1-7


「ええ、嘘なんです」



日が高く上り、人々が忙しそうに行き交う午後の2時。

僕は急ぎ帰宅の途についていた。


仕事が早く終わった訳ではない

ユメが怪我をした。

そんな連絡を本人から受けたからだ。



「そうですか」

「でも、前にもお話しした通り怒らないでくださいね?」

「ええ、試している。んですよね?」

「はい、虐待された子にはよくある特徴なのですが、信頼する相手がどれだけ自分の事を愛しているのか?それを図る為に、無茶なワガママや物を壊したりといった行動を取るんです」

「迷惑をかけてもこの人は大丈夫か?捨てないか?そんな疑問を打ち消す証拠みたいな物が欲しいんですよ」

「ええ、分かっています」



僕が連絡しているのは、ユメが入っていた施設の若い女性。

色々とあって今でも連絡を取り助けて貰っている。



「ちなみに今日はなんて?」

「”怪我をしたから早く帰ってきて”だそうです。でも、実際は怪我はしていないとお思います」

「そうですか……、でも間違っても怪我してない事を責めないで下さいね?そうやって怒れば、次からは本当に怪我をしますよ」

「わかりました。頭に入れておきます。もう家に着くので」

「くれぐれも冷静に」

「はい!ありがとうございます!」



僕はそう言って、電話を切る。

でも、もし本当に怪我をしていたら?


そんな心配が僕の心をかき乱す。



「ユメ!」



僕は家の扉を開け、ユメを呼ぶ。



「……はい」



ユメは部屋の端で体育座りをしていた。



「……怪我したのか?」



ユメはただ横に首を振る。


その答えを聞いて、頭に血が上るのが分かる。

大きな声を出し怒りたくなる衝動。


それを抑えるために僕は大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。



「ごはん……用意するか」

「うん!!」




深呼吸を何度も行い、湧き上がる衝動を抑え紡ぎ出した言葉。

その言葉にユメは嬉しそうに同意する。


……ユメと一緒に暮らしていく。

その難しさを僕は心の底から感じでいた。



………

……



「契約解除……ですか」

「ああ、君の能力は問題ないし、家庭の事情も理解できるのだけどね」

「早退ですか」

「ああ、残業はしないのはまだしも、こう何度も早く帰られて……しまうとね」



部長は申し訳なさそうに僕に言う。


当たり前だ。

”ユメが怪我をした”という度に僕は早退している。


事実ユメは怪我していない。

なのに僕は何度も早退を繰り返し、周りに迷惑をかけている。



「そうですよね……」



逆の立場なら一日も早く消えて欲しいと思うだろう。



「本当に申し訳ありません」

「一応こちらからの契約破棄になるから、特に引き継ぎはいらないし、契約期間の残りの給与は支払うよ」

「すいません。ありがとうございます」



全部部長の好意だった。

僕の全ての事情を話していた部長は、”すまないね”と一言だけ謝ってくれる。


その一言に頭があがらない、涙が出そうになる。


定められた職務をこなせないだから、なんの保障も無しに放り出されても文句は言えない。

それは当たり前の事なんだから。


僕の少ない荷物はすぐに纏まり、解雇を告げられた数時間後には会社を出る準備が整った。



「色々とご迷惑おかけしてすいませんでした!お世話になりました!」



会社を出る前に、僕は皆に頭を下げた。

僕の言葉に反応する人はいない。


ただ、部長だけが軽く会釈をしてくれているのが分った。



(本当にご迷惑をおかけしました)



部長に再度心の中で礼を言い、もう一度深く頭を下げる。

そして、僕は会社から出た。


その直後、会社の中では拍手が沸き起こっていた。


それほど僕は邪魔な存在だったらしい。


……社会は甘くは無い。


分かっていたことだ。

安定した一流企業の正社員でもない限り家庭の事情で休職なんて出来ない。

そして、その安定を捨てたのは他でもない自分自身なのだから


………

……



「なんだよこれ……!」



家に着くなり部屋を見て唖然とする。

泥棒にでも入られたか?というくらい部屋が荒れている。


……心当たりはある。

何故ならユメが夕日が差し込む部屋の隅にただポツンと座っているから。



「ユメがやったのか?」



ユメは首を縦に振る。

ユメの横には僕が大事にしていたPCが壊され、育てていた植物が鉢から出され床に散乱している。



「そうか」



何でこんなことをする……

だれの為に、何の為に!働いていると思っている!!


