第14話 水の神官長

 木材と石で作られた王宮も、次第に立派になりつつあった。

 以前は大きめの掘っ建て小屋だったが、ゴブリン後方支援部隊の全面的な指導の元、王宮と呼んで差し支えない木造建築が出来上がりつつあった。


 エンリは、玉座として設定された椅子が日に日に座りにくくなっていると感じた。

 椅子自体が変わっているのではない。だんだん王宮として整ってくるにあたり、自分が王であるという責任感が増しているのだ。


 この日は玉座の間から離れ、会議室と設定された部屋の片隅で、ゴブリン軍師の様子を見ていた。

 エンリは片隅で見ているつもりだったが、いつの間にかエンリは一番見やすい場所にいた。ゴブリン軍師が全ての配置を少しずつ動かしたのだ。


 ゴブリン軍師は、いつものように羽扇を持ちながら、取り囲むゴブリンたちの話を聞き、大きなテーブルに広げた地図に印を書いている。

 取り囲むゴブリンのうち半分はレッドキャップスだが、もう半分はゴブリンライダーや野良ゴブリン、人間のレンジャーである。


「ほっほっほっ……では、法国の正規軍に動きはないということですな。民兵が結集しつつあり、それはまだ動かない……戦力の充実を図っているのでしょうが、十分な準備ができる前に叩くほうがいいでしょうな」

「攻めてきていないのに、攻撃するの?」


 エンリは、思わず口を挟んでしまった。

 内政に役立たず、軍事も任せきりである。肩身の狭い思いをしていた。このままでいてもいいのだろうか。そんな思いから、つい口をついて出てしまった。


「元より、この戦いに大義はございません。生き残るための戦いに、後手となることは致命的な結果を引き起こすでしょう。私はその前にまずは叩くべきかと心得ますが……エンリ陛下のご判断に従います」


 ゴブリン軍師が振り返り、小さく頭を下げた。エンリの反応を待っている。他のゴブリンたちも同じだ。

 これは、エンリを責めているのではなく、エンリを信頼しているのだとわかっている。わかっていても、辛い。


「……法国の人たちが……こちらに攻める動きを見せるまでは……攻めては駄目かな。甘いと思うでしょうけど……そのほうがいいわ」


 きっとその方がいい。エンリは言った。だが、根拠はない。ただの感情だ。

 エンリが人間だから、人間の国を攻めたくない。そう思われただろうか。エンリは自分の心臓の音が聞こえるような気持ちで、ゴブリンたちの反応を見た。

 誰も口を開かず、ただゴブリン軍師が笑った。


「ほっほっほっ……私は、陛下を過小評価していたようです。無礼をお許しください」

「ゆ、許します」


 意味がわからず、エンリは許す。ゴブリン軍師が続けた。


「法国は、我が国の存在を決して認めない国。それが攻めてくるまで攻撃をしないというのは……どらちかが全滅するまで、戦争をやめるつもりはないという決意の表れでござましょう。陛下がここまでの決意をなさっているのですから、それにお答えしないわけには行きませんな。皆、たとえこの地に立つのがエンリ陛下ただお一人になろうとも、戦い続ける覚悟を決めなされ」

「おう!」


 会議室の全員が雄叫びをあげる。

 エンリは、心臓が止まるほど驚いた。自分の言葉がそう解釈されるとは、夢にも思わなかったのである。

 ゴブリン軍師は、状況をきちんと理解していなかったエンリに説明した。


 現在、スレイン法国北限の街、つまりゴブリン王国に最も近い街に、武装した民衆が集まっているという。その数はすでに3万に達し、さらに増えつつあるという。

 その街の本来の人口は1万人ほどで、とても3万の人間を長期間まかなえるはずはなく、近いうちにゴブリン王国に向かって進軍してくるだろうということだ。


 ゴブリン軍師は、民兵がいつ出撃してもおかしくないと踏んでいたようだが、予想に反して街にとどまっているのだという。

 それが、貯蓄していた食料を何者かに食べられてしまったためだとは、当然ゴブリン軍師は知らず、戦力の増強を待っているのだと判断した。それゆえ、相手の戦力が整う前に叩こうと提案したのだ。


「現在……ゴブリン王国の兵力は、どうなっていましたっけ?」


 ゴブリンは各地から結集しつつある。エンリも全ては把握しきれない。


「陛下が召喚した5千の精強な部隊を別にして、ゴブリンが3万、オーガが1万人、トロールが2千人といったところでしょう。悪霊犬も5千はいます。我々も、突然ふくれあがった人口に食糧難の問題をかかえております。ギガントバジリクスの犠牲になった3千のゴブリンの死体は食料としましたが、それでも数日しかもたないでしょう。生産と家畜の増産……どんな食料でもいいので、それが必要です。もちろん、先に法国に限界がくると思っております。そうなれば、人間の死体が大量に手に入ります」


