第5話 役得ですから♡

 というわけで、俺とソフィアは次代の王の座を巡って戦うことが決まった。

 ソフィアは優秀だ。

 そんな妹がああも啖呵を切ったのだ。間違いなく本気で玉座を狙ってくるに違いない。


 正直言って、今の俺にはソフィアのように王になってまで絶対に叶えたい野望なんてものはない。


 それに俺は記憶喪失だ。今の生活に慣れるだけでも手一杯なのに、その上、王選にまで手を回すのは正直きつい。


 もし俺よりもソフィアが王としての資質があるのならば、喜んで王座を譲るつもりだった。


 だけどソフィアが王の権力を利用して、俺との結婚を目論んでいると知った今、この戦いには絶対に負けることはできなくなった。


 俺は兄妹間の結婚なんて望まない。

 そんな気持ちの俺がソフィアの伴侶になったとしても、彼女が心から幸せにはなることはないだろう。


 だから俺はこの家督争いには絶対に負けることはできない!

 俺はソフィアに勝って、王位を継いで、この国の皆を幸せにしてやる!


 ……とまぁ意気込んではいるけど、それはまだ先の話だ。

 現状、俺がやることは一にも二にも女慣れである。

 そしてその目的を果たすために、俺は婚約者のいる神殿へと向かっている最中だ。


 幸い、天気は晴れ。

 今のところ空から裸の女性が降ってくるような気配はないし、護衛の皆の協力のもあって、ファンの人たちにもみくちゃにされずに済んでいる。

 極めて順調な旅路と言って良いだろう。


 ……なのに俺は今、猛烈な命の危機に瀕していた。


「あの、殿下。ご体調が優れないようなら、遠慮なく仰ってくださいね……?」


 俺を心配してくれているのは20代前半くらいの、亜麻色の髪が特徴の爆乳美女だった。

 彼女は俺が女慣れするために作られた部隊の隊長をつとめている人だ。


 隊長さんは俺のことを本気で心配しているのはわかっているし、そのことは本当に感謝している。


 ……だけど、俺がこんなにも体調を崩しているのは、そんな隊長さんが原因だった。


 他の隊員たちは俺の四方を囲うようにして馬を走らせているが、俺と隊長さんは同じ馬に乗っている。

 馬を操るのは俺だ。

 つまり隊長さんは、俺の後ろにいるのである。


 すなわち……当たっているのだ。彼女のオッパイが、これでもか! というほど。

 馬の蹄が大地を蹴る度に、彼女の胸が俺の背中をムニムニと刺激する。


 女性への免疫を失くした俺には、刺激が強すぎる状況である。

 本来ならとっくの昔に気を失っていてもおかしくはない。

 だけどそうなれば、後ろにいる隊長さんまで巻き添えになってしまう。


 それだけは避けなければならない!

 馬鹿げたことをしているというのに、一歩間違えたら死と隣り合わせの危機的状況なのである。


 耐えろ、俺……! 背後の柔らかい感触をおっぱいだと思うな! あれは巨大なマシュマロだと思い込め!


「お気遣いありがとうございます、隊長さん。……でも俺としては貴女の方が心配だ。仕事とはいえ、嫁入り前の女性にこのようなことをさせてしまうのはとても心苦しい。もしお辛いようでしたら、遠慮なくいってくださ」


「まぁ、流石は殿下! 他人への気遣いができるまで、私の胸の刺激には慣れてしまわれましたか。でも、ご安心ください――」


 すると隊長さんは俺の背中に思いっきり抱きついてきた。

 そして、「――これは私にとって、役得ですから♡」と甘ったるい声を出した。


 なんで女のスイッチ入っちゃってるのッ!?


 ――世の女性は皆、俺に惚れていると思え。


 母さんの言葉通りだとするなら、彼女もまた、俺に恋する乙女たちシュヴァルツ・ガールズの一人なのだろう。


 つまり、俺にこんな卑猥なことをするのは、苦に感じるどころか、むしろご褒美になっているというわけか。


 ……って、呑気にそんなことを考察している場合じゃないぞ!


 これ以上背中に、パイ圧を受け続ければ俺はもうもたない。


「うわああああああッ!!! 離れてください、隊長さん!!! このままだと死ぬ、死ぬ、死ぬぅぅぅぅぅぅ!!!」


 俺はおっぱいから逃れようと、網にかかった魚のように滑稽に足掻いた。

 しかし流石は護衛隊の隊長に選ばれただけはある。掴んだ獲物を簡単には逃がすつもりはないらしい。


 マジで意識が飛びかけたその刹那、隊長さんは俺に交渉を持ちかけてきた。


「じゃあ私のことを、オリヴィアと呼んでください」


 俺は思いっきり彼女の名を叫んだ。


「オリヴィア――オリヴィアさん! どうか離れてください! ほんとマジで死んでしまいますから、お願いしまあああすッッッ!!!」


 こうしてようやく俺はオリヴィアさんのおっぱいから解放されたのだった。


「どうでしたか、私の胸の感触は……?」


 歳下の男を揶揄うような顔で、俺にとんでもないことを問うてくるオリヴィアさん。


 死にかけるほど興奮しました、と言えば喜ばれるのか、それともセクハラとして糾弾されるのか。

 まぁ、そもそもこれは彼女が俺にセクハラをして、それを俺が甘んじて受けるという世にも奇妙な間柄だからこそ発生するやり取りだ。

 あまり深く考えても正しい解答なんて見つかりはしない。

 取り繕わずに、正直に言おう。


「俺も男ですから、気持ちよくなかったと言えば嘘になります。……でも次からは馬上であんなにも激しく抱きついてくるのはやめてください。落馬でもして、貴女の身にもしものことがあったら大変です」


