傷だらけの天使

rirey229

1-1

太陽が真上に昇り、力強い光が地面に降り注ぐ。


ただ、もう太陽にはアスファルトに陽炎を作る力は無く、サウナの様な温風を感じる事も無い。


暑さのピークを越えた9月下旬。

それでも外は十分に暑い。


横に通る公道ではスーツ姿の男性が汗ばみながら忙しそうに歩き、子供を後ろに乗せた主婦が自転車のペダルを必死に漕いでいる。


近くのマンションからは掃除機の駆動音や布団を叩く音が響いていた。


皆一生懸命に、そして必死に生きている。

それぞれの目的を叶える為に。


そういった意味で言えば、僕は生きてはいない。


一生懸命に頑張り、何かに向かって必死に生きることも無い。

目標なく、努力する事もない。


ただ残された人生をゆっくりと消費する。


それが僕。

ニートでもない。

ただの無職だ。



「ふぅ~……」



朝食代わりの甘い炭酸水ゴミ箱へ投げ捨てる。

まだ半分以上残っていたけど、もう飲みたくない。


好きなものを好きなだけ。

頑張る事も無ければ、我慢する事すらない。

ただなんとなく怠惰に生きる。


別に後悔している訳でも、不満がある訳でもない。

例え、明日死んだとしても笑って受け入れらる。


それが僕の生き様だ。



「……そろそろ行くか」



僕はゆっくりと立ち上がる。


無職と言えども、自分の生活基盤は確保しなければいけない。

食事の買出しに、生活用品の補充。


肉親は既に他界し、頼れる人間はもはや一人もいない。

だから、生きる為に最低限の事は自分でやる。


これが僕に残された唯一の仕事だった。



………

……



辺り一面から響くザザザァーという轟音。

無数の大きな雨粒が体に当たって弾けていく。

服は体に張り付き、靴は歩くたびにグジョグジョと音を立てる。



「これがゲリラ豪雨……」



スーパを出るまでは晴れていたのに、ほんの数分で数メートル先が見えない豪雨へと変わった。

当然傘なんてもっているはずも無く……


食品が入ったビニール袋には沢山の雨水が入り込み、かなり重い。

たぶん、中に入っているパンとかはもう食べられないかもしれない。


ついてない。

その一言に尽きる。



「はぁ……」



ため息を吐いた瞬間だった。

ビクッと肩が跳ね、体は石の様に硬直してしまう。



(子供?!)



視線の先。

ほんの数メートル先にの道路に、子供らしき影が道路に白い石で絵を書いていた。


こんな土砂降りの中、路上で子供がお絵描き?


ありえない……

どう考えても現実じゃない。


となると……霊的な物?


その考えが浮かんだ瞬間、肌が逆立ちザワザワと騒ぎ立てた

喉が自然と上下し、ゴクリと音を立てる。



(……目を合わせるなよ)



その影を出来るだけ避けるように距離を取って僕は歩き始める。

心に念じれば念じるほど、勝手に目が子供の影を捉える。


影は確かに子供だった。

酷い雨の中、傘もささず道路に蹲り白い石の様な物で地面に何かを書いている。


ただただ、不気味だった。

いや、それ以上に恐怖を感じる。


本能が危険だと訴え、背筋がゾクリと凍る。


そのときだった。

子供の影の首がぐるりと周り、僕の顔を見つめたのだ。



「ひっ……」



小さな悲鳴。

その声を上げ途端、恐怖のあまり腰が抜けてしまった。


川のように水の流れる道路から伝わる生暖かい水の感触。

それが尻からゆっくりと下着を貫通してくる。


持っていた買い物袋は中身を路上へとぶちまけていた。



「……や、やめっ」



ただ、そんな事気にしている暇は無かった。

その子供の影はゆっくりと立ち上がり、こっちに向かってくるのだ。



「くるなっ……くるなよ!!」



必死に逃げようとするけど、地面に腰が打ちつけられたかのように全然動かない。

その間にも子供はこっちに一歩一歩確実にやってくる。


理由なんて分からない!

