第14話

 健康教、薬物反応連鎖の脳制御物象化促進運動、新陳代謝の消化吸収同一化食用代謝の人間宣言、薬物処方点数制度の天皇主義的奉仕活動の悪魔的象徴化。


 イリイチが言うように、「死は、魔術師の自己達成の予言として以外は、もはや起こらないのである」。人が「予防できる病気」で死ぬことはありふれている。たとえば、がんとか心臓病のように、医師が死を「説明」できる、不健康な「行動」による病気で人は死ぬ。つまり、その人の過ちによって。「社会的に同意が与えられる死は、人々が生産者としてでだけでなく消費者としても役立たずになったときに起こる」。つまり英雄的な「死と戦う治療」の消費者にもならなくなったときに。こうした態度が、死を「早すぎる」と分類することの中に明らかに見て取れる。「早すぎる」とは予防できるということであり、年金をもらう年齢にならないうちに死んだということである。遅すぎる死というのもある。その人がもう働けなくなり、国家の経済的負担になった場合がそうだ。「英雄的」治療という言葉が指す英雄とは、医師ではなく患者のことだ。治療される患者の死は、文字通り死にものぐるいの治療を受けて効果がなかった場合にだけ社会的に受け入れられるものになる。無数のがん患者がこの不本意な英雄主義に追いやられる。彼らには死に至るまで死と戦う「治療」を消費する義務が課せられる。___(ペトル・シュクラバーネク『健康禍 人間医学の強制と強制的健康主義の台頭』)


「宗教は人民のアヘンである」という言葉は政治経済の疎外と搾取の宗教的表象関係の人間化というマルクスの意図から離れて完全に神々のように唯物論化されるとそれ自体麻薬の宗教と見分けがつかなくなる。未成年への飲酒喫煙の大人的な性的配慮の視線のノスタルジー。


 煙草は兵士と国民とを民衆として共有するための占領軍にとっての貨幣だった。その貨幣の金融的信用創造を支えるには恒常的な薬物検査による身体活動の「健康な」作用と司法制度の摘発を薬物学的な観点で実践に置き換えることが反抗勢力の鎮圧に必要だった。というのも反抗勢力は「純粋な」労働力身体に対して見せかけのポーズを用いて秩序に反抗を促す服装のコードを「国民的に」規定するものだったからである。もし職業的な服装のポーズが「不健康な」反抗的ポーズに対する非国民性として占領が解釈されてしまったら金融創造のための法的な正当化は自分たちの給金に人間性を付与するための服装購入でしかありえなくなる。というのも占領軍にも国体を維持する司法勢力にとっても自分たちの給料がに基づくものであることを生命の安心以外から引き出せる建前は何も存在しなかったから。世界保健機構のイデオロギー的正当化の本質主義。治療生産活動の消費労働課の設立。


 ここから健康ことと健康ことの秩序対民衆という誤った二元化が生じる。というのも食の健康に関する代謝がそれ自体秩序の言説と同じものであるかどうかだけが、身体的表象の自然さを守るための本質主義的コードになり、そうでないものは資本商品秩序の宣伝によって「錯覚させられた」栄養素でない依存のための薬物的構築であるということになるからである。明らかに「常に」そうであるとは限らない。医学的なデータに基づいた健康食が優れている場合もあるし、単に自分の好きなものを我慢して具合が悪くなっているだけの場合もありうる。しかし食の同化主義的な宴会による職業的和解という慣習の立場からすると、もし秩序に同化する食事を拒絶することが社会集団の維持に必要な出された食事を共同の物にしないことに繋がるのなら、それは個体間の種族差別ではなく人種差別の宗教性という立場に転落することになる。それは職業労働の国家秩序的な給金の正当化の根拠を脅かすことになるだろう。だから生活習慣病という予防的修辞が形式的に要求されることになる。生活習慣病にかからないために、宴会での食べ過ぎや出された食事をある程度拒絶して身体の健康を守って、その労働を健康なままでやり続けるために運動をする。しかしそれは労働の努力を無際限に拡張する、という生活習慣の改善要請とセットでなければならない。例え、そのために自然主義的な療法で独りで食べることが秩序集団に許されているように見えるのだとしても、これ自体が商品的な宣伝のための修辞になりうる。国民的運動目標のスポーツによる健康改善の新陳代謝の流行性。


