第3話 晴れ、ときどき女体……!?

 記憶を失ってから俺は一度も外出したことがない。

 つまり、俺は外の世界を知らない。


 母さんによると、外はエロにまみれていて、女性への免疫を失くした俺が生きていける環境ではないという。


 ……露出が激しい服でも流行っているのだろうか?


 でもこのシリアスな空気感は、そんな生やさしい感じではない気がする。


 取り敢えず、話を聞いてみよう。


「具体的に、俺の身の回りではどのようなことが起こるのでしょうか……?」


 俺は固唾を飲んで母さんの言葉を待つ。そして……


「一概には言えんが……わかりやすい例だと、裸の女が雨粒のように降ってくることはあるな」


 ……はあぁぁぁッ!?


「……すみません。耳がバグりました。もう一度言ってもらえますか?」


 きっと聞き間違いだ。

 男の煩悩を思い描いたようなバカげた出来事が、現実に起こるはずがない。

 そうだ、そうに決まってるッ! 頼むからそうであってくださいッッ!! お願いしますッッッ!!!


 しかし現実は残酷だった……


「残念ながら聞き間違いなどではない。外出の際は頭上にはよく注意を払っておけ。お前は晴れ男だが、時より空を女で染めあげることもあるからな」


 いや、それってもはや天気じゃねぇだろッ!?


「ハ……ハハハ! もう、やめてくださいよ! 真剣な顔をして冗談を言うのは。全然笑えませんよ、まったく……」


 尚も母さんの話が信じられなかった俺は、この話を冗談だと判断した。

 だけど母さんは一向に種明かしをしようとはせず、沈黙を貫くのみ。

 その姿を見てようやく俺は理解した。


 ……あっ、これマジなやつだ。


 え? ってことは、本当に空から裸の女が降ってくんの!? この国の貞操観念どうなってんだ!? これって人災なの、それとも天災!? てか、フツーに危なくね!?


 数多の疑問が俺の中に湧き、そして俺の思考は一つの仮説を導き出した。

 それは、俺が常識の通じない異世界に迷いこんでしまったという可能性だ。

 益体のない妄想であるが、割とマジでそんな気がしてきたぞ……。


 俺は天を仰いだ。カミサマー、オレヲモトノセカイニモドシテクダサイ。


「何やら酷く思い詰めているようだが、これが現実だ。しかと受け止めてくれ。……あと誤解しているようだから言っておくが、空から降ってくる女は人間ではない。あれの正体は実体化した精霊だ」


 精霊という言葉を聞いて、俺の中に僅かながら冷静さが戻ってきた。

 空から降ってくる女性の正体が精霊なのだとしたら、まだこの怪現象を現実の出来事として受け入れることができる。


 精霊とは草木と共に生きる人間に近い外見を持つ生き物のことだ。

 普段は外敵から身を守るためにその実体を隠していて、人の目に映ることはない。


 しかし信頼のおける人間の前にだけその実体を晒して友好的な関係を築こうとすることがある。

 その際に対象の人物の気を惹こうとして突拍子もないことをするのだが、おそらくそれが空から降ってくる裸の女性の真相なのだろう。


 まぁ要するに、これは俺が精霊に気に入られたから起こることのようだ。


 だけど、女性の正体が精霊だとしたら、それはそれでまた別の疑問が湧いてくる……


「……しかし、精霊は個体数が非常に少ない生き物のはずですよね? そんな精霊が俺の前には空を染め上げるほどたくさん現れるなんて、にわかには信じられません。一体、何故そのようなことが起こるのでしょうか?」


 疑問が疑問を呼ぶこの状況に、母さんはさらなる爆弾を投下した。


「そんなの、お前の子を孕むために決まっているだろ? 裸なのも、大所帯で行動しているのも、お前を発情させるための精霊なりの策略だ。何せ昔のお前は女ったらしの割にガードが固かったからな。彼女たちも形振り構っていられなかったのだろう。……それにしても100を超える精霊が空から一斉にお前に襲い掛かってきて、それを華麗にかわすお前のあの身のこなし。あれはいつ見ても圧巻だったな。まるで一種の演舞のような――」


「――ち、ちょっと待ってください! なんで当たり前のように精霊が俺の子どもを欲しがっているという前提で話が進んでいるんですか!? 話が飛躍し過ぎて、わけがわからないんですけど!?」


 たしかに精霊と人間の間には子を成すことはできるけど、わざわざその相手として人間の男を選ぶなんて極めて稀なことだ。

 しかもそんな人間の俺と子作りを目論んでいる精霊が100人以上もいるなんて、もはや現実の話とは思えない。


 それをさも当然の如く話す母さん。やっぱりここって本当に異世界なんじゃないだろうか……。


「一度自分のスペックを客観視してみろ。一国の王子で、魔王を倒した英雄で、女を悦ばせる魅力を持った男だ。そんな優良物件を放っておく女がこの世にいると思うか? もちろん、お前を狙っているのは精霊だけではないぞ。世の女は皆、お前の子を欲していると考えておくと良い。そのためなら手段を選ばない輩は数多く存在する。私たちがお前の女への免疫を失くしたことを憂いている理由は、理解できたか?」


