1-2
「飽きないのか?」
「全然です!面白いです!」
ユメは僕の部屋でひたすらゲームをしていた。
僅かな休憩さえ取ることも無く。
正直、なんで飽きないのか不思議なくらいだ。
「なぁ、そろそろ夕方だぞ?帰った方がいいんじゃないか?」
「でも、後少し……」
「なら貸してやるから家でやれ。家で」
正直めんどくさい。
家に来からずっとゲームしてるんだもの。
ゲーム機ごと貸せば帰るだろう。
それにゲーム目当てで、明日も朝から家に来られたら堪らない。
「……でも、それは悪いです」
「朝早くは来るほうが迷惑だ。朝は眠い。常識だろ?」
遠慮する方向が間違ってる。
ゲームで遠慮する位なら、朝呼び鈴を鳴らすなと。
「じゃあ、何時ならいいですか?」
「そうだな。最低でも13時過ぎだ。その時間がユメの朝7時と同じ位だからな」
「わかりました」
ユメは神妙に頷いていた。
恐らくこれで朝の平穏は保たれたと思う。
無職の朝9時は常人の深夜だという事を少しは理解して欲しい。
「じゃあ、もうちょっとゲームしちゃいますね」
「何も分かってないだろ。お前」
その僕の言葉を無視してユメはゲームを続ける。
ユメが帰ったのは、前の日と同じ。
日が落ちて暗くなった後だった。
■
「うぇ~~」
思わず変な声を出してしまった。
外から響く風切り音に、ガタガタと揺れる窓。
毛布を被り、芋虫の様に這い出てテレビをつける。
「山手線全線は午後になった今も運休しており……」
台風だ。
電車は止まり駅では蟻の様に人が人を押し合う映像が流れてくる。
「社畜は大変だな」
まあ、僕自身その社畜にすらなれない存在なんだけどね。
でも、こういう時が最高に幸せだ。
暴雨の中外へ出ること無く、ゆっくりと暖かい布団にもぐる。
これ以上の幸せがあるか?
いや。ない。
無いに決まってる!
僕はゆっくりと布団に戻り、優しくまぶたを閉じる。
「買い物は済ませてある。そして、暖い。……幸せだな」
ピンポーン
……こんな時に。
僕は一旦目を閉じるが、思い直し立ち上がる。
台風の中配達に来てくれたと思うと正直申し訳ない。
僕はゆっくりと布団から出る。
ふと、時計を見ればもうお昼はとっくに過ぎていた。
「ん?」
ドアを開けた瞬間、扉を抉じ開けるようにビュウと風が入ってくる。
その開いた扉の先にいたのは、ずぶ濡れになったユメだった。
「……こんにちは」
「なんで!お前今日学校は?流石に休みだろ?!」
「ゴメンナサイ!!」
僕の質問に答える事無く、ユメは地面に頭を擦り付けていた。
待て!待て!!待て!!!
小さな子供が家の前で土下座とかシャレにならん!
いつ通報されても可笑しくないだろ!!
「な、中に入れって!!」
「いいんですか?」
「いいから早く!!」
僕はユメを急かす。
こんな光景一瞬でも見られたアウトだ。
ユメはただ頷き、素直に従ってくれた。
ガシャン。
扉の閉まる音と共に安堵の息が出る。
誰にも見られていない……と、思う。
嵐のおかげだ。
「あ、あの!!」
「だーも、ビショビショじゃないか。来るなら来るでなんで早く来なかった!」
「午後まで待って言ってから……」
ユメは申し訳なさそうに言う。
あー……。
そんな事……確かに言ったわ。
午後まで来るなって。確かに前に言ったわー。
「もう風呂入れ。話は後だ!」
「でも!」
「でも、じゃない。このままじゃ風邪引くぞ!」
ユメの体には台風で飛ばされた草や泥で汚れまくっていた。
こいつは今までどこにいたんだと……。
「あの……こないだみたいに着替えを」
「いいから、服を脱いで待ってろ!洗ってやる!!」
たくっ。
馬鹿なんじゃないか?
こんな日に待ってる必要なんてないだろ?
