第11話 クアイエッセ・ハゼイア・クインティア
牢は地下にはない。むしろ監視しやすいようにという配慮から、人が集まる広間の上に、まるで鳥かごのように晒されている。
エンリ・エモットは、恋人であるンフィーレア・バレアレとゴブリン軍師と共に、捕らえられた男の元に向かった。妹のネムには見せたくなかった。ゴブリン先任隊隊長のジュゲムに、王宮という名の大きめの掘っ建て小屋に連れて行ってもらっている。
その男は、ギガントバジリスクという強大な魔物を複数同時に召喚し、エンリが王を務めるゴブリン王国にけしかけたことを認めているという。
ただし、その目的も、何者であるかも、一切口を開かないのだ。
エンリが歩くと、高い位置にある牢に向かって思い思いに物を投げていたゴブリンたちが平伏した。
エンリが歩く度に、波が引くように平伏するゴブリンの列が出来る。
「……ちょっと、大袈裟よね」
「……うん」
すぐ背後についてきていたンフィーレアは首肯した。だが、意見を異にする者もいた。
「ほっほっ。エンリ陛下の偉業を目に焼き付けたばかりなのです。当然の反応ですよ」
ゴブリン軍師だ。ゴブリン軍師は、いつもエンリを過大に評価する。
「偉業なんて……私は何も……」
「陛下の陣頭指揮の元、ギガントバジリスクを10体、大した被害もなく仕留めたのです。陛下抜きでは一体すら仕留められず、この国は滅んでいたでしょう。偉業と言わずして、なんというべきなのです? それに……ご覧下さい。平伏しているゴブリンたちは、いずれも陛下の角笛で招集に応じたものではございません。皆、陛下の庇護に与れるよう、自主的に集ってきた者ばかりでございます。まさに、陛下のお力と言わずして、なんと言えばよろしいのですか?」
「……被害、たくさんあったじゃない。いっぱい死んだじゃない……私に、力なんてないよ」
「我々、ゴブリンの一人一人を心配して下さる。これ以上、心底お仕えしたいと思う方はございません」
さらにエンリは言い返したかったが、口論でゴブリン軍師に勝った試しはない。
目の前に牢が置かれた台に登る階段が現れたので、エンリは言葉を切って階段を上った。
全部で13ある階段を登りきる。13という数に、感慨はない。
牢は、硬いという評判の鉄樹という木材を組み合わせたもので、まず人間には破れない。トロールでも逃げ出せないと評判だ。
その中に、男はいた。
両手首を背後で縛られ、膝をついた姿勢で、静かにうなだれていた。
全身にあざが浮き上がり、裂傷ができていることから、いかに激しい戦いの末の捕獲だったかが知れる。
その男は、全身が汚物で塗れていた。捕まった後、野次馬のゴブリンたちに投げつけられたのだろう。
殺さず捕らえたのは、ゴブリン軍師の命令によるはずだ。エンリは、ギガントバジリスクを操るような術者が存在することすら、想像できなかった。
捕らえたと聞いてから、会う必要があると感じたに過ぎない。
「……陛下、お気をつけ下さい。アインズ様配下のデミウルゴス殿からの情報によりますと、人間の中には、一定の条件下で特定の質問をすることにより、死ぬ呪いをかけられている者がいるそうです」
ゴブリン軍師が囁いた。つまり、エンリが質問することによって、せっかく捕らえた首謀者の男が突然死んでしまうかもしれないということだ。
ゴブリン軍師が心配したのは、情報源が消えてしまうことではあるまい。自分のせいで人間が死んでしまった場合、エンリは非常に重大な精神的負担を抱えることになるだろう。その負担を心配したのだ。
エンリは、ゴブリン軍師の心遣いに感謝しながら、牢の中の男の前で仁王立ちした。
「国を襲ったギガントバジリスクのおかげで、たくさんの罪もないゴブリンたちが死にました。ある国の王様が、私に教えてくれたことがあるわ。こういう場合には、賠償を請求すればいいのね。ゴブリン軍師、どのぐらいの被害になるの?」
