1-9
「仁!!仁君っ!!!」
仕事中。
僕を呼ぶ声が店内に響く。
あまりの声の大きさにに思わず作業の手を止めてしまった。
「店長。どうしました?」
「いいから、すぐに西橋病院まで行きなさい!仕事は休んでいい!」
「はい?」
店長は膝に手を付き、ゼェゼェと息を切らしながら言う。
「ユメちゃん。ユメちゃんが倒れたんだよ!!」
「へ?」
「とにかく、直ぐに行きなさい!タクシー呼んであるから!」
理解なんてできなかった。
ただ、体はすぐに動いていた。
気が付けば制服のまま店を飛び出し駆けていた。
どうやって病院まで行ったのか。
それすら記憶にない。
ユメが無事であればいい。
僕はただ、それだけをひたすらに祈ってた事だけは覚えていた。
■
「貴方がユメちゃんのお父さん?」
病院に着き、受付に事情を話し通された部屋。
一人初老の医者が座り、隣には看護師が一人立っていた。
「はい」
「まずね。貴方、お子さんを虐待してるでしょ?」
「え?」
「背中や腕……あと、股にもタバコを押し当てた傷がいくつもあったよ。どういう事?」
気が付けば医者と看護師が僕を殺意にも似た感情を込めて睨めつけていた。
そうか……そうだった!
忘れてたけど、ユメは普通に生きてきた幸せな子供じゃない。
ユメの体は何よりも雄弁にそれを証明している。
「違います!違いますから!」
「何が違うの?」
ああ!もう!
僕は逸る気持ち抑えて今までの経緯を必死で話す。
ユメと出会い、そして過ごしてきた今日までの経緯を
ただ、焦りや、もどかしさ、そういった物が僕の思考を妨げ、口から出る言葉を阻害しする。
説明するにも自分でも何を言っているのかすら分からない有様だった。
「……悪いけど、理解出来ないな」
「なら、ちょっと待ってください!証人がいます!」
僕は携帯を取り出し、焦る気持ちを抑え連絡帳に登録してある番号にかける。
迷惑だと思う。
でも今は手段なんて選べる余裕は無かった。
出てくれよ……
祈りにも近い思いで携帯の呼び出し音を鳴らす。
「……もしもし」
出てくれた!
電話の相手はユメを保護した施設の職員さん。
いつもユメの事で、色々と相談にのってもらってた若い職員さん。
僕は職員さんに事情を話し、携帯をスピーカフォンへと変えた
職員さんは簡単な自己紹介をしたのち、簡潔かつ冷静にユメの事を話してくれた。
その話は分かりやすく、医者が僕を見る視線が柔らかくなっていった事でその成果は簡単に実感が出来た。
「疑ってすまなかったね。とりあえずは納得したよ。もちろん正式な確認をさせてもらうけどね」
「いくらでも確認してください!そんな事より、ユメは、ユメの容態は?!」
「安心して。今は寝てる。今のところは大丈夫だよ」
「いまのところ……?」
曖昧な言葉だった。
普通そんなことは言われない。
何か問題があるときに言われる濁した表現だ。
「心臓の病気だね」
ゆっくりと初老の医者が告げる。
「直す方法はあるんですか?」
「まずは説明からをさせてもらうよ。ユメちゃんの病気は”拡張型心筋症”。この病気は……」
医者はゆっくりと説明してくれる。
ただ、その説明は僕の頭に殆ど入ってこなかった。
「ユメはどうなるんです?無事直るんですよね?」
「……ユメちゃんが少しでも長く生きられるように、我々も最善を尽くします」
僕は続く言葉を何も言えなかった。
呆けた僕の頭に叩きつけられたのは、ユメの死の宣告だけだった。
■
「よし!」
病室の前。
僕は自分の顔を叩き気合を入れる。
ユメに病気の事を知られるわけにはいかない。
ユメは今までに幸せな思いなんてしてきてない。
実の親からも虐げられ、愛されないどころか、満足に食べる事や安心して眠る事すら出来なかった。
どう考えても幸せな日々を送ってきた訳ではない。
それなのに、今度はあとどれくらい生きられるか分からない心臓の病気?
知ればきっと……ユメは恨む。
不公平で、不平等なこの世界を心底憎むと思う。
同じ境遇なら……僕は絶対このクソみたいな世界を許さない。
考えるだけで涙が溢れそうになる。
だから、僕はユメの前では絶対に泣かない。
ユメに悟られる訳にはいかないのだから。
そう覚悟を決めて、僕は病室のドアを開けた。
「よっ!」
「あ、お父さん!」
「遅くなってごめんな!」
「ううん、大丈夫!」
ユメの様子は想像と違った。
落ち込んでたり、不安を抱えて元気を無くしているかと思ったけど。
なんだか楽しそうだった。
「なんかあった?」
「ふふん、初めての病院!」
ユメは笑っていた。
その事実が僕の心をグッと締め付ける。
「そっか、よかったな!」
どこが……何が良いんだ?
咄嗟に出てしまった自分の言葉を後悔する。
「うん!」
ユメは大きく頷き、また笑う。
僕は涙が零れそうになるのを必死で堪え、ユメの頭を撫でてやる。
「お父さん」
「ん?」
「私、死んじゃうんでしょ?」
手がピタリと止まってしまった。
ユメは……目の前の小さな子供は全部理解している。
そんな風に感じてしまった……から。
「なんでそう思うの?」
上擦りそうな声を抑え、僕は尋ねる。
正直、その答えを聞くのは怖かった。
「私、神様にお願いしたから」
「え?」
予想外の言葉だった。
「寒い夜にね、家に入れなくて、震えてお腹も空いてどうしようもなかった時、神様にお願いしたの」
「なんて……お願いしたの?」
「美味しいご飯と暖かいベットで寝かせてください。明日死んでも良いからどうかお願いします!って」
違う……そんなの願う事じゃない。
命を賭けてまで願う事じゃないんだよ……。
「そしたら神様はいっぱい、い~っぱいお願いお願いを叶えてくれた。美味しいご飯も、ふかふかのお布団で毎日寝られた。それにお父さんに会わせてくれて、星の海だって見られた。だから、そろそろ約束……果たさなきゃダメなのかなって思ってた」
違う……違うんだよ。
それは……ユメが享受していい当たり前の事なんだよ……。
他の皆が持っている当たり前の日常……なんだよ。
「お父さ……ん?」
ダメだった。
また……堪える事すら出来なかった。
僕はいつのまにか大量の涙をポロポロと溢していた。
「あっ、違う……違うんだよ!」
零れた涙を慌てて拭う。
どんなに拭ってももう止まらなかった。
気が付いてしまったら最後。
喉からは嗚咽が漏れそうになり、まともに言葉すら紡ぐ事が出来なかった。
「大丈夫だよ」
ユメは小さな体を必死に伸ばし、心配そうに僕の頭を優しく撫でる。
違うよ……
全てが違う。
言いたいことが山ほどあった。
お前が一番辛いんだよ。
他人の心配なんかしないで、”助けて!”と叫べよ!
もっともっとこの理不尽に怒れよ!!
だけど、その一つも僕は言えなかった。
ユメは何も悪い事なんてしていない。
努力をしなかった訳でもない。
ただ我慢を重ねて、将来の夢どころか、ただ毎日を必死になって生きてきただけ。
世の中はいつだって不公平だ。
僕みたいなクソが生き延びて、こんなにも素晴らしい天使が死んでいく。
「それは違うんだって……」
僕はそう呟くので……精一杯だった。
「ううん。大丈夫、大丈夫」
ユメはどこか背伸びしたような声をあげる
情けなかった。
気の利いた言葉一つ言えず……。
ユメを慰める所か逆に心配させて……。
「違う……絶対に違う」
そんな言葉を吐き続ける僕の頭を、ユメはベットから這い出しゆっくりと抱きしめた。
「大丈夫……絶対に大丈夫だから。ね。」
ユメは僕の頭を抱きながらそう呟いた。
全てが逆だった。
世界をどんだけ恨んでも仕方ない境遇なのに、文句の一つも言わない。
理不尽だって、僕を思いつく限り罵倒する所が、一生懸命にユメは僕を気遣う
本来なら僕がユメを支えなきゃ……いけないのに。
「違うんだよ。ダメなんだよ」
受け入れられるわけがなかった。
今の状況も、ユメの病気も。
これからの運命も!
全て受け入れらる訳が無い。
受け入れちゃいけない!!!
「お前は僕と一緒にこれからも生きなきゃいけない!」
気が付けば僕は小さな腕の中から抜け出し、ユメの肩を掴み叫んでいた。
「うん……」
ユメは何処か申し訳なさそうに頷いた。
なんでそんな表情を浮かべる。
どうして今にも泣きそうな顔をしているんだ……
何も……悪い事なんて……してないのに。
「ごめんな……、ほんとごめんな……」
ユメは怒る事すらしてくれなかった。
僕はユメを笑わせる事も出来ないし、理不尽に怒る事すらさせてあげられない。
だから、涙を流して謝る事しかできなかった。
どれくらい泣いただろうか……。
ユメに何度も撫でられ、涙も枯れて、情けない姿を晒し尽くした。
そんな僕に残ったのは。
どんな事をしても……
絶対にユメを助けてみせる。
そんな誓いだった。
■
「そうだね。心臓移植なら可能性はあるね。でも絶対では無いし、費用も膨大にかかるよ」
「いくらくらいかかるんですか?」
「少なくても4億以上はかかる。情勢によってはもっとだ」
「4億……ですか」
僕はあれから色々と調べた。
症状、生存率、そして、完治した患者がいるのかどうか……も。
そして完治する例もある事が分かった。
”心臓移植”を受ける事さえできれば……ユメは助かる可能性があると。
その確認は取れた。
そして、その金額が途方もない金額である事も。
「信じられないかい?でもね、日本では心臓移植の件数は想像よりずっと少ない。0~10歳だけでいったら、たったの数件。てともじゃないが、現実的じゃない。だから、皆アメリカへ行く。件数も多いし、国外の患者を受け入れてくれる数少ない国だからね」
「それにアメリカは自由診療だから……」
「そうだね。盲腸の手術でさえ600万以上かかる位だ。心臓移植ともなれば……」
「お金が必要。逆に言えればそれだけの金額を払えれば治療が受けられる」
全部理解している。
それくらいの額になるだろうという事も。
「元々心臓も足りてない、そして子供に移植する心臓なんて増やせるものでもない。だから、後悔の無いように今出来る事をユメちゃんに」
「……集めればいいんですね?」
「うん?」
「最低でも4億、いやそれ以上集めればいいんですね?」
「そうだが、残された時間は決して多くないよ?いいたくはないけど、現実的に」
「出来ますよ……やんなきゃいけないんです」
もうとっくに覚悟は出来ている。
命を賭けてでも稼いでみせると。
「……犯罪的な行為は認められないよ?そんな兆しがあればすぐにでも通報する」
「分かっています。絶対にしません」
犯罪を犯してユメが助かるなら喜んでやる。
でも、それで得たお金では治療を断られる可能性がある。
だからそれは悪手だ。
やるとしても絶対に分からない様に……やる。
「何を言っても無駄……なんだね」
その問いに僕はゆっくりと頷く。
何を言われたって諦める気はない。
「理由を聞いていいかい?」
「……地獄だから」
「え?」
「あいつは地獄の様な環境でしか生きてこなかった。実の親から虐待され、タバコの火を押しられ、背中を踏み抜かれ、心も体も傷だらけになって生きてきた……今やっと少しマシになったと思ったら、今度は心臓の病気で死ぬかもしれない……。そんなの認められますか?今まで散々辛い思いをして……ああ、仕方ないね。ユメの人生はこれで終わりだよ。残念だったねって言えますか?」
「……」
「我儘どころか、僕に文句一つ言えずに死んでいく。そんなのダメなんですよ、許しちゃいけないんですよ……だから助けるんです。せめて僕に恨み言の一つを言うまでは」
これがユメの運命だと言うのなら、そんなの蹴り飛ばしてやる。
不幸にしかならない運命に用は無い!
「君が思う以上に大変だよ」
「はい、覚悟は出来てます」
そんな事分かってる。
これは僕が決めた戦い。
生まれて初めて命を賭けてでも勝つと決めた大事な戦いなんだから。
■
「どうか寄付をお願いします!!」
駅前で募金箱を掲げながら、枯れた声を絞り出し何度も声を上げる。
でも、誰も相手にしてくれない。
それどころか立ち止まってさえいない。
僕は持てる物すべて売り払った。
家や土地、親が残してくれた物全て。
それでも、目標額の1/5にも届かない。
だから、足りない分はなんとかして稼ぐしかない。
しかし、馬鹿正直に働いて、年収2000万稼いだとしても20年以上かかる
間に合う訳が無い。
だから、募金。
人の善意に縋ろうと決めた。
だけど、集まった額なんてたかが知れていた。
1週間毎日限界まで声を出しても、総額の10000分の1、いや、100000分の1にも満たない金額すら集まらなかった。
(なんで……なんでこんなに困っているのに、足すら止めてくれない……)
心が折れそうになる。
ただ、どこか冷静に理解している自分もいる。
もし自分が逆の立場であれば足を止めたであろうか?
今まで募金の呼びかけなんて数えきれない程見てきた。
その全ての言葉を遮断し聞く耳すら持ってこなかった。
話すら一度だってまともに聞いた事もない。
事実、今までこういった光景は何度も目にしてきたはずだ。
本当に困っているかどうかも分からず、どこか詐欺みたいな物なんじゃないか?
自分には関係ない事だ。
そういって切り捨ててきた。
因果応報。
自分の行いがそのまま帰ってきているだけなのだ。
自分がその立場になって初めて……
いや、他人に縋るしかない立場になって初めて分かった。
「お願いします!!どうか、どうか娘を助けて下さい!!」
気が付けば、大勢の人がいる前で土下座していた。
自分の甘さ、能力の低さ、そして何より痛感する身勝手さ。
感情が混ざり合い、僕は叫びながら頭を地面に擦り付けていた。
そんな僕の行為に返ってきたのは、”クスクス”という笑い声とカシャというスマホのシャッターが切れる音だけだった。
■
「おい」
最低限の稼ぎ。
それを得るために僕はスーパで品出しの仕事をしている。
募金だけじゃなんの意味も無い。
普通に働いていた方がまだ稼げるからだ。
「おい!」
募金は毎日仕事終わった後や休日。
暇さえあれば駅や繁華街に繰り出す。
それでも目標額にはまるで届かない。
こんな仕事をどれだけ必死にやったって意味が無い事はとっくに理解している。
でも、なにか体を動かしていないとどうにかなりそうだった。
「聞いてるのか?!」
突然肩を後ろにグイッと引っ張られた。
その勢いに逆らえず、僕は地面へと腰を打ち付けた。
「何か……用か?」
僕を引っ張ったのは。
昔の同僚……だった。
「これ知ってるか?」
そういって昔の仕事仲間はスマホを突き出してくる。
動画が流れたスマホの画面。
無様に土下座し、道行く人に助けてください。と懇願する憐れな男が映るつまらない動画。
それは……僕の行動を撮った動画だった。
「……知らなかった。でも、どうでもいい」
「こんな無様な姿を晒して何も思わないのか?」
SNSで拡散されているならもっと寄付が増えればいいのに。
その程度の感想しかない。
「別に……」
そんな物に割いている時間は無い。
少しでも時間があれば、募金や何か別の方法でお金を稼ぐ方法を探す。
それしかない。
「少し話がある」
「忙しい」
「金をやる。すぐに来い」
「わかった。ついていく」
仕事を途中でやめ、同僚に言われるまま。
後をついていく。
同僚はそんな僕を蔑んだ目で見ていたが、どうでもよかった。
本当にお金がもらえるのなら、なんだってする。
移動中も同僚は何も話さない。
ただ、不機嫌な空気を出すだけだ。
当然、空気も悪くなるが気にする必要はなかった。
カン!
