第16話 半妖精の解放
戦場の清掃という名の死体回収をゴブリンたちに任せて、エンリは荒地に貼った天幕の中で、ゴブリン軍師たちと今後の方針を相談していた。
荒野に貼った天幕だが、その周囲には巨体のトロールたちを風よけとして配置しているので、風で倒される心配はない。トロールをただの風よけで配置できるのは、大陸広しといえどエンリだけである。
地面に敷いたゴザに足の短いテーブルを据え、簡単なゴブリン王国周辺の地図を開いて数人が向かい合っていた。
今回の戦いに、人間は参加していない。激しい戦闘が予想されたため、参加した人間はエンリ一人である。
その他、テーブルを囲んでいたのはゴブリン軍師、ゴブリン重装甲歩兵隊長、ゴブリン聖騎士隊長、ゴブリン長弓隊長、ゴブリン魔法支援隊長といった、ゴブリン軍団の精鋭たちを率いる隊長たちに、側近としてゴブリントループのジュゲムが参加している。
「法国は手を引きますまい。むしろ、ここからが本当の戦いとなりましょう。民兵が壊滅となれば、次は正規軍です。今回の戦いで相手にした民兵に倍する勢力が相手となりましょう」
ゴブリン軍師は羽扇を動かしながら、涼しい顔で告げる。
「まともに戦える戦力じゃねぇですよ陛下」
ジュゲムが青い顔をした。エンリも頷く。
「ゴブリン王国に戻れば、またゴブリンさんたちが集まってくると思うけど、法国の中ではそれもないから……仮に勝てたとしても、少しずつゴブリンさんたちの数を減らされるでしょうね。なら、王国に戻った方がいいわね」
エンリは国王である。戦略的にどうであれ、最も発言権が強い。
ゴブリン重装甲歩兵隊長が顎を掻いた。
「しかし、陛下、ゴブリン軍団の本体であれば、スレイン法国の軍隊が十倍であっても、勝ってご覧に入れられると思います。弱気になる必要はないでしょう」
「……でも、ゴブリンさんたちも、10000人以上死んだんだよ。お互いに潰しあって、誰も生き残らないなんて、やだよ」
「法国は、そうなるまでやりますぞ。我が国の存在を決して認めないでしょう」
「……お願い。一度、国に戻らせて」
エンリの声が震えた。ゴブリン軍師が頷く。
「陛下のご心痛を考えれば、これ以上の戦線拡大は避けるべきでしょうな。されど……いましばらく、この地にとどまることだけお許しいただけませんでしょうか? この地に、陛下のお力になるものたちが迫っていると聞き及んでおります」
「……誰なの? ひょっとして……アインズ様……」
「残念ですが、それはございません。魔導国からの表立った支援は受けられません。ですが……ああ、来たようです。早かったですな」
ゴブリン軍師は立ち上がり、天幕から出ていった。しばらくして戻って来たときには、いかつい人間の兵士が、華奢な奴隷を引き連れているのがわかった。
「誰なの?」
エンリは、あらためて尋ねた。女の奴隷を連れている。それだけで、エンリにとっては不快だった。声が荒くなった。エンリの声に、ゴブリンたちが怯えた。
「ほっほっほっ。陛下のお気持ちはお察し致しますが、陛下が思うような者たちではございません。お前たち、もう安心ですぞ。こちらが、覇王エンリ陛下です」
男がフードを取った。奴隷たちが従う。女の奴隷は3人いたが、外にはさらにいるという。
「お初にお目にかかります。私はスレイン法国の兵士をしておりましたが、このかわいそうなエルフたちを逃がすため、南方のエルフの森より旅をしてまいりました。ここにいるエルフは、身分を偽るために耳を切っておりますが、奴隷ではございません」
エルフたちもフードを外す。確かに特徴である長い耳は上部を切り落とされているが、細い綺麗な顔立ちに、疲労の色こそあれ、奴隷特有の絶望した様子は見られない。
「では……この人たちは?」
「ほっほっほっ。以前より進めていた諜報活動の成果です。スレイン法国は、南部のエルフの王国と戦争中であることは陛下もご存知かと思いますが、エルフたちの王は、陛下ほど人望に優れないようです」
