第23話 神都の守り手

 エンリ女王が率いる本隊から離れて、ゴブリン軍師はスレイン法国首都を目の前にしていた。

 六種類の旗を掲げた壮麗な街並みだと想像できる。


 周囲を高い土塁で固め、ゴブリン軍師の位置から見えるのは塔群の上階部分だけだった。

 ゴブリン軍師の前には、五千の精鋭が居並んでいた。

 ゴブリン重装甲歩兵団、ゴブリン長久兵団、ゴブリン魔法支援団等々、エンリによって2回目の召喚を受けた全軍である。


 欠けているのは13レッドキャップスの内の半数に当たる7人と、後方支援隊のみである。

 レッドキャップスの7人は、エンリの意思を押し曲げても、女王の周囲に配置した。


 エンリ自身の安全のためでもあるし、普段離れることがない護衛の赤い帽子を被ったゴブリンがいないことに、違和感をもたれることを懸念したためでもある。

 ただし、違和感を持たれるというのはエンリを説得するための、ゴブリン軍師による方便だった。


 実際には、どれだけ疑われてもいいのだ。

 本陣を率いるエンリ女王は、本人なのだから。

 最大戦力である召喚された5000のゴブリン軍は、これまで表立って戦闘の中心にいたことはない。


 可能な限り寄せ集めの亜人達で軍を構成し、実際に戦果を上げてきた。

 それは、増加する亜人の口減らしの意味もあったが、ゴブリン軍本隊に頼らないことで、全体の戦力を強化する意味もあった。


 もっとも大きな目的は、最大の障壁であるスレイン法国の首都を攻略するために、秘匿することである。


「では、任せましたよ」


 ゴブリン軍師が声をかけたのは、すぐ側に控えていた黒い頭巾をかぶったゴブリン達だ。

 ゴブリン暗殺兵団と名乗り、召喚された直後には、日の当たる場所に出ることはないだろうと自ら語っていた部隊でもある。


「承知」


 リーダー格の一人が短く答えると、黒い頭巾のゴブリンたちは土煙に消えた。

 ゴブリン暗殺兵団に命じたのは、スレイン法国6人の最高神官の暗殺である。

 スレイン法国内部の情報は、可能な限り集めてきた。


 だが、まだ全てを把握しているとは思えない。

 巨大ななにかが潜んでいるのではないかという不安は、ゴブリン軍師も拭えなかった。

 だが、ゴブリン軍団本隊が勝てない相手であれば、エンリ女王をも殺しうる。


 それだけは避けなければならない。

 スレイン法国側でも、ゴブリン軍団の存在は把握しているはずだが、なにも動きは見られない。


 60000の本隊がすでに戦地に赴いており、すでに兵力が残っていないのかもしれない。

 首都の守りを疎かにする相手とは思えなかったが、エンリが率いる亜人軍団は100000に達する。5000のゴブリン軍を脅威として理解できなくとも、仕方がないのだろう。