誰もいない夜の公園。
同僚は地面に落ちていた空き缶を蹴り上げ、不機嫌な様子を隠そうともしなかった。
「……落ちぶれたな、お前」
「そうだな」
「言いたい事はそれだけか?」
「楽しいか?あんな乞食みたいな真似をして」
「楽しい。それで金が貰えるならなんだってやる」
分からない。
笑いたければ笑えばいい。
元同僚が何で不機嫌になるのかさえ、分からない。
分かる必要も無い。
「ほら、ここに1000万ある、なんならお前に貸してもいい」
「……」
願ってもいない申し出だった。
「心臓の病気なんだろ?あの子」
「どうして知ってる?」
「あの動画を見れば馬鹿でも分かる」
それもそうだ。
募金の目的を声を上げながら説明しているのだから。
「……何をすればいい?」
「そうだな、まず土下座」
元同僚が言葉を言い切る前に、僕は行動する。
頭を地面へと擦り付ける。
一瞬の躊躇すらもはや無かった。
もう、土下座なんてやり過ぎて羞恥心などとっくの昔に消え去っていた。
「……はすでにしてるから、靴でも舐めろよ」
「わかった」
僕は地面に這いつくばったまま元同僚の靴に顔を近づけ、ゆっくりと口を開いた。
その瞬間、僕の頬を同僚が蹴り上げた。
僕は顔から地面に転がり、頬が地面で削られる。
乱暴に口を拭った手には血が大量についている有様だった。
「本当に墜ちたな、お前」
バザッ。
僕の前に小さな紙の束が投げられた。
「暗証番号は挟んである」
僕の前に投げ出されたのは通帳だった。
慌ててそれを拾い上げ中身を見れば、4桁万を超える金額が記載されていた。
「ありがとう……ありがとう……」
数秒前に蹴られた事など忘れ去り、僕はただ心から感謝し礼を言う。
「一つ教えてくれ、そこまで出来るのに、お前は何故全力を尽くさない」
「?」
言葉の意味が分からなかった。
「そんな端金じゃ全然足りないだろう。それくらいわかっているのだろう?なぜその事実から目を逸らす」
「……」
「金を集めたいのなら、もっと他人の同情を引け、あの子の境遇、受けてきた暴力、その全てを他人に知らせ、容赦なく同情を買え」
「そんなことをしたら、ユメは……」
虐めれる
いや、それどころじゃない。
ユメは傷のある子だ。
そのことをネット上に拡散され、面白半分である事ない事を付けたされ
心のない人間の永遠のおもちゃになる。
それは生きている限り続く永遠の地獄をユメに見せる事になる。
「だから何だ?生きるというのはそういう事だろう?生きていれば大なり小なり人の悪口を言い、そして言われる。それだけならまだしも、少しでも目立てば根拠のない噂を立てられ蔑まれ、陥れられる。事実お前もそういう事を経験し、跳ね除けてきただろう?」
「それは……」
「お前はそういったくだらない嫉妬に、容赦ない制裁を加えのし上がったはずだ」
「そうだ。でも結局それは周り回ってより強い力で僕に返ってきた」
だから僕は仕事を辞めた。
人からの妬み。
それを跳ねのけ制裁しても、今度はより大きい力で自分に返って来る。
それが分かってしまったから。
だから、僕はその輪から逃げ出した。
心が壊れてしまう……その前に。
「お前は嫌という程知ったんだろ。この世界はみな平等に生きられる優しい世界じゃないと」
「……」
「もう一度言う。この世界は皆平等に生きられる優しい世界じゃない。無神経な言葉で他人を殺し、踏みつけ、見下して生きていく世界だ。その世界でお前はユメちゃんを生かすためにどう戦う?それとも現実から目を背け、勝てない戦術を続けるのか?」
「違う!」
「何が違う!このままではお前は負けるぞ?」
辞めろ!!
辞めてくれ!!
