第22話 漆黒聖典、墓穴を掘る

 3ヶ月が経過した。

 ンフィーレアは戻らず、亜人達が続々と集まってくる。

 アーウィンタール丘陵地域にいた様々な亜人達が集結し、首都エモットに入りきれずに周辺の森に溢れた。


 エンリはゴブリン軍師と相談し、首都エモットを、きわめて少数派となってしまった人間たちに委ねる決定をくだした。

 その直後、エンリは全軍を率いて首都を出発する。

 救出された5000のエルフ族を始め、人間以外の戦える者たち全員が同行した。


 その数は50000に達し、ヤルダバオト禍から生き残った亜人達が、さらに合流することが見込まれていた。

 出発から2週間後、スレイン法国の民兵と対戦した荒野よりはるかに法国の首都に近い場所に、エンリは布陣した。


 はるか先にスレイン法国の首都が見える。

 エンリ達から法国の首都までの間に、六種類の旗を掲げる役60000の軍勢が立ちはだかっていた。


 全軍の布陣を確認し、本陣に戻ってきたエンリに、来客が告げられた。

 告げたのは、覇王エンリの供回りとして扱われている先任隊隊長ジュゲムである。

 この軍に、純粋な種族としての人間はエンリ1人だった。


「客って?」

「10人程度の人間です。全員、黒い鎧を着ています」

「ここまで、よく来ることができたわね」


 エンリは驚いて訊ね返した。エンリがいる本陣は全軍の後方である。50000の亜人達がいる中を、人間種が通過できるとは思えなかった。


「噂に聞く漆黒聖典では?」


 エンリの守護のために配置された赤い帽子をかぶったゴブリン、レッドキャップが口を挟む。


「どうします? 陛下、危険かもしれません」


 漆黒聖典の存在は隠されている。だが、エンリ達にとっては既知のことだ。それは、情報がアインズ・ウール・ゴウン魔導国からもたらされているからだ。


 その情報元がプレアデスや一般メイドであることまでは、エンリは知らなかった。

 エンリが周囲に視線を送る。供回りのゴブリン達が9人、レッドキャップが7人いる。これが現在の護衛の全てだ。


「……私を殺しにきたのかな?」

「殺させません」


 レッドキャップの声に、エンリは首を振る。


「私を殺しただけで戦争が終ると思っているなら、宣戦布告なんてしてこないわね。いいわ……連れてきて」

「承知しました」


 ジュゲムが頷く。

 本陣は大きなテントの中にある。

 幕が上がり、入ってきた人影の中に1人、エンリが知る人物がいた。


「ンフィー……どうしたの? 可愛い格好して」


 黒い鎧の人間たちに囲まれ、ンフィーレアはチャイナ服と呼ばれる形状の、竜の意匠が印象的な派手な配色のドレスを着ていた。

 もちろん、この世界の人間たちがチャイナドレスを知るはずもなく、女物であることも理解していない。


 法国側の代表がンフィーレアであるはずはない。だが、ずっと探していた夫の姿に、エンリは黙っていられなかった。

 すぐに、王のとる態度ではなかったと、黒い鎧の集団に視線を向ける。


 中央に、まだ若い、黒髪をした精悍な若者がいる。一行のリーダーだろうと、エンリはすぐに理解した。

 レッドキャップスたちが、その男一人に警戒している。


「ゴブリン王国国王、エンリ・エモット殿ですね?」


 鋭い眼光を向けながら、中央の男は静かな口調で尋ねた。


「はい。その通りです」

「我々は争いを望んでいない。兵を引くことはできませんか?」

「宣戦布告をしてきたのは、法国でしょう? それに、兵を引けば、私たちを殺しに来るのでしょう。法国は、亜人を認めないと聞いています」


「人の世を守るためです」

「否定しないんですね。ゴブリンさんたちだって、傷つけば痛いし、大切な人を奪われれば悲しいんです。人の世のために皆殺しにしていいんですか?」


「皆殺しにしてもいいんです。あなたもご存知の我等が神は、それを認めています。しかし……皆殺しにしなくてもいい。どんな方法で強化したかわかりませんが、エンリ国王が率いるゴブリン軍は強い。私たちに隷属して、隣接する魔導国への壁となってくれればいいのです」


