第17話 エルフ解放戦

 夜空が陽光に切り裂かれるのに紛れるかのように、空が橙色の炎に染まる。

 ゴブリン長弓隊が火矢を射かけたのだ。

 各所で角笛が吹き鳴らされ、ゴブリン軍団の主力ゴブリン重装甲歩兵団の行進が始まる。


 ゴブリン楽器隊が太鼓を打ち鳴らし、リズムに合わせた行軍は、地面を揺るがすかのような迫力に満ちていた。

 その中央に、エンリがいた。20頭もの悪霊犬が繋がれた戦車に乗り、ゴブリントループの隊長ジュゲムが横に乗っている。


「私たちも行きましょう」

「はいよ、陛下。オメェら、気張れよ」


 ジュゲムが怒鳴ると、全身に鎖を巻きつけた悪霊犬が遠吠えを放ち、いっせいに地面を蹴りつける。

 走り出した。

 ゴブリン重装甲歩兵団の中央を、軍隊を破るかのように丘を駆け下りる。


 前方の街では、すでに随所で火の手が上がり、火災を知らたるための半鐘が鳴り響いていた。

 さすがにスレイン法国では、火事場の対処についてもシステムができているらしい。だが、まだゴブリン軍団の襲撃だとは気づいていない。


 ゴブリン重装甲歩兵団の大部隊が街壁に激突する。

 一切の躊躇なく、体を砕こうとしているかのような勢いで体当たりをかけた結果、街の壁は一斉に崩れた。

 ゴブリン重装甲歩兵団はまっすぐに進んだ。全ての建物を破壊し、踏みしだく勢いで進んだ。


 侵撃というより整地である。

 抵抗はほぼみられず、街の人間たちはただ逃げ惑う。襲ってきたのがゴブリンであることに気づき、反撃しようとした者は、遠方から飛来した矢にことごとく崩れ落ちた。


 エンリは逃げた人間たちを追わせなかった。

 ゴブリン軍団により、1つの街が存在ごと消滅させられたのである。


 ※


 まともな戦闘ですらなかった第2戦の直後、エンリは地下牢のような場所で、耳を切られ鎖に繋がれた、全裸のエルフ数百人を発見したという報告を受けた。

 エンリは自ら、報告があった地下に降りた。ゴブリンたちが従っている状況から、エルフたちが震えながら声をかけてきた。


「……もしや、ゴブリン王国の……」


 同行していたジュゲムが灯りを向けると、全身を照らし出されたエルフたちは、恥ずかしそうに体を隠す。まだそんな余裕があるのかと思わせる。生きる希望を見出したのだろうと、エンリは胸を撫で下ろした。


「国王エンリ・エモットです。安心してください。わたしの国では、ゴブリンさんたちと人間は同等です。オーガさんもトロールさんもいます。エルフさんたちがいっしょにいられない理由はありません」

「……おお……なんと慈悲深い。エンリ王……あなた様にお仕えいたします」


 繋がれたままで、エルフの男性がかしづいた。他のエルフたちが従う。

 エンリは、数百人のエルフを配下に抱えた。


 ※


 戦闘は、太陽が登りきる前に終了した。

 街のほとんどが瓦礫の山と化したが、ゴブリン軍団が攻め入った反対側は比較的建物が崩壊せずに残っていた。その場所に都市長の邸宅もあったため、エンリはゴブリン軍師の勧めでその場所を占拠し、状況の確認と軍議を開始した。


「これまでに救出したエルフは800人程度です。エルフ王国から脱出したエルフの総数は3000にも及ぶといいますから、まだ2000人以上のエルフがこの国のどこかで囚われていることになります」


 ゴブリン軍師の言うことはもっともだ。逃亡したエルフが3000に及ぶだろうとは初めて聞いたが、間違っているとは思えない。


「エルフさんたちに話しは聞いたの? 他の仲間たちの居場所に心当たりは?」


 軍議が開かれたのは、都市長の邸宅の一階である。比較的蹂躙されずに残った屋敷だが、二階は崩れる可能性があるらしい。


「エルフたちの推測を含みますが……」


 エンリの護衛でもあるレッドキャップが手を挙げた。エンリは続けるように促した。


「ここから南方の森に、一時全員が隠れた場所があるようです。人間たちに発見されていないはずですが、大勢が移動すると目立つので、出ることができずにいるそうです。何度か部隊を分けて出発したそうですが、現在ではほとんどが行方不明で……一か八か大勢で脱出を図った結果が、この街の奴隷となったようです」