牢の中の男は、エンリに対して冷たい視線を向ける。ただ眼球のみの動きで、相手を殺せそうなほどの強い眼光だった。
だが、エンリには通じない。ゴブリン軍師が答えた。
「正確な被害は計算中ですが……おおよそ3000といったところでしょう。賠償額、慰謝料を含めまして、交金貨15000枚程度が相場かと」
「……はっ。ゴブリンごときを大量に殺して、賠償の請求とは戯言だ。そんな請求に、我が国が応じるものか」
「応じさせるわ。でしょう?」
エンリは、かつて聞いたデミウルゴスの言葉を真似た。真意はない。たぶん、そうなんだろうなぁ、としか考えていない。
「……本格的に戦争になる。勝てるつもりなのか?」
「そのつもりよ」
エンリは背を向けた。ゴブリン軍師とンフィーレアとともに檻の前から立ち去る。
群衆に見送られて、エンリは王宮に向かった。
木製の玉座に座る。目の前には、やはりゴブリン軍師とンフィーレアがいた。
「……ふぅ。緊張した……」
「ほっほっ、エンリ陛下、お見事でしたよ」
ゴブリン軍師は、いつもは自分を仰いでいる羽扇でエンリに風を送った。エンリを気遣っているのだろうか。
「『お見事』って、どういうこと? 僕には、よくわからなかったけど……」
ンフィーレアが首をかしげる。実は、エンリもわかっていない。下手に質問をすると死ぬ呪いが発動するかもしれないと警戒して、結局何も質問できなかった。
「ほっほっ。エンリ陛下のおかげで、多くのことがわかりましたとも。かのバジリスクの群れが、人為的に召喚されたことを認め、しかも、あの表情から察するに、あの男が召喚した張本人であることは間違いないでしょう。ゴブリンの王国だと知っていながら、ゴブリンが死んでも賠償金は支払わない。このことから、亜人を敵視するスレイン法国の者だと特定できます。さらに言えば、戦争はしたくはないのでしょう。うまくすれば、バジリスクの群れだけで我が国を滅ぼせると思っていたのかもしれません。レッドキャップス、いますか?」
「はっ」
ゴブリン軍師が言うと、どこから現れたのか、エンリには全くわからなかったが、エンリの目の前で平伏する、赤い帽子を被ったゴブリンが現れた。
「あの捕虜の監視に、常時二人ずつつくように。一対一で負けるとは思いませんが、どんな力を隠しているかわかりませんからね。それから……周辺の様子を探るために派遣した者たちは、全てスレイン法国方面に向けるよう、隊長に連絡をお願います」
「承知いたしました」
赤い帽子のゴブリンが消える。エンリは尋ねた。
「あの人……仲良くなれないのかな?」
「期待なさらない方がいいでしょう。根っからの亜人嫌いの国の者でしょうから……ゴブリンたちの見世物になっているのです。精神が壊れる可能性のほうが高いと思います」
「……そう。ンフィーはどう思う?」
黙って二人を見ていた恋人に話を振る。目が隠れるほど前髪を伸ばしたンフィーレアは、組んでいた腕をほどいた。
「エンリ……知らないうちに、僕よりとっても頭が良くなっているんだね。僕は、そこまで考えられなかった。凄いや」
「……やめてよ。私がわかっているはずないじゃない」
「ほっほっ。陛下は奥ゆかしくていらっしゃいますからな」
「もう……ゴブリン軍師さんが変におだてるから、ンフィーが誤解するんじゃない。それより、賠償金はどうするの? 本当に金貨15000枚要求するの?」
羽扇の向きを自分の方向に戻し、ゴブリン軍師は笑った。レッドキャップスよりよほど穏やかな顔つきをしているが、笑っても威嚇しているような顔つきになるのは種族上やむを得ないのだ。
「どうせ、支払われることはないのです。もっと多くてもよいでしょう」
「ゴブリン軍師さん……スレイン法国と戦争するつもり?」