「私は部隊長を任されている女、そして陛下は記憶を失くされたとはいえ魔王を倒された英雄。そんな私たちに万一のことが起こるとは思えませんが……わかりました。次回からは気をつけます。ただ、私の身よりも殿下はご自身のことを気にかけてください。私の代わりはいても、貴方の代わりはいませんから」


 ……俺の代わりはいない、か。

 たしかにその通りだ。

 王子や聖女という特殊な立場の人間の重要性については、俺も当然理解している。


 場合によっては、ここにいる人たちを盾に使ってでも逃げなければならないこともあるかもしれない。


 だけど人間、一人一人の役割なんて、簡単に代えが利くわけがないと俺は思っている。


 特にオリヴィアさんはそうだ。どうやら、彼女は俺の想像していたよりもとても理性的な人らしい。

 それは今のやり取りで確信した。


「たしかに俺の代役が務まる存在はいません。でも、それはオリヴィアさんだって同じです。さっきの貴女とのやり取りで確信しました。貴女は俺がギリギリ失神しないように調整しながら、おっぱいを押しつけていましたね? あんな芸当は、オリヴィアさんだからできることです。俺にとって貴女のような理性的な判断ができる女性は必要だ。軽々しく自分のことを代えが利くなんて言わないでください!」


 自分で言うのも何だが、俺は女の子をメロメロにしてしまう力がある。

 普通の女性が俺と同じ馬に乗るというシチュエーションになれば、ずっと俺から離れることはないだろう。


 そうなれば、俺は凄まじいパイ圧に襲われて一瞬で気を失うだけだ。

 これでは女性慣れの修行にはならない。


 だけどオリヴィアさんはおっぱいを押し付けながらも、何度も俺の様子を気にかけてくれていた。

 名前呼びを俺に提案した時も、なんやかんや俺が意識を完全に手放す前に解放してくれたくらいだ。


 つまり、彼女は俺の魅力に屈することなく常に理性的でいられる貴重な女性というわけだ。


 そんな女性の代え利くなんてことは有り得ない。


「流石は殿下。余裕が無いように見えて、私の行動の真意を理解されるとは……。改めて、貴方様が魔王を倒して英雄になられた理由がわかった気がします!」


 俺の言葉を受けてオリヴィアさんは感激しているらしい。

 だけど何故だろう、すごく嫌な予感がしてきたぞ……。


「……でも、貴方様は昔から女心を全くわかっておられません。殿下が私の胸で興奮されるのと同様……いや、それ以上に、私も殿下の背中に胸を押しつけているこの状況に興奮を覚えているのですよ! しかも私があの殿下に女として意識されているという事実だけでも理性が吹き飛びそうになっているというのに、そのような言葉まで投げかけられては、私……もう我慢できない……!」


 あれ、なんだこの展開は!? なんでオリヴィアさん、雌になってんの!?


「オリヴィアさん!? ちょっと、待って、落ち着いて!? うわあっ、うわあああああああああ――」


 かくして、俺は理性を無くしたオリヴィアさんの容赦ないパイ圧を受けて意識を失ったのだった。



  ◆



 ……滝の音が聞こえる。


 俺は今どこにいるのだろうか。あのままオリヴィアさんの胸の中で死んでしまったのだろうか?


 その割にはここが天国だとは思えない。

 肌から伝わる空気感が、この場所が大自然の一部だということを俺に伝える。


「シュヴァルツ様……?」


 透き通るような女性の声がした。

 思い出を失くした俺には、その声の主に心当たりなんてない。


 ……なのに、わかった。その声の主が、俺の婚約者ナターシャのものであると。


 だが、俺はまだ半覚醒状態だ。視界は霧がかかったみたいになっていて、彼女の姿はよくわからない。


 だけど俺は迷いなくナターシャの元へと近づいた。

 それが当然かの如く、吸い寄せられるように。


 やがてお互いの吐息がかかる距離で俺は身体を止める。少しでもどちらかが前に出れば、確実に唇が重なる距離だ。


 だが、その一歩を越えるには俺の女性への免疫が足りていない。


 実際、心臓が今までにないくらい脈打っている。

 これ以上踏み込むのは、間違いなく危険だ。

 このままだと意識が飛んでしまう。……いや、最悪の場合死んでしまうかもしれない。


 だけどそれ以上に俺は彼女に飢えていた。言葉では語れない得体の知れない渇き。


 その衝動は、俺に命の警笛を無視させ、足りない一歩を踏み出させる。


 そして俺はナターシャの唇を――貪った。

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