1-8


「本当ですか?」

「いいけど、給料は高くないからね?むしろ安い。ここでの仕事は君の経歴をまるで生かせないし、体力もいるけど大丈夫?」

「はい!!」



僕は今、仕事の面接を受けている。


その仕事はスーパーの店員

正直、今まで働く先として考えた事すらなかった。


別に職業に貴賤がある訳でもないし、見下していたわけでもない。

ただ、自分がその仕事に就けるか?

という問いに対してはノーであった。


今まで培ってきたスキルは生きないし。

この年で一から挑戦・勉強しなきゃいけない。


極めつけは、給与。

大手なら別かもしれないが、今面接しているのは地域限定の小規模スーパー。

頑張って働いても、僕一人でさえ食べていけるかギリギリの金額。

間違いなく貯金なんて出来ない。


ユメの将来を考えれば、絶対に選択出来ない……はずだった。


ただ、今は。

今の僕にはそんなものどうでもよかった。



「あと、お子さん。ユメちゃんっていうのかな?」

「はい」

「働いている間、事務所にいる位なら大丈夫だよ。勿論、問題起こしたり邪魔したらダメだけど」

「いいんですか?!!」



思わず食いついてしまった。

それは僕が探し続けた条件であった。



「ああ、ウチで働いているシングルマザーも多いからね。みんなそうしてるよ。今更一人、二人増えた所で変わらないしね。あ、何度も言うけど、問題を起こすようなら出禁にするからね?」

「大丈夫です!ありがとうございます!」

「じゃあ、明日からでいいかな?」

「はい!ありがとうございます!」



絶対に一生懸命働いてやる。

そんな決意と共に、僕は何度も何度も頭を下げていた。



………

……



「あ、その商品なら、あちらの棚にありますので、ご案内しますね」



スーパーで働き始めて数か月。

その仕事は大変だった。


でも、一生懸命やっていれば仕事は勝手に体が覚えてくれる。

お客さんからの要望に応えられるくらいには、僕は成長していた。



「ああ、これこれ。ありがとうね」

「いえ」



僕は軽く頭を下げて自分の持ち場に戻る。

そんな様子を遠くから見ていたユメと目が会う。


僕は小さく手を振りユメに笑いかける。

ユメは嬉しそうに手を振り返してくれた。


これが僕とユメの日常になっていた。


ユメは学校が終わるなり、そのままスーパへやってきては僕の仕事を遠くから眺める。

始めは事務所で宿題をこなしていたのだが、気が付けば僕をじっと見続けるのが習慣化していた。


友達とも遊ばない。

ゲームをするわけでもない。


ただ、僕をじっと見つめているだけ。


何度か事務所にいるように注意したけど、ユメは聞き入れなかった。

店長は”問題起こさないならいい”と、笑って認めてくれ、周りのパートのおばさん達は初めこそ邪魔だと言っていたが、ユメのこれまでの経歴を話し、頭を下げてお願いしたら泣いてユメを抱きしめてくれた。