 むしろ、スレイン法国側が警戒していないのであれば、ゴブリン軍師の計略通りなのだ。

 法螺貝が鳴る。

 5000の兵力が一斉に立ち上がる。


 ゴブリン軍師はいつもの羽扇とは別に軍配を振り上げ、静かに前方に倒した。

 ゴブリン軍団が地響きを上げて動き出した。


 ※


 ゴブリン軍団の中核を成す、ゴブリン重装甲歩兵団がスレイン法国首都、法国では神都と呼ばれる6つの塔に象徴される都市に向かって進む。

 ゴブリン軍団の総数は5000に過ぎない。その数に似合わない地響きを伴う行軍が始まった。


 人間という種族を守る最後の砦と呼ばれる国の首都は、高い壁に囲まれた白亜の都市だった。

 ゴブリン重装甲歩兵団は軍の中核だが、それ以外の部隊は歩兵団に介在する形で従軍している。


 歩兵団と比べると、どの部隊も20人を切る程度の人数しかいないため、前後左右に配置すると攻撃の的になるためだ。


「全軍、別れ!」


 ゴブリン軍師が声を張り上げる。普段はエンリ女王の側近として穏やかに羽扇を降っている軍師だが、戦場では全軍に響き渡る大声を出すこともできた。

 ゴブリン軍師の命令は、全軍に対しては意外なものだったはずだが、迷うことなく実行された。


 はるか先に法国の首都を見据える位置だ。ゴブリン軍団と城壁の中間に、荘厳な鎧を纏った戦士が立っていた。

 真正面だった。


 真ん中から左右に別れたゴブリン軍団の中から、取り残されるかのように赤い帽子を被った6人のゴブリンが残った。

 軍団の中央、ゴブリン軍師を守る位置にいる。

 13レッドキャップスのうち7人は、エンリ女王に張り付いている。


「勝てますかな?」


 ゴブリン軍師が羽扇で口元を隠したまま尋ねた。


「あれが……魔導国のメイドさんたちから報告があった法国の切り札ですね。正直言って、無理ですね」

「ふむ。絶死絶命……『ぷれいやー』の血を覚醒させた二人のうちの一人ということですか。負けず、死なず……それが女王陛下のお望です。できますかな?」


「6人がかりであれば……可能性はゼロではないかと」

「十分です。行きなさい」


 6人のレッドキャップス全員が力強く返事を口にし、ゴブリン重装甲歩兵団の行軍を置き去りにした。

 前方の人影が、全身を覆う鎧と背中に禍々しい巨大な鎌を背負ったまま、レッドキャップスたちよりはるかに速く駆け寄ってくる。


「軍師殿、隊列は?」


 ゴブリン軍団の誰かが尋ねた。


「このまま左右に別れなさい。レッドキャップスたちの覚悟を無駄にしてはなりません」

「了解」


 法螺貝の笛が鳴らされ、ゴブリン軍団はさらに大きく左右に割れた。

 レッドキャップスたちと、スレイン法国の切り札、絶死絶命が会敵する。


 ※


 スレイン法国の秘密工作部隊、漆黒聖典の番外席次、絶死絶命は、一人でゴブリン軍団を全滅させるつもりだったのだろう。

 そうでなければ、際立った強者がいるわけではない軍団に一人で立ち向かう意味はない。


 だが、狙うべき相手はいる。

 エンリ女王がいない状況では、全軍の指揮をとるゴブリン軍師がそれに当たる。

 軍団が左右に別れたため、中央にいたゴブリン軍師の位置が明確になった。


 その途端、赤い鎧を着た絶死絶命が走り出したのだ。

 ゴブリン軍師に到達する前に、レッドキャップの一人が長柄の鎌を持って立ちはだかる。


「チッ、邪魔だってんだ」


 細い女の声だった。だが、背負った大鎌を振り回す動作に淀みはなく、筋力は性別とは無関係だと語っているかのようだ。

 絶死は、足を止めて立ちはだかるレッドキャップの命を刈り取ろうとするかのように薙ぐ。


 赤い帽子のゴブリンは、戦う気になっていれば死んでいただろう。

 だが、ゴブリンは背後に下がった。

 次の瞬間には、同じように距離をとったレッドキャップスが、6方向を取り囲んでいる。


「軍師殿、先へ」

「うむ。死ぬことは、エンリ女王陛下がお許しになりませんぞ」

「委細承知」


 6人の最強のゴブリンたちが、武器を鳴らした。

 全身を神級の装備で固めた最強の存在が、大きく舌打ちをした。

 死を覚悟した兵は強い。それ以上に、足止めに専念することに決めた手練れほど面倒な相手はいない。絶死は、それを知っているのだろう。


 ゴブリン軍師はレッドキャップスたちの背後を移動する。

 絶死が追おうとすれば、等間隔に距離をとったレッドキャップスが移動する。

 絶死絶は、レッドキャップスを無視してゴブリン軍師を追おうとした。


 ゴブリン軍師の前に二人が立ちふさがり、背後から一気に距離を詰めようとする気配を察知した。

 装備に頼ってゴリ押しすることはできる。レッドキャップスの強さは、漆黒聖典の団員たちより少し上回る程度だろう。


 数撃をもらっても、致命傷にはいたらない。

 だが、背後から襲ってくる相手を無視してまで、ゴブリン軍師を殺すことにこだわる意味を感じなかった。


 何より、戦士としての矜持が許さなかった。

 ゴブリン軍師に至る直前で方向を変えた。

 位置を変え、武器を構えると、ふたたびレッドキャップスは同じ配置に戻り、絶死を取り囲んでいた。


 ゴブリン軍師の背中が遠ざかる。

 そのさらに前方で、左右に別れたゴブリン軍団が合流し、ふたたび一つの群として集約するのがみて取れた。


「お前たち、女一人を足止めして嬉しいか?」


 絶死が尋ねた。レッドキャップスのうち一人が答える。


「そのために、全員が死ぬことになろうとも」


 一切の油断はない。

 この囲みを破る手立てはある。絶死には、切り札が二つある。どちらの切り札を使用しても、レッドキャップスを殺すことはできるだろう。

 だが、切り札を使用するほどの状況かと問えば、答えは否だ。ゴブリン軍師は敵の首魁ではない。絶死の役割は、ゴブリン軍団の足止めだ。


 最強のゴブリンたちを引き付けているだけで、その役目は果たせたと言える。

 現状に苛立ちながら、絶死はぼやいた。


「……そうかい」

「その役目、俺も加えてもらおう」


 突然だった。ゴブリン軍団の行軍方向から声が聞こえた。

 絶死が振り返る。知り合いではない。レッドキャップスたちにとっても、知らない存在だったようだ。

 白金の鎧が、宙に浮かぶさまざまな武器を空中に浮かせていた。


「……13英雄様の登場かい?」

「俺は、世界を守らなければならないのでね」

「ならば、殺すのはゴブリンどもだろう」

「ゴブリンはこの世界にもいる。世界を汚したことはない。世界障壁」


 周囲が障壁に囲まれた。


「私に、敗北させられるのかい?」

「そのつもりだ」

「それは、楽しみだね」


 レッドキャップスたちは、白金の鎧が生み出した障壁の際まで移動する。レッドキャップスが形作る円形の、ほぼ中央で戦いが始まった。


 神級と呼ばれる装備を身につけた絶死絶命と、それに匹敵する武器を自在に操る白金の鎧の戦いに、ゴブリン軍団最強であるはずのレッザキャップスたちすら、手を出すことはできなかった。

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