魔法の言葉を偶然思い出す
パズーがドーラ一家と行動を共にしたいと言っていたまさにそのとき、シータが魔法を思い出します。ここもまたテンポが早いですね、その日の夜ですよ、魔法に気付くのが。何をそんなに焦っているのかと思うくらいどんどん話が進みます。
シータの言葉によって、死んだはずのロボが動き出します。
設定としては捕えていた(死んでない)ものが動くというふうにもできたはずです。しかし、ボロボロになり壊れ、動かないと思っていたものが動き出すというギャップが驚きに繋がります。ロボットの破壊力が残酷で凄まじいのに、ムスカが嬉しそうに「すごいぞ」とニヤけるのもキャラ強調に一役買っています。嫌なやつはとことん冷酷非道になってもらいましょう。
<人が死ぬシーンが一度も出てこない>
ここでストーリーとは関連は低いのですが、ロボットによるかなりひどい破壊行動が行われます。しかし、不思議なことに1人も死ぬシーンが現れません。この後も何度か破壊シーンはあるのですが、実際に人が死んでいるだろうということは彷彿はさせても、直接的な描写は一回も出てこないんです。
通常これをやってしまうと破壊の悲惨さが薄れてしまい、ストーリーにアクセントがつきません。しかし人が撃たれる、首が切れる、などの残酷なシーンを加えなくとも、十分この破壊力の恐ろしさを表現されています。ここにやはり宮崎監督チームの底力を感じますね。これが可能となったことにより、この作品は子どもでも見ることができる、老若男女楽しめる作品へと成り上がったのです。
シータとパズーが要塞から離れ、ドーラが谷にパズーを返そうとしてくれたのだが、パズーはドーラに「このまま船に乗せてください」と懇願するシーン。
最初はドーラも「飛行石を持たないお前たちを乗せてなんの得があるんだい」としっかり断ります。観ている我々としては入れてあげてもいいんじゃないか、と思いますが、ここで簡単に入れてしまうと、海賊としての一貫したキャラが崩れてしまいます。
今回も「間接的」に仲間に入ることを承諾します。
ドーラ「…………海賊になるには動悸が不純だよ」
これはOKということですね。
ここで少し面白いなと思ったポイントがあります。船員の反応です。通常の流れとしては「よそものが仲間に入る」ときは軋轢が生じるものです。その不協和音が徐々に改善するというストーリーを作れるからです。ストーリー構成のセオリーは「物事をスムーズに進めるな」です。仲間に入る、というイベントに対しては必ず山場、もしくは入った後の問題点を作ることがポイントになります。
しかしここではみんながウエルカム。なぜこのような反応になったのでしょう。おそらくドーラが厳しいキャラですんなりと仲間になんか入れないよ、という態度を取っていたので、バランスを取るためにこのようにしたのでしょうか。それでも中には何人かが「ちぇっ、食い分が減るわ」とか文句を言う人が出てきてもおかしくありません、というよりその方が盛り上がります。しかしここではほぼ全員シータ、パズー大好き船員ばかりです。これはどういう効果があるのでしょうか。
おそらく宮崎監督チームはドーラ一家をほんわりとした優しい一味として描きたかったのでしょう。これは一見問題なく聞こえますが、とても危険な設定とも言えます。海賊というキャラ設定であれば、お宝第一、場合によっては人の命をとってもおかしくない、冷酷非道な立ち位置のはずです。
そこをほんわり優しいキャラなんて作ってしまったら違和感だらけになり、読者は共感できません。ただ冷酷なキャラとしてムスカがいますので、海賊も残酷な人たちだと、全体的に暗いイメージになってしまうかもしれません。そこでバランスを取ろうとしたのか。それにしてもうまくやらないとほんわりとやさしい素直な海賊、なんて作れません。でもうまくやっているんですよね、もうこれは一体どうなっているのか、すごすぎてよくわかりません。
