1-5
■
「うん?」
なんだろう。
施設に着くなり知らない子に手を握られた。
「私と一緒にいよ!私の方がいいよ!!」
「は?」
変な声が出てしまった。
ユメより少し大きな女の子。
僕の手を握ったまま、体を押し付ける様にべったりとくっついてくる。
「すいません~!」
職員の人が慌ててこっちに走ってくる。
その瞬間、少女は僕から手を放し何事もなかったかのように建物の中へ歩いていった。
「なんなんだ?」
途方に暮れる僕の前で、肩を上下に揺らし職員さんが息を整える。
「すいません」
「いえ。ただ驚きました……」
「そうですよね」
何回か深呼吸をし、息を整えた職員さんは、背筋をピシッと伸ばし僕を見る
「少しお話できませんか?」
「ええ、いいですけど」
「ここで話すのは難しいので、ついてきていただけますか?」
なんだか嫌な予感がする。
僕が通されたのはこの間と同じ個室だった。
「率直に言いますね」
席に座るなり若い職員さんはまっすぐ僕を見る。
「もうここに来ないで頂けますか?」
「え?」
それは僕の想像を超えた言葉だった。
「何でですか?たしかに前は褒められないような事をしたけど、いきなり」
「ユメちゃん。虐められてます」
「は?」
僕の言葉を遮り職員の人は言う。
まるで理解出来ない。
何を言っているのか、本当に分からなかった。
その言葉の意味を理解するのに、しばらくの時間が必要だった。
「なんで……ですか?」
なんとか声を絞り出す。
ユメがいじめられてる?
信じられなかった。
同じような境遇の子が集まるこの場所で、なんでまたユメがそんな目に合わなきゃいけないのか本当に分からなかった。
「私たちの指導不足というのも勿論あるんですが……一番の理由は、嫉妬だと思います」
「へ?嫉妬!?」
それこそ意味が分からない。
ユメはそんな嫉妬されるような人生を歩んでない。
むしろその真逆。
辛く厳しい生き方しか経験してないのに。
「ユメは間違いなく不幸。いや、この豊かな社会において最底辺の人生を歩んできたといっても言い過ぎじゃない……」
ゆっくりと怒りが湧いてくる。
なんでユメが施設に入ってまで辛い思いをしなきゃいけない?
ユメをこれ以上追い詰めて何がしたい?
僕に預けるのが正解ではないとか言っておきながらこの始末か?
ふざけんなよ!
「なんですかね、ユメを殺す気なんですかね?皆さんは!」
僕は職員の目を見て呟く。
これ以上ユメを追い詰めるならこっちだって黙ってない。
「お、落ち着いてください。最後まで話を聞いて下さい!私も言い方が悪かったです!!」
若い職員さんは慌てて頭を下げる。
その様子を見て僕も冷静になる。
別にこの人が悪い事をしている訳ではない。
怒るのは筋違いだった。
「すいません……」
「いえ……」
僕等はお互いに小さく頭を下げた。
その間に息を吐きゆっくりと気持ちを落ち着かせる。
「ユメちゃんだけずるい」
若い職員さんがポツリと言う。
「……ここにいる子供達は例外なく親から離れ、愛情に飢えています」
その言葉を皮切りに、職員さんはゆっくりと言葉を紡ぎ始めた
「ここにいる子供達はみんな余裕無いんです。みんな愛されたいのに我慢して、一生懸命に生きていかなきゃいけない。そんな中に貴方から愛情を一身に受ける子がいる。それを羨ましく思うなという方が無理でしょう。彼らの立場からすれば”ユメちゃんだけずるい!”と思うのが当然でしょうね」
「それは……」
何も反論なんて出来なかった。
そうか……
ここにいる子供達も愛情に飢えている事をすっかり忘れていた。
「蜘蛛の糸ってご存知ですか?」
若い職員さんは僕の目を見つめながら言葉を続ける。
「ある罪人が地獄に落とされ、天国から救いの糸を垂らされる。その糸にはその罪人だけでなく、地獄にいるたくさんの人が群がってしまう。その糸が切れてしまう事を恐れた罪人は、糸に縋る他の沢山の人を蹴落そうとする。それでも人に群がる人は減らない。そんな事をしている内に糸は切れ誰も助からない。って話です」