「国を捨てて、逃げて来たの?」
エンリの声に不快なものを感じ取ったのだろう。耳を切られたエルフの一人が這いつくばろうとした。突然の動きに、エルフの影となって控えていたレッドキャップの一人が、躍り出て動きを牽制する。
「大丈夫よ。どうしたの?」
「……はい。先ほど……スレイン法国と大規模な戦闘が行われていた様子を見ておりました。エンリの陛下は……人間であられるのに、ゴブリン王国の先頭となって、戦場立たれるのですね」
「戦争が始まったのは、わたしに責任があるのだから、隠れて結果を待つというわけにもいかないじゃない」
エンリは当然のことだと思って言った。その言葉に、エルフたちだけでなく、スレイン法国の兵士すら驚いて目を開く。先頭にいたエルフなどは、目から涙がこぼれるほどだ。
「エルフの王は……自ら戦争を引き起こしました。それも全て、自分の子供たちに眠る神人の血を呼び起こすためです。現在のエルフ王は、かつての八欲王の血を引いていると言われており、王自身は誰も敵わないほどの強さを持っております。王はエルフの娘たちを集め、できる限り多くの娘に自分の子供を産ませました。どの子も強く育ちましたが、王のように破格の強さには至りません。戦場を経験させ、生死をかけた戦いをさせれば、何人かは王のように八欲王の血を目覚めさせるのではないかと……ただそれだけのために法国に対して戦争を仕掛けたのです」
「……聞いていて、気分が悪くなる話ね」
「すいません」
「エルフさんが謝ることじゃないわ」
エンリは頭をぼりぼりと掻いた。痒かったのだ。
「そんな国王、追い出しちゃうことはできないの?」
「エルフの精鋭が何人かかろうと……倒せる手立てはございません」
エルフの表情は真剣そのものだ。背後で聞いているエルフたちの表情を見ても、嘘ではなさそうだ。一人、法国の兵士は驚いた顔をしている。そこまでは知らなかったのだろう。
エンリは居並ぶゴブリン軍団の隊長たちを見回す。
「わたしがそんなこと始めたら、止めてよ」
「ほっほっほっ。陛下にその心配はございますまい。例え陛下がゴブリンの子どもを産みたいと言っても、人間相手に性交したがるような、危篤なゴブリンはいないでしょうから」
「……なんだか、貶された気がする。まあ、いいわ。それでエルフさんたちは、耳を切って奴隷の振りをして、国を逃げ出したってことね。あなたはどうして?」
エンリの視線が法国の兵士に向かう。兵士は緊張した顔で答えた。
「俺は、その……エルフさんたちに同情して」
「籠絡いたしました。陛下にはお分かりにならないかもしれませんが、人間の中には胸がない女を好む男もおりますので」
「わ、わたしも、そんなに自信はないよ」
「いえ、いえ。私たちエルフから見たら、余分なお肉がつきすぎでございます」
「……なんか……また、ひどいことを言われた気がする」
「あっ……決して太っているという意味ではなく。胸のお肉が、戦場では邪魔になるのではと……ひょっとして、ラクダのようにエネルギーを貯蓄しておられるのでしょうか?」
「その、ラクダって知らないけど……おっぱいにそんな機能があるなんて、聞いたことないよ。わかった。あなたたちは保護します。ゴブリン軍師さん、いいよね?」
「ほっほっほっ。このようなことでも、エンリ陛下は下々の意見をお尋ねくださる。これが、私どもが陛下にお仕えする何よりの理由ですよ」
たぶん違う。ゴブリン軍師も軍団も、角笛でエンリが呼び出したから従っているだけだ。訂正するまえにエルフたちが感嘆の声を発してほめたたえたので、否定することができなくなってしまった。
「あなたはどうするの?」
「できれば、俺もゴブリン王国に入れてほしいんだが……」
法国の兵士が言った。
「名前を教えて。それから……エルフさんと結婚するなら、一緒にいてもいいわ」
「俺の名はグリュー・イワネックです。エルフさんと結婚なんて、夢のようです」