 人間の死体を食料とするつもりだ。エンリにとっては考え難いことだし、人間たちは死体を食べない。

 だが、ゴブリン王国では数少ない人間は特権階級として扱われているため、人間の食料はそれほど心配しなくていいらしい。

 エンリは頷くことしかできなかった。


「法国の正規軍はいつ出てくるかしら」

「そうですな……こちらを、ゴブリンだけの軍だと思っておれば、民兵が全滅するまで動きますまい。ただし……民兵の中に、ただの民衆とは思えない人間が混ざっているらしいと、遠くから観察しているレッドキャップスたちから報告を受けております。その人間たち次第では、厳しい戦いになるかもしれません」

「……そうね」


 エンリは、本当にゴブリンたちに勝って欲しいのかどうか、わからなくなりつつあった。自分は確かにゴブリン王国の王であり、屈強なゴブリンたちがひざまずいている。だからといって、人間最強の国を相手に戦うことに、疑問を感じないわけにはいかなかった。


 会議室の扉が叩かれる。

 珍しいことではない。伝令役のゴブリン兵が、最新の状況をひっきりなしに持ち込んでくるのは通例だ。

 だが、扉を開けて現れた姿に、一同が振り向いた。


「お姉ちゃん、お客さん」


 妹のネムだ。成長したエンリより体型自身がゴブリンに近いためか、ある意味アイドル化しているエンリの妹である。


「今、会議中よ。お客さんなら、ンフィーに任せておけばいいわ」

「うん。でもンフィーが、お姉ちゃんを呼んだ方がいいって」

「誰なの? まさか、アインズ様ではないでしょう?」

「うん、違うよ。ジネディーヌって言っていたかな……」


 その名前に、ゴブリン軍師の目が輝いた。


「お前たち、今日は解散でよろしいでしょう。各自、持ち場にお戻りなさい」

「どうしたの? ゴブリン軍師さん、知っている人なの?」

「ええ。水の神官長ジネディーヌ……神官長たちの中で最高齢の老人だそうです。自ら来たのであれば、目論見があってのことでしょう。スレイン法国が我が国をどう思っているか、これでわかりますぞ」

「……うん」


 大物だ。エンリは王であったが、従えているのはほとんどがゴブリンだ。人間の社会の大物とは会ったことがない。

 全身に鳥肌が立った。


「……行きましょう」


 解散するゴブリンたちを尻目に、エンリは立ち上がった。


 ※


 ネムに先導され、エンリはゴブリン軍師と来客用の応接室に移動した。

 応接室といっても、客がくるとこの部屋に入れると決めただけで、特別な調度品などはない。実際の来客は、これが初めてだ。


 エンリが扉を開けると、手前に座っていた枯れ木のような老人が、ついでその正面にいたンフィーレアが立ち上がった。

 枯れ木のような老人は、小さいが輝く瞳をエンリに向けた。じっと見つめ、ゆっくりと手を伸ばした。


「ジゼディーヌ・デラン・グルフェと申します」

「スレイン法国、水の神官長様ですよね?」


 エンリは、伸ばされた手を握った。


「……覇王エンリ陛下ですかな?」


 二人が握手を交わした瞬間、ンフィーレアとゴブリン軍師が同時に身を強張らせた。エンリのことを肩書付きで呼ばれることは、エンリ自身の前では決して行わない禁忌なのだ。だが、二人は何事もなく手を離した。


 ジゼディーヌ・デラン・グルフェと名乗った老人は、エンリから手を放してから改めて眺め渡すようにエンリを見た後、くすりと笑った。ゆったりとした水色の衣は、華美でも上質でもないが、清楚な雰囲気を老人に与えている。人間の国最強のスレイン法国の最高権力者の一人は、最高権力者であるが故に、贅沢を好まないらしい。それが、スレイン法国の強さなのだろう。

 枯れ木のような老人である。笑われても、不快感はなかった。


「おかしいですよね。わたしみたいな小娘が、ゴブリン王国の王だなんて」


 ジゼディーヌと木製のテーブルを迂回し、エンリは老人の対面に移動する。


「これは失礼しました。噂ではきいておったのですが、これほど……可愛らしいお嬢さんだとは想像がつきませんでしたな。血塗れの覇王、という二つ名が、ふさわしいとは思えませんわい」

「ほっほっほっ。それは、エンリ陛下の実力をご存じないからですぞ」

「……ほう」


 ゴブリン軍師が椅子によじ登る。この応接室は、来客として人間を想定している。ゴブリンにとっては椅子が高く、テーブルも高かった。椅子に登るまで、ジゼディーヌはゴブリン軍師が見えていなかったのだ。

 今度は何に感心したのか、短く感嘆した。


「ねっ? 言った通りでしょう?」


 先程から老人の相手をしていたンフィーレアが、羽扇を持ったゴブリン軍師を指差した。


「信じられん……などとは言っておられまい。なるほど……知性的なゴブリンによってこの国が運営されておるというのは、真実か……」

「もちろんです。ゴブリン軍師さんは、わたしよりずっと頭がいいんですから」


 エンリが胸をそらした。


「ほっほっほっ。陛下は私を買い被っておいでです。陛下に比べたら私など、物の数ではございません」

「人間と比較した場合の能力は知らんが……ゴブリンとしては、破格の能力をお持ちなのは間違いなかろう。エンリ陛下……このゴブリンたちがどうして生み出され、どうして陛下に従っているのか、それにも興味はあるが……まずは置いておこう。わしが、この亜人の王国まで来た理由は一つじゃ」