でも立てないし、逃げられない。



「あっ……あっ……」



恐怖でガチガチと歯が重なりあう。


僕は目を瞑った。

目の前に迫る恐怖から逃れるように。



「……何してるの?」



そんな声が聞こえた。



「食べ物……濡れちゃうよ?」



僕はうっすらと目を開ける。

すると、目の前に立っていたのはビショビショに濡れたただの少年だった。



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「ププッ」



小さな手を口に当てては少年は笑う。



「いつまで笑ってんだ。たくっ……」



少年に乾いたタオルを投げつける。

バフっと音を立てて、投げたタオルは子供の頭に引っかかる。



「だって、あんなに驚いた人初めて見ました」

「うるせぇ」



自分の分のタオルを取り出し、乱暴に髪に付いた水気を払う。



「ププッ」



その僕の横で、また思い出した様に少年は笑っていた。

腹立つ。


何度笑えば気が済むんだ。

情けない行動はしたのは間違いなくこっちだけど。



「いいから。体を拭け、体を」



僕はその子供を連れて自分の家に戻っていた。

普段なら絶対に相手にしないけれど今日は別だった。


恥ずかしかった。


一言で言えばそういうこと。


恥ずかしさが、僕の正常な思考を奪った。

そんな事にしておいて欲しい。



「……これ使ってもいいんですか?」



子供は投げつけられたタオルを持ち、不思議そうに尋ねる。



「遠慮なんてしなくていいよ。さっさと拭いて上がってきな。着替えも持ってきてやる」

「あ、ありがとうございます!」



僕は子供に着替えを渡し、自分も濡れた服を着替えた。


濡れた服はとにかく重かった。

それらを全部洗濯機へ突っ込むだけでも軽い筋トレになる位だ。



「あの!濡れた服はどうすれば?」

「あ~、洗濯機にブチ込める?もう全部洗うわ」

「はい!」


その元気な返事なんだか少しだけ笑ってしまった。


………

……



「ゲリラ豪雨の癖に、まだ止みそうにないな」



パチン、パチン、と爪を切る音を、雨の音が打ち消してく。



「ですねぇ」



子供は気持ちよさそうに相槌を打つ。

何で爪を切られるのが気持ちいいの?


普通嫌がらない?爪をきられるのって。


汚れて真っ黒い子供の爪。

それを切れと言ったら”切ってください。”なんて言われるとは思わなかった訳で。



「まぁ、帰れないよな。これじゃあ」

「はい」



呆けたような少年の言葉を

パチン、パチンという音が掻き消していく。


まぁ、この雨の中だ。

帰りたくいのは分かる。



「腹……減ってない?」

「減ってます」

「だよな」



その瞬間、自らの存在を主張をするように、買い物袋がガサリと音を立て崩れた。

大量の雨水が漏れ出しながら。


あ~、完全に忘れてた。

ビショビショに濡れた買い物袋。



「あー……」



たぶん、あの中身は殆ど全滅だ。

食べられるものは今から処分しないと、ダメ……だろうな



「……何か食べるか?旨い物は期待すんなよ?」

「はい!」



どうせ持たない。

なら、全部料理して食べてしまうおう。


買い物袋はゆっくりと床に水溜りを作っているところだった。


………………………



「おいしぃーー!!!」

「そうか?」

「最高です!!」



テーブルには、様々な料理が並んでいる。

雨で濡れた食材は全て処分……いや、料理した。


あと、冷蔵庫にあった賞味期限ギリギリのやつも。


味はともかく、量と種類だけは沢山あった。

そのせいか、その子のテンションはやけに高かった。



「なあ」

「ふぁい?」



口いっぱいにほお張るから、ちゃんと喋れてないじゃないか。



「名前なんていうの?」

「ユメでふ」

「夢?」

「ふぁい!」



おおう。

キラキラネームか。


男の子なのに、ユメって。


色々と言いたい事があるけど、飲み込んでおこう。

本人が気にしてるかもしれないし。



「よろしくな、ユメ!」

「ふぁい!!」



ユメは元気良く答える。

でも、そのせいで咀嚼中の食べ物が飛び出して、机に食べカスが散らかった訳で……



「なぁ、ユメ?」

「ふぁ?」

「食べ物は逃げないから、ゆっくり食えって」

「ふぁ、ブフッ」



無理やり喋ったせいで、ユメは盛大に口の中の物吐き出す。

その小さな口から勢い良く飛び出た食料が、僕の顔に張り付く。


マジかよ。

最近の子供ってこんな感じなのかよ。



「ふぉめんなさい……」



謝っているが、ユメは食事の手を止めない。



「……全然分かってないな」



僕はゆっくり顔を拭く。

結局、ユメが家に帰っていったのは雨が止み、日が沈んだ後だった。



………

……



ピンポーン

家の中で鳴り響く呼び鈴。



「……居留守だな」



無職の生活は遅い。

枕元の時計を見れば、まだ朝の9時。


こんな時間に起きれる訳がない。


ピン、ピンポーン


だから呼び鈴なんて鳴らしても無駄だ。

出る訳がない。


朝、私がこのベットから出るのは災害時のみ。

何人たりともこの至福の時間の邪魔はさせない。



ピンポーン

ピン、ピンポーン



「……」



ピン、ピンポーン

ピンポーン、ピンピンポーン



「うるせぇ!!」



布団を蹴り上げ玄関へ向かう。

その間にも家の呼び鈴は絶える事無く鳴り響いていた。


何度鳴らせば気が済むんだ!

業者だったら怒鳴り散らしてやる!!



「うるさいんだよ!!」



勢い良く開けた扉の先。

そこには誰もいなかった。



「あれ……?」

「おはようございます」



すると、足元から声がした。

その声の主は昨日出会った少年。


ユメだった。


あれ?

今日は平日だったはず。


そして、時刻も9時をとっくに過ぎてる。

となれば当然……


学校は?

そんな疑問が言葉となって喉元まで出てきた。


ただ、その言葉を僕はゆっくりと飲み込む。


仕事は?

そうな風に聞かれたら、僕だって何も答える事が出来ないんだから。



「……ゲーム」

「え?」

「ゲームでもするか?」

「はい!」



僕は家の中にユメを招き入れた。

本当はダメなんだろう。


でも、僕自身他人にどうこう言えるような立派な人間じゃない。

弱くて、逃げてきた人間だけが分かることもある。


正論。

それが人を何よりも追い詰めるという事を。


カチャン


気がつけば鉄の扉が外の世界から僕の遮断する音を響かせていた。


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