第12話 フードファイト

 大陸最強の人間の国、スレイン法国の辺境の街に、有志が集結しつつあった。

 北側で国境を接する魔道国には、あまりにも凶悪な戦力を持つために手出しができないという噂はあった。


 だが、人間こそ至上の種族だという教義を掲げる法国の臣民にとって、どれほどの強大な存在だろうと、人間以外の国であれば、攻め、滅ぼすべきである。それが当たり前の考え方だった。


 魔道国に対してすら、そうなのだ。その間に、突如生まれたゴブリン王国の存在を、国家として見過ごしにしていることなど考えられなかった。

 法国の全てを司る神殿勢力は動かない。背後にいる魔導国の影を警戒して動けないのだとは理解しない法国の国民は、国が頼りにならなければ自分たちでと、ゴブリン王国に最も近い街に、次第に集まってきた。


 ゴブリン王国の打倒を叫び、人々に集結を呼びかけたのが、銀色の仮面を被った性格破綻者であることは、気にされなかった。現にゴブリンの王国がある。法国と国境を接している。そのことは、まぎれもない事実だったのだから。


 ※


 戦うことを望む烏合の集が寄り合う法国辺境のアルカラット街で、3人の美しい娘たちが怒られていた。

 食堂の片隅で、大勢のいかつい男たちに囲まれてうなだれていた。


 理由は簡単である。つまみ食いだ。

 娘たちはいずれも劣らぬ美貌の持ち主だが、怒られる理由は、子供でもなかなか無いことだ。だが、それには事情がある。


「あんたたちは料理番だろう。それが、調理中に味見して、今日の食材を全て食べきっちまうってのは、どういうわけなんだ」


 たくましい男が腕組みをして凄んだ。


「ご、ごめんなさい。お腹が空いていて……我慢できなかったんです」


 女はふるふると震え、目から涙をながした。


「……勘弁してくれよ。どうして、こんな腹ペコのお嬢ちゃんを食事当番にしたりしたんだ」

「いや……腹ペコのはずがないんだ。だって、昼間にも山ほど食べただろう。じゃがいもの塩茹でを山盛りで3皿は食べたはずだ」


 別の男が言った。顎髭を生やしているのとは無関係に、食べ物の世話をしてくれた優しい男だと、昼までは思っていた。


「……本当です。お腹が空いて、倒れそうだったんです。シクススも、リュミエールも、決して悪気があったわけじゃないんです。せめて……美味しく食べようと努力していたら……気がついたら、食べきってしまっていたんです」


「フォアイル、その言い方だと、初めから自分たちで食べるつもりでいたように聞こえるわ」

「だってリュミエール……ここの粗末な食事じゃ……私たちの体は維持できないわ」

「待て。ちょっと待て」


 怒られている仲間たちで議論を始めそうになったのを見て、最初に話をした逞しい男が止めた。


「……はい」


 シクススが居住まいを正す。明るい黄色の髪が、窓から侵入してきた沈みゆく陽光を受けて輝いた。

 取り囲む男たちが息を飲んだような気がしたが、シクススにはその理由がわからない。


「じゃがいもの塩茹でを山盛りで一皿では、全然足りないというのか?」

「……いや。3皿だ」

「3人いるから……一人……何? 一人3皿か? 3人で9皿?」

「そうだ。だから、腹が減っているはずがないって言ったんだ」


「お前こそ、どうしてそんなに喰わせるんだ! それだけの芋があれば、何人の子供が飢えずに済むと思うんだ」

「仕方ないだろう。もの凄く、美味しそうに食べるんだよ。それで……もっともっとってせがまれて……我慢できるはずがないだろう」


「……お前のことは後だ。あんたたち……毎回雇われた先で、ご主人の館を食い潰しているのか?」


 男が凄む。フォアイルが首をかしげた。


「ご主人様は……使用人のご飯は用意してくださるものだと思いますけど……」

「あんたたちの食費をまかなえるご主人様ってのは、どんだけの金持ちなんだよ」

「それじゃ……私たちがまるで、大食らいみたい……」

「その通りだろうが!」

「酷い! 酷いわぁぁぁぁぁっっっ!」


 フォアイルが泣き出した。普段は冷淡な態度をとるが実は仲間思いのリュミエールが、優しく肩を抱く。

 この男は敵だ。シクススは判断した。


 男がシクススの手を掴んだ。シクススは抵抗しようとしたが、ナザリックの中でも最も弱い一般メイドである。そのレベルは1に過ぎない。男の力は、シクススにとっては絶望的なほど強かった。


「何するのよ」

「食べた分の代償は払ってもらう。当たり前だろうが」

「……わかったわ。何をするの? 料理は……材料がないわ」


「ああ。これ以上、あんた達に食材を近づけるわけにはいかない。せめて……体で払ってもらおう。その大量に食った食料でできた体だ。さぞかし、楽しませてくれるんだろうな」