知っている。
有名な童話の一つだ。
「真理だと思いませんか?」
「真理?」
「貴方はその蜘蛛の糸。しかも、助けられるのはたった一人だけという、本当にか細い蜘蛛の糸。でも、助けてほしいと思うのは一人じゃない。なら、その一人になる為に、子供たちは必死になる。どんな手段でも使う。それは悲しい事ですが、悪い事なんでしょうか?」
「……」
「私には分かりません。だからでしょうね。そんな状態で怒っても子供に見透かされてしまいます」
その問いに……僕は何も答えることができなかった。
ここにいる子供達からすれば、僕は助けてくれるかもしれない存在なのかもしれない。
実際は何もできない無力な大人だけど……それは子供達には分からない。
分かるはずがない。
目の前に垂れたたった一つの希望。
それが偽物かどうかなんて判断する必要はない。
ただ、縋りつく。
それだけだ。
ユメがそうだったように。
「たしかに、人を虐める、蹴落とすといった行為は褒められた物ではありません。でも、欲しい物に手を伸ばす、必死になる、これは人が生きていく一番の理由だと私は思うんです。そして、貴方がここに来て、ユメちゃんに愛情を注ぐ限りそれは無くならないと思うんです」
話は分かった。
理解も出来た。
だからといって、”はい。そうですか”と納得できる訳じゃない。
「でも、もう僕はユメに約束しました。必ず約束を守るから待っててくれって。たぶんユメもそれを心の支えにしていると思います。ここでまた裏切ったら……」
僕は一度ユメを裏切った。
それでもユメは僕を信じてくれた。
それを、そのチャンスをまた反故にしたらユメはどれだけ傷つくか……
どれほどの痛みを抱えるのか想像すら出来ない。
「ものすごくユメちゃんは痛い思いをすると思います」
「分かってます。だから約束は果たさなきゃいけないんです」
「言う程楽ではないですよ?私が言うのもなんですが、それこそ人生全てを捧げても足りない位なんです。全てを捧げる覚悟ありますか?」
ユメに自分の人生を捧げる覚悟。
人を一人救うんだ。
人生を捧げる覚悟なんて決して大げさじゃない。
正直そこまで考えていたか?と聞かれると考えてなかった。
だから、僕は目を閉じ想像する。
ユメの為に辛い仕事をこなし、寝る間を惜しんで家事をして、休みの日には一緒に出掛けて遊ぶ。
今の生活とは真逆だ。
忙しくて、大変だと思うけど、想像の中で僕とユメは笑っていた。
凄く大変かもしれないけど、それで十分だった。
「はい。僕の人生なんかでよければ喜んで捧げます」
どうせただゆっくりと消費されるだけの人生。
ユメの為に捧げられるならそれは本望だ。
「なんであったばかりの子供に人生を捧げられると思うんですか?」
「……分かりません」
僕は首を振って答える。
「本当に?心当たりも無いんですか?」
……そういわれると辛い。
言葉に出来ない。自分でも分からない。
小骨の様に引っかかる思いはあるけど。
ただ、言葉にすれば途端に嘘っぽくなってしまう。
「……理由なんて分からないし、説明が出来ないんです。今は何よりユメを救いたい。そう思います」
「その行為がほかの子を不幸にしたとしても?」
なんとなく言いたいことが分かった。
ユメを救いだすという事は、他の子供たちに”愛情は限られた人間にしか与えれない”という現実を突きつける事になる。
でも、僕は万能じゃない。
全員を助ける事は出来ないし、する気も無い。
「はい、僕が一人しか救えない細い蜘蛛の糸なら、ユメ以外を蹴落としてユメだけを救います」
「わかりました」
若い女性は席を立ち、鍵のついた棚から一つの名刺を持ってきた。