海賊チームがなぜウエルカムだったのか。色々あると思いますが、この時間帯もあるかもしれません。ここまでひたすらジェットコースターでやってきた展開。この時間は全作品のちょうど真ん中にあたります。ここいらでちょっと一息入れる、というためにも安心できる設定にしたのかもしれません。ただ安心出来るシーンってほぼここだけですね。
<ドーラの奇妙な判断>
ドーラの行動は描写が非常に難しいです。冷酷で厳しい海賊、お宝第一、飛行石第一と言っておきながら、作品としてはラピュタに向かわせなければならない。その一見筋の通っていないように思われるドーラの行動を違和感なく入れさせるために、爺さんが一言バランスを取るセリフを言っています。船の中でチェスをしているシーンです。
爺「ドーラも変わったね、ゴリアテなんぞに手を出すとはねえ。勝ち目はねえぜ」
ドーラ「ふん、ラピュタの宝だ、無理もするさ」
爺「確かにいい子だよあの2人はさ」
ドーラ「何が言いたいのさ、このくそじじい!」
爺「かたぎに肩入れしてもよ、尊敬はしてくれねえぜ」
ここで大事なポイント、爺さんによる「バランス」です。
とあるAというキャラに一見ちょっと通常の流れとはかけ離れた行動を取らせた後に、別の人物がそれに対して驚く、もしくはなんらかの反応をする。これにより、そのAの行動の不自然さが少し緩和します。
これをしないと「そんな簡単に目的を変えるのか」となるかもしれないところを、それについて爺が客観的に指摘をします。「ドーラも変わったよ、あんたのやっていることは変だよ」と。これにより、ドーラの行動の違和感を軽減させることができます。ドーラの行動の変化についての言い訳も言わせる事ができます、「ラピュタのお宝さ、無理もするさ」と。そういう細かいところにも気を利かせているところがやはり名作たる所以なんでしょうね。
<絶妙な説明シーン、見張り台>
以前、食事シーンが情報を伝えるのに使い勝手が良いと述べました。同様な目的で使われているだろうシーンが出てきます。それが見張り台のシーンです。飛行船の頂上から360度を見回せるという、何とも普通の人生では経験できない絶景ポイントです。
そこでパズーが見張りをしていると、シータが危険をかえりみず登ってきてしまいます。このような閉鎖的な空間では、否が応でも心の内を話してしまうでしょう。こうやってそれぞれの気持ち、物語のもっとも重要な情報の一つである「バルス」の情報をちら、っとさりげなく置いていきます。
ここでパズーの心情、考えを喋らせることによって彼のキャラをより鮮明にし、ひょっとしたら監督はパズーを通じて、自分の思いを伝えたかったのかもしれません。
パズー「石を捨てたってラピュタはなくならないよ」
パズー「本当にラピュタが恐ろしい島なら、ムスカみたいな連中に渡しちゃいけないんだ」
彼が自分の思いを口に出すと同時に、対立姿勢、彼らの目的を改めて鮮明にします。
ムスカ:力を奪う悪いやつ
パズー:それを何としても止める
パズーって元々お父さんが見つけたというラピュタに行きたい、という目的だけだった気がします。「恐ろしい島」という話は、要塞でムスカがシータには話していましたがパズーは知らなかったはず。
ここでさりげなくパズーの目的が
「ラピュタは本当にあるということを確かめる」
だけだったのが
「奴らを止める」
というものにシフトチェンジしていきます。これをしておかないと、ラピュタ上陸後、彼の動きに違和感が出てきますからね。
読者「もうラピュタたどり着いたんだから、早く帰ればいいじゃん、財宝なんかパズーは興味ないだろ? シータも救えたし」
となるところを、パズーが「ムスカ倒す!」となり、最後の有名なシーン「バルス」に繋がって行くための布石となります。つくづくこういった小さな動き、セリフがキャラを鮮やかにし、ストーリー展開を魅力的にするんだな、と気付かされます。こういった数々の積み重ねが多くの人を惹きつけるポイントなのかもしれません。
しかしあっという間に落ち着いた時間は終わります。
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