第7話
シェイクスピア『コリオレイナス』の問題。
「いいか、あいつがりっぱな働きをしたのもそれを自慢したいがためだったんだぜ。甘っちょろい連中なら国家のためってことで納得するだろうが、実はおふくろを喜ばせたいためだと自慢したいためだったんだ。あいつは傲慢だ、それはあいつの勇気といい勝負さ」『コリオレイナス』
『コリオレイナス』の劇はマーシャス(コリオレイナス)を殺すことで倉にある穀物を民衆の言い値で手に入れるという取り決めからこの劇は始まる。それに対してメニーニアスはマーシャスが公共の福祉のための取り分を立派に生産しているという弁護によって共同体の器官間の有機的な調和を説こうとする。その後にマーシャスが登場し民衆に対して侮蔑的な言葉を与え、護民官という役職が創設されたことに激怒する。マーシャスは侵攻してきた敵のオーフィディアスと戦うことの方を求めており、残った民衆に倉の穀物を渡しながら退場し、護民官はマーシャスに第一位の座を与えて自分たちは第二位に立つことで名声に関わる非難をかわそうとする。場面は変わりマーシャス邸で彼の母ヴェラムニアと妻ヴァージリアが会話をする。母の方はマーシャスが戦争で敵を蹴散らすさまを祖国の名誉のように称賛し、その妻は戦争でマーシャスが死ぬのを恐れながら子供と共に家に閉じこもったままでいる。こうしてローマとコリオライ間の都市戦争が始まる。
まず民衆のコリオレイナスに対する態度から考えよう。民衆はコリオレイナスの功績は認める。しかし彼の侮蔑的言辞には我慢ならない。それはマーシャスが民衆に媚びへつらわないからではなく、明らかに必要以上に、民衆の態度を非難し攻撃するという点に関わっている。民衆がコリオレイナスを殺そうとするのはマーシャスがローマにおいて穀物の倉を守っている名誉ある将軍だからであり、彼自身に憎悪を抱いているからではないが、民衆はローマが攻撃されるとき真っ先に彼の攻撃対象となるのだから自己防衛としても先手を打つ必要を護民官に説得される。この問題に対する口実がコリオレイナスは傲慢であるという言説の基本的な根拠である。
友人であるメニーニアスの態度はこうである。コリオレイナスはローマを守る公共的な名誉を象徴する人物である。彼の功績は幾たびの戦場における傷跡からも証明済みの事実であり、彼は言動は乱雑で粗暴だが、高潔で立派な人物であり、単に倉にある穀物を食らい尽くそうとする民衆には及びもつかない人物である。しかし貪欲な民衆を説得するためにはやむを得ず詭弁を弄する必要があるのであり、それは護民官という制度が民衆の暴動を抑えるための形式に過ぎないという配慮も合わさって、コリオレイナスに母親と共に口裏を合わせるように説得する。だがコリオレイナスはメニーニアスの懇願に対して何の応答もしない。それは彼に友情を感じていないからではなくそれとこれとは違うからである。
では護民官の態度とは何か。それは完全に単なる劣等感であるように思われる。しかし彼らの政治的論理が間違っているわけではない。護民官が求めているのはコリオレイナスの栄誉は自分たちが授ける者であり、それは民衆の制度としての言論のためでなければならないということである。コリオレイナスはマーシャスとして民衆の言論を尊敬しない。これは祖国に対する、民衆に対する、権利に対する反逆である。したがってマーシャスだけでなくコリオレイナスは死刑でなくてはならず、ローマという土地から追放されなければならない。だが彼ら自身には元老院に穀物を言い値で売らせるための実力が欠けており、またローマを実際に防衛するための名誉に値する徳も持ち合わせているわけではない。それは母ヴェラムニアの怒りの原因となる貪欲さだ。
