1-4



「これ買ってお母さん!」

「ダーメ」

「えー……良いじゃん買ってよー」



スーパのお菓子売り場。

そこに広がるありふれた光景。


僕は買い物かごを持ち、その普通の親子のやりとりを眺めていた。

あいつは一度でもあんなやり取りをした事があるのかな?と考えながら。



「……何を考えてんだか」



僕は小さく息を吐き、視線を外す。


ユメの様なケース。

それは今時珍しい事じゃない。


ネットで検索すればユメより悲惨な現実がいくらでも並んでいる。

もっともっと最悪な結末で。


そのニュースを見るたびに可哀想だ。と思ったがそこまでだ。

何も行動なんてしない。

5分後には忘れ去れてしまう、雑多な情報の一つでしかない。



「あ~……もう……」



いい加減割り切れ。と自分に言い聞かせる。

ユメは特別不幸だったわけじゃない。


ユメより不幸な人間はたくさんいる。

僕はただ少し関わってしまっただけ。


この社会に無数に存在する不幸の一つをネットやテレビを通じてじゃなく、間近で直接触れてしまった。

それだけの事。


でも、もうその繋がりも切れた。

ユメはこの社会に溢れる不幸な子供の一例に過ぎない。



「忘れろって。僕に出来る事なんてない」



考える度に出る同じ結論。

その言葉をいくら口にしても、頭の中には霧のようなぼやけ。

思考を失った僕は何かに突き動かされるように、普段飲まない酒をカゴに乱暴に入れる位し出来なかった。





「不味い……」



冷えたビールを一気に呷った感想がコレだ。


塩辛い乾燥肉を流し込む様にビールを煽る。

僕は酒が飲めないし、好きじゃない。


体質的に合わないし、酒の味も何処が良いのかさっぱり理解出来ない。


でも、なんとなく思考が低下するというか、頭がまわらなくなるこの感覚はありがたかった。

余計な事を考える事をしなくてすむ。


その麻酔の様な効果は僕に残ったビールを煽らせ、次の缶を開けさせていた。


それからどれ位経っただろうか。

気が付けば沢山の空き缶が転がり、体は熱く、頭はクルクルと回る。



”コンコン”



扉を叩く様な耳鳴りがする。


僕はやっぱりお酒に弱い。

酒に酔っただけで幻聴まで聞こえるのだから。



”コンコン”



軽く首を振っても、その耳鳴りは収まらない。

ドアを叩く音が部屋に鳴り続けている。



「空いてますよー」



僕は酔いを醒ます事を諦め、馬鹿みたいに返事をする。

すると、僕の幻聴は幻覚へと変わっていく。


気が付けば、ドアがガチャと音を立てて開き、僕の目の前に一人の少女が立っていた。



「情けないな。我ながら女々しいよ、ほんと」



本当に自分が嫌になる。

何もできず。

ユメに深い絶望を与えたのにも関わらず。


こうやって被害者ぶって、幻覚まで作り出す。



「俺はやっぱりクズなんだな」



酷いことをしておいて……


その時だった。

ドンッと、胸に衝撃が走る。



「えっ?」

「お願いです!私を捨てないでください!」



目の前に表れたのは幻覚のはずの少女。

それが確かな体温を持って僕に抱き着いていた。


一気に酔いがさめる。



「殴られたっていいです、ご飯食べなくても大丈夫です。だから、一緒にいさせてください」

「……本物なのか?」



返事なんてない。

ただ僕を抱きしめる力が増すだけだった。



「何でここに!!」



慌てて僕は床に手をつき体を起こす。



「お前……それ血か?」



僕は初めて気が付いた。

ユメの靴下が、赤く染まっていた事に。



「お願いします!!私を捨てないで!!」



ユメの心からの叫び。

そんな気がした



「お前……」

「迷惑だってわかってます。でも、でも!」

「もういい。わかったから」



僕はユメを抱きしめる。

それ以上言葉を紡がせない為に。



「僕は無職だ」



ユメの体はゴツゴツと骨があたり

脂肪などどこにもなく痩せ細り、そして何より小さかった。


そんな体で必死に施設から靴も履かずに抜け出し、血が流れても歩いてきたんだ。



「僕は人に自慢できるような立派な人間じゃない。むしろ逆だ。周りから見ればダメな人間。そんな奴と一緒にいたいのか?嫌じゃないのか?」

「約束してくれました。好きなだけここにいていいって」

「……そうだよな……約束したもんな」



確かに約束した。

初めてここにユメがここに泊まった時、僕は確かにそういった。



「でも、ユメはそれでいいのか?おばあちゃんとか、親戚とかいくらでもいるだろう?」

「会ったことない」

「えっ?」

「おかあさんは他に家族なんていないって言ってた」

「そうか……」



そうだよな。

親戚や祖父母がいればとっくに連絡がいってるはずだ。



「すこしだけ……」



ユメに居場所なんて最初からなかったんだ。


地獄の様な場所しか帰る場所がない。

逃げる事さえできない。


そんなときに光が見えた。

いや、見せてしまったんだ……


なら、取らなきゃいけない。

希望を見せてしまった責任があるだろうが!



「少しだけ待っててくれ」

「えっ?」

「約束通り一緒に暮らしていこう。でも、それには準備が必要なんだ、今の僕は底辺の人間だ。今のままじゃ周りが許してくれない。だから、少しだけ信じて待ってくれないか?」

「少しってどれくらいですか?」

「わからない、数か月かかるかもしれないし。でも、約束するから。信じて貰えないかもしれないけど。もう一度だけチャンスをくれないか?」



返事なんてない。

その代わりユメは、ただ辛そうに首を縦に振るだけだった。



(我慢か……、いつもそうなんだなお前は)



ユメが我慢している事くらい簡単に分かった。


子供のころにしか言えない自分勝手な我儘すら押し込める。

きっとこれがユメの日常なんだ。



「大丈夫……絶対に大丈夫だから」



ユメの頭に手を置き、空いた腕でしっかりと抱きしめてやる。

僕はユメの我儘を叶えるどころか、なんの根拠もない言葉口にするしか出来ない存在でしかない。


そんな自分の不甲斐なさを心の底から僕は痛感していた。


…………

……



「何て仰いました?」

「この子里親になりたいんです」

「本気ですか?」

「はい!」



僕はユメを隣に座らせ宣言していた。


昨日ユメがこの施設を抜け出し、僕の家に来てからすぐに施設に連絡した。

明日必ず送り届けると約束して。


いまその約束を果たしている。

ユメは僕の隣にちょこんと座り、施設のおばさんは机に肘を付き、頭を抱えている。



「言いたいことはたくさんありますが、理由……聞かせて貰ますか?」

「恥ずかしいんですが、こいつに夢を描かせてやりたいんです。普通の子供がサッカー選手にたりたいとか、ケーキ屋さん、花屋になりたいとか。そんな夢です」

「それなら我々も同じです。あなたに預けなくても結果は変わりません」



施設のおばさんはまた深いため息をつく。


その通りだ。

でも、僕が言いたいのはそういう事じゃない。



「きっと……僕はユメに我儘を言ってもらいたいんだと思います。例えば、スーパで好きなものを買ってほしい。とか、遊園地に連れて行ってもらいたい。とか。駄々をこねて欲しいんです。失礼かもしれませんが、それはここでは叶えられないと思うから」



ユメはきっと遠慮する。

このあいだスーパで見た親子のように駄々をこねたりする様にはならないと思う。



「それはそうかもしれませんが」

「約束したんです。好きなだけいていいって」



おばさんの言葉を遮り、僕は宣言する。

その僕の言葉で何かを察したのか、おばさんは何も言わなくなった。



「理由は分かりました。ですが、無理です。実現できません」

「どうしてですか?」

「何度も申し上げますが無理。まず貴方は、きちんとした職業に就いていない。経済的に困窮していない事これは里親の絶対条件です。例えきちんとした収入があったとしても、昨日今日知り合った、しかも男性の未婚者に里親として子供を預けるなんて出来る訳がありません。それに」

「それに?」

「……失礼ですが、心理、物理、性的な虐待を加える可能性が否定できません」

「そんな事するわけ」

「貴方がしなくても、彼女が求めるかもしれません」

「それは……」



否定できなかった。

事実ユメは自身を差し出してまで僕と一緒にいようとしたのだから。



「はっきりいいますね。貴方に預ける事が最善であるとは、判断できません」



そして、止めとばかりに僕に最後通牒を突き付ける。

でも、こんな事想定内だ。


僕に預けることが最善でない事ぐらい今更いわれるまでもない!



「なら……判断出来ればいいんですよね?」

「はい?」

「私に預けるのが一番の最善であると、判断出来ればいいんですね?」

「確かにそうですが、どうやって?」

「証明してみせますよ、きちんと仕事をして毎日ここに来て、こいつが夢を描けるように支えられると証明してみせます!」



僕はまっすぐ背筋を伸ばして職員のおばさんを見つめる。



「だから、申し訳ないですが毎日ここに来ても良いでしょうか?もちろん邪魔にはならないように気を付けます」

「構いませんが……結論は変わりませんよ?これは嫌がらせで言ってるのでありません。過去に前例がありません。絶対に無理です」

「問題ありません。必ず証明してみませます」

「希望を持たせるのはいいですが、その分実現できなかった時の落胆は激しいものになる。それは分かってくださいね」



少し不機嫌になりながら職員のおばさんは席を立ち、部屋から出ていった。

多分、僕を疑ってるんだろうな。


あの人は僕の知らない事をたくさん知っている。

きっとユメを育てる難しさも、大変さもすべて。


それでも可能性を残してくれたことに僕は感謝し、誰もいなくなった向かいの席に頭を下げていた。



「どうしたの?」



小さな声と共に僕の服が引っ張られる。

気が付けばユメが不安そうに僕の顔を覗き込んでいた。



「ああ、悪い。ごめんな、今はこれが精一杯だ、我慢してくれ」

「……はい」



僕の服を引っ張る力が強くなる。

また、ユメは我慢……している。



「絶対に……絶対に迎えに来るからな」

「……うん」



それは消えてしまいそうな位、小さな返事だった。





「はい、お、御社を希望させて頂く理由は」

「そういうのいいから」



僕は仕事探し始めた。

理由は一つ。


ユメを迎い入れる為だ。


一人で暮らしていくだけなら、無職のままでよかった。

食べるのに困ったとしても、最悪自分ひとりであればどうにかなる。

そう思っていたから。


ただ、ユメと一緒に暮らすなら話は別だ。

きちっと収入を安定させ、自分だけじゃなく他人からも安心して任せても大丈夫と思ってもらう。


そのために、僕はこうやって慣れない面接を受けている。



「君さ、今まで何してたの?それに舐めてるの?残業はしなくないって」

「で、でも、それは」

「いいよ。うちでは無理だよ。ごめんね」



パンと僕の履歴書が床に叩きつけられた。


正社員の面接。

それは想像以上に上手くいかなかった。


無職になってから人とコミニケーションを取らなかったせいか、上手く言葉が出てこない。

もちろん、気の利いた答えなんか出来る訳がなかった。



「お帰りはあちらです。本日はありがとうございました」



履歴書を拾い上げる僕の背中にそんな言葉が投げつけられる。

当然なんだろうな。


皆がつらい毎日を我慢し、努力しているなか、ぬくぬくと何もせず生きてきた人間が残業はしないくせに、待遇は良いもの与えろと言う。


別に後悔していないが、逆の立場で考えれば分かる。

楽をしてきた奴が、頑張らないけど働かせてくれと言うのだ。


舐められてる。そんな気持ちになるのも無理はない。

僕はそう自分に言い聞かせ、面接を終えた会社を出る。



「はぁ……ダメだな僕は」



想像してたよりはるかに厳しい。

分かってはいたつもりだけど、流石に堪える。



「今日も会いに行くか」



でも、そんなうまくいかない日常でも一つ嬉しい変化があった。

それを噛みしめる為に、僕は急ぎ足で施設へと向かった。



「やっ!」

「あ、お父さん!」



僕が施設を訪れると、ユメが駆け足で寄ってくる。

ユメは、僕の事を”お父さん”と呼ぶようになった。


なんでそんな変化があったのかは分からない。。

理由なんてどうだっていい。



「これ、おみやげな」



駅前で買ってきたシュークリームをユメに手渡す。

一応、周りの子供たちの分も買ってきてるので喧嘩になることは無いはずだ。



「ありがと!」

「はい。どういたしまして」



ユメは少し引きつった笑みを浮かべる。


職員さんから聞いている。

ユメは自然に笑うのが少し苦手らしい。


二人の時はそんな事気が付きもしなかったけど。

でも、その不器用な笑顔に僕は救われる。

何回面接に落ちようと、どれも些細な事に思えるから。


また、僕はユメから明日への活気を貰った。

全然うまくいかない毎日だけど、すごく充実している気がした。





「とりあえず、この勤務時間だと正社員は無理だね、契約社員としてなら問題ないよ」

「ほ、本当ですか?」

「うん、事情も理解しているつもりだよ。珍しいね。君は」

「あ、ありがとうございます」



反射的に深々と頭を下げてしまった。

就活を初めて40社以上。

正社員ではなかったけど、契約社員として初めて内定をもらえた。

日本企業は全滅だったけど、外資系の企業になんとか拾ってもらった。


これならあいつを育てていくのに最低限の金額を稼いでいけるし、十分な時間も取れる。

文句なんてある訳がない。



「来月の頭からでいいかな?もう少し時間が必要かな?」

「いえ、問題ありません。宜しくお願いします」



僕はその場で内定を受ける旨を伝える。

そして、いくつかの書類を書き、面接を終えた。



「よしっ……よし、よ~し!!!」



会社を出たところで僕は小さく拳を握る。

やっと、やっと次の一歩が進める!


いままで苦労したせいか、達成感が凄い!


本当になんでもない事。

普通の人なら皆経験している事。

だけど、ただただ嬉しかった。


この事を伝えたい人がいる。

そんな気持ちを抑え、僕はユメの元へと急いだ。

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