そんな言葉が喉まで湧き上がっくる。



「あのっ!!」

「……少し散歩してくる」



僕は喉から這い出ようとるする言葉を強引に飲み込み。

外に出た。


それが精一杯だった。


後少し部屋に留まれば、感情のままに怒鳴りちらしていたから。


会社を首になり仕事だってない。

せめて、せめて今日だけは勘弁してくれ。


そんな気持ちが抑えられず、気が付けば僕は駆け出していた。


………

……



暗くなった公園のブランコ。

僕はそこで一人甘い炭酸水を飲んでいる。



「聞いていたんだけどなぁ……」



ネグレクトされた子供の特徴。


新しい親を信頼していいのか?

本当に自分は愛されているのか?


それを確認する為に、ワザと部屋を散らかしたり、親の大事な物壊したり、下手をすれば自分を傷つけることさえある。と。


”試し行動”という奴らしい。


そして、その対応としては決して怒ってはいけない。

ゆっくりとダメな理由を伝え、子供が愛されていると感じるまで付き合わなければいけないと。僕は教えられていた。



「分かったつもり。という事だったのかな」



僕は大きく息を吐く。

自分でユメを背負い込む覚悟をした癖に、その重さに押しつぶされそうになる。


僕は聖人じゃない。

ちょっとした事でイライラするし、大事な物を壊されて憤らない人間でもない。



「試されているんだよなぁ……」



自分の未熟さを痛感する。

本当は怒らずに、ユメとしっかりと話し合う事が正解なんだ。


それは分かってる。

だけど、感情と理論は別物なんだ。


今、ユメと話せば……きっと僕は……怒鳴ってしまう。



「もう自信がないよ」



親である事。

それに対して僕は自信が無くなりつつあった。



「はぁ……」



溜息しか出てこなかった



「お父さん!!」



そんな声と共に、ドンと小さな衝撃が背中に走った。



「ごめんなさい!ごめんなさい!」



その正体は、僕の背中に縋り、必死に謝ってくる子供。

ユメだった。


僕はゆっくり立ち上がり、ユメの方へ向き直す。


ユメは泣いていた。

ポロポロと大粒の涙を流しながら。



「……靴はかなきゃダメだろ?」



ユメは慌てて僕を探しに来たのか、靴すら履いてない状態だった。

僕はユメを抱き上げ、ベンチに座り直し、膝の上に乗せゆっくりと頭を撫でた。



(そうか……そういえば、そうだな)



ユメは変わったんだ。

ユメは初めてユメは我儘を主張し始めたんだ。


確かに行動は褒められたものじゃない。


でも、僕はユメに我儘を言ってほしくて。

子供らしい事をさせたくて……一緒に暮らす選択をしたんだ。


それが自分の想像と違ったからといって落胆するなんて

自分勝手すぎる。


一番最初の目的を。

とても大事な事を僕は忘れていた。


僕はユメをゆっくりと抱きしめ、泣き止むまで何度も何度も撫でてやった。



「準備しよう」

「え?」

「旅行しよう。明日の朝に出るよ」



ユメは泣きはらして赤くなった目を僕へと向ける



「どこへ?ですか」

「良い所。きっと驚くし楽しいよ」

「……はい」


僕はそれだけ言うと、ユメをもう一度撫でた。


うん。

ユメに見せたい場所がある。


動機なんてそれだけで十分だった。


………

……



「初めてです!飛行機!!」



ユメは嬉しそうに足をバタバタさせる。

僕らは今飛行機に乗っている。


昔よく旅をした。

その中でも一番お気に入りの場所で、大事な人を連れていきたいと思った場所

それが沖縄のさらに南にある西表島。


そこでユメと話したい事がある。



「シートベルトは外さないようにね」

「はいっ!」



ユメの視線はまだ離陸もしていない窓に釘づけであった。

興奮しているんだろう。



「ほどほどにね」



長い旅になる。

少しでも体力を温存しておきたい。


興奮して窓を見続けるユメから視線を外し、僕はゆっくりと目を閉じた。



………

……




「うっわーー!!」



ユメのテンションはこれ以上ない位に高い。


分かる。

その気持ち分かる!