「ユメちゃんと一緒に暮らす方法ですが、養子縁組、特別養子縁組は、正直に言って実現出来ません。婚姻など必要な資格をあなたが満たしていないからです。こちらは諦めてください」
職員さんは真剣な表情を浮かべ言葉を重ねていく。
「恐らくどんな方法をとってもユメちゃんと貴方が一緒に住むことはかなりハードルが高いと思います」
「わかってます。私に養育経験がない事、無職な事、そして、なにより性別が異なる事。理由は沢山あると思います」
「ただ、両親が無くなった身寄りのない少女を、一人の男性が引き取るという話は実在します。失礼を承知で聞きますが、貴方はお金。いえ、貯金はどれくらい持っていますか?」
普通なら答えない。
でも、ユメとの暮らしに必要な事だと即座に理解した。
「貯金や株の資産は、数千万……家などの財産も入れれば一億近くにはなります」
「よかった」
少し安心したのか、若い職員は小さく息を吐く。
「ここらは独り言です。その名刺の人に会ってみてください。正直、好きではありませんが、ある種認めざる終えない力を持っている方です」
「……はい」
「今日はこのままおかえりください。そして結果がわかったら、また来てください。あと他言は無用で」
若い職員は話は終わりとばかりに、席を立ち部屋を去ろうとする。
少し焦った行動から彼女も色々とリスクを冒してくれているのだと理解出来てしまう。
「あの!」
だから一言だけ。
一言だけ彼女に伝えたかった。
「他言は絶対にしません。ありがとうございます」
彼女はただ少し苦しそうに笑い、顔を横に振るだけだった。
■
「あの、ここで大丈夫でしょうか?」
「はい、問題ありませんよ」
高級な喫茶店。
お昼を過ぎた位の時間帯で、周りの席もほとんど埋まっている。
「落ち着いてください。なにかやましい事をしているみたいですよ?」
そんな僕の様子を見て、目の前の男が苦笑する。
カチッとしたスーツを纏い、髪を綺麗に分け、髭などは一切生やしていない男性。
ユメがいる施設の職員さんから紹介してもらった人だ。
「別に法律違反をしようという訳では無いのですから、落ち着いて下さい」
そういうと男性は慣れた動作で店員を呼び、水出しのアイスコーヒを二つ注文する。
流石に高級店らしく注文からすぐに飲み物が運ばれ、僕と男性の前には同じアイスコーヒが並んでいた。
「結論から言いましょうか。ユメちゃん。ですね。彼女と法的に一切問題なく一緒に暮らす方法はあります。ですが、値段はそれなりにします。かなり割引して4000万という所でしょうか」
4000万……
その言葉に驚きのあまり声すら出なかったが、通常の方法でユメと暮らす事は出来ない事は理解してる。
その無理を通すのだと思えば、決して高くない金額だというのは理解できた。
「……わかりました。お金の受け渡しと信頼できる確認方法を教えてください」
「余計な事は聞かないのですね。やはりあの広告代理店でエースだっただけはありますね。……と、これは余計な事でしたね」
目の前の男性は優しく微笑んでいた。
ただ、その目は笑っていない。
……なるほど、すでに下調べは済んでいるという事か。
「私の経歴……全て調べたのですね」
「はい、失礼ながら、少し無理を通しますので、貴方について調べさせていただきました。万が一、反社会的な方だとこちらまで影響が出てしまいますので」
「分かりました。問題ありません」
色々と気になるが、深入りはしない。
全てを知る必要はない。
結果だけ分かればそれでいい。
「ふふ、何も心配はいりません。違法な事をするわけではありません。貴方は何も知らずただ書類に必要なサインと必要な行動をしていただければそれでいい」
「はい」
心の中まで見透かされたような感じがする。
久しぶりの感覚だった。
こういう人間が世の中には存在する。
そして、こういう人間の扱いも僕は経験している。
