から昔の俺の面影を感じましたか?」


「それは……その……!」


「それは?」


「……」


 そのまま顔を赤らめたまま黙り込むナターシャ。

 そして、頻りに口元を触り始めた。

 一体これは何を意味しているのだろうか。


『鈍いやつだな。そんなの、俺たちの愛の儀式キスのことに決まってるだろ? それにしても、久々のナターシャ味は格別だったな! またあの麗しの唇に目一杯、俺の愛を注ぎこみたくなってきたぜ!』


 き、キスだって!? ……そう言われてみると、たしかにウブな女性には話しにくい内容かもしれない。

 それに昔の俺ならいざ知らず、今の俺はこんな状態だ。本人だけど別人みたいなもんだしな。


 ……って、なんでお前、当たり前のように俺に話しかけてきてんだよ!? あと人の頭の中で恥ずかしいことを喋るな!!


「シュヴァルツ様は、その……あの後、何かお変わりになられたことはありますか?」


 あの後とは、間違いなくキスの後のことだろう。


 そういえば、黒歴史ノートにはナターシャのことを甘美な味と表現されていたけど、残念ながらあの時の俺の記憶は朧げだ。味を感じている余裕はなかったな……。


 ……って、味の感想じゃない! 頭の中の声につられて、思考がエロい方に流れてしまっているぞ! しっかりしろ、俺!


 キスをしたということは、聖女の持つ退魔の力を俺は直に摂取したということだ。

 もし俺の記憶が失くなったことが魔族の仕業だとしたら、俺に何らかの影響が出ているかもしれない。

 だけど今のところ記憶が戻った感じは特にない。

 てことはつまり、俺が記憶を失くしたことと、魔族は無関係ということになる。


 でも俺の中に変化が起きている気がしないでもないような……


「昔の俺の声……!?」


 そうだ! さっきから頭の中で鳴り響くあの声だ!

 あれはきっと幻聴なんかじゃない……!

 俺が昔の自分の心の声を認識し始めたのは、ナターシャと唇を重ねてからだ。


 何故こんなことになったのかはわからないが、ナターシャとキスをしたことと何か関係があるのだろうか……?


「昔のシュヴァルツ様の声……? それって、つまり、記憶が戻られたということですか!?」


 紅潮しながら俺の手を握り、俺に迫るナターシャ。どうやら心から溢れる悦びを隠しきれないようだ。


 だけど残念ながら記憶が戻ったわけではない。

 ただ、あの脳裏に響く声が幻聴ではないとしたら、俺の中には昔の記憶を持った別人格がいる可能性はある。


 このことを知れば、ナターシャはどう思うのだろうか。


 ……きっと喜ぶだろう。


 彼女が本当に求めているのは、俺であって俺ではないのだから当然だ。


 ……だけど俺はその事実を彼女に知られたくなかった。


 何故なら俺は気づいてしまったからだ。


 今目の前にいる彼女の満面の笑み、俺の記憶が蘇ったと思った時に上げた歓声、鼻腔をくすぐる彼女の甘い香り、興奮しながら俺の手を握る彼女の体温、……そして唯一今の俺・・・が知らない魂をも刺激する彼女のとのキスの味。


 彼女が幸せを感じている時の全てが、紛れもない俺の大好物であることを、俺は今完全に理解してしまったのだ。


 そしてどうやらナターシャにキスしたのは、昔の俺あいつだったようだ。

 俺はあの一瞬だけ、俺の体の主導権を奪われたせいで、ナターシャの味を知らない。


 ……そのことが、堪らなく悔しかった。


「……いえ、残念ながらあなたのことはまだ思い出せてはおりません」


 ウソではない。それに俺の中に別人格がいるのも仮説みたいなもんだ。確証なんてありはしないのに、ぬか喜びさせるのは良くないだろう。


 だけどそれが自分への言い訳だということは、俺自身が一番よくわかっている。

 

 現に俺は今罪悪感を覚えていた。

 ナターシャが知りたいであろうことを秘密にしたという事実が、俺の心をちくりと痛ませる。


 なんで俺はこんな気持ちになっているんだ……!?


「そうでしたか……。でも、少しずつで良いので、私のことを思い出して頂けたら嬉しいです……!」


 そう言い、ナターシャは俺に微笑んだ。

 その笑みは、見惚れるくらい美しいというのに、俺はそれを直視することができなかった。


『なぁ、良い女だろ? お前にはやらねぇけどな!』


 うるさい、黙れ……! そう念じるだけで、俺の中から昔の俺あいつの気配はすぐに消え失せた。

 なのに、俺の中のもやもやは、いつまでも晴れることはなかった……。







 ――あとがき


 この作品にしては珍しいシリアス(?)回。

 因みに、昔のシュヴァルツ→俺のファンたちシュヴァルツ・ガールズ

 今のシュヴァルツ→昔の俺に恋する乙女たちシュヴァルツ・ガールズ

 場面によって違いはありますが、概ねこんな感じのニュアンスで書いているつもりです。つまり……深い意味なんてものはない!←

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