「スケベ」

「変態」


 フォアイルとリュミエールのツッコミで、シクススは自分が何を求められているのかを理解した。


「嫌よ」


 抵抗しようとしたが、男に頬を叩かれた。

 首が痛い。それほどの衝撃だった。

 男の背後には、10人近い、同じような体格の人間たちがいる。全員が、薄ら笑いを浮かべている。


 シクススは、全身から力が抜けた。恐ろしい。自分たちは、これから汚らわしい人間たちに蹂躙されるのだ。

 腰が砕け、シクススはへたり込んだ。シクススに隠れるように、一般メイドの二人も背後に張り付く。何の助けにもならないことは3人ともわかっているのだ。


「やめて……やめて……下さい。乱暴……しないで……」


 シクススの声が震えた。情けなかった。ただの人間に、ナザリックに属することもできなかった哀れな連中に、蹂躙される。これほどの屈辱があるだろうか。


「ああ。大人しくしていれば、乱暴はしない。逆に、気持ちよくしてやる」


 男が服を脱ぎ出した。


「……ひっ……」

「いい声だ。もっと、啼かせてや……」


 下卑た声を出した男の言葉が止まった。口を半開きにしたまま、額に赤い点がついた。

 やや遅れて、額に点がついたのではなく、穴が空いたのだとわかった。

 大量の血と脳症が飛び出し、男がくずれた。


「おい、どうした?」

「……死んでいるぞ」


 その場にいる全員が騒然となった。死んだ男を助けようとした2人が、頭から同じように血を流し、倒れ伏した。

 男たちが悲鳴をあげ、食堂の出口に向かおうとした。

 その先に、小さな影があった。


「どこから入った!」

「退け!」

「……駄目」


 静かな声だった。その声に、シクススは体が震えた。


「……来てくれた」

「……シズちゃん」


 シクススの背後で、フォアイルとリュミエールの声が震えた。シクススも同じ思いだった。

 食堂から出ようとした男たちが、実に鮮やかに、血しぶきをあげて倒れる。全滅だ。


 男たちの死体を縫うように軽やかな足取りで、とても背の低い、金色と赤が入り混じったような長い髪をした、左を眼帯で覆った厚着の少女が近づいてくる。

 シクススたちも、人間からその容貌について絶賛されるが、とても敵わない領域にいる絶対的な美少女の表情は固く、少ない。


「……大丈夫?」


 口数の少ない少女が、静かに問いかける。シクススは、全力で頷いた。


「……シズちゃん、ありがとう」


 まだ床にへたり込んでいたシクススたちの前で膝をつき、あまりにも麗しい少女が白い手で頭を撫でる。

 見た目の年齢ではシクススたちのほうが上かもしれないが、少女はある意味では格上の存在で、何よりシクススたちにとって憧れの存在だ。


「遅くなった……済まない……」

「そんなことないです。来てくれただけで……もう……」


 シクススは、自分が泣いているのがわかった。少女を心配させる。それがわかっていても、自分の意思で止めることができない。

 少女が困ったように首をかしげる。感情表現が苦手なのだ。そんなところも、シクススたちは大好きだった。


 少女の目が背後の二人にも及ぶ。シクススに抱きついていた二人が、少女に導かれるように移動するのがわかった。


「……連絡する。少し、待って」

「はい」


 少女が立ち上がり、『伝言』のスクロールを使用した。


『シズですか。どうしました?』


 『伝言』の魔法は、使用している者以外にその声は聞こえない。だが、シクススには聞こえた。不思議に思って仲間たちを見ると、フォアイルもリュミエールも聞こえているらしい。


 その秘密はすぐにわかった。シズが、通信相手の声を真似て発しているのだ。シクススたちに秘密にすべきではないと考えたのか、単に面白いからやっているのかはわからない。


 シズの声色は完璧だった。声帯を合成して作り出しているのかもしれない。自動人形であるシズの芸の幅は計り知れないのだ。

 だから、通信相手が誰かはすぐにわかった。ナザリックでも切れ者と名高い、悪魔デミウルゴスだ。シズが連絡した相手がデミウルゴスだというだけで、シクススは緊張した。シクススたちの任務は、メイドたちだけの問題ではない。ナザリック全体に関わる問題なのだと見せつけられたような気がしたのだ。


「……失敗」

「ひっ」


 シズの一言に、フォアイルが悲鳴をあげる。課せられた任務に失敗したとなれば、自分たちは不要な存在だと言われてもおかしくはない。そういう相手だ。


『3人とも死亡ですか?』

「……生きている……怪我もなし」

『ならば、まだ失敗とはいえないでしょう。正体がばれて、磔にされる直前というわけですか?』

「……問題ない。ただ……9人殺した」


『仕方ないでしょう。目撃者を何人逃がしました?』

「そんなヘマはしない」

『でしょうね。でしたら結構。死体は同行させたシャドーデーモンに回収させなさい。死体が見つからなければ人間たちは行動が遅れるでしょうから。本当はうまく利用したいところですが……死体を操る能力を持った人を送り込むのには時間がありません。シズはそのまま、3人を護衛していなさい。3人は別の場所に移動して、食料庫を喰らい尽くすまで続けなさい』