「……酷いわね」

「ほっほっほっ。いかがいたします?」

「助けましょう。ゴブリン軍師さん、できるだけ細かく場所を確認して。その人たちが逃げられるように……まず、一番効果的な街を攻めよう」


「承知いたしました。さすがは陛下、安易に森に踏み入っても、信用させるのが難しいことをご存知ですな」

「出発は今日の夜だね。長居しすぎかな?」


「いえ。法国側に情報を握らせないための強行軍とはいえ、兵の休息も必要ですからな。頃合いでしょう」

「うん」

「陛下もお休みください。現在、生き残った人間たちの首実検をしております。都市長がいれば、お起こしします」

「……うん。お願い」


 都市長と話すことが思いつかなかったが、ゴブリン軍師が言うのだから必要なことなのだろうと、エンリはこっくりと頷いた。

 一階の奥の部屋、もっとも大きなベッドがある場所を自然とさぐり当て、ベッドに飛び込んだ。昨夜は寝ていないのだ。


 人間が一人しかいない軍だとはいっても、自然と一番いい寝室を使うようになったのは、王としての自覚ができてきたのだろうか。

 エンリは、それを喜んでいいのかどうかわからないまま、眠りに落ちた。


 ※


 昼前に起床すると、簡単ではあるが食事がすでに用意されていた。

 ゴブリンたちが用意してくれたようで、パンとチーズとミルクだけという簡素なものだが、エンリはゴブリンが用意した肉を食べないのを知っているので、これは仕方がない。エンリがゴブリンの用意した肉を食べないのは、ゴブリンは死んだ動物は、人間であれ仲間であれ、躊躇なく食料にするからである。


 エンリの食事に人間の肉を入れるとは思わないが、習慣の違いから、うっかり人肉を混ぜることは常にありうるし、エンリは人間の肉を食べようとは思わない。

 エンリの食事は一人が多いが、今日はテーブルの向こう側に痩せた男がいた。


「誰?」


 自分の食事はすでに済ませたのか、ただいつものようにそばにいたジュゲムに尋ねる。


「都市長です」

「……へぇ。都市長って、みんな太っているのかと思った」

「王国の私服を肥やそうとする連中と一緒にするな。スレイン法国の要職は、全て神官だ。常に節制をして己を鍛えているから、生まれつきの体質以外で太った者はいない」


「ごめんなさい」

「いや……わかればいい。お前……いや、あなたが、ゴブリンたちの飼い主か?」

「飼い主、という言い方では認められないけど、国王です。一応は」

「ゴブリン王国、国王……覇王と名乗るエンリか……」


 都市長がぱくぱくと口を開閉させた。


「覇王と名乗ってはいません」

「呼ばれているだけだ」


 ジュゲムがフォローしてくれた。だが、都市長の顔色は戻らなかった。


「自ら名乗らず、人にそう呼ばれるとは……見た目によらず、本当に恐ろしいお方のようだ」

「誤解です」

「陛下は、敵にならなければ、手を出したりはしません」


 ジュゲムは一生懸命フォローする。なぜか、都市長の顔色はますます悪くなる。


「敵には容赦しないか……スレイン法国の人間は全員敵、という意味か?」

「違いますよ。だって……攻めてくる準備をしていたし、可哀想なエルフさんたちを捕まえて、奴隷にしているじゃないですか。酷いことしているじゃないですか」


「……それが、街ごと壊滅させられた理由か? いや……いい。もう、街は戻らない。私をどうするつもりだ? 私は火の神に仕える神官という以外に、現在では価値はない」


「……どうすればいいと思う?」

「俺に聞くんですかい?」

「うん」


 エンリはジュゲムに丸投げした。たまにはいいだろう。


「……敵で、役に立たないなら、食料じゃないですか?」

「待て。こんな私でも、生かしておけば、役には立つかもしれないぞ」

「生かしておくと、食費もかかるし……」


 役に立つかもしれない。それだけで食い扶持を増やしていいのだろうか。そんな不安にかられて、エリンはパンをむしりながら呟いた。ただでさえ顔色の悪かった都市長が真っ青になる。


「食べた方が早いでしょう」


 ジュゲムが頷く。


「……覇王エンリ……恐ろしい人だ……」

「陛下の2つ名を教えてやる。血塗れだ」

「……なるほど……」

「……ねぇ。なんだか、すごく失礼なことを言われている気がするんだけど……」

「そうですかい?」


 ジュゲムが首をかしげた。だが、都市長の反応は劇的だった。

 椅子に座り、食事を横柄に食べていた都市長が、突然椅子を降り、床に這いつくばった。


「ゴ、ゴブリンの食料にだけは、しないでください。必ず役に立ちます。火の神殿のことはなんでもお話できます。きっと……陛下の役に立てるはずです」

「……そう。ジュゲム、ゴブリン軍師さんに引き渡して」


「了解です。ゴブリン軍師は、こうなることをわかって、都市長と姐さんを食事させたんですかねぇ」

「……こうなるって?」


 エンリは、ジュゲムが何を意味して言っているのかわからなかった。


「いえ。エンリの姐さんは、そのままいてくだせぇ。そのままの姐さんだからいいんです」

「……そう?」


 褒められたのだろうか。エンリには、よくわからなかった。


 この後、エルフたちが隠れているというスレイン法国内の森に迫るゴブリン軍団は、途中でさらに3つの街を廃墟と変える。

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