目の前に広がるのは”海”。

それもただの海じゃない、宝石のような輝きを放つコバルトブルーの海。


どんな清涼飲料水よりも美味いと錯覚してしまう蒼く透き通った水。

それが一面広がっている。


まぁ、実際に一口飲めば胃の中の全てを吐き出してしまうただの塩辛い海水なんだけど。



「これが海!?」

「そうだよ、僕が知る限りで最も綺麗な海だよ」

「えぇぇ!!」



ユメは自分を抱きしめ、身を細く伸ばして驚きを示す。

面白いリアクションだけど、その様子がこっちまで嬉しくさせる。



「ほら、行くよ!」

「で、でも!」

「これから宿にいくよ。宿の近くの海岸はここよりももっと綺麗だよ」

「えぇぇ!!!!」



そう声を上げ、ユメは体をグニグニと揺らす。


なんだそれ?

思わず笑ってしまう。



「ほら行くよ」

「はいっ!!」



僕とユメは笑い合う。

昨日の出来事なんて二人とももうとっくに忘れていた。


………

……



「うっわーー!」

「良い所でしょ?」

「はいっ!」



宿のフロントにはソファと机が置かれ、海に面した大きな窓からは青い海が展望できる。

決して高い宿ではない。


でも、素朴で自然を生かした本当に良い所だ。



「お待たせしました。こちらが部屋のカギになります」

「ありがとうございます」



僕は目の前に差し出された鍵を受け取る。

鍵についている乾燥したサンゴ達がキンキンと金属の様な音を立てて打ち合う。



「お子さんですか?可愛いですね」

「ええ、自慢の子です」



その途端、ユメが僕に抱きついてきた。

腰のあたりに顔埋めちょっと痛い位に力を込める。



「おおぅ、どうした?」



ユメは答えることなく、店員さんは優しく笑っていた。



「海で出来るアクティビティやレンタル品についても説明しましょうか?色々とありますよ」

「ああ、お願いします」


店員さんは、丁寧に説明をしてくれた

沖に出てファンダイビングやシューノケルも楽しめるとの事だったが、飛行機に乗った日は出来ないらしい。


今から出来る事は、近くのビーチで遊ぶ位しか出来ないのだそうだ。



「どうする?海入るか?」



ユメはフルフルと首を横にふる。



「いきたくないのか?」



また、ユメはフルフルと首を横に振っていた。

そこで気が付いた。


傷だ。

体に刻まれた2度と消える事のない痛い痛しい傷。


今だってこの暑い中ユメは長袖を着ている。

誰にも見せたくないはずだ。


そんな当たり前の事ですら僕は配慮出来ていなかった。



「すいません、ダイビングスーツって借りられますか?」

「大人用ですか?」

「いえ、子供用の……実はこの子大きな火傷の跡があって、それが隠れる位の」

「それなら全身が隠れるのがありますよ。ちょっとお待ちくださいね」



そう言って店員は店の中に戻っていた。



「海入るか?」



ユメは嬉しそうにコクンと首を縦に振る。



「じゃあ、荷物置いたら準備しような。日焼け止め忘れると酷い目にあうからな」



僕はユメの頭をゆっくりと撫でる。

ユメの髪はサラサラと水を掬うように、簡単に僕の指から零れていく。


髪も綺麗になったし、体重も増えた。


見た目ではもう昔のユメはとは完全に別人だ。


願わくば。

ユメがこのまま昔の事を忘れて前を見続けて生きていって欲しい。


僕はそう……目に見えない何かに願っていた。


----

--

-



「さてと」



辺りはすっかりと暗くなり、隣のベットでユメはスースーと規則正しい寝息を立てている。

どうやら僕はついているらしい。

計画も立てずに来たもののどうやら目的は達成出来るようだった。



「騒ぎ疲れたか」



ユメと僕はコバルトブルーの海を満喫していた。

ユメは海はおろかプールで泳いだ経験すらなかったので、二人だけで泳いでいたのだが、本人は何よりも楽しかったらしい。

浮き輪を持ち二人ただ海を浮かんだり、魚肉ソーセージを海の中で削る様に振りまき小魚を集めたりと、離島の海でしか出来ない遊びを僕らはした。