 老人は静かに言った。エンリは対面の席に着いた。右隣りにンフィーレア、左隣にゴブリン軍師が並ぶ。居場所はわからないが、レッドキャップスも控えているはずだ。


「降伏の勧告でしょうか?」

「そうではない……頼む、この通りじゃ」


 ジゼディーヌは、内容を一切言わず、薄くなった頭部をただ下げた。

 エンリはンフィーレアとゴブリン軍師を交互に見た。ンフィーレアは戸惑っていたが、ゴブリン軍師ははっきりと首を振った。


「お断りします」


 エンリは、ゴブリン軍師を信じた。ジゼディーヌはがばりと顔を上げた。


「ゴブリン王国はゴブリンの国だろうが、王は人間じゃ。どうして……争わねばならん?」


 争うことが前提だ。この老人は、とても頭がいいのだろう。エンリが何を考えているのか、勝手に解釈して話を進めてくる。エンリは、小さく首を振った。


「争いたくはありません。わたしは、こちらからは、決して人間を攻めないように言ってあります」

「じゃが……戦は起こる。わしらといえども、怒れる民衆は止められん。この地にゴブリン王国がある限り、人間の手により蹂躙されることになる。どうして、建国などした? これほど知恵の回るゴブリンがいるのなら、密かに山の中で生活しておればよかろう」

「ジゼディーヌさんは、ゴブリン王国を解体するように説得にきたのですか?」


 エンリは改めて問いかけた。老人は小さく頷いてから、想いを振り切るように首を横に降る。


「……もはや、それが叶わないことは、見ればわかろうというものだ。ここにくるまでは、そのつもりじゃった。エンリ陛下、あなたを見ればわかる。この国のゴブリンたちが、あなたにいかに心服しているか、見てきたばかりじゃ。すでに建国はなされたのじゃ。戦うしかないのじゃろう。済まないな。ただ……宣戦布告をしにきたような形になり。ただ一つ、お願いを聞いてもらえるとすれば……広場で見世物にされておる男、我が国の最高戦力の一人じゃ。できれば、生かしたまま連れ帰りたい」


「できません。あの人はギガントバジリスクを召喚して、そのためにゴブリンさんたちが3千人、死亡しました」

「……その程度か」

「その程度?」


 エンリが手をついていた場所のテーブルが、めしりと音を立てた。


「人間の国であれば滅ぼせるだけの魔物を召喚できる。その男が、わずか3千のゴブリンを殺しただけで、あの様とは……」

「……あなたが命じたの?」

「いや、わしではない。わしら……じゃな」

「エンリ、抑えて」


 エンリの腕に、ンフィーレアが触れる。エンリの握った拳の下で、木製ではあるが頑丈なテーブルの下に亀裂が走った。


「抑えなきゃいけないの?」

「だって……仮にこの人に怪我をさせたら、どんなことになるか……」

「ゴブリンさん一人でも、わたしにとっては大切な家族です。許せない……何もしていないのに、あんな魔物を放って、平気で様子を覗きに来たのね」


「……ふむ。言い方を間違えましたな。では……そちらの若者に問いましょう。君は、このままでいいのかね? こちらのお嬢さんとどんな関係かは知らないが、ゴブリンに囲まれて幸せかね? バレアレ氏の名は、わしも聞いておる。本当に、このままでいいのかね?」

「僕は……エンリと……」

「ンフィー!」


 エンリが席を立った。テーブルが二つに割れた。ジゼディーヌが驚いて立ち上がり、ンフィーレアが名を呼ばれて怯んだ。ただ、ゴブリン軍師は静かにその様子を見つめていた。


「……なんだい?」

「お帰りいただいて。二度と、この人の顔は見たくないわ」

「……うん。ジゼディーヌさん、行きましょう」


 ンフィーレアが老人を連れ出す。老人は最後にエンリを鋭い視線で見つめていたが、なにも言わず、退出した。


「……ごめんなさい。我慢できなかったの」


 ゴブリン軍師と二人になり、エンリは詫びた。大事な相手であることはわかっていた。それでも、ゴブリンを殺して当然という態度をとった老人を、許すことができなかった。

 ゴブリン軍師はいつもの羽扇を置き、静かに平伏した。


「陛下にお仕えして、今日ほど良かったと思ったことはございません。われらのようなつまらない生き物に、これほどの温情をいただける……もはや、戦争は不可避。私たちを侮ったことを、後悔させてやりましょう」

「……うん」


 エンリの言葉は短かった。だが、その返事には万感の思いと、何より覚悟が伴っていた。

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