 特に女性の場合、服装のコードがそれ自体反抗的なポーズなのか、それとも美しさのための性的なアイコンであるのかを正確に特定するような規範は存在しない。彼女たちが美しさのために「不健康な」行動を取っているのだとしても、男性の場合ほど、明らかにそれと判るようなはっきりとした説明をつけることはできない。だから服装の「健康な」コードが労働者の身体的形容として要求されるのでなければならない。労働力身体は身体に魅力がポーズとして在るかどうかではなく、「健全である」かどうかだけが美容の憧れのために努力として嘘であるかどうかが決定される。もちろん「美容の憧れのために」健康な生活を送ることが社会生活の維持とどうかかわるのかの説明はまったく必然的でない。それと似たようないかなる自然主義的実践も社会的コードの翻訳からではなく、文化的な名目の疎外から取ってくることになる。だから家庭の維持という教育的な措定から、子供の健康を守るための食事制限という名目が司法的に定められることで医療的なコードに服装を置換することが可能になる。この修辞こそ我々がゲームのエネルギー論的なシステムとしてキャラクターに服装を着せるときの欲望ということになるだろう。男性的な保母システムのジェンダー的内面化促進のためのがん治療。トランスジェンダー的な社会的コードを秩序的な振る舞いへの反抗だと信じ込ませるために「実際の」中性的なポーズを利用するキャラクター使用の課金制。



 労働力身体の価値形成過程と現象的認識の抽象化作用が生産様式に対する消化の異化効果を生じさせるというのは二重の意味で考えられなければならない。自分の胃袋に詰まった食事を運ぶのが自分の身体器官の労働力だとしてもその食べ物を労働力で購入して、その味覚を満足させたり、商品的な差異に関して鋭敏になることは、たとえそれが「腹に入ってしまえばみんな同じ」だとしても認識論的に違いがあるからである。化学的成分に対して消化吸収が「思考」として器官的に存在することと消化成分の吸収過程を身体機関のように「思考」することは明らかに違う。しかし脳制御の抑制機能という点から認知機能を論じてしまえば統計的な処理からこの二つは区別がつかなくなる。伝達経路の知覚と認識記憶の伝達性を処理内容の保存場所に平均化する作業目録。物質の表象においては古典物理学と量子力学の差異と同じような対応原理が働いているように思える。それは確率論的な説明を侵入経路の巨視的なスケールだけで発想するようになるまで、日常的な観点に無関心になることを労働力の身体性に習慣として還元することだ。このことが明らかになるのは感染症と食中毒の発生が、「誰が」それを持ち込んだのかという因果論的説明にすり替えられる時である。花粉症にはマスクをつけることが正しいが感染症の予防にマスクを使うのは慣習性の倫理だという重症者の波の要請。というのもエクリチュールの毒は「常に」誰かが運んでいると描写されるのだが、ウイルスや電子のような微小なものは必ずしもそうであるわけではなく、である可能性があまりに存在するからである。



 感染経路の特定と中毒経路の特定と、密売ルートの特定と司法活動による責任根拠の特定という基準はそれぞれ全く異なった方法論的演繹を必要としている。問題は予防という言葉にある。生活習慣病の予防という原則と感染症の予防という原則を同じに扱うことができないように、中毒経路の過剰性を抑えることと密売ルートの包囲網を敷くことは見た目では似ているように見えるが、やはり全然違う論理に基づいて行われている。しかしこれらの責任根拠の特定は予防の確率性ではなく、「誰が」それを指示したか、という描写に還元されなければならない。これは脱政治化の基本的な修辞である。仮に方法論的に確率的な論拠以外何もその指示に正当化を与えることができないとしても、その指示に科学的な根拠が数学的な証明の結果として健康の意味を設定しなければならない。だが健康が給金の正当化の論理でしかないのなら、「誰が」その給金を受け取るかの正当化の論理にしかなりえない。その確率は要請が受け入れられるか、そうでないかのシミュレーションでしかない。これは責任逃れのための巨視的な統計的数字を「常に」行為と物品の点数として要求することになるだろう。麻薬は金になる。だから麻薬は資本主義の過剰の原因として多くの労働力を中毒患者にしているという説明は、麻薬が売れることはそれ自体としての過剰であるわけではなく、医療機関が使用する目的以外での身体的快楽の依存性があまりに強いものであるので、その購入による使用を強力に制限することを法的に定めなければならないという点にあるのに、それを商品の個人使用の違法性の修辞に売り上げの過剰として説明してしまったら、麻薬を使う患者はすべて潜在的に医療を不正に購入する反抗勢力だ、と言っているに等しくなる。感染予防のための特定のワクチンを「健康」という秩序に定められた医療目的外で使用することも反抗勢力と等しいということになる。ワクチンは特定の企業の金もうけに利用されており、ワクチンはウイルスに対するを植え付けるように副作用を展開するからだ。そのために不潔な針や使用済みの布などが大量にゴミ箱に溢れ出ていなければならない。これで感染した患者は巨視的には自己責任なのだから、生活習慣病と同じ健康志向の努力として説明されるのだ。その努力の費用がいかに労働力身体の賃金から差し引かれていようとも金融的なの崩壊の方が物価として断じて喰い止められなけらばならない。いったい「誰が」悪いのか?