急いでTシャツとズボンを持ってきたが、夢は服の一枚も脱いでいなかった。
長袖の服とズボンは水を吸って、ビチョビチョなのに。
「もー、手伝ってやるから、ほら脱げ、風邪引くって言ってるだろ」
「あっ……やめてください」
ユメは抵抗していた。
ただ、びしょぬれで草や泥にまみれた体で家に上げる訳にもいかない。
「何言ってんだ。こないだはここで着替えてたじゃないか」
「あれは一人だったから!」
「うるせぇ、ビチョビチョの癖に文句言うな」
僕はユメの上着を無理やり脱がす。
ユメは抵抗してたけど、上着を脱がせた時点で抵抗をピタリと辞めた。
ただ、同時に僕の手もスイッチが切れた様に止まってしまった
「……悪い子だから」
ユメは小さく呟く。
何も……言葉が出なかった。
「……僕が悪い子だから、お母さんとおじさんに叱られるの」
ユメの背中。
そこは生々しい傷で埋め尽くされていた。
大人の足で踏みつけられたような大きな黒い痣やタバコの火が押し付けられた痕が無数に……。
ユメが何をされたか。どんな仕打ちを受けていたか。
事実は分からない。
分かりたくもない。
ただ、そのユメの背中を見た途端、勝手な想像が頭の中から湧き出してくる。
「ちょっとごめんな」
僕はユメのズボンを脱がせる。
ユメはもう抵抗もしなかった。
「……嘘だろ」
……ユメは下着すらつけていなかった。
それに、少年なんかじゃなく女の子だった。
ただ、そんな些細な事などどうでもいい。
やせ細った体。
その体には、タバコを押し付けられたような小さな火傷の痕や青黒い痣が無数にあった。
お腹やヘソ、そして……股にまで。
……僕はただ黙る。
何ていっていいか。
なんと声をかけるべきなのか、それすらわからなった。
「……ごめんなさい」
ただ、その沈黙の中ユメは僕に謝る。
「ユメが悪い子だから、お兄さんから貰ったゲーム機も取り上げられて……本当にごめんなさい……」
裸になったユメは僕に向かって土下座をする。
僅かな躊躇すら見せず、慣れた様子で。
「やめろ!!」
……叫んでしまった。
ユメはビクッと肩を揺らし、床に額をつけ小さく震え始める。
「ああ!!違う!違うんだよ!!」
僕は慌ててユメを起こし、ゆっくりと抱きしめる。
「何があったんだ?」
僕はユメに聞いた。
出来るだけゆっくりと優しく。
「ごめんなさい……」
謝罪の言葉から始まったユメの説明。
それは分かりやすく、そしてユメの体がその話が事実だと証明していた。
要は僕が貸したゲームを親に取り上げられ、恐らく売られたみたいだ。
ユメにはそれを取りも出す手段も無く、僕に謝りに来た。という事だった。
「気にするな。お前は悪いことなんてしていない。大丈夫だ」
「……怒ってないの?」
怒れる……訳がなかった。
このユメの体を見て、怒れる人間がいたら……それはただの鬼畜だ。
「怒るもんか、ユメは何にも悪いことなんてしていない。今日だって僕との約束守っただろ?ユメはいい子だ」
「本当?」
僕はおおげさに頷いてやる。
するとユメはニヘラと笑った。
それは心から安心した笑顔……じゃない。
ただ、僕へ配慮した媚を売るような笑顔だったから。
それを見た途端、僕の意思なんかとは関係なく勝手に涙が出てしまった
「風呂、一人で入れるか?」
コクンと頷き、ユメは一人風呂場へ入っていった。
「……辛いよな」
風呂場からシャワーの流れる音が響き、僕はやっと言葉を紡げた。
ユメの小さな背中にある青黒い痣。
それは、他のどの痣よりも濃くそして大きかった。
「なんでそんな事が出来るんだよ……」
簡単に想像できてしまう。
さっきみたいに土下座しながら謝りつづけるユメ。
それを、罵倒し、足を振り上げ、そして踏み抜く。そんな姿が……
それだけじゃ足りず、たばこの火を背中や腹……
そして股にまで押し付けた。
想像が勝手に頭の中で映像になって描写される。
どうしようもない怒りと共に。
ユメは普通じゃない事は分かってた。
土砂降りの中、子供が一人で遊び
そして、夜まで帰らない。
その翌日には、朝からずっと知り合ったばかりの大人の家にいる。
