第15話 人間の軍勢と

 エンリは、輿の上から戦場を見回した。

 ほぼ平地の広大な土地である。

 開拓村出身のエンリとしては、どうしてこんな土地を遊ばせておくのかと疑いたくなるような広大な土地だ。


 ゴブリン王国の王都エモットから南方に下ること10キロの地点である。

 本当は、ほぼ王都エモットを背負う形で布陣するつもりだった。

 エンリは宣言したとおり、スレイン法国側の軍勢が動かない限り、出兵を命じなかった。


 スレイン法国のおよそ5万の民衆が武器を取り、攻め寄せてきたと聞いてから、ゴブリンたちに出兵を命じた。

 だが、思いの外、法国の動きが鈍かったのだ。


 王都を背負えば守りやすい。だが、王都に攻め込まれたら被害が大きい。王都を追われては、逃げる場所がない人間たちも多い。怪我をしたゴブリンの兵士たちもいる。

 そのことを考えて、エンリは少しずつ全軍を南下させた。


 後背を突かれないように、オオカミを乗りこなすゴブリンライダーに警戒を行わせた。

 現在では、ゴブリンライダーの数は20人にまで増えている。エンリが最初に呼び出したゴブリンライダーが、野良ゴブリンと野生のオオカミを鍛えたのだ。


 後から召喚したゴブリン聖騎士隊は、そもそも乗馬する翼を持ったポニーがいないため、増やすことができない。

 その意味では、ゴブリン選任隊の意義は大きいと言える。


「ようやく見えたわね。全軍に行進の停止を命じて」

「ほっほっほっ。承知しました」


 エンリの乗る輿は大きい。担いでいるのは、屈強な巨妖精たるトロールたちである。

 トロールが8人で担ぎ、殺された時の交代要員としてもう8人が従っている。

 安定感は人間が担ぐ輿の比ではなく、立ち上がればエンリの視点は優に3メートルを超える。かなりの広範囲まで見渡せるのだ。


 ゴブリン軍師はエンリの命を受け、羽扇を振り上げ、静かに下ろした。

 なんの音もない合図に、ゴブリンの軍団は見事に足を止めた。


 エンリは全軍の先頭にいる。後方に、ゴブリン足軽歩兵隊3万が整然と並んでいる。数では負けている。だが、エンリが魔道王によって覇王と呼ばれる本当の理由たる、ゴブリン軍団はさらに後方に控えている。


「これから……どうなるの?」


 戦場は経験した。だが、経験した戦場のほとんどが一方的な虐殺であり、虐殺される側であったエンリは、集団同士の戦争を知らなかった。


「ほっほっほっ……双方に動きがなければ、互いに代表が出て、戦争の取り決めをすることになるでしょう。どちらかが、それを待てずに戦を仕掛ければ、なし崩しに殺し合いが始まりましょう」

「……それは、嫌ね」


「そうでしょうとも。しかし……勝機はこちらにあります。人間たちの軍が遅れたのが、食料不足であるという情報を得ております。スレイン法国で食糧難が起きているとは聞きませんが……これは好機と見なすべきでしょう」


「……うん。あっ……誰かが出てきたわね」

「……ほう。私には見えません。さすがは陛下……ほっほっほっ……確かに……」


 ゴブリン軍師の目が怪しく光る。


「双方の代表が、だったよね。ちょっと、行ってきます」


 エンリは輿を降りようとした。前方のトロールが膝をつく。


「陛下、お待ちください。あの男……ただの民兵ではないようです」

「でも、私がいかなくちゃいけないでしょ。まさか……ンフィーに行かせるわけにはいかないし……そう言えば、体調が悪いって残ったけど、元気にしているかな」


「戦場にいる人が、留守番の人間を気遣うなど聞いたことがありませんが、さすがは陛下です。しかし、危険な相手かもしれませんぞ。私ではいけませんか?」

「だめよ。ゴブリン軍師さんに何かにあったら大変だもの。わたしなら……」


「陛下に万が一のことがあれば、私は死んでも死にきれませんぞ」

「わたしなら……死にさえしなければ、みんなが助けてくれる。でしょ?」


 エンリが笑うと、ゴブリン軍師は苦笑して返した。それを聞いていたゴブリンたちも、トロールも、みんなが笑った。

 亜人の集団に、エンリは背を向ける。

 交渉役であろう男のいる方向に向いたエンリの顔に、笑みはなかった。


 ※


 これから戦場になるであろう荒野を突っ切り、スレイン法国の群衆が武器を振り上げる一団の中から出てきた男に向かって、エンリは歩く。

 男も徒歩だった。

 ただ歩くには、遠い。


 次第に男の姿がはっきりと見えてくる。

 引き締まった顔に、後方に束ねた黒い髪が印象的だ。黒い髪は、カルネ村があったリ・エスティーゼ王国には珍しい。その特徴は遠く南方の出身者に多いと言われるが、スレイン法国にもいるのだろう。