遊び一つ一つにユメは大げさに喜び、目を丸くして驚いていた。

その疲れが出たのか太陽が沈むと共に、ユメは溶ける様にベットで寝てしまった。

僕はその静かな寝顔を横目に部屋の残る小さな明かりも全て消す。


そして、おもむろにユメの体を揺さぶった。



「なぁに?」



眠い目を擦りながらユメがゆっくりと体をあげる。

僕は黙って窓の外を指さす



「うわぁぁぁぁ!!」



悲鳴にも似た声をあげ、ユメは窓に駆け寄っていった。

窓から広がる空。


そこには星の海が広がっていた。

一体どれくらいの数の星があるのか、数える気にもならない。


本当に星の数ほどある小さな輝き。

空一面見渡す限りが小さく瞬く星で埋め尽くされているのだ。


なんだってそうだ

近くの小さな明かりが、本来見えるはずの大きな明かりを曇らせる。



「凄いだろ?」

「うん!うん!!」

「海岸に行こう、もっと綺麗に見えるよ?」

「うん!!」



ユメは大きく頷き、駆け足で玄関に行き靴を履く。

そして1秒を争うように僕を急かす。



「ユメは危ないから背中な」

「どうして?」

「ハブが出るらしいからな」

「ハブ?」

「うーん、まぁ夜道は暗くてころんじゃうからな」

「わかった!」



ユメを背負い僕らは部屋から出る。

そんな僕らを無限の星たちが出迎えてくれる。


星の海を見上げながら歩く。

その圧倒的な光景にただユメは”ほわぁ~”と気の抜けた声を僕の背中で上げ続けていた。



「ここら辺でいいか」



ホテルに隣接する植物プランクトンの死んだ殻で出来た星の砂のビーチ。

僕はそこでユメを背中から降ろし、ザリッという固い音と共にビーチに座り込む。


すると、ユメはすぐに僕の膝の間に潜り込んできた。



「凄いね!凄いねぇ!!」

「そうだね。でも少し怖くない?」

「怖い?」



少し振り返りながらユメは僕の顔を見上げる。



「海が真っ黒でしょ?」



目の前に広がるのは先が見えない漆黒の海。

何かが這い出てきそうな雰囲気は、無限を思わせる星空とは真逆でとても不気味だった。



「そうだね……」

「戻るか?」

「ううん、このままでいい」



膝の中にすっぽりと収まった体を小さく震わせ、ユメは答える。



「そっか」



それだけ答え、僕らは空を見上げる。

本当に数えきれない。

いや、数える気にすらならない星の海を。



「なぁ、恒星って知ってるか?」

「え?こうせい?」



知らないか。

そうだよな。これ習うのって中学生くらいだったかな……。



「じゃあ、月はなんで光るか知ってるか?」

「うん、こないだ先生が教えてくれた。太陽の光を反射してるんでしょ?」

「そうだね、月は自分が光っている訳じゃないんだ。でも、太陽は自分自身の力で光ってるだろ?」

「うん」

「太陽の様に自分自身の輝いている星の事を恒星っていうんだ」

「たいようがこうせい?」

「そう、恒星。ユメが中学生になればきっと学校で習うよ」

「へぇぇ~」



ユメは空を見上げ続ける。

薄い星明りに照らされたユメの横顔は、本当に天使の様に繊細で、ガラスの様に脆く見えた。



「いまさ、空に輝いているこの星、全部太陽と同じ恒星なんだよ?」

「んー?どういう事?」

「みんな太陽の兄弟ってところかな」

「えー?でも、でも凄く小さいよ?」

「それはそうだよ、距離が離れてるからね、もし太陽と同じ距離なら何倍も番百倍も明るいよ?」

「なんで距離が離れていると太陽に見えないの?」

「うーん」



そうだね。

当たり前の事だけど、言葉にするのは難しいな……



「僕達がさっきまでいた建物が見えるだろ?」

「うん」

「部屋にいた時は明るかったけど、今ここから見えると星の様に小さい光になっているだろ?」

「うん」

「だから、距離が離れれば離れる程、光は小さくなるんだよ」



そうなのか?

距離が離れる事によって目に入る光量が光が小さくなるから……なのか?