オーフィディアスのコリオレイナスに対する態度は憎むべき敵であり、自分の名声にとっての致命的な障害であり、そして婚礼の約束を交わした花嫁のように尊敬すべき友人である。オーフィディアスの態度ははっきりとその時代における政治的利害関係における独立性として構成されており、彼自身の個人的なマーシャスに対する態度の解釈をはき違えるわけではない。しかしオーフィディアスはローマの敵であるという規定は変えることができないため、マーシャスをコリオレイナスという奪われた都市の名を冠した憎むべき宿敵として思い出すことを彼の死まで一瞬たりとも止めることはできない。そのためオーフィディアスは良くも悪くもコリオレイナスの武人としての特徴を高潔という名誉ある生涯として描き出すだすだけで、それ以上に進むわけではない。
残っているのは母ヴェラムニアと妻ヴァージニアのコリオレイナスに対する態度である。ヴァージニアについてマーシャスはこう言っている。沈黙の天使だと。言い換えると、彼女はコリオレイナスに言葉を浴びせかけない女性なのだ。これが家庭の平安を保証する。したがって問題なのは母ヴェラムニアの方である。ヴェラムニアの態度はマーシャスを祖国にとって名誉ある息子であると定義づけている。それは酒飲みで腐敗した「民衆」とは違う存在として戦争の危険に曝され続けなければならない。これこそ問題の本質だ。というのもコリオレイナスが言う言葉のすべてが家庭内でヴェラムニアが言っていることを手本とした鋳造なのだから。しかしヴェラムニアはコリオレイナスに高潔なローマの男児であるとともに策略と名誉を織り交ぜた政治的俳優であることも求めるのであり、そのことをローマの名誉であるコリオレイナスに頼むのは母としての恥であると言うのである。これこそコリオレイナスが我慢できないことである。というのもコリオレイナスが民衆の請願に対しても、ローマを侵略しないようにという請願にも動かされるのは、恥をかく母親を見たくないということを認知の原因に帰しているからだ。だがヴェラムニア自身がマーシャスをそのような存在にしてしまったという責任は、一切取られないままだ。ここにコリオレイナスが言葉による価値の変動を恐れる何よりの理由がある。
ではマーシャスはコリオレイナスに対してどんな態度でいるのか。彼はコリオレイナスという名を敵国であるヴェルサイ人にとっての忌み名であるとしか思っていないように思われる。マーシャスが語っているのはコリオレイナスという名が声高に言いふらされることに対する病気への恐れでしかない。これが意味しているのは、コリオレイナスとはマーシャスへの母親の高潔さという祖国の名誉に対する底なしの欲望から生み出された私生児であり、耐えられない俳優的な定義性の言辞であるということである。つまりコリオレイナスという名が民衆によって語られることはローマと売春を行っていることに等しいのであり、彼をほとんど惨めな乞食の境遇に追いやるということである。彼が安心できるのは無名の兵士として身体を動かし敵と戦闘をしている時だけであり、その時に助けられた匿名の人物には敵であろうと惜しみない感謝の念を預けることができるのだ。彼がローマを追放された時にオーフィディアスが発見したのも、彼の乞食同然の姿に兵士としての力量を見て取った時であり、元老院の要請から乞食姿で民衆に対する請願を行っていた時ではない。なぜならそれは個人的な食事に対する言葉の責任を取ることができないからだ。彼が激高するのは「裏切者」と呼ばれるときであるということ___つまり、何かから背き、実質から外れた行動を取ることである___は、彼がコリオレイナスという実質から背き、「祖国の名誉となる息子」という都市における鋳造の定義性から抜け出すことができないということが彼の態度を生み出しているのであり、そこに彼の母に対する認知が賭けられていることを無視する態度である。コリオレイナスが焼き払いたいものとはローマの名誉に対する底なしの欲望であり、神々のように名誉をその名前以外求めない者になりたいということこそオーフィディアスと戦うことで満たされていた欲望であり、それがローマに弓を引いたとき、その別の土地に対する忠実な「裏切り」によっても彼の名が名誉に汚されないことが決してないということが、彼の鋳造された心情だけでなく彼の身体をも八つ裂きにするのだ。
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