第10話 迎撃

 丸太をぴったりと並べて立てた厳重な壁は、首都エモットの外壁として建てられたものだ。

 東の壁の先には、いまだ未踏の森が広がっている。危険であることは覚悟の上で、ぎりぎりまで都市の敷地を広げるしかなかった。あまりにも、亜人種が増えすぎたのだ。


 エンリ・エモットは鋼鉄の胸当てと帽子のような半球状のヘルム、丸盾と錫杖という装備で東の壁を睨みつけた。ゴブリン軍師にはできるだけ重装備をすることを勧められたが、時間が惜しかった。とりあえず、装備するのに時間がかからないものだけを身に着けた。足は長いスカートのままである。


 王たる姿ではない。だが、ゴブリン後方支援隊は優秀で、仕立てた装備は簡素ながら、みすぼらしいという恰好ではなかった。

 丸太を組んだ壁の前には、およそ300のゴブリン足軽弓兵団が陣形を整えている。エンリが召喚した者たちではない。ゴブリン王国の噂を聞いて、頼ってきた者たちだ。


 全員がゴブリンである。亜人種は、生きるために戦うことを当然と考えていた。ごく小さな子供や腹に子供がいる雌は別にして、集ってきた者たち全員が戦士であることを当然として受け入れた。


 鍛えたのはエンリが召喚したゴブリン軍団の面々である。

 弓を使うことを得意とする、ゴブリン長弓兵団の傘下ではあるが、実力的には五段階ほど劣るため、ゴブリン足軽弓兵団と名付けられている。


 その他、エンリが直接召喚した精強なゴブリン軍団以外の兵団には、全て『足軽兵団』の呼称をつけて区別している。


「来るわ!」


 森のざわめき、重い足音、鳥たちの悲鳴、それらの全てが、エンリにギガントバジリスクの存在を告げた。エンリはレンジャーではない。ただ、薬草の採集が得意な村娘である。


 そのはずだった。だが、なぜか解った。森の呼吸、生物の存在が、エンリに訴えかけてくるようだった。


「構え」

「構えーーっ!」


 エンリの言葉を受け、ゴブリン長弓兵団団長の声が鋭く響く。ゴブリン足軽弓兵団に伝達される。

 エンリは、全軍を見降ろす位置にいた。ゴブリン足軽弓兵団の背後に、2000のゴブリン足軽歩兵団、500のオーガ部隊、20のトロール部隊が控えている。


 ギガントバジリスクの10体程度であれば、エンリ直轄のゴブリン部隊は使わない。そう判断したのは、ゴブリン軍師である。

 丸太の壁の向こうから、巨大な顔が覗いた。トカゲに似ているが、ずっと大きく、醜悪だ。その目は、生物を石に変える力を持つという。


「放て」

「放てーーーーーーっ!」


 ゴブリン長弓兵団長の怒声と共に、ゴブリン足軽弓兵団300の矢が一斉に放たれる。

 狙いはギガントバジリスクの目である。


 大量の弓矢を受けても、ギガントバジリスクは怯まなかった。そもそも、分厚い皮を貫通できない。矢の勢いが足りないのだ。


「また来るわ」

「第二射用意!」


 指示が伝わり、ゴブリン足軽弓兵団が矢をつがえる。

 もう一つ、ギガントバジリスクの顔が覗いた。最初に現れた一体が、壁を乗り越えて胴体までが壁の上に乗る。


「全軍を突撃」

「了解」


 エンリの隣で戦況を見守っていたゴブリン先任隊隊長、ジュゲムが角笛を口にした。ゴブリン軍団を呼び出す魔法の品ではない。ただの角笛である。

 ぶーぶーという音は、だが効果を顕す。戦場の隅々まで響き渡り、合図を受けたゴブリン足軽歩兵団、オーガ部隊、トロール部隊の全てが前進を始める。


「弓兵を後退させて。邪魔になる」

「放て!」


 第二射を打ち出した後、ゴブリン長弓兵団団長は後退の指示を出す。すでに一体の巨大な魔物が侵入し、もう一体も壁を乗り越えようとしていた。

 さらに二つ、ギガントバジリスクの頭が壁を越えている。


「悪夢みたいね」

「全くです」

「ほっほっほっ、そうでもありません。ギガントバジリスクの強さは、あくまでも個としての強さです。死を恐れずに向かってくる軍勢に対して、たった10体で何ができるでしょう」


 いつの間にか、ゴブリン軍師が隣に並んでいた。優雅に羽扇などを持っているが、目は油断なく戦場を見回している。

 トロールの一体が石となり、地面に転がる。ギガントバジリスクの口に、ゴブリンが飲み込まれている。


「ギガントバジリスクは、石にできるのは一度に一人だけみたい」

「ほっほっ。さすがは陛下、よく見抜かれました。それがわかれば、軍として相対する相手に、いかに小さな戦力か解ろうというものです。今回は、ちょうどよいテストです。エンリ陛下に従う者たちが、果たして本当に死兵となって戦えるのか、試す絶好の機会です」


「でも、犠牲が大きいわ」

「ギガントバジリスク10体を討伐するのに、2000の兵で済んだのであれば、むしろ犠牲は少ないといえましょう」


 計算上はわかる。ギガントバジリスクは、一体でも小さな都市なら壊滅できるだけのモンスターだ。10体であれば国家を滅ぼせる。

 だが、無敵ではない。最大の脅威である石化の能力で、一度に大量の兵士を石に変えられるならば、用意した2000の兵団は瞬く間に全滅したはずだ。


 実際にはそうならなかった。

 トロールやオーガが次々に石に変えられていくが、ゴブリンたちには石化の能力を使わない。一度に一体にしか能力を使えないのだ。


 いかに体か大きかろうと、力が強かろうと、数の前では限界がある。

 犠牲を出すことを問わずに攻めかかる死兵の前では、いかにギガントバジリスクでも多勢に無勢だ。


「私も出ます」

「お待ちください。陛下が出られては、最前線に立つ者の死が意味の無いものに……」

「いえいえ。ほっほっほっ、さすがは陛下。私の真意をお読み取りですな」


 自らギガントバジリスクを倒しに行くと言ったエンリを、ジュゲムが止め、さらにそのジュゲムをゴブリン軍師が止める。


 エンリは、かつてトロールを拳だけで沈黙させたことがある。だからといって、ギガントバジリスクはさらに遥かな強者である。自信があったわけではない。だが、王となったのだ。兵士たちだけに戦わせ、安全な場所にいるわけにはいかない。


「どういうことですか?」


 色めき立つジュゲムが、ゴブリン軍師に食って掛かる。ゴブリン軍師は、笑って羽扇を頭上に高々と持ち上げた。それが合図だったのだろう。4頭の悪霊犬が引く小さな台車がエンリの前に進み出た。人間が二人乗ればそれ以上は乗れない程度の大きさで、大きな車輪が左右についている。

 エンリは知らなかったが、これは戦車と呼ばれるものだ。


「お使い下さい。お前たち、頼んだぞ」

「はっ」


 エンリが戦車に乗り込むと、レッドキャップスがその周囲を取り囲む。レッドキャップスの足であれば、走っても悪霊犬が引く戦車と同じ速さが出せるのだ。


「一応言っておくけど、私は戦力にならないわよ」

「ほっほっほっ、十分ですよ。ギガントバジリスクを仕掛けた者が、エンリ陛下を知っているか否か、何を仕掛けてくるか、それを知りたいだけですので」


「陛下を囮に?」

「あの人たちの犠牲を、少しでも役に立てたいの」


 ジュゲムはなおもゴブリン軍師に腹を立てていたが、エンリが止めた。エンリは、自分の隣の空いた空間を指で示した。


「先任隊長殿、陛下がお呼びですよ」

「俺で、いいんですかい?」


 ジュゲムのレベルは12であり、後で呼び出されたゴブリン軍団の面々より、はるかに低い。


「命を預ける相手に相応しいのは、強さではないということですよ」


 ゴブリン軍師が笑い、ジュゲムは頭を掻きながら、エンリが手綱を掴む戦車に乗り込んだ。


 ※


 ギガントバジリスクの視線に次々に石化し、毒を浴びて倒れ、巨体に押しつぶされながらも、徐々に追いつめていく。

 対峙しているのは、周辺の森林や山々からエンリを頼って合流した亜人たちである。


 大量のゴブリン兵の死体が積み上げられ、オーガも次々に倒れていく。トロールだけはいくら傷ついても立ち上がったが、視線により石化した者はもはや戦力にはならなかった。


 十体いるというギガントバジリスクのうち、首都エモットにたどり着いたのは8体であり、そのうちの6体が、丸太でくみ上げられた城壁を越えた。

 対した亜人兵は当初2000人だったが随時投入され、戦場は常に亜人であふれていた。


 弓兵に目を潰されたギガントバジリスクの顎を、エンリが拳で突き上げると、一斉に歓声が上がった。どうやら、最後の一体だったようだ。

 エンリは常に戦場にいた。

 最後の一体が沈んだ時、屍の山と喜びに沸く亜人たちに囲まれていた。


「勝ったわ!」


 エンリが再度拳を、今度は突き上げる相手もいないのに、天高くつきだして勝利を宣言する。さらに亜人たちの歓声が爆発した。


 エンリの名を連呼する亜人たちに手で答え、エンリは再び悪霊犬が引く戦車に乗り込む。

 先任隊長ジュゲムが手綱を引き、エンリは歓声に包まれながら戦場を後にした。


 ※


 王都は、建設を始めて以来の静けさだった。誰もが息をひそめている。ただ隠れているわけではないのは、人間の街が襲撃にあった時との、明確な違いだった。

 自分たちの出番はまだかと、武器を構えて命令を待っているのだ。


 亜人種は、極端に戦闘能力を欠く者を覗いて、ほぼ全員が戦士である。子供も性別も関係ない。戦力にならない弱者とは、自らの意思で歩くこともできないほどの状態であることを意味するのだ。


 その者たちが、エンリが乗る戦車を見て、喜んで飛び出してきた。

 戦闘が終わったこと、勝利したことを確信したのだ。

 エンリも期待を裏切らず、手を振って勝利を伝えた。


 ジュゲムは戦闘の終結を、戦車を操りながら角笛で知らせていた。

 国民の声援を受けながら、エンリは簡素だがどことなく立派な感じがする丸太小屋、王宮にたどり着いた。


 ※


 高揚した気分から一転して、戦場に立った恐ろしさがこみあげてきたエンリは、悪霊犬が引く戦車から降りると同時に、へたり込んでしまった。


「エンリ!」


 聞き知った声が背後から降りかかる。

 首をめぐらすと、そこには恋人のンフィーレアがいた。その視界が、すぐに隠された。目の前に、妹のネムが飛びついてきたのだ。


「お姉ちゃん! 良かったーーーーーーーーっ!」

「ンフィー、ネム……良かった、無事だったのね。私、てっきり……凄く、心配したんだよ。二人が、もしかしたら死んでいるかもって……よかった。よかったよ。うわーーーーーっん。良かったよぉーーーーーー」

「エ、エンリ、落ち着いて」


 ンフィーレアも駆け寄って、エンリとネムをしっかりと抱きしめた。ンフィーレアは、ちょっと頼りないがしっかりとした男の子だと思っていたが、最近ではとっても頼りないような気がしていたため、エンリはもう決して離すまいと誓ったかのように、ンフィーレアとネムを抱きしめた。


「お、お姉ちゃん、苦しい」

「死んじゃうよ」

「えっ? 折角生き残ったのに、そんな冗談やめてよ」

「冗談じゃないと思いますよ。陛下が本気で抱きしめたら、背骨が折れちまいますから」


 ジュゲムが穏やかに諭したが、エンリはなんだか自分が人間ではなくなってくような、奇妙な感覚に囚われていた。

 エンリが驚いて腕を離すと、ンフィーレアは力なく頽れた。ネムがエンリに抱きつく。エンリが抱き返そうとしたが、ネムは見事にかわしてみせた。


「陛下、再会を邪魔して申し訳ありませんが、捕虜の始末について相談したいのですが」


 ンフィーレアの背後、つまりエンリの正面に、レッドキャップスが忽然と登場した。膝をつき、頭を下げている。

 慇懃な態度のゴブリンで、信用できることはわかっているが、エンリはどうしても苦手だった。


「捕虜? ギガントバジリスクは、全部殺したんじゃないの?」

「はい。亜人たちの食料になっていますが……呼び出した者がいたようです」


「そういえば……自然に発生したはずがないって、ゴブリン軍師さんも言っていたわね。捕まえたの? 呼び出した? ギガントバジリスクって、呼ぶと出てくるものなの?」

「普通は違うでしょう。ですが……我々と同じです」


 レッドキャップスは言うと、ジュゲムに視線を送った。エンリが信用するゴブリンたちは、全てエンリが角笛で召喚したゴブリンたちだ。自然に発生したゴブリンではない。


 同じような方法で、召喚されたギガントバジリスクがおり、それが今回王都を襲った者たちなのだ。


「捕まえたのね?」

「はい。監禁しています」

「……どんな人?」


「見た目は人間です。ですが……俺たちには、人間の見分けはつきません。特徴はよくわかりません」

「そう……わかった。会ってみる。ンフィー」

「何?」


 ンフィーレアは顔を真っ赤にしていた。背骨を折られそうになったからか、エンリが抱きついて照れているのか、はっきりとはわからない。


「近くにいて」

「不安なの?」

「それもあるけど、どんな人かわからないから、魔法で注意していて」

「ああ、そうだね。もちろん、任せてよ」


 ンフィーレアは胸を叩いたが、ゴブリンたちのほうが遥かに頼りになることは、もはや言うまでもないことだ。


 ※


 エンリがレッドキャップに案内され、ゴブリンのジュゲムとンフィーレアと訪れたのは、念のためにという理由で作られた、罪人を捉えるための檻だった。

 三つの檻の一つに、一人の人間が囚われていた。初めてこの檻を使った。使うとは思っていなかったのだ。


 ゴブリン軍師ですら、この檻を作るのには懐疑的だった。エンリも作りたくなかった。

 だが、二人の間には若干の認識の違いがあった。


 エンリは、100人以下しかいない人間が犯罪を起こすはずがないと信じていたし、ゴブリンたちのことも信じていた。


 ゴブリン軍師は、人間たちが罪を犯すとは考えていなかったが、エンリが召喚した以外の亜人たちのことを信用していなかった。だが、ゴブリン軍師は犯罪者を捉える檻を作ることには懐疑的だった。というのも、ゴブリン王国の法は決めてある。その法を犯した亜人は、全て殺して、食料にすればいいと考えていたのだ。


 ゴブリン軍師の考えを聞いた瞬間、エンリは牢の建築を即決したのである。

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