いや、僕も良く分からないな。


距離が離れた物が小さく見えるのは何故か。

そんなの当たり前すぎて考えた事もなかった。



「そうなの?」

「……ごめん。僕もよく分からないや。考えた事も無かった」

「えぇ~」



見栄を張らず、正直に言う。

その方がよっぽど大事な気がする。



「いいの、世の中の事なんて知らない事の方が圧倒的に多いんだから」

「お父さんも知らない事あるの?」

「知らない事だらけだよ、ユメの知ってる事と、僕の知ってる事なんてほんの少ししか違わないよ?」

「うそだー」

「大丈夫、きっと後10年もすればユメの方が物知りだよ?」

「ほんとに?」

「ああ、約束する」



たぶんね。

いや、そうなって欲しい。



「そうかなぁ~」

「なるさ。きっとなる」



僕はそう言ってもう、ユメの頭を少しだけ強く撫でてやる。


良い雰囲気を作る事が出来た。

今ならユメに言える気がする。


ここに来た理由を。

ユメに知っておいて欲しい事を。



「この場所はさ、僕が色んな所を旅して見つけた綺麗で特別な大事な場所なんだ」

「そうなの?」

「ああ、凄いだろ?この景色」

「うん!」



間違いない。といった感じでユメは頷く。

僕も同じだった。


初めてこの光景を見た時は本当に凄いと心からそう思った。



「だから、ユメを連れてきたかったんだ」

「え?どうして?」

「ユメが大切だから。僕の大切な人だから教えてあげるんだよ」

「私が大切……?」

「ああ、嫌いな人間ならぜっったいに連れてこないからな!わかるだろ?」

「うん!」



ユメは嬉しそうに僕の腕を取り、抱え込む様に抱きしめていた。



「僕の言ってることが信じられないか?」

「ううん」

「だから、大丈夫。ユメがどんな悪い事をしたって僕はユメを嫌いになる筈がない。勿論、ダメな事をしたら怒るけど、それはユメが嫌いだからじゃない」



それでも感情的になったり、100%正しい事振る舞いは出来ないけど……

だけど、僕の気持ちは知っておいて欲しかった。


僕は自分の決めた事すらちゃんと出来ない……人間だから。



「寂しかったらそのまま言葉にすればいいし、欲しい物があれば言えばいい。だから、ちゃんと文句や不満、あとは希望なんかを伝えて欲しい」

「……はい」



ユメは小さく間を置いて、消えそうな声で返事をした。



「難しいな、それって」

「うん」



そうだよな……

言ってすぐ改善出来たら、誰も苦労はしないよね



「でもさ、少しづつ頑張ってみない?一緒に」

「うん」

「ありがとう」

「あっ!」



その瞬間、空に一筋の光が流れた。

星の海を横切る、一筋の流れ星だった。



「願い事……言わなきゃ!」

「無理だよ。ほんの一瞬だもん」

「意外に冷静だな。ユメは」



それから僕とユメは長い間星を見続けた。

その間には何個もの流れ星が現れては、消えていった。



「お父さん」

「ん?」

「私、毎日ご飯食べれなくてもいい。お風呂も入らなくていい」

「え?」

「学校だって行かなくていい。家のお掃除も全部やる。だから、朝もお昼も夜も……ずっとお父さんと一緒にいたい」



ユメは抱えた僕の腕を痛い位に抱きしめる。


僕の予想を遥かに超えた言葉。



「……それはダメ……だ」



学校も行かない。

家の事もやる。

ご飯を食べない、お風呂も入らない。


そんなの認められない。

認められるわけがない。



「……」



ユメは何も言わない。

ただ、体を小さくして固まってしまった。



「いや、ごめん……」



少し。

ほんの少し前に自分が言った事を忘れてしまった。


僕はなんて言った?

”文句や不満、あとは希望なんかもを伝えて欲しい”

そういっただろ?


それでユメが希望を言ったら否定する?

最低だろ……それって




「約束する。朝も夜もずっと一緒にいるって、でも一つだけユメも約束して?」

「なに?」

「学校は辛かったら行かなくてもいいから、ごはんは食べて、お風呂も入る。家事は一緒にやろう。それが守れるなら、僕も約束する」

「ほんと?」

「うん、だけど贅沢出来ないからな。後から泣いても知らないぞ?」

「大丈夫!!」



ユメは振り向いて今まで一番の笑顔を浮かべてる。

頬には涙の伝った跡が残っていた


それから僕らは長い間空を見続けていた。

他愛もない出来事を話し合いながら。


その間、僕等は何回も流れ星を見た。

でも、ただの一回も流れ星が消える前に願い事を言う事は出来ず、笑い合った。


それは人生で一番短く、そして幸せな時間だった。

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