「……わかっ……た」


 少女とデミウルゴスとの会話の内容は、シクススたちにも聞こえている。なんだかとても失礼なことを言われたような気もしたが、相手が階層守護者のデミウルゴスでは、不快に思うことすらできなかった。

 ただ、シズがずっと一緒に居てくれるらしいことだけは理解し、メイドたちが喜んでいると、相変わらず表情を変えない少女が立つように促した。


 ※


 CZ2128⊿という一風変わった名を持つ少女は、自動人形というさらに変わった種族の出だった。


 乏しい表情に関わらず、非常に愛らしい外見と、武器を自由に付け替えられる汎用性の高さからくる強さ、また、実際にレベルはこの世界の人間なら人外の領域にいると言われる強さから、シクススたち一般メイドからは、アイドルのように慕われている。

 シクススたち3人を立たせ、CZ2128⊿通称シズは短く命じた。


「シャドーデーモン……死体を隠して……」

「はっ」


 シズの影が不自然に動き、人間たちの死体の下に潜り込んだかと思うと、死体が誰も手を触れていないのにずりずりと動く。


「……行く」

「は、はい」


 シクススが返事をする。背後のフォアイルとリュミエールも激しく頭を縦に動かしている。

 シクススたち、戦闘力を持たない一般メイドが、何故ナザリックから遠く離れて、スレイン法国の辺境の街にいるのか。


 ナザリックの智者として名高いデミウルゴスから、お腹いっぱい食べていられる仕事があるのだが、誰か志願者はいないか。最近では、ナザリックの台所も苦しくなって来ている。一般メイドの食費が、かなり負担になって来ているのだと言われれば、嫌とは言えなかった。


 単なる世間話の程をしていたが、実際には3人を呼び出して、目の前で独白されれば、強要されたのも同じことだ。

 ただ食べるだけの仕事を失敗などできない。シクススたち3人は固く結束し、早速ひどい目に合うところだった。


 憧れのシズが助けに来てくれるとは思わなかった。

 シズを先頭に食堂から移動する。

 建物を出ると、武器を磨いている粗野な人間たちがたむろしていた。


「おい。ねーちゃん……そろそろ飯の準備が……凄え綺麗な子だな……」


 シクススたちを見て声をかけて来た男たちが、シズを見て黙る。シクススは誇らしくなった。


「過ごしでしょ。あんたたちなんか、靴の裏だって舐められないのよ」

「けっ。何言ってやがる。靴の裏なんか……泥じゃねぇか……」

「歩いた後なら舐めてもいいわよ」


 フォアイルが茶化した。シズが立ち止まり、片方しかない目を向ける。途端にフォアイルは俯いた。

 シズが再び歩き出す。


「でも……シズちゃん。私たち、人間たちには雇われないんじゃない?」

「うん。料理係で……食材を全部食べちゃったら、今度はどこで働かせてくれるの?」

「……心配ない……料理前の食材を保管した倉庫が……ある」


 相変わらず静かに告げる。きっと、事前に調べてあるのだ。


「その倉庫で……何の仕事をするの?」

「たぶん、見張り……掃除していてもいい」

「えっ……私たち、別に掃除しないといられない子達じゃないですよ。ただ、ナザリックのあのお部屋は……特別ですから」

「……なら、いい」


 いくつか建物を迂回し、シズが大きな倉庫の前に立った。

 誰もいない。食料を積んであるだけの倉庫である。そうそう見張りはいない。

 鍵がかかっている。


「……見張りって、勝手にやるものなの?」


 シクススが尋ねると、シズは機械化している手を出した。その先端が、銃器のように筒状になっている。

 静かに鉛の弾が射出され、倉庫の鍵を破壊する。


「わぁ……大胆……」


 フォアイルが目を丸くしている。誰かに見られるとまずいという感覚は持ち合わせていたシクススは、急いでシズとともに倉庫の中に入る。

 倉庫には、保存食が積み上げられていた。

 乾燥した干し肉に、チーズに、乾パンだ。


「一日は、もたせる」


 言うと、シズは閉ざした倉庫の扉を溶かしていた。ただ溶かしているのではない。金属部分を溶かして癒着させている。ようは、溶接をしていたのだ。


「……うん。お腹すいたし、さっそく頂こうよ」


 シクススが言うと、リュミエールが不安げに尋ねた。


「……でも……今度見つかったら、もっと酷いことされるかも……」

「シズちゃんがいるじゃない」

「ずっといてくれる?」


 フォアイルが厚かましいことを尋ねたが、シクススも知りたかった。


「……いる」


 短い。だが、とても力強い言葉だ。


「じゃあ……ご馳走になろう。ナザリックのために」

「ナザリックのために」

「ナザリックのために……いただきます」


 食料を平らげることがどうしてナザリックのためになるのか、それは考えていなかった。

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