「大分警戒されてますね。そうですね。一つだけ心が軽くなるか分かりませんが、お話をしましょう」
目の前の男性は、小さく手を叩き窓の外を指差す。
「ほら、そこに見えるお店。あのお店、どうやって利益あげてるか知ってますか?」
窓から見えるお店。
それはどこにでもあるパ〇ンコ店だった。
「……ゲームで得た玉を1万円未満の景品と変えてですかね。現金への換金は法律で禁止されているので、偶然隣にあった古物商にそこで得た一部の景品を現金に換えると言う方法で成り立っているギャンブルだと思います」
「ええ、所謂3点方式ですね。でも、私がその3点方式を利用した新しい商売を立ち上げたらすぐに違法で捕まってしまうんですよ?なんでか分かります?」
考えた事も無かった。
そもそもパ〇ンコなんてやった事が無いんだから、調べた事はおろか興味をもったことすらなかったのだから。
「建前は色々とありますが、答えは単純。しっかりと然るべき所に”お願い”をしているからですよ。」
男性はただただ微笑む。
それがなによりも不気味に感じられる。
「現に警察庁も過去にこの3点方式関して公の場で”まったく存じ上げない事”と発言をしています。高校生でも知っているような出来事にも関わず、警察は知らないと言う。それに換金できる場所はお店の店員ですら口に出して案内出来ない事実。不自然だと思いませんか?」
その通りだ。
これだけ世の中に溢れているにも関わらず、あらゆる面で不自然。
いや、黒に近いグレーな存在だ。
ただ、僕にそれを非難する権利は無い。
その黒に近いグレーな物を利用しようとしているのだから。
「この世の中にはそういった出来事が溢れています。ユメちゃんの母親は釈放されてますが、金銭的に困っている様でしてね、それに宗教にも手を出しているようで。なので、今回の件は簡単に進むと思いますよ」
なるほど。
今回の件、全て理解出来た。
「理不尽な事がまかり通る社会です。たいていの事は残念ながらお金で解決できる。それはご存じでしょう?」
僕はもう子供ではない。
この世界の理不尽さなんて嫌という程味わったし、この社会の仕組みだって容易に理解……出来てしまう。
そして、なんでこれほどまでに高額になるのかも察しが付く。
僕の貯金から見れば大金だが、経験から言わせて貰えば相当に安い金額だ。
「それは私が口外すればその全てを敵に回すという事ですね。口外はしません」
「ふふふ、口外してもいいのですよ?貴方がユメちゃんを大事にしさえすれば問題はありませんから、ご自由に」
悪魔の様な笑み。
それでもいい。
この際、悪魔だろうが何だろうが利用させて貰う。
「全てお任せしますので、どうかお願いします」
僕は素直に頭を下げる。
この世界は間違っても平等なんかじゃない。
平等なら……ユメみたいな不幸な人間が存在する訳がないのだから。
「はい、承知しました。では、前金の金額と確認方法について……」
目の前の男性は、ただ頷き機械的に依頼した仕事の話を進めていく。
僕はその一言一句に集中し、違和感は無いか、論理的に間違ったところは無いか。
本当に信用できるのか。
ユメの為に。
騙されないために。
僕はそれだけで精一杯だった。
■
「えっと、お邪魔します……」
ユメが遠慮がちに言う。
数か月の月日が流れ、僕とユメはまたこの場所。
僕の自宅に戻ってきた。
「違うよ?今日からは”ただいま” でいいんだよ?」
「えっと、えっと」
「じゃあ、一緒に言おうか」
ユメが大きく頷く。
僕らは小さく見合って。
「「せーの」」
少し照れながら。
「「ただいま!」」
その言葉が、誰もいない部屋に響いていく。
「はい、おかえりなさい」
「はぃ……はい!」
ユメから笑顔が零れてくる。
僕はその瞬間を目に焼き付けていた。
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