 量子論的な視点を電子工作的な部品的説明に置き換える操作というものが原子の振る舞いのシミュレーションを陰陽の性別的な戦いの模様に変換する細胞構築に置き換えられているように思われる。量子ドットで作られたコンピュータが構築されたアーキテクチャの駆動で血液などの細胞分裂と崩壊をいくら高速で観察しようと、その行動それ自体は明らかに巨視的であって、仮にウイルスソフトウェアに感染していてもなんら量子論的な視点と関係ない。しかしコンピュータを使う論点とある特定の汚染的な検査が政治責任に科学的なデータ証明を確率的にしか因果づけられないという場合は、そうではない。この場合、「誰が」その指示をしたかどうかよりも、科学的な振る舞いが社会的な環境リスクの要因性に還元されない統計的操作の確率的原因に関わる試行として、行政の形式が関連付けられなければならない。これはガチャの確率の不正表記が消費者法に訴えられる名目的な根拠になるのと似ている。ただもしこれをある特定の企業の過失責任として問うのだとしたら、それが事故であるのか予測できた人災であるのかはアルゴリズムのシミュレーションの表記と違い不完全な関連しか持たないのだから、相関する現象はあっても非過失責任のようなものを問うのは不当だと宣言されるだろう。しかし核廃棄燃料の科学的データの検証責任に類する確率的な放射性粒子の検出と健康被害の確率論的な因果関係は客観的な事実として社会的行政が引き受けるべき司法原理である。もしこれを守らないのなら、ある科学的データを検証するという責任性そのものを否定して警察の強力な証拠の客観的時系列の妥当性を拒絶することが「誰にでも」可能であるという放免性になりうるし、それを否定するためにはヘーゲル的な自由の条件の絶対化から、は社会的責任から動植物的に自由という理性の歴史の法廷に類する差異性の戯言を試験勉強の投資だとして真に受けなければならなくなる。官僚的委譲原理の行使は徹底的に行きつくところまで行きつくのであって、それは象徴天皇の「人間性」が放射性崩壊の「子宮記憶」に神器である電子部品として植物的に生存しているという「実際の」人間身体をもたらすことに繋がる。集団的自衛権の無際限の先制的予防、放射能汚染が行われている地域の人間はすべて官僚的委譲の地域包括ケアの汚染原理の内部被爆であるという原料的伝導の鉱物的に。電子メールを受け取ることは人類の古典的知覚にとってとてつもなく「有害な」という経路選択の決定可能性を有するゲーム情報をもたらす。



 生命の恒常性知覚記憶の崩壊に文明の存続を賭けて戦うことと、放射性崩壊の量子スケールに基づく測定実験を政治的な思考として応用することは別のことであるように思える。食用の遺伝代謝サイクルを血液的個我に汚染された機械のように自律的な意志の担い手として描写することは仮にそれが人間理性の暗喩としてより望ましい世界の不完全さを目指して戦うための美しさとして措定されるものであったとしても、量子の古典的解釈に基づく宇宙の整合性についての説明論理を読み手として要求する。文章を読むことが個体的な証明であるというわけではなく、クローンにおける子宮外の出産可能性が血縁関係の政治的イデオロギーを解体する遺伝子的論理の崩壊原理として二重の意志のように構成要素から挿入されているということ。問題は人々が「バット」を持って性的に猥褻なことの隠喩を卵の共存可能性のように消費し合うことではなく、世界が意志と行動の説明を引き受けるためには、論理記述の二通りの説明可能性に依拠したに対して影響を与え受け取るように、無-世界の崩壊の分裂的な性格を認知の主体的な数の要請として離散的な言葉にしなければならないということではないだろうか。なぜなら恋の要請が持つ言葉の二重の不器用さは性別的な代謝の二項関係では安定せず、視覚的な反射とすり抜けのイメージを透明さの重いの波のように抱きつつ、常に量子もつれの状態に関して、それが破綻するか、共存するかわからないような粒子の創造を司る愛の結晶を通して回折するしかない身体の壁を二重スリットの干渉から幽霊のように告白を確認することでしか、その子供が逆さに踊る妖精の衣装でない自分の物だとして誕生しているかどうかを婚礼の鋳造された指輪の名前として知ることはできないのだから。

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