「まさか……しかし、最終的に妥結するのが、今回の要求額となることもありうるでしょう。ならば、中途半端な金額を提示するのは、やめておいたほうがよろしいかと考えます」
「……そう。任せるわ」
「御意に」
ゴブリン軍師は恭しく頭を下げるが、エンリ自身はどんどん泥沼にはまっている気分になっていた。
エンリが玉座を置いた部屋からさらに奥の自室から、エンリの帰還を知ったためか、ゴブリントループのリーダージュゲムと妹のネムが顔を見せた。
「ごめん、待った?」
「いえ。勝手に待っていただけですので」
ジュゲムは頭を下げる。ネムは、ジュゲムから離れてとてとてと駆け寄ってきた。
「……待ったよ」
声が震えている。やはり怖かったのだろう。ギガントバジリスクに追われ、命がぎりぎり助かったばかりだと聞いている。ジュゲムに預けて執務に行くのは、姉としては早すぎたのだ。
エンリは反省して、震えるネムの背を優しく叩いた。
「……あれっ? ンフィーは?」
エンリは、ずっと傍にいたはずの男がいないことに気がついた。ゴブリン軍師すら気づかなかったようだ。首を巡らせる。
エンリはネムを抱き上げて玉座に腰掛ける。玉座の座り心地には未だに慣れなかったが、せっかくの椅子である。ゴブリン後方支援隊の力作で、エンリが座らなければ誰も座らないという椅子なので、エンリが腰掛けるしかないのだ。
「ンフィーはすぐにくるでしょう。ゴブリン軍師さん、あなたの考えを聞かせて。あの男の人、スレイン法国の人で間違いないの? スレイン法国は、ゴブリン王国の敵なの? これからも、襲ってくるの?」
「ほっ、ほっ……陛下、ご心配はわかります。ですが……物事には順序がございます。すこしばかり、整理をさせてくだされ。陛下に申し上げるのには、材料が足りないのです」
「……そう」
エンリは、自分が名君だとも賢明だとも思っていない。むしろ、そういうのは人に任せてきたのだ。
現在も、ゴブリン軍師が考えている。そう思っている。
エンリに話せないこととはなんだろう。すぐに不安になった。
エンリが口を開こうとしたところに、前髪を長く伸ばした華奢な男の子が入ってきた。
「エンリ、ごめん……あの人に呼び掛けられていたから……ちょっと戻って、話していたんだ」
「……あの人?」
「うん。クアイエッセ・ゼパイル・クインブラって言ったかな……ギガントバジリスクを召喚して、僕たちを襲わせた人だよ」
つまり、ンフィーレアは囚人と話してきた。それは、いいことなのだろうか。エンリが戸惑っていると、ゴブリン軍師が笑った。
「ほっほっ。ンフィー殿のおかげで、パーツが揃ったようですな。エンリ陛下……私がこれまで集めた情報をお知らせいたしましょう。今回、ギガントバジリスクを使って我が国を混乱させたのは、スレイン法国の重要組織、漆黒聖典のようですな。スレイン法国とは、戦争になるでしょう。いや……スレイン法国を合法的に滅ぼすために、我が国は建国された。陛下に黙っていたのは……心苦しかったのですが……全ては、アインズ・ウール・ゴウン魔道王の策でございます。現在、スレイン法国は我が国を攻め落とす準備を進めていることでしょう。我が国は、ただ踏み潰されてはなりません。抵抗し、抗うのです。結果として破れても、ゴブリン王国がこの地にあったことは残さなければなりません。そうでなれば、魔道国の全戦力が、世界を滅ぼそうとすることでしょう」
「……どういうこと?」
ゴブリン軍師が恐ろしいことを言ったのはわかった。だが、内容については、エンリにはさっぱりわからなかった。
助けを求めてンフィーレアを見る。頼りになる薬師は、力強く頷いた。
「殴られたら、殴り返せってさ」
「……本当に、そう言ったの?」
「ほっほっ。まあ、短く言うと、そうなりますか」
ゴブリン軍師はほがらかに笑ってみせた。
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