第4話 ……だだだ黙って俺に愛されてろ! そっ、そそその……ききき綺麗な唇も、お前の歩んできた過去も、俺がぜぜぜ全部……ううう受け止めてやるからよっっっ!

 声の主は、整った容姿に、小柄な体型、そしてこのアレスティア王国では珍しい見る者を惹きつける銀色の美しい髪が特徴の女の子だ。


 穏やかな、そして何処か儚げな印象を抱かせるその少女の名は、ソフィア・ヒストリア。俺の一つ歳下の妹である。


 母さんは顎でしゃくり、ソフィアに発言の許可を出す。

 話をする前に、ソフィアは優雅に一礼をする。その所作は王女として完璧なものだった。


「お兄様に女性経験を積ませるだけなら、他の女性でも代わりは務まります。このような形で聖女様の持つ退魔の力を損なうようなことなど、このアレスティア王国の不利益を生むだけです。ご再考ください」


「我々は聖女に頼らず生きていくと決めたのだ。彼女の――ナターシャの持つ退魔の力を当てにはするな。それにいい加減、聖女様という堅苦しい呼び名を改めてはどうだ? ナターシャは、いずれお前の姉になる女なのだぞ」


「そうは言いますが、我が国は現在聖女様の力の恩恵を受けているではありませんか? 聖女様はお兄様が魔王を倒す以前の生活に戻っただけ。それだけのことです。その維持を今まで通り国が管理することに、何の問題があるのでしょうか?」


「ナターシャが神殿に戻ったのは、あくまで彼女の意志だ! それをずっと国の力で強制させるつもりはない。それに、彼女が国に無償で奉仕している合間に、彼女のシュヴァルツ婚約者に浮気まがいのことをさせるなんて言語道断だ!」