正常な訳がない。
あの狂ったように食べるのも、常識が無いような振る舞いも……。
全部……一本の線になって繋がってしまう。
”あの子に関わるな。”
”関われば物凄く面倒に巻き込まれる。”
僕の冷静な部分がこれ以上ない位、警告してくる。
ユメだけじゃない。
この世にはユメより酷い境遇にあっている子が五万といる。
日本ですらネットを検索すればその根拠には事欠かない。
ニュースを見ればユメと同じような境遇の子供の末路が沢山転がっている。
命を落とす。という最悪の形で。
そう。
どこにでもあるただ一つの不幸。
見て見ぬ振りをすれば過ぎ去っていく、嵐みたいな物だ。
だからこそ、ここで叩き出すべきだ。
幸い理由はそろっている。
ユメは勝手に僕のゲームを売った。
それに怒り、もう2度とくるな。といえばそれで 終わる話。
「着替え……必要だな。これじゃない、もっと暖かいやつが」
ただ、僕の体は理性とは真逆の行動を取ってしまっていた。
理由なんてわからない。
ただ僕は知っている。
逃げる事すらできない状況。
それは死よりも辛い。
ただの地獄なんだと。
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「お、着替えたな」
「はい」
「ちょっとおいで」
風呂から出てきたユメを僕は呼び寄せる。
僕に媚びるような笑顔を浮かべながら、僕に向かって走ってくる。
「えっ?」
夢を鏡の前に座らせ、僕はドライヤーと櫛を手に取る。
「あ”~~」
「なんて声だしてんだお前は」
笑ってしまった。
出来る限り丁寧に、ユメの髪をドライヤーで乾かす。
ユメは目を細め気持ちよさそうにおっさんみたいな声をだしていた。
「なぁ、今日泊まっていくか?」
「え?」
ユメは驚いた様子で振り返る。
櫛持ってるんだから危ないだろうが。
「いいんですか?」
「ああ、この嵐だ。帰れないだろ?」
「はい!」
嵐なんて後1時間もすれば過ぎていく。
ただ、もう僕にはユメを家に帰す。
そんな選択は無くなっていた。
「なんか食べたいものあるか?」
「あっ……」
ユメは小さく首を振る。
それは簡単に分かる子供の強がりだった。
「いいさ、言ってみな」
「……アレ」
「ああ、分かった」
消し忘れたテレビからは、暖かそうなピザのCMが流れていた。
「一度でいいから、ピザだべてみたい……」
小さな我侭だった。
この嵐の中。とは思ったけど、そんな思いはすぐに消えてなくなった。
「じゃあ、選ぶか。こっちにおいで」
スマホを取り出し、このあたりから注文できる店を選んでメニューを出す。
そして、ユメにスマホごと手渡す
「好きなの選んでいいよ」
ピザを選ぶユメは真剣そのものだった。
時間をかけて一つ一つ吟味しているようだった。
ピザにそんなに?とも思ったけど、今はユメのしたいようにさせてあげればいいと思った。
「何枚選んでもいいよ。僕も食べるから」
ユメは顔を上げ、目を丸くして驚いたような表情を浮かべていた。
僕はただゆっくりとうなずいて答える。
「はい!」
しばらく僕を見つめていたユメは、大きな返事をする。
自分でも不思議だった。
ただ、ユメの真剣でどこか楽しそうな表情が、少し前まで感じていた陰鬱な気持ちを少しだけ薄めてくれていた。
■
「ごちそうさまでした」
「でしたー!」
結局、ユメは3枚ものピザを頼んだ。
もっといいよ。と言ったのだがユメは食べきれないからと断った。
3枚も食べきれないだろうが。とも思ったけど、それは言わないでおいた。
結局ユメの前には半分以上残ったピザの残骸がある。
「おいしかった?」
「はい!とっても!」
ユメはそう言って笑顔を浮かべていた。
その笑顔だけでピザの代金なんて吹っ飛んでしまう位に価値がある。
「さ、俺は風呂入ってくるぞ、ユメは歯磨きしたら、ベットで寝てていいぞ?」
「あっ……」
席を立つ僕に、ユメは何かいいたそうに小さな声をあげていた。
「ん?ああ、ノド乾いたら冷蔵庫に入ってる好きな物飲んでいいからな?ただし歯磨きはしろよ」