全部分かるから、理解しているから……
お願いだから、やめてくれ……
「何度でも言ってやる。お前はこのまま負ける試合をしてユメちゃんを殺すのか?」
「黙れ……」
「そんな軽い決意なら今すぐ行動を辞めて死ぬまで側に居てやれ。その方がお互い良いだろ」
「黙れよ!!お前に何が分かるんだ!!!」
ガッ!
気が付けば、僕は元同僚を殴りつけていた。
殴り慣れてない拳がジンジンと痛む。
元同僚は2,3歩ヨロヨロと下がり顔を拭う。
「……答えは出ているじゃないか」
顔を拭った袖には赤い液体が付いている。
僕はそれを見てやっと気が付く。
自分のしている事。
何故こんなにも怒りを抱いてしまったのか。
その理由も。
「人は痛いから怒る。心の底では分かっていた事、それを言語化され痛みを無理やり自覚させられたから、お前は俺に怒った。だが、その怒りをぶつける相手は俺じゃない。もう、分かるだろ」
「……すまない」
反論の言葉すら出てこなかった。
どこかで理解していた事。
だれよりも強く感じでいたはずの不安。
それを言葉にされて僕は痛感する。
このままじゃ、ユメを救う事なんて……出来ない。と。
「……頼みがある」
「なんだ?」
「俺は全力を尽くす。だから援護をしてほしい」
「話してみろ」
心のどこかで考えていた事。
でも、ユメを傷つける最低な手だと考えていた物。
それを口にした途端、自分でも信じられない位スラスラと言葉が出てきた。
「うん、今までの境遇を晒し同情を引くか」
「いや、それじゃあ足りない」
助かった所で、ユメは苛められる。
それは間違いない。
引くほど虐待され、人に土下座する底辺に育てられた子供。
恰好の玩具だ。
永遠にネット上のおもちゃとして残る事になる。
「僕の境遇、資産、顔、公開できるものは全て見せる。物語を作る。クソみたいな生活しているダメ人間が、虐待された子供を必死で救おうとする。その筋書きで行く。人は自分より下と判断した人間に嫉妬する事は無いからな。ストーリとして受け入れ易い」
「確かにな、でも、それをすればお前もユメちゃんも永遠に心無い人間の玩具になるぞ」
それは誇張でもなんでもない。起こりえる事実だ。
学校に行けば間違いなく、揶揄われ、虐められる。
何歳になってもそれは止む事は恐らく無い。
ユメが中学、高校と進学する度、内容はエスカレートするはずだ。
その結果、ユメは外に出られなくなるかもしれない。
心まで傷ついて、壊れてしまうかもしれない。
そうなったら、きっとユメは僕を恨むだろう。
殺したい。と思うかもしれない。
でも、それでも……
僕はユメに生きて欲しい。
それは僕の我儘でしかない。
僕はいつ死んだっていい。
そう思ってきた人間なのに、ユメが死ぬことだけは必死に否定する。
矛盾していると思う。
でも、それでも……僕は全てを理解した上であえて言う。
「ああ……全てを懸けユメを生かす。恨まれるだろうがそれはユメが生きているから出来る事だ。どんなに恨まれようと、僕はユメを生かす」
もし、人に生きる理由があるとするならば
アイツを、ユメを助ける事が僕が生まれてきた理由だ。
「手を貸せ、あと、この金も全部活動資金にさせてもらう。悪いが口座はこのまま借りる。僕のは全て公開するからな」
「いいだろう。見せてみろ。お前の全力を」
フッと笑い、元同僚は僕に手を差し伸べた。
それは悪魔の手だった。
利己的で、残酷で、とても優しい悪魔の手。
僕はその手をギュと掴み、立ち上がる。
「もう引き返さない。後悔もしない。だから協力しろ」
「俺のメリットは?」
「お前は見たいんだろ?僕の全力を。だから何度も絡んできた」
「……そうだな。一番の特等席で眺めさせてもらう。中途半端な事だけはしてくれるなよ」
「……ああ、それじゃあユメは救えない」
僕は薄く笑い。覚悟を決めた。
他人を利用し、蹴落としてでも、ユメを救うと。
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