 真っ向から対立するソフィアと母さん。

 ここでは混乱を避けるため、母さんが許可を出した者以外の発言は許されていない。


 だけどこの場にいる俺以外の人たちは、母さん派かソフィア派かのどちらかの意見を持っている。

 その割合はざっくり言って、母さんに賛同する者が半分、反対する者が半分と言ったところだ。

 こうも意見が分かれるのは、俺の婚約者の女性が聖女だからに他ならない。


 聖女とは、その身に宿す退魔の力を使いこなせる女性のことを言う。


 退魔の力をわかりやすく言うと、強力な魔除けだ。

 そんな聖女の加護を受けている国に、魔族が近づくことはできない。

 それはあの圧倒的な力を持つ魔王とて例外ではなかったほどだ。


 もし聖女がこの世にいなかったとしたら、俺が魔王を倒す前に人類は滅びていただろう。


 だが、強力な力とはやはり得難いものだ。聖女になる道のりは決して平坦なものではない。


 退魔の力を扱えるようになるために、聖女には厳しい精神修行が毎日課される。

 それは大の男ですら音を上げるほどの過酷なものだ。

 その修行中に死人が出ることだって珍しくはない。

 国を思う優しさと、精神的な強さを両立できて初めて聖女になれるというわけだ。


 だが、こうして厳しい修行を乗り越えた後に彼女たちを待ち受ける運命は、外界から完全に隔離された生活だ。


 そもそも退魔の力を宿す女性自体が非常に少ない。

 その素養を持つ者の中で、先の過酷な修行を乗り越えられる者は、一国に一人いるか、いないかだ。

 このアレスティア王国のような大国ですら、俺の婚約者であるナターシャ以外に聖女としての務めを果たせる者はいない。


 故に、聖女を巡った国家間のいざこざは後を絶えない。

 魔から人を守るための力は、皮肉にも守るべき対象である人間同士の争いを誘発してしまっているのが現状だ。


 だから聖女たちの身柄は人里離れた僻地にある神殿へと幽閉され、そこで退魔の力を使うための道具として国に管理されてその一生を終えるのが一般的だ。


 聖女に人としての自由なんかありはしない。

 彼女たちの生涯は、人類が魔族という脅威から生き延びるために捧げられる供物のようなものだ。


 そして、そんな聖女への扱いの中に、絶対に犯してはならない禁忌が存在している。


 ……それは聖女が男と交わることだ。


 聖女が持つ退魔の力は男と肌を重ねただけで大幅に弱まってしまう。

 幸い、男によって触れられた箇所を、聖水で清めれば以前通りの力を取り戻すことはできる。


 だが、男女として一線を越えてしまえば最後、聖女は単なる人へと成り下がってしまう。

 そうなれば、彼女たち聖女に退魔の力は二度と戻ることはない。


 一度の過ちが取り返しのつかない事態を招くため、聖女の身の回りの世話を行う人間は女性のみで構成されている。

 わざわざ男を近づけるようなことは、本来ありえないことだ。


 なのに、この国は聖女に人並みの人権を与え、しかも俺と男女の仲になることまで容認している。

 この決定に至ったのは、俺が魔王を倒して聖女の力に頼らなくても生きていける世界を齎したことが大きい。


 そもそも俺が魔王を倒すという偉業を成し遂げられたのは、俺が今代の聖女であるナターシャと自由に生きられる未来を望んだからに過ぎない。


 俺が欲しかったものは、英雄という肩書きなどではなく、ただ愛した女と添い遂げる未来だったというわけだ。


 もっとも、魔王がいなくなったところで魔族が人間の脅威である事実に変わりはない。

 聖女の役割を解くか、解かないかを決めるのは、最終的にその国に住まう国民たちの意志である。


 そして、この国は聖女に頼らず生きていくことを選んだ。

 それは俺のナターシャへの強い想いに感化された人々が、俺たちの関係を強く後押ししたからなのは言うまでもない。


 もちろん、この決定に対して皆が納得しているというわけではなかった。

 その反対派の一人がソフィアというわけだ。


「お兄様が記憶を失くされた際、この国は退魔の力の加護を受けてはおりません。もしこの犯行が魔族の仕業だとしたら、魔王を倒した英雄お兄様を超える強さを持つ魔族が現れたことを意味します。そうなれば、我々は聖女様のお力に頼る他ありません。ご再考ください、この国の安全のためにも」


「つまりお前は、民が選んだ決定を私の権力で覆せ……と言いたいのか? たしかに女王という立場ならそれは可能だろうな。だが、それはできん相談だ。私は民の意志を尊重する」


「民意を尊重していては、国の安全を維持することは困難です。そもそも、あのような決定に至ったのは、大衆がお兄様と聖女様の美談に絆された感情的な判断によるもの。人の上に立つ者は、一歩引いて考え、常に合理的な行動を心掛けるべきです。感情に流されるのではなく、正しいご決断をお願いします、女王陛下……!」


 果たして昔の俺ならば、この二人の話を聞いてどのような判断をくだしたのだろうか。

 はっきりしているのは、記憶を失くした今の俺に軽々しくどちらが正しいと言えるだけの確たる意志はないということだ。


 ……だから俺がこの議論に口を挟む資格はない。

 黙って母さんたちが出す決定に従うだけだ。


 暫しの沈黙の後、母さんは徐に口を開いた。


「人の上に立つ者は、一歩引いて考え、常に合理的な行動を心掛けるべき……か。以前の私なら、きっとお前と同じことを考えていただろうな。……だが私は気づいてしまったのだ。人の強い想いには、未来を創造する力を秘めているということにな」


 そう言い、母さんは俺を見る。


「そのことを私に示したのは他ならぬお前だ、シュヴァルツ。お前は愛した女に自由を与えるために魔王を倒した。そしてその強き想いが民の心を動かし、聖女の力に頼らずに生きる決断を国民にさせたのだ。それは国民が、お前たちが幸せになる未来を望んだと言い換えることができる。そんなお前たちの行く末にこそ、きっとこの国を――いや、この世界を明るく照らす希望があると私は信じている。だから私はシュヴァルツとナターシャの行く末を邪魔するような決定をくだすつもりはない。私の考えに納得がいかない者がいることは重々承知している。だが、その上で私は民意を――想いの力を尊重したいのだ」


 話し合いに結論は出た。民意に加えて女王陛下の後押しまである。

 母さんがここまで言った以上、ナターシャを以前のように国の所有物として管理することなんてもう不可能だ。


「そんなもの、ただの希望的観測に――」


 だがまだ反論しようとするソフィアに、母さんは言葉を被せた。


「――それにソフィアよ。人に感情的になるなと言っておきながら、お前もさっきから冷静ではないように思えるぞ。正直に言ったらどうだ? シュヴァルツとナターシャの仲が深まることに嫉妬していると? 私は知っているぞ。お前は、この玉座を奪い、シュヴァルツとの結婚を目論んでいるのだろう?」


 その瞬間、場の空気が一瞬で凍りついた。そしてこの場にいる何人かが俯いた。

 状況から察するに、玉座を奪うためのソフィアの協力者たちだろう。

 母さんにそのことが見抜かれた動揺がひしひしと伝わってくる。


 いや、ちょっと待ってくれ! 何でいきなりこんな展開になるんだよ!?


 そしてソフィアが俺と結婚を目論んでいるだって!?


 たしかにさっき母さんが女は皆、俺に惚れていると思え、とは言っていた。


 だけどその中に妹が含まれているなんて思わねぇだろ!?