 もうめちゃくちゃすぎてツッコミが追いつかないが、とりあえず俺にとってエロとはありふれた日常の一部だということだけはよくわかった。


 そして女性への免疫を失くした俺が外の世界に足を踏むことは、丸腰のまま戦場に赴くようなものなのだろう。


 外って怖い世界なんだね。もう一生、部屋に引きこもっていたい。


「とまぁ散々脅しはしたが、要はお前がそういった状況に対して動じないだけの精神力を身につければ良いだけのことだ。そしてお前の状態を改善するとっておきの秘策があるにはある。……だが、それは諸刃の剣だ。今のお前を見ていると、安易にそれを勧めることはできん。さて、どうしたものか……」


 そう言い、母さんは思案顔をした。どうやらその方法とやらはかなりのリスクを伴うようだ。

 だけど行動をしなければ現状は変わらない。

 可能性があるのなら、やってみる価値は大いにある。


 俺は母さんの瞳をまっすぐ見た。今度は演技なんかじゃない。正真正銘、自らの言葉で言う。


「その方法を試してみましょう!」


「むぅ。しかし……」


「記憶を失くしたとはいえ、俺は魔王を倒した英雄です。危険なんて承知の上。覚悟はとうの昔に済ませております。そして必ずや、母さんの――いえ、女王陛下のご期待に応えてみせると約束しましょう!」


 俺の強い覚悟が伝わったのか、母さんは少し驚いた表情を浮かべた。そしてその驚愕はすぐに笑みへと変わる。どうやら俺の言葉を信じてくれたようだ。


「今のお前はあの時と――魔王を倒すと言ってこの国を飛び出した時と同じ目をしているな。性格は変わってしまったが、お前の本質は昔のままというわけか……。今のお前の覚悟を見て、私の中の迷いは完全に消え去った! 必ず生きて帰って来い、人類の英雄よ!」


「もちろんです! ……して、その秘策とやらは、一体どのような方法なのでしょうか?」


 母さんのあの感じから察するに、ただならぬ方法なのは間違いない。

 覚悟は済ませてあるが、やはりどうしても緊張してしまう。

 固唾を飲んで、俺は母さんの言葉を待った。そして……


「……英雄、シュヴァルツ・ヒストリアよ。この国の女王、エリザベス・ヒストリアがお前に命ずるのは、女慣れすることだ。これからお前の身の回りの全ての従者を女性にする! そして女体に慣れるために、これからお前は、自らの婚約者のいる神殿へと赴け。そこで――男になって来い!」


 俺は咄嗟に自らの頬をつねった。

 夢だと思う場面は幾度もあったが、もし痛みがあった場合はこれが全て現実だということが確定してしまう。


 それが怖くてやらなかったが、流石にここまでぶっ飛んだ話が何度も続いたんだ。これは全部悪い夢のはずだ!


 ……しかし、残念ながら痛みはあった。


 つまり今までの話は全て現実の出来事ということになる。そして、女慣れという前代未聞の修行を課せられたという事実が俺に重くのしかかる。


 ……え? これ、マジでやんの??


「な、何をふざけたことを言ってるんですか!? そ、そんなことをしたら気を失うどころか、ショック死してしまいますよ!?」


「女が恥ずかしいのなら、恥ずかしくなくなるまで女に触れ合えば良いだけのことだ。良薬は口に苦しというだろ? 多少の苦痛はつきものだ。……いや、お前の場合は、良薬は口に甘しか。何せ、お前にとっての婚約者の味とは甘美な――」


「――わかりました! 言う通りにしますよ! だから、これ以上俺の過去を弄らないでくれええええええ!!!」


 親の前でこれ以上性的な話なんかしたくはない。ここは大人しく引き下がろう。


 それに母さんの言葉にも一理ある。話を聞くに女慣れは最重要課題だ。

 俺の身が持つかは別にしてではあるが……。


「まぁ、男になれ! ……とは言ったが、流石に私も男女の仲に関してまでとやかく言うつもりはない。あくまでお前たちのペースで事を進めていけ。その結果、どのような関係になろうが、私はお前たちを責め立てたりはせん。ただ、私はお前の親として、お前たちの関係が上手くいくことを願っているよ」


 そう言い、母さんは遠い目をして俺を見る。その瞳は俺を見ているようで、違う人物を見ているという曖昧なものだった。


 ……上手くいくことを願っている、か。


 それは、きっと昔の俺に向けて言った言葉なんだろうな。


 俺は、昔の自分のことをいけ好かないキザ野郎だと思っている。

 自伝を読んでも、その思考回路は今の俺と違いすぎて理解できないところばかりだ。


 ……だけど、一つだけはっきりとわかったことがある。


 それは昔の俺が聖女のことを深く愛していたということだ。

 でなければ、魔王を倒すなんてことを――


「――お取込み中に失礼します。聖女様のことに関して、私の意見を述べてさせて頂いてもよろしいでしょうか?」


 俺の思考を遮ったのは、鈴の音を思わせる女性の声だった。

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