おかげで誰もユメの行動を咎める人はいない。

最高の職場だった。


異常なんだと思う。

子供が友達とも遊ばず、血のつながらない親代わりの側に居続ける。

正常な訳が無い。


でも、それでいいと思う。

人の生き方に線引きなんてないし、なにより今のユメの姿はなによりも幸せそうだった。

それが分かるだけで十分だった。



「あれ?仁じゃないか?」



その時、僕の肩がポンと叩かれた。



「俺だよ、俺!川口だよ」

「あぁ……久しぶりだな」



振り返れば僕の知り合いがいた。

友人でもない。


昔の職場の同期だった。



「お前、ここで働いてるのか?」

「ああ」

「そっかぁ……」



そういって同期は頭に手をやる。

大体言いたいことは分かる。


そんな態度すれば何が言いたいのか公言しているようなもんだ。



「なぁ、この後暇なら飲みに行かないか?」

「悪い。おれ品出しの仕事があるから」

「なら、終わってからでいいだろ、皆も呼ぶからさ!」

「勘弁してくれ。忙しいし、金も無い」

「少しくらいいいだろ!奢るからさ!」



僕の両肩をガシッと掴んでくる。

……本当に迷惑だ。


ただ、従業員と客という立場上怒る事も出来ない。



「ダメ!」



その時だった。

ユメが全力で走ってきて、僕と同期の間に割り込んできた。



「お父さんを虐めないで!!」



ユメは同期の体をグイグイと押し、僕から遠ざけようとしていた。



「え?誰?この子?」

「僕の子だよ」

「へ?」



僕はユメに”大丈夫”と伝え、ユメを抱き上げる。



「ごめんな。こいつを一人に出来ないし、一緒に過ごす時間がなにより大事なんだ。飲みになんていけない」

「あっ!」



ユメを抱き上げたまま、僕はバックヤードへと逃げた。



「お客様なにかありましたか?」



追ってこようとする同期をパートのおばさんたちが足止めてくれた。

僕は頼りになる同僚に心の中で何度も感謝した。



………

……



「あぁ~!ホントだ!」

「仁君!懐かしいね!!」



同期と会ってから数日後。

また職場で声をかけられた。


頭が痛くなる。

前よりも増えてやがる……。



「なぁ、今日時間とれないか?みんなお前に会いたがってたんだよ」



よく言う。

前に断ったの覚えてないのか?


突然来て、時間を空けろだ?

自分勝手すぎて反吐が出る。



「無理だ。理由は伝えただろ」

「ああ、あの子だろ?連れてきちゃえよ。最近は子連れでいける居酒屋あるしさ、実はもう予約もしてるんだ」

「やめてくれ。迷惑だ」



なんでユメが行きたいとも思わない場所に連れて行かなきゃいけないんだ。

自分たちを中心に物事を考えるな。



「ねぇねぇ、仁君の子供ってあの子?」

「ああ、確かそうだよ」



僕が無視してせいか、ユメと面識のある元同僚が答える。



「へぇ、可愛い子ね」



そう言って女の同期がユメを手招きで呼び寄せる。

ユメは警戒しながらもゆっくり近づいてきて、僕に抱き着いてきた。



「ねぇ、お父さんの昔のお話し聞きたくない?」

「え?」

「きっと面白いよ。貴方のお父さん、昔はとっても凄くて仕事でも一番だったのよ?」

「お父さんが?」



本当に迷惑だ。

ここが職場じゃなかったら、怒鳴り声をあげて怒ってる。



「いっぱい話してあげるから、私達と美味しいご飯食べよ?」

「……うん。行く」



ユメは小さく頷いた。



「チッ」



僕は大きく舌打ちし、ユメを抱え上げる。

ユメを言葉巧みに誘導しやがって……。



「やった。嬉しいな!」

「お前達子供を騙すのはやめろ」

「騙してなんかないわ、行きたいって言っただけよ。パパ」



茶化す様に同期の女が言う。

殴りたくなるような衝動を抑え、ゆっくり深呼吸する。


何処かで相手をしないと、コイツらはまた来る。

そんな確信にも近い予感が拭えない。



「2時間だけだ。遅くまで子供を連れまわすのはダメだ」

「は~い」



女の同期が手を挙げて答える。



「歳を考えろよ。痛いぞ」

「あ、そういう所可愛くないなぁ!」



心からの本音が僕の心を少しだけ落ち着かせる。


仕方ない。

一度ちゃんと話しをしよう。


断ってもまた来ると思うから。



「……仕事が終わるまで待ってろ、待てないなら帰ってくれ」

「待ってるよ。ちゃんとね」



同期達はみな一応に頷き、店から出ていった。


ただただ憂鬱。

その感情を抱えながら、僕は残りの仕事をこなす羽目になった。



………

……




「すいません、同じの下さい~」

「あ、私も~」



凄い……

久しぶりに飲んだ同期達はただただ凄かった。



「俺はハイボール」

「レモンサワーください~」



嘘だろ?

水……いや、乾いたスポンジを突っ込んだようにジョッキの酒が消えていく。



「のまないの~?」

「飲めるわけないだろ、子供がいるんだ」

「ふふ、元々飲めないもんねぇ~、昔からそこが弱点だった」

「……そうだったな。その時はみんなに世話になった」



昔を思い出す。

みんな仕事で死ぬほど飲まされたんだ。


最初は僕も含めみんな吐いてたな。

それで僕が急性アルコール中毒で一度倒れてからは、みんなが代わりに酒を飲んでくれた。


接待で飲まされそうになった時もみんながカバーしてくれていた。


辛い仕事だったけど、孤独だったわけじゃない。



「でしょ~、なのに恩返しもしないで辞めちゃうんだもん」

「それは……申し訳なかった」



僕は素直に頭を下げる。

世話になっておいて、何も返さずに辞めたのだから。



「うん。ま、仕方ないか」



そう言って同期の一人は酒を煽る。

その仕草が妙にカッコよく、なんだか可笑しくなってしまった。


僕は笑いながら”ありがとう”と告げた時だった。



「仕方なくないだろう!」



ダンッ!