「ななな、何故お母様が私の計画を知っておられるのですか!?」


「……ほぅ、図星だったか。適当に鎌をかけたつもりだったのだが、とんでもないことを考えていたようだな。まぁ法に触れない範囲で精々頑張れよ。ソフィア我が愛しの娘。あと、王になるなら、そのあからさまなブラコンも、少しは改善した方が良いぞ」


 しまった、という表情を浮かべるソフィア。


 そして俺の方を見て火が出そうなほど顔を赤らめた。

 どうやらそのヤバそうな計画を母さんに知られたことよりも、俺のことが好きという気持ちを俺に知られた事実の方がよっぽどショックだったようだ。


 そして……


「もおおおおおおっっっ!!! お母様の、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ――」


 ……ジタバタと荒れ狂い始める我が妹。


 さっきまでの理知的な王女の姿はどこへやら。そんなポンコツと化した我が妹を皆が言葉なく見つめた後、やがて視線は俺へと移動する。


 言わんとしていることはなんとなくわかった。この状況をどうにかしろと言いたいのだろう。


 えっ、これって俺のせいなの!? そう言われても、こんな状況収集できるやつなんかいねぇだろ……!


 ある意味、魔王を倒すこと以上の無理難題である。


 そんな魔王を倒した英雄ですら頭を抱える状況を鎮めたのは、予想外の人物だった。


「……落ち着け、ソフィアよ。私はお前の野望を否定しているわけではない。言っただろ? 私は人の強い想いは現実を創り上げる力を秘めているとな。そして、その強き想いを国民に認めさせた者こそが、次代の王として相応しいと私は考えている……」


 そう言い母さんは席を立つ。必然的に空白となった席に、この場の視線が集まった。


 周囲のどよめきを他所に母さんは続ける。


「正式な発表に関してはまだ先になるが、この一件が落ち着き次第、私は王の座を退こうと思う。……で、今一度問うがソフィアよ。お前にはどうしても叶えたい夢はあるか? 王になるということは、望みを叶えることに関しては最高の地位だ。お前がどのような方法でこの座を得ようとしていたかは敢えて問わん。だが、正攻法で己が夢を叶えると言うのなら、私はお前の夢を応援しよう」


「……え?」


 そんな母さんの発言を聞いて、ソフィアの瞳は大きく見開かれた。


 ちょっと待て、なんだこの流れは!? 堪らず俺は口を挟んだ。


「ま、待ってください!? 俺には婚約者がいるのですよ! それに、さっきまで俺とナターシャの行く末を見守りたいと言っていたじゃないですか!? あれは何だったのですか!?」


「それはそれ。これはこれ、だ。私はシュヴァルツとナターシャの関係が発展することを望むと同時に、シュヴァルツとソフィアの関係も応援したくなってしまったのだ。もしソフィアと添い遂げるのが嫌なら、お前が王になってそれを阻止すれば良いだけだ」


 ダメだ、話が通じない……!

 正直言って俺は玉座に骨質してはいないが、実の妹との結婚を受け入れることなんてできやしない。


 だから王選には出る。だけど、俺は記憶喪失であることを隠している身だ。

 王選が始まれば目立つことは避けられない。

 そうなれば俺が記憶を失っていることが国民に知られてしまうリスクも当然上がってしまう。


 ちくしょう、また厄介ごとが増えてしまった! 俺は一体どうすれば良いんだ……!?


「お兄様……」


 か細い声に引っ張られるように、俺はその方を向く。

 そこにいたのは、ソフィアだ。その瞳は不安そうに俺を見ている。


「私の好意がご迷惑なのは承知しております。でも……それでもっ!! 私は貴方を一人の男として愛する気持ちを抑えられないのです!」


 ソフィアの手が俺の手を握る。彼女の手は小刻みに震えていた。

 こんな少女が男の俺ですら気圧されそうになる母さんとあんな舌戦を繰り広げていたのか……。


「ソフィア……」


 俺は改めてソフィアの顔を見る。


 ……正直、俺とソフィアは似ていない。


 まぁ血の繋がりがあっても、似ていない兄妹なんてごまんといる。


 そのことが、ソフィアが俺に惚れてしまったことと関係しているのだろうか。

 まぁこれは俺の単なる憶測だ。真実はソフィアにしかわからない。


 そんな彼女は覚悟を決めた表情で俺を見る。どうやら俺にどうしても伝えたい想いがあるようだ。


「……こほん! これから私たちは、玉座を巡るライバル同士です。そして今から私が行うのは、私から貴方への宣戦布告愛の告白。……しかし私は16年間この想いをひた隠しにしてきました。つまり、その想いを言葉にするには並々ならぬ勇気が必要となります。そして意気地なしの私には、その勇気がまだ足りておりません。なので、かつてのお兄様のお言葉をお借りして、その足りない勇気を補いたいと思います……」


 そして顔を真っ赤に染めながら……


「……だだだ黙って俺に愛されてろ! そっ、そそその……ききき綺麗な唇も、お前の歩んできた過去も、俺がぜぜぜ全部……ううう受け止めてやるからよっっっ! ですわ!!!」


 妹よ。それは普通に告白するよりもずっと恥ずかしいと思うぞ……。

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