「わ、わかりました」
ユメは何度も頷いていた。
「ん、じゃあ行ってくる」
風呂さえ浴びれば、あとは寝るだけ。
随分と長かった一日が終わる。
久しぶりに心から疲れた感じがする。
■
「よし、歯は磨いたな」
「はい」
「じゃあ寝るか!」
ユメをベットで寝かし僕は予備の布団で寝る。
お客様用で用意した布団なのに初利用が自分だというのが悲しい。
というか、初めての客がユメな訳だけど
布団に入った途端、眠気はすぐにやってきた。
このまま力を抜けば寝れる。
確信したその時だった。
”ボスッ”という音と僕の胸に重みが伝わってくる。
ユメが僕の布団に圧し掛かってきたのだ。
「なー、遊ぶのは明日だ。寝るぞ」
もう眠い。色々あって疲れたせいか本当に眠い。
子供にとっても睡眠はなによりも重要なんだから。
もう寝ようよ……
「明日遊んでやるから、なっ?」
いくら言ってもユメは僕の布団にしがみつき動きもしないどころか、返事すらしなかった。
ただ、僕の布団に顔をうずめているだけだった。
「聞いてるのかー?返事くらいしろー」
「あの!」
ユメは布団にうずめていた顔を上げ、僕の顔を見る。
ユメの表情は、少しも笑ってない。
真剣そのものだった。
「どうした?なにかあったのか?」
ユメに問いかける。
一人で寝れない何か理由でもあるんだろうか?
「私を……」
「私を?」
「……」
ユメはそれ以上言葉を紡がない。
なんなんだろう。
そう思っていると、僕の首に手を回し抱き着いてきた。
「私をこのまま抱いて下さい?」
「は?」
「私を好きなように……無茶苦茶にしてください!!」
その瞬間、背筋が凍った。
10歳そこらの子供が言うセリフじゃない。
「冗談でもそんな事言うな。笑えないぞ」
「本気です!」
ユメは息がかかるくらいの距離で僕を見つめていた。
手を首に回し、しっかりと体を固定して。
ユメは自分が発した言葉の意味を知っている。
……なんでそんな事知ってるんだ?
僕が子供の頃。
ユメと同じくらいの時には、この言葉の意味なんて想像すら出来なかった。
毎日遊んだり、ゲームしたりする事で頭がいっぱいだったはずだ。
「お前……なんでそんな事知ってんだよ……どうして、どうして……」
理由を想像できてしまった。
自然に分かる年齢ではない。
興味があるわけでもない。
それなら答えは一つだ。
人から教わった。もしくは、見るか経験して覚えた……か……だ。
「あの!」
「なんだよ」
「なんで泣いてるんです?」
「え?」
ユメに言われて僕は涙があふれている事に気が付いた。
「泣いてないよ」
「でも……」
「いいから」
僕は乱暴に目をこすり、ユメをやさしく抱きしめる。
「ごめんなさい。また私が悪いことを……」
「違う」
「でも」
「違うから!」
何故だろう。
ただ、分かってしまう。
理解出来てしまう。
地獄の様な日常。
誰からも助けてもらえず、逃げる事すら許されない。
そんな毎日がどれ程辛いか。
どれだけ痛いか……それが分かってしまう。
だから、痛かった。
本当に痛かった。
「お願いがある」
「はい」
「頼むからそういうことはもう2度と言わないでくれ」
「どうしてですか?」
「痛いんた、とっても」
「怪我してるんです?」
「違う、でも、痛いんだ」
「……わかりました、なら私もお願いがあります」
「何?」
「私をここにいさせてください。なんでもしますから……お願いです」
その言葉に僕の胸が震えた。
ヤメロ。
僕の理性が最大限の警告を発し、ユメの言葉を全力で否定する。
「いくらでもいていい。好きなだけここにいればいい」
ただ、僕の行動は理性とは真逆だった。
どうしてこんな思いをしなければいけなのか。
なんでこんな仕打ちを受けなきゃいけないのか。
いくら考えても納得できる理由なんてない。
でも、ユメが今まで受けた傷は僕なんが癒せる程浅くはないのだと。
この時、僕ははっきりとわかった。
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