ジョッキが机に叩く音が響く。



「いつまでそうやって逃げ続けるつもりだ?」



声を上げた同期は顔を真っ赤にして声を荒げていた。

いつのまにそんなに飲んだ?とも思ったが、みんな初手から凄い飲んでたわ。



「逃げてなんてないさ」

「どこがだ?子供を理由に逃げているだけじゃないか」

「そう見えるか。ならそれでいいさ。好きに見下せばいい」



酔った時の本音……か。


まぁ、そうだろうな。

僕と飲みたい。

そんな事、理由が無きゃいわないよな。


皆辛い仕事を頑張っている。

そこから逃げ堕ちた人間を見て笑いたいだけ……なんだろうな。



「言い返しもしない。ダメ人間が」



ダメ人間……か。

返す言葉も無い。



「お父さんはダメじゃない!!」



その時、ユメが大声で叫んだ。



「お父さんは凄いの!誰よりも凄いんだから!」



ユメは立ち上がり、泣きながら叫んでいた。

その様子に周りは圧倒される。



「みんな嫌い!なんでお父さんを虐めるの!」

「ユメ!」



僕はユメを慌てて抱きしめる。

ユメは嗚咽を漏らしながら僕の胸で泣いてた。



「悪いなみんな……でも、もういいだろ」



白けてしまった雰囲気で、僕はゆっくりと告げる。



「お前達は凄いよ。今でも第一線でバリバリ仕事して給与だって僕の3倍、下手したらもっともらってるはずだ。今の僕なんかとはまるで違う、僕はいわゆる底辺の人間だ」



胸の中でなきじゃくっているユメを僕はさっと抱き上げる。



「でも、これでいいんだ。僕はユメと一緒にいれる時間が何よりも大事なんだ、だから生活できる分の金があればそれでいい」

「本当に良いのか?それでいいのか?」



声を荒げた元同僚が僕を睨みつける。



「今頭を下げれば俺が戻してやる。俺はお前と違って逃げずに働き、それくらいの地位についたからな」



ああ……なんだ。

心配してくれているのか。


そういえばこいつは不器用な奴だった。

それを思い出して、ふっと笑いにも似た感情が湧き上がる。



「ありがとうでも、いいんだ。そこまでして得たい物が無い。そんな人間があの厳しい環境に戻った所で、すぐ辞めるのがオチさ」

「……勿体ないとは思わないのか?」

「思わない、何よりも大事な物を僕はもう見つけてるから……金はここに置いておく、雰囲気わるくしてゴメンな」



僕はユメを抱きかかえたままポケットの財布を取り出し、数枚の紙幣を取り出す。

自分でも器用だと思うが、いつの間にかこんな事も出来るようになっていた。



「みんなありがとう。そして……ごめんな。今日は楽しかった」



小さく頭を下げ、僕は居酒屋から出ていった。

ただ、意外と気分はそんなに悪くは無かった。






「ごめんなさい……」

「うん?何がだ?」



街灯が照らす夜道を僕はユメを抱えながら歩いていた。



「私がいるから、お父さんは馬鹿にされるんでしょ?」

「……ふふ、あはは」



あまりにも想定外の発言で思わず笑っちゃった。



「違うよ、それは勘違いだよ。僕が馬鹿にされるのは、僕の責任だよ。ユメには何の罪もない」


そう。

皆から笑われるのは全て僕の責任だ。


断じて、ユメのせいなんかじゃない。



「でも……」

「ユメは今不幸せか?」

「ううん!幸せだよ?!」

「奇遇だな、僕もだ」

「ユメはもう知ってるだろ?幸せっていうのは何よりも得難い物だって?」

「うん」

「だから、他人なんて気にする必要はない。今幸せに生きられているのならそれでいい。後はそれをどう維持するか、それだけを考えていればいい」



本当にそう思う。

地位、年収、貯金、学歴、見た目。


そんな言葉で表せる物なんて重要じゃない。

僕は。

いや、僕とユメは知っている。


全部無いのも困るけど、全てを揃える必要もない。



「馬鹿にしたい奴にはさせておけばいい、その間に僕達はもっと、もっと幸せになってやろう!」

「うん!」



ユメは大きく頷き答える。



「ああ、もっと幸せになるぞー!」

「なるぞー!」



僕たちは暗い夜道で叫んだ。


30代の中盤を過ぎ年収300万もいかない男。

虐待され本当の親からも捨てられた少女。


世間的には不幸せな二人。

そんな二人が幸せになると言えば、皆が笑うだろう。


それでもいい。


僕らの心は少しづつ近いづいている。

そんな気がしたから。


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