「ならいいわ。エルフたちは、これで全部じゃないでしょ。奴隷にされている子って、どれぐらいいるの?」
「ほっほっほっ。陛下、エルフたちを保護するということでよろしいですか?」
「うん。さっきの話しを聞いたら、誰かが味方してあげないと、かわいそうじゃない」
「実は、この者たちと同行したエルフは18名ですが……途中で囚われて逃げきれなくなり、本物の奴隷商人の手に落ちてしまったエルフたち数百人の居場所が判明しておりまして……この戦場から、直接乗り込める場所なのですが」
「……ふむ。ゴブリン軍師さん……ひょっとして、わたしを担いだ?」
「まさか。全ては、陛下の御心1つでございます」
「救出部隊の編成をお願い」
「お任せください」
エンリは、優雅に腰を折るゴブリン軍師は、意外と腹黒いのではないかと思い出していた。
※
エンリは戦場に打ち捨てられた死体、人間50000にゴブリン15000を首都エモットに運び込むよう命ずると、自分は少数の精鋭を連れて、エルフたちが捕獲されたという近隣の街に向かって移動した。
戦場にいた大部隊は帰還させたとはいえ、エンリが率いたのは、二度目の召喚で招聘した、ゴブリン軍団5000の最精鋭である。このうち、ゴブリン後方支援隊については、ゴブリン軍師を除いて参戦していない。
目立つトロールたちも先に帰還させたので、ギガントバジリスク討伐の際に使用した、悪霊犬が曳く戦車に乗っていた。
「ほっほっほっ。さすがは陛下、大軍を帰還させれば、わずかに兵が残ろうとも、陛下が戦場に残っているとは、法国の者たちは夢にも思わないでしょう。それに、戦全体からみれば、5000といえど寡兵です。警戒されているとは思えません」
「……うん。わたしはただ……目立ちたくなかっただけだけどね」
エンリがゴブリン軍師から絶賛されたのは、目標の街を見下ろせる丘の上である。明朝には雪崩を打って攻めよせ、街を蹂躙してからエルフを解放する算段だと聞いていた。
立案はゴブリン軍師である。どうして黙ってエルフを解放していかないのかと尋ねると、エルフの数が多く、エルフを救出しようとしていることがすぐに判明するだろう。ゴブリン軍団を手引きしたと見なされれば、数多くのエルフが処刑される。
それならば、ゴブリン軍勢で街を蹂躙し、うやむやにしたままエルフを解放したほうがいいのだと言われた。
ゴブリン軍師の言うことだからたぶん正しいのだろうと、エンリも引き下がった。だが、ゴブリン軍師はなぜか戦線を拡大させようとしているような気がした。
丘の上に隠れるように布陣しているため、天幕も張らず、火も熾さない。
エンリを中心に、ゴブリン軍師、救出を求めてきたエルフたちの代表、各部隊の隊長が顔を揃えている。
すでに深夜遅く、太陽の輝きがわずかでも認められれば、一気に丘を駆け下りる予定だ。
エンリの背後に、小さな影が立った。
レッドキャップスの一人だ。
「ご苦労様です。偵察の報告?」
「はい。エルフの多くは、領主の館にいるようです。全員耳を切られ、領主が各地に奴隷として売り渡すのだという噂を聞きました。民兵との戦いについても話題に上がっていますが……現在でも補給の準備をしているようで、民兵が壊滅したことは知られていないようです」
「ほっほっほっ。それはよい。陛下が迷わず進軍を指示なされたこと、少数精鋭で一気に距離を稼いだことが功を奏しておるようです。大軍であれば、移動にも時間がかかっていたことでしょう」
「……うん。それって、いいことだよね?」
「もちろんです。太陽が登りきる前に戦況は決するでしょう」
「……うん」
エンリが頷いた。その時、この日最も早い朝日の光が、まるで天啓のようにエンリの額を貫き、時を告げた。
「出撃」
エンリの冷徹な一言が水紋のように広がる。大陸最強の精鋭部隊たるゴブリンたちが、一斉に立ち上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます