1-3


「うーん、わっかんないな……」



僕はユメと大手量販店の子供服売り場に来ている

お勧めの場所でも無ければ、決してオシャレなお店でもない。


ただ、近場で確実に子供服が売ってる場所。

それがこの場所だったのだ。



“好きな服買っていいよ”

そうユメに告げたのだが、彼女は何を買っていいのか分からなかったらしい。

“可愛いの選んでください!”と言ってきたのだ。


無茶を言うな。とは思うが、ユメは僕をからかっている訳でもない。


“自分の服なんて買った事ありませんから……“


ユメがポツリと呟いたその一言が、その理由の全てであった。

だからこそ、期待に応えようとしたんだけど、正直わからない。



「ねぇ、どんな風な服装が好みなの?」

「うーん……分かりません」

「そうかぁ……」



ユメに聞いてもヒントすら貰えなかった。


その時、僕は視線を感じた。

ふと見れば周りからチラチラ見られている……感じがした。


……親子に見えないからか?

いや、違う。

こんな時間にお店にいるのがおかしいんだ。

普通であればユメみたいな子供は皆学校に行っている。


通報されたらたまらない。

僕はユメを誘拐した犯罪者になってしまう。



「これなんか、どうかな?お姉さんぽくて良いと思うんだけど」



僕は適当に近くにある細いデニムと淡い青色の長袖を掲げて見せる

少しでも早く店から出たほうがいい。

なんでもいいから理由をつけて、ここから去るべきだ、と思ったから。



「お姉さんぽい?」

「うん、少しだけだけど」

「ふふふ、お姉さん……」



思い付きで言った言葉だったのだが、予想外にユメは嬉しかったらしい。

服を見つめながら、ニヤニヤと笑っている。



「ダメかな?違うのにする?」

「ううん!これにします!」



そう言ってユメは服を手に取り大事そうに持ち歩く。

正直おしゃれとは言えない服だけど……



(ああ、そっか)



ユメの姿を見て僕は気が付いた。



「ちょっと服かしてくれる?」



ユメから服を借り「すいません!」と、僕は近くにいた店員を呼ぶ。



「あの、この服着て帰ってもいいですか」

「はい、大丈夫ですよ」

「なら、タグを切って会計だけ先にお願いします」

「わかりました」



そういって店員はタグだけ切り取ると、会計をしにレジへ消えていった。



「あそこで着替えてきな」



タグの切られた服をユメに渡し、試着室を指さす



「いいんですか?!」

「うん、いってらっしゃい」

「はい!」



ユメは元気よく返事をすると、嬉しそうに駆け足で試着室へと向かっていく。

その後姿を見ると、やっぱり女の子なんだなぁと思う。



僕は気が付かなかった。

ユメの服装は、薄汚れてヨレヨレだった。


女の子なんだから、可愛い恰好したいだろう。

そんな簡単な事すら気が付いてあげられない。



「はぁ……」



僕はゆっくりと息を吐く。



(なんであんなに嬉しそうにするんだよ……)



別に特別な事をした訳ではない。

むしろ足りないくらいだ。


それでもあのユメはこれ以上ない位嬉しそうな笑顔を浮かべていた。


なんでか?その答えなんて簡単だ。

服を買ってもらった経験が無い。それだけなんだ。



「なんなんだろうな……」



胸が痛い。

ユメと会ってから心の奥が痛くてたまらなくなる。


僕も決して幸せな人生を送っているわけじゃない。

でも、今の現状は少なくとも僕自身に原因がある。

怠惰だったり、辛い事、耐えられない事から逃げたりと理由は様々だけど

僕が下した決断の結果が今の現状だ。


でも、ユメは一体何をしたのだろうか?

全身に痣を作り、一生消えない火傷まで負わされ、考えたくもないような虐待を受ける。

そんな理由があったのだろうか


どうすればいい。

どうしたらユメにとって最良の結果が生まれるのか。


それを考え、僕はゆっくりとスマホを取り出す。

それが唯一ユメの為に出来ることだと信じて。





「これで、見た目は完全なお姉さんだね」



細いデニムに淡い青色の長袖、追加で買った真っ白な可愛らしいスニーカー。

それが新しいユメの服装であった。



「えへへ」



新しい服を着たユメはただただ上機嫌に街中を歩いている。

途中、窓に映る自分の姿を見ては、2、3度ポーズを取って嬉しそうに笑うのだ。


あまりにも嬉しそうなので、スマホでその姿を撮っておいた。



「でも、最後に一つやらなきゃいけないことがあるね」



ただ、新しく着飾ったユメの姿には一つの違和感がある。



「え?何ですか?」

「髪だよ、髪」



ユメの髪の毛だ。

少年のようにボサボサで手入れなど全くされていない。



「かみ?」

「うん、髪を整えるんだ。そうすれば、ユメはもっと可愛くなるよ?」

「それってあのお姉さんみたいに?」



ユメは近くの女子高生を指す。

談笑しながら歩いていく高校生。

その髪は、背中までかかる艶のある長い髪で、先端は綺麗に切り揃えられていた。


決して派手な髪ではないが、長く艶のある美しい髪であった。

それは無造作に伸ばされ、手入れなどまるでされていないユメの髪とは真逆であった



「うーん、どうだろう?でもかなり近づけると思うよ?」



嘘かもしれない。

僕は女性の髪の事など全く分からないけれど、たった一日で髪質があの女子高生の様になるとは思えない。

だけど、今のまま無造作に伸ばされているよりはよっぽど良いはずだ。



「うわぁ!本当ですか?」



そんな僕の言葉をユメは疑わない。

キラキラとした視線を僕に向けてくるだけだ。



「うん、だから行こうか?」



その純粋な視線から逃げるように、僕はユメに言う。



「はい!」



僕の暗い気持ちとは真逆に、ユメは元気よく返事をするだけであった。





「うわぁ~……」



 ユメは口をあんぐりと開け、呆けた様な声を漏らす。

 そこは、僕が昔から通っている美容院であった。


 室内を広く見せる為に作られた鏡張りの壁に、清潔感溢れる白を基調とした椅子や机。

 

でも、店長には失礼かもしれないが、驚く程オシャレな店でも無い。

予約なしで入れる地元にある店の一つだ。



「すいません、店長お世話になります」

「ああ、いらっしゃい、この子が例の?」

「ええ、お願いしますね」



この店長と僕は昔からの付き合いで、もう20年近く髪を切ってもらっている仲だ。

だからこそ、信用もしているし事情も説明した。

どうやったってユメの首筋に見える痣は隠せないのだから。



「そう……」



店長はユメになんとも言えない視線を向けていた。



「ユメちゃんかな?こっち座ってもらえる?」

「え?」



その瞬間、ユメは僕の袖をギュと掴んでくる。



「大丈夫。ここで待ってるから。ほら鏡越しに見えるでしょ?」

「置いていきませんよね?」

「ああ、約束する」



その後もユメは鏡越しに見える僕から視線を離す事は無かった。

ただ、ひたすら僕を見つめていた。


ここまでだ。


僕ができるのはここまでだ。

だから先に心の中で謝っておく。


ごめんね。と。




「先ほど、電話した野上と申します」

「ああ、よく来てくださいました。少々お待ちください」



受付に置いてある無人の受話器を下ろし、僕とユメは近くの椅子に腰かける。



「やだ!お兄さん帰ろう?!」



ユメは椅子から立ち、僕の腕を引っ張っていた。

その細い腕を掴み、僕はユメの言葉に首を振る。


ユメと目を合わせることも出来ず、言葉すら出なかった。



「お待たせしました。こちらへどうぞ」



少し待ったところで、20代と50代位と思われる女性二人が出てきた。

その女性達は僕とユメを誰もいない個室へと案内してくれた。



「早速ですけど、お電話で聞いた証拠を見ていただけますか?」



席に着くなり、50代くらいの女性は僕とユメを見てゆっくりとした口調で話しかけてきた。

ただ、その内容は口調とは真逆の厳しいものだった。



「ユメ背中を見せてあげてくれ」

「どうして?!なんで?!」



ユメは声を荒げ席から立っていた。

多分もう理解してるんだろう。


今いる場所がどんな所なのか。



「お願いだ。これは僕の一生のお願いだ」



僕は席を立ち、ユメに深く頭を下げる。

いろんな意味を含めて、頭を下げずにはいられなかった。


ここは児童相談所。


僕はユメを預けるためにこの場所に来た。

それがユメにとって最善であると信じて。



「……はい」



少しの間を置いてユメは言葉を絞り出す様に答えた。

今にも泣き出しそうな小さな声で。


そしてユメは買ったばかりの服をまくり背中を見せる。

火傷と沢山の痣が残された背中を。


それはユメがどんな環境にいたのかを何よりも雄弁に語っていた。



「ありがとうね。ユメちゃん」



20代位の女性が席を立ち、まくりあげられた服をゆっくりと下ろす。



「あっち沢山お菓子があるから一緒に食べに行かない?」



ユメの服を下ろした女性は、膝をつきユメと同じ位置まで視線を下げていた。



「嫌です……」



ユメは頑なに首を横に振っていた。

僕に助けを求めるような視線を向けながら。



「ユメ、僕からも頼む」



でも、僕はユメの視線から逃げた。

僕みたいな人間と一緒にいたらどう考えたって不幸になる。

そう思うから。



「……はい」



しばらくして、ユメは”はい”と小さく頷き女性と一緒に部屋から出ていった。


……これでいい。

これが最良の結果だと思う。



「貴方はどうして昨日のうちにいらしてくれなかったんですか?」



俯く僕に50代位の女性が話しかけてくる。

その声はどこか怒っている様に聞こえるのは間違いじゃない。



「すいません……突然の事でどうしていいかわからなくて」



僕は頭を下げ答える。


この女性が言いたいことはわかる。

ユメに対する仕打ち。

それが酷いという事は僕が一番わかってる。



「あの子。貴方を心底信頼していますよ」

「わかってます」

「わかっているならどうしてこんな生殺しみたいな真似をするんですか?」



僕を睨む視線。

その視線から僕は逃げた。


何に怒っているか。それが分かるから。



「すいません……」



僕は頭を下げる。



「いえ、私もすこし感情的になりました」



女性はゆっくりと立ち上がり備え付けのコーヒーをいれ、二つ抱えて持ってくる。

一つは僕の前に置かれ、一つは女性の前に置かれていた。



「砂糖とミルクは必要?1つでいいですか?」

「すいません、ありがとうございます」



気が付けば喉がカラカラだった。

喉が渇いている事すら忘れる位緊張していたのかもしれない。


パキッというプラスチック音が響かせ、僕は砂糖とミルクを一つずつ入れる。



女性はゆっくりとコーヒーをすすり、僕もそれに倣う。

想像以上に喉が渇いていたみたいで、少し熱いにも関わらず喉をコクコクと鳴らしながらコーヒは僕の口へと吸い込まれていく。



「ユメちゃん。さっきうちの職員がお菓子を食べようって話しかけた時“嫌だ”って言いましたよね?」



女性はコーヒを机に置きゆっくりと告げる。



「でも、貴方が同じことを言ったら渋々従った、これが何を意味しているかわかりますか?」

「いえ……」

「貴方だけには嫌われたくないんですよ。普通、虐待されている子は嫌われたくないから、自分の我儘を隠し従順でいようとするんです」



女性は目を伏せコーヒーをもう一度口にする。

小さなため息をついた後で。



「好かれる為。愛してもらう為なら何でもやろうとするんです。それがああいう子の生きる知恵なんです。見放されたら生きていけないと本能的に知っているから。だから、どんなに虐待されても親に縋り、親を愛する」



嫌な……話だ。

親に愛してもらえず、それでも親を愛する。

それしか生きる道がない。


そんな経験を重ねてきたユメの辛さなんて、僕が理解してあげられるレベルの話じゃない。



「でも、あの子親への執着が薄れているというか、少し特殊だと思うんです」

「特殊?」

「親への執着と似たような物を貴方に抱いている感じがします。ほんのわずかな時間一緒にいた貴方に。今までに貴方に取り入る様な事ありませんでしたか?」

「取り入る……ですか……あっ!」



思い当たる節がある。

というか今初めて理解出来た気がする。



「聞かせて頂けますか?今後の接し方の参考にもなるので」

「……わかりました」



僕は頷き、大きく深呼吸をする。

言葉を間違えれば、僕は犯罪者として扱われてしまうかもしれない。


でも、言わなきゃいけない。

それがユメの為になるのであれば



「まず、誓って何もしていません」



そう前置きをして僕はゆっくりと語る。



「昨日ユメから抱いてほしいといわれました。もちろん、性的な意味で」

「そうですか」



誤解されない様に言葉を選んだけど、目の前の女性は驚いた様子すら見せず、ただ、悲しそうに目を背けるだけだった。



「あの……驚かないんですか?」

「こんな言い方をしたら酷いかもしれませんが、珍しい話でも無いんです。貴方はユメちゃんの誘いを受けてどう思いました?」

「痛かった……です」



僕は自分の胸にそっと胸をあてる。

怪我したとか、骨を折ったとかそういう物理的な痛みじゃない。


胸がギュッと締め付けられるような苦しい痛み。

あれは幻覚なんかじゃなく本当にとても痛かった。



「痛かった?」

「はい。胸の奥がとても、とても痛かったです」

「そうですか」



女性の雰囲気が少し変わった。

僕を見る目が少し優しくなった。そんな感じがした。



「多分そういう事をすれば一身に愛してもらえると知っていたのでしょうね。あの子は愛情に飢えている、両親から愛して欲しいのに、少しも愛してもらえない。与えられるのは理不尽な暴力と罵声」

「でも、いくらなんでもあんな子供が知っていい知識じゃない……」

「そうですね。でもどんな歪んだ愛情でも欲しい、手に入れたい。それがあの子の願いです。そんな時に、ふと自分を愛してくれるかも知れない人物が現れた、親の代わりに縋ってもいい人物が現れた。それは彼女にとっての眩く儚い希望。それにすがるためなら、自分の持てる知識を総動員し行動したんでしょう。単純ですけど……その分要求は強いんです」

「……」



反論なんて出来なかった。

僕は黙り、女性も暫くの間言葉を発しなかった。


重い沈黙だけが狭い個室にのしかかっている。



「だから、貴方はもっと早い段階で来るべきだった。それを言いたかったのですが言葉が足りなかったですね」



夕暮れの窓の外。

そこからは優しくなった赤い光が差し込んできていた。



「本当にすいません……」

「いえ、私も言い方が悪かったです。貴方は親切心から行動しただけなのに」

「でも、僕なんかじゃ到底解決できる問題じゃないって、心の底から実感しました」

「気休めかもしれませんが、あなたは聡明な方だと思います。私はあなたの判断は間違っていないと思います」

「ありがとうございます」



なんの慰めにもならない。

でも、僕を心配してくれるその気持ちだけはしっかり受け取っておく。



「あなたには警察の聴取を受けてもらいます。善意だという事は分かりますが、状況を説明して頂く必要があります。それにあなたの現状も。辛いとは思いますが」

「覚悟してます」



その言葉に嘘はない。

事情はどうあれ僕がしたことは……”誘拐”だ。


その責任を取る覚悟はある。



「警察には私からも話しておきます、あなたは一人の子供を救ったとても勇気のある方だと。そうすれば警察からの聴取も少しは印象が良くなるかと」

「ご配慮ありがとうございます」



僕は何度目か分からない頭を下げる。

ただ、最後に一つ。

一つだけ確認したい事があった。



「あの……ユメは今後どうなるんですか?」

「虐待の事実は明らかですから然るべきところに連絡して、それ相応の処置をして貰います」

「処置というのは」

「施設に入ってもらうか、関連のあるご家族に連絡する事になりますね」

「両親の元に帰るなんてことは……」

「ありません。大丈夫ですよ。彼らは近いうちになんらかの処分が下りますからね」



その言葉に心底ホッとする。

少なくてもユメはこれから殴られるとか蹴られる事は無い。


それだけで、少し救われた気持ちになる。



「あなたは優しいんですね」

「優しい人間はユメをこんな目に合わせませんよ」



過大評価だ。

僕は決して優しい人間じゃない。



「最後にユメちゃんに会っていきますか?」

「辞めておきます。もう関わらない方がお互いに良いと思いますから」

「そうですね。その方がいいのでしょうね」



僕は職員の人に頭を下げる。

出来る事は全てやった。

もう2度とここに来る事は無いと言い聞かせながら。

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