 エンリは肩を落とした。話し合うだけ無駄だ。視線を地面に落としてから、エンリは挑戦的に中央の男を睨みつけた。


「私たちは引きません。あなたたちこそ、何をしに来たの?」

「エンリ国王の真意を知るためです。しかし、はっきりしました。あなたは、自分の意思でゴブリンたちを率いている。ならば、むしろ好都合だ。やれ」


 最後の一言が、誰に向かって放たれた言葉かわからなかった。


「何をしている?」


 男の鋭い声が飛んだ。男は背後を振り向いていた。

 男たちの集団から、ふらりとンフィーレアが離れた。


「エンリ……もう、十分だよ」


 ふらふらと、おぼつかない足取りでンフィーレアが近づいてくる。止めようとした黒い鎧の者たちを、中央にいた男が止めた。


「……陛下、お下がりを」


 エンリの前に、レッドキャップスが立ちはだかる。


「ううん。大丈夫」


 今度はエンリが押しとどめる。


「ンフィーレア、どうしたの? 疲れちゃった?」

「エンリこそ、どうしちゃったんだよ。戦争を起こして、人を殺して……いくら恩人のアインズ様のためだっていっても、やりすぎだよ」

「ううん。違うの。アインズ様のためじゃない。さっきの話、聞いていたでしょ? ゴブリンさんたちをどうするか……ンフィーは平気なの?」


 チャイナドレスのンフィーレアがエンリに到達する。エンリの手が、ンフィーレアの肩を掴む。

 夫であるはずの男の、あまりにも頼りない肩にエンリは驚いた。ンフィーレアは口を開く。


「平気じゃない。でも……エンリが心配なんだ」

「ありがとう。でも……」


 エンリは戸惑った。ンフィーレアの言う通りなのかもしない。エンリ自身、国王を目指したことなど一度もない。どうして、世界最強の人間の国家を滅ぼそうとしているのだろう。


 だから、視線を外した。

 気づかなかった。

 ンフィーレアのまとうチャイナドレスに刺繍された竜が、首をもたげていた。


「陛下!」


 叫び声と共に、エンリは横から肩を押された。今までの、エンリが自覚するエンリのままだったら、遠く突き飛ばされていただろう。それほどの強さで押された。

 だが、エンリはゴブリンたちの王として、亜人の国を束ねる存在として、数多の経験を積み、筋力も増していた。


 突き飛ばそうとしたのがレッドキャップスの一人であったにも関わらず、エンリはびくともしなかった。

 ただ、意識が混濁した。ンフィーレアの服に刺繍された龍が、エンリの腹部に飛び込んだことにも気づかなかった。


「ンフィー?」


 白濁する意識の中、悲しそうなンフィーレアの表情だけが視界にあった。


「……うん。わかった」


 何がどう『わかった』のか、何も理解できないまま、エンリは頷いていた。

 急速に、周囲に景色が戻る。

 その時には、全てが終わっていた。

 エンリは立ち尽くしたまま、黒いマントの背中を見つめていた。


「……アインズ様?」


 黒いマントが振り返る。

 骸骨の顔に、赤く光る双眸がおぞましい。エンリは、その顔を恐ろしいと思ったことはない。


「ワールドアイテムの影響は解除した。そうだな?」


 骸骨が尋ねた相手は、地面の上にへたり込んでいた。へたり込み、こくこくと頷いた。チャイナドレスを着たままのンフィーレアだった。

 エンリが崩れ落ちようとした。周囲から、数多の手が支えた。

 暖かいゴブリンたちの手だった。


「陛下、大丈夫ですか?」

「うん、ありがとう。アインズ様……一体、何が……」

「エンリ女王」

「はい」

「よくやった」

「えっ?」


 骸骨の顔は笑っているようだった。

 アインズそれ以上言わず、前に進んだ。

 全てが終わっていた。


 エンリの前に布陣していたはずの60000の軍勢は、壊滅していた。

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