 黒い鋼鉄の鎧をまとい、長い槍を背に括りつけ、腰には山賊刀を下げている。

 エンリは止まった。距離を空けていた。男が背負う槍の距離だ。目測だが、エンリはその計測が間違っているとは思わなかった。


「スレイン法国漆黒聖典所属……」

「これから戦う人の名前なんて、聞きたくありません」

「戦う相手に敬意を払えないか? それとも、情が移るか?」


 どちらだろう。エンリにもわからなかった。エンリは少し考えた。視線を外す。その間に、男は距離を詰めていた。

 近い。

 目の前で、男が腰の鉈のような刃物に手をかけている。


 エンリも武装をしている。しかし、ゴブリン王国で鍛えられたごくありふれた品だ。

 男の抜いた刃が迫る。

 エンリはとっさに払った。

 男が切り上げた刃に、エンリの手の甲が当たる。

 手甲が割れ、エンリの肌に刃が吸い込まれ、男の手を離れた。


「……なっ!」


 男は跳ね飛ばされた山賊刀をふりむいた。エンリは踏み込み、男の腹を拳で突き上げた。

 男が仰け反ってかわした。

 血が舞う。


 男の鼻がもげた。

 男は尻餅をついた。

 エンリが足をあげる。

 踏みつける。

 外した。男は必死の形相で後退した。


 エンリが踏みしめた地面が凹み、土煙が上がった。

 男が逃げる。エンリが追いついた。

 手を伸ばし、頭部を掴む。地面に叩きつけた。


「……わたしは戦いたくなんてないの。ゴブリンさんたちを殺すはやめて」

「なっ、何を……血濡れの覇王が率いるゴブリン王国に、我が国がひれ伏す事などあり得ない」


「ひれ伏さなくてもいいわ。魔導国みたいに、友好国になってくれればいいだけじゃない」

「……汚らわしい。ゴブリンの国が我が国に隣接した以上、道は二つしかない。我が国に滅ぼされるか、自ら滅ぶかだ」


「どちらかしかないのなら、自分では選ばないわ。戦う。ゴブリンさんたちを認めてくれるまで」

「……どちらかが、滅びるぞ。我が国が滅びるということは、人間が滅びるということだ」

「そうかもしれない。でも……仕方ないじゃない」


 男は血を吐いた。毒を飲んだのだ。泡を吹き、痙攣し、生き絶えた。

 エンリは男の頭部から手を離し、遠方の集団に目をやった。

 剣を抜き、高々と掲げてから、ゆっくり切っ先を向ける。

 人間たちがどよめいた。


 後方で、ゴブリンたちが雄叫びをあげる。

 大地が揺れた。

 ゴブリン王国の進撃が始まった。前方から、人間たちが迎え撃つ。


 二つの巨大な集団が向かい合う。その中央に、エンリはいた。

 ちょうど、二つの集団の中間地点だ。

 もっとも戦闘が激しくなるだろう場所だ。


「エンリ国王、もらったぁぁぁぁぁ!」


 先頭の男が、雄叫びをあげて剣を振り下ろしてくる。エンリに武術の心得はない。剣を持っても、重いとは感じない。代わりに、武器になるとも思えない。

 エンリに向かって振り下ろされた剣に向かい、ただ拳を突き出した。

 鋼鉄を砕き、男の顔面を捉えた。


 かつて、騎士を殴ったことがある。逆上した騎士に背中を切られた。

 エンリの拳は男の鼻を砕き、顔面を破壊し、後方に飛ばした。

 吹きとんだ男は、群衆に飲まれる。


「わたしはここにいる!」


 エンリは叫んでいた。

 同時に、背後から死に物狂いで駆けつけたゴブリン軍団が津波となってエンリを飲み込んだ。

 まるで目の前に壁ができたかのように、ゴブリンの人垣ができる。人間たちを押し返した。


「陛下」


 背後の声に振り返ると、トロールが担ぐ輿に乗ったゴブリン軍師が、乗るように手招いた。


「でも……まだ戦いは始まったばかりだし」

「だからです。エンリ陛下の姿が見えれば士気が上がります。何より、陛下は敵のもっとも手強い兵士を自ら倒したのです。十分でしょう」


 エンリは頷き、膝を付いてトロールを足場に輿に登る。

 トロールが立ち上がると、ゴブリンと人間が正面からぶつかり合っている場所が、まるで相対する波のように見えた。


 何かが飛来した。

 手で払う。それが、狙い撃たれた矢であると、払いのけてから気がついた。通常の人間にできるはずがないことを、エンリもわかっていた。


「前に進みましょう」

「陛下?」

「ゴブリンさんたちがたくさん死んでいる。このままじゃ、みんな死んじゃう。私が突破しないと」

「ほっほっほっ。そこまで陛下が言われるなら、後詰めを動かしましょう。今進めば、敵軍の中に孤立してしまいます。先任隊長殿」


 エンリの乗る輿は大きく、エンリの他に、ゴブリン軍師、レッドキャップスと、先任隊と呼ばれる古くからの付き合いであるジュゲムたちが乗っている。


「はいよ」


 ジュゲムは答えると、腰から下げていた角笛を持ち上げ、吹き鳴らした。

 後方から返答が上がる。

 同時に、ゴブリン重装歩兵団が動き出す。


「陛下、もうよろしいでしょう」

「うん。前進!」


 エンリが高い声を発すると、輿を担いでいたトロールたちが吠えた。トロールの多くは戦闘好きである。現在はエンリにひれ伏しているため、輿の担ぎ手に甘んじているが、本来は武器を持って戦いたいのだ。


 肩と片腕で輿を担いだまま、開いた片手で人体のようなサイズの棍棒を振り回す。雄叫びを上げながら前進する。

 ゴブリンたちが道を空ける。

 人間が肉片となって飛び散った。


「トロールを狙え!」

「ゴブリン長弓歩兵団、出番ですぞ」


 遠方からトロールを狙って弓を構えた人間たちが、おそらく視界にも入らない遠方から放たれた矢によって絶命して行く。

 一矢で一殺という恐ろしい精度で人間たちが倒れて行く。

 エンリの横に、白い翼を持ったポニーに乗った兵士が現れた。ゴブリン聖騎士団の者だ。


「陛下、オーガとトロールたちが出撃を求めています」

「ゴブリン軍師さん、どう思う?」


 オーガとトロールたちというのは、伏兵として伏せてある者たちだ。ゴブリン王国であり、王国の全戦力を民兵との戦いで示すことを渋ったゴブリン軍師の意向で、戦場から離れた場所に配置していたのだ。


「ほっほっほっ。仕方ありますまい。鍛えたといえ、ゴブリンの軍勢です。野良ゴブリンでは人間に対して不利なようです。戦力を温存して被害が増えるのは、ゴブリンにもオーガたちにも、遺恨となりかねません」

「わかった。出撃を許可します」

「はっ」


 ゴブリン聖騎士が飛び立とうとした瞬間、矢が白い馬を狙い打った。

 エンリは腕をのばし、その矢を掴み取る。


「お見事です」

「行きなさい」

「はっ」


 白い馬が翼を羽ばたかせる。エンリは掴んだ矢を投げ返した。その先で一人死んだが、それが射た本人かどうかはわからない。


 ※


 ゴブリンたちに細かい作戦は理解できず、ただ正面から人間たちとぶつかった。

この戦いでは人間たちに部があったが、一部の精強なゴブリン兵団の働きと、途中から参加したオーガやトロール、また戦場の中央を堂々侵攻したエンリの働きに鼓舞され、ゴブリンは動けなくなるまで戦い続けた。


 この戦いでは集まってきた野良ゴブリン30000のうち、半数以上が戦死した。

 だが、スレイン法国の民兵50000の全軍が壊滅し、生き残ったのは戦場からかろうじて逃げ出した数人だけだという。

 エンリは深追いを命じなかったため、戦場外に逃げた人間たちまで追い詰めて殺すことはしなかった。


 死体で埋め尽くされた戦場を見渡し、エンリはただゴブリンたち